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【第二部】東の国アル・ハダール

81 一か月が経って【東の辺境編】

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 ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。荒い息を吐きながらとにかく走る。ええと、今何周だっけ? 十二……十三? いかん、もうわからん。いや逆に分かんない方がいいかも。具体的な数字を意識すると余計にしんどくなりそうだ。
 そんな僕の頭に城壁の上から百騎長の怒声が降って来る。

「そこ! 勢いが落ちてるぞ! 走れ走れ走れ! 休みたきゃ死んでからいくらでも休め!」

 そんな無茶な、と思いつつ隣を走ってる人の顔をちらりと見た。すると僕と同じく汗だくの兵士の人がやっぱり僕をちらっと見て力なく笑う。僕もへらり、と笑った途端また上から百騎長の檄が飛んできた。

「へばってる場合じゃないぞ! ほら、後ろから虎が来た!」
「へ?」

 意味がわからず後ろを振り向くと「うぉっ!?」確かに超ド級の猛虎が怒涛の勢いで追いかけてきた。

「オラオラオラオラ! ちんたら走ってんじゃないぞ、お前らァ!!」

 ものすごい地響きをたてて虎髭のカーディム将軍が猛烈な勢いで走って来る。嘘だろ!? あの巨体でどうしてあんなに速く走れるんだ!?

「俺に追い越されたらあと五周追加するぞ!」
「ひ~~~っ!!!」

 そんなとんでもない……! 僕も他の人たちも死に物狂いで走り出す。

「オラ! しっかりしろ!」

 訓練場の外壁の上から声がして、前の方を走ってる人が桶の水を柄杓でぶっかけられている。うわ~~~あれ絶対冷たくて気持ちよさそう。
 だらだら汗を流して僕が走って来るのを見て、水をぶちまけていた人が一瞬ためらったけど、逆に僕は必死に目で『僕にも水かけて!!』って訴える。するとその人がニヤッと笑って威勢よく僕にも水をぶっかけてくれた。

「っひゃ~~~! 気持ちいい!」

 って思わず叫びたかったけど息切れしすぎてもちろんそんな余裕はない。

「オラオラオラオラァ!!!!」

 それはそれは愉快そうに満面の笑みで走って来るカーディム将軍と、その後ろから慌てたように追いかけてくるお付きの騎士の人たちから必死に逃れるように、僕たちはとにかく無我夢中で訓練場を走り続けた。


     ◇   ◇   ◇


「あ……足が動かない…………」

 訓練場の隅の木の下に倒れ込んで、僕はかすれ声で呟いた。

「いやいや。神子殿、今日は初めて途中で倒れず十周を越えましたよ! やりましたね!」

 やたらと朗らかな声でそう言うのは僕の主騎を務めてくれているヤハルだ。

「い、いやいや……、ほかの、人たちは、二十周走ってる、わけだし」

 息切れしながらそう答えると、ぶっとい両腕を組んで豪快に笑ったカーディム将軍が僕を見下ろして言った。

「そりゃあ、お前さんのようなヒョロヒョロの小僧っ子とアル・ハダール騎士団子飼いの者どもと一緒にするのが間違っておる! だがおぬしもよく頑張った! 誇れ!」
「あ、ありがとう、ございま、す」

 ここは宮殿から出たすぐのところにある騎士団の訓練場だ。
 僕とサイードさんとダルガートの三人で遠駆けに行った日からほぼ一か月。僕は毎日ここで他の新兵や従士たちと一緒に走ったり剣技の訓練を受けさせてもらってる。

「神子殿、大丈夫ですか」

 ひどく心配そうな声がして顔を上げると、宰補のアドリーさんが水の入った革袋を持って屈み込んでいた。ありがたくそれを受け取ったはいいけど飲む気力も出ない僕を見てアドリーさんが眉を顰めた。

