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【第二部】東の国アル・ハダール
75 川とオアシス
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帝都イスマーンはイシュマール大陸の東にある一大都市だ。
イシュマール大陸は先代の神子が病で亡くなってから二十年の間に砂漠化が進み、かつて豊かな草原だった場所の多くは岩や石が転がる礫砂漠となってしまったそうだ。
城壁をくぐって街を出て、そこから広く続く農村・牧畜地帯を抜けると確かに荒涼とした大地が続いている。
それでも、どこまでも続く青い空の下で東の方から吹いてくる乾いた風を感じながら馬を走らせるのは、ひと月の間ずっと宮殿で過ごしていた僕にとっては歓声を上げたくなるほど気持ちが良かった。
「すごい、すごい!」
僕の黒い馬はどんどん地面を蹴って駆けていく。今まで毎朝乗馬の練習していた馬場も広かったけれど、遮るものが何もない外を走る解放感は当然のことながら桁が違った。
今までで一番のスピードで馬を駆りながら、僕はものすごく興奮してた。それに以前、ダーヒル神殿領を出発する時にサイードさんが『馬も広い砂漠の方が上手く走れる』って言ってた意味もよくわかった。
僕の少し前をサイードさんが走って、時々僕を振り返る。練習の甲斐あって、今の僕にはそれに手を振る余裕まである。するとサイードさんが楽しそうに微笑んだ。
斜め後ろにはダルガートが同じく馬を走らせている。本当に、ダルガートとは帝都に着いた夜に部屋で会ったのと歓迎の宴の席で少し一緒になっただけだから、こうやって一緒に馬で走ってるとかまだ信じられないし、ダルガートがいる光景がものすごく新鮮に映る。
そしてふと、前回の馬での旅の時に『今ここにダルガートもいてくれたら』って何度も考えていたことを思い出した。
◇ ◇ ◇
結構な距離をいった所で僕たちは川に行き当たった。元は幅も深さもかなりある大きな川のようだけど、今は水量が足りていないのか一番底のところに幅二メートルくらいの量が流れているだけだ。それでも辺りには草や木が生えていてなんとなくホッとする。
サイードさんとダルガートが川底に馬を連れていって川の水を飲ませている間、僕はシュマグを脱いで頭を風に当てながら一息ついた。朝からずっと走ってきたからちょっと暑い。
「ここもカイが来る前は完全に干上がっていた川だ。恐らく上流にある湖に水が戻ってきたのだろう」
僕も二人を追いかけて崖みたいになってる川岸を降りるとサイードさんがそう教えてくれた。
「そうなんですね、良かった」
うーん、来て二か月やそこらで湖一個分復活してしまう神子の力は本当に偉大だ。僕にはまったく実感ないけど。
「カイはかなり馬に乗るのが上手くなったな」
「今、毎日乗ってるから」
「そうか」
そう言ってサイードさんが笑った。馬に関係する話をしている時のサイードさんは本当に楽しそうな、嬉しそうな顔をする。本当に馬が好きなんだな。今も三頭の馬全部の首を撫でては顔を覗き込んで元気かどうかを見ているみたいだ。
そういえばダルガートは、と見ればいつの間にか彼一人だけ岸に上がっていてどこかを見ている。「ダルガートもおいでよ」って言おうとして、気づいた。
そうか、僕たちがこうしている間、見張りをしてくれているんだ。こんな見渡す限り人っ子一人いない場所でそんなに警戒しなくても、って一瞬思ったけど、こっちの常識は僕では計り知れないし、思いつきで口を出すのは良くないと思って言うのを止めた。
「どうした? カイ」
「……ううん、なんでもないです」
その時、崖の上からダルガートがサイードさんを呼んだ。
「サイード殿、羊の群れだ」
サイードさんは顔を上げると馬の手綱を取って川岸を登る。僕も自分の馬を連れて後を追うと、確かに僕たちが来たのとは反対の方向からから動物をたくさん連れた人がこっちへ向かって来るのが見えた。
しばらく待っていると、少し汚れて灰色になってる羊たちを連れた男の人がいぶかしげにこっちを見て近づいて来た。
「誰だね、あんたらは」
「皇帝カハルの騎兵だ。私用で帝都より来た」
サイードさんがそう答えると、男の人は目を見開いて「兵隊さんか。なら良かった」と言った。その傍らで羊たちは川の水を飲んだり草を食んだりし始める。
「ようやくここにも水が戻ってきたが、儂らの住む方の川にはなぜか水がまったく来ておらんのです。それでわざわざここまで羊たちを連れて通っておるのですよ」
男の人はそう言ってため息をついた。
「そっちの川もこの川と同じ水源から来ているのか」
「多分、そうだと思います」
「そうか」
サイードさんがそう答えてダルガートと目を合わせた。
「おかしいですな。いくら水源の水量がまだ足りないとはいえ、片方にはこれだけ来ていてもう片方にはまったくとは」
「湖から川に流れる場所に何かあるのだろうか」
サイードさんが男の人の方に向いて「様子を見ておこう」と言うとその人は深々と頭を下げた。
それから僕たちは帝都を出る前に隊商宿で買った種なしパンを食べてお茶を飲んでからまた出発した。
「この川の上流へ行ってみよう。オアシスがあるはずだ」
そうしてまた三人でずっと走って行く。
日がだいぶ傾いてきた頃に、そのオアシスは本当に突然現れた。乾いた砂漠の真ん中にいきなり大きな湖があって、その周りには緑が生い茂っている。
「すごいな、こんな何にもないところにぽつんといきなり湖があるなんて」
まるでマンガみたいな光景だ、と思う。近くに山がないってことは地下から湧き出ているんだろうか。
「確かに水量はまだ半分も戻っていないようだな」
サイードさんが水面と岸の高低差を見て言う。
さっきの男の人は南の方から来たから湖の縁を南下していくと、確かに川の入口にあたる場所を見つけた。
「これは……明らかに人の手で塞がれておりますな」
ダルガートが呟く。見ると貴重な木が切り倒されてまるで蓋をするように川への入口を塞いでいる。
「一体誰がこんなことを……?」
僕が呟くと、サイードさんが「北の川の水の量を増やすために南を塞いだ者がいるということだ」と言った。
確かに、湖の水が