「……おいヤハル。さすがに神子殿には厳しすぎるのではないのか」

 ところがヤハルは「倒れるギリギリまでやってこそ効果が出るものだ」と首を振る。そしてカラッとした笑顔で言った。

「昔、サイード様がそうおっしゃっておられた」

 そう、ヤハルはいいところのお坊ちゃんだという割に相当な脳筋だ。そしてそれはどうもサイードさん仕込みのものらしい。
 自分が騎士見習いだった頃にサイードさんに情け容赦なくガンガン鍛えられたようで、それをそのまま僕たちにも実践しているらしい。
 僕はと言えば当然しんどいことはしんどいんだけど『昔、サイードさんがそう言っていた』というだけでなんとなく自分もサイードさんにそう指導されている気分になってヤル気が出てしまう。我ながら実に単純な男だ。
 それでもまだ何か言おうとしたアドリーさんに手を上げて、僕はなんとか声を振り絞って言った。

「い、いえ、ちゃんと手加減して貰ってるので……」

 今だって僕は完全に周回遅れでヤハルは全然余裕だったけど、僕と同じペースで走って最後まで後ろで見守っててくれていた。本当にヤバければちゃんと止めてくれたと思う。
 それよりも僕はたった今気づいたことを尋ねてみた。

「あの、アドリーさんとヤハルって結構気安く話すんですね。年が近いとか……?」
「ああ、そうですね」

 アドリーさんが少しハッとした顔で教えてくれた。

「我々は元々、マドラーサでの同期なのですよ」
「ええと、マドラーサというと……高等学校でしたっけ?」
「その通りです」

 ヤハルは騎士だけど領主の次男坊なので高等学校を出ているんだそうだ。そしてアドリーさんは意外にもごく普通の家の出だけど、マクターブと呼ばれる初等学校での成績が優秀だったために特待生として高等学校マドラーサに上がり、官僚としての道を志したのだそうだ。

「へぇ、身分に関わらず学問や出世の道が開かれてるんですね」

 王様や皇帝がトップにいて、その下に貴族や庶民がいて、っていうこの世界では結構身分の縛りが厳しいイメージがあったから少し意外だった。
 するとアドリーさんがいつもの生真面目そうな顔に戻って言った。

「先のジャハール王の治世までは我ら平民がマドラーサへ上がることはできませんでした。ですが身分の垣根を越えて優秀な者は積極的に育て、登用するという方針を現宰相が打ち出され、私はその恩恵に預かることができたのです」
「へぇ……あの人が……」

 僕は歓迎の宴で初めて顔を合わせた、年齢不詳なものすごい美形の宰相さんを思い出す。確かにマンガにでも出てきそうないかにも有能そうな人だったもんなぁ……。いや能力に見た目は関係ないけどさ。

「あの、他にもどんな改革をされたんですか?」

 なんとなく気になって聞いてみると、アドリーさんが珍しく『よくぞ聞いてくれた』みたいな顔になって教えてくれた内容に思わず目を剥いた。

「えー、つまり宰相になって三年で戸籍制度を整え全土の作付け調整で飢饉をなくし、粛清した反勢力の領地を直轄地にして税収を増やして官僚組織を簡略化して街道を整備して学校制度を改革して地方では屯田制を導入して……、え、まだまだある?」

 すごいな、ほんとにスーパー宰相さんだったよ。それをアル・ハダール建国から今までのたった十年間でやってのけたってすごいな。しかもまだまだやりたいことはあるらしい。

「ですがこれ以上の改革よりも、まずは水問題の解決と天候と収穫量の安定化が先だ、と」
「なるほど」

 うわ、ようするに『慈雨の神子』の成果次第ってこと? これは責任重大だな、と一瞬焦る。でも帝都に来てもう一か月以上経つけど、今のところ宰相さんから何かこれをして欲しい、みたいなことって言われた事がない。こんな風にのんびりしちゃってていいんだろうか。

 それと同時にもう一つ別のことも思い浮かぶ。
 そんなに優秀で人の一歩も二歩も先を行ってる人なら、もしかしたら『あれ』についても何か知ってるかもしれないな。
 近々、宰相さんと話ができたらいいんだけど……でも一国の重鎮でめちゃくちゃ忙しそうな人相手に無理かな? どうなんだろう。
 そんなことを考えていると、野生の勘なのかなんかのか、意外と鋭いカーディム将軍が僕を見下ろしてニヤリと笑った。

「まあ、お前さんの守り役がいない今のうちはあれこれ余計なことは考えず、鍛錬に励んで体力をつけることだな」
「う……、はい」

 まあ、確かにね。
 僕はへらりと笑うと、ようやく整ってきた息をついてもう一口水を飲んだ。
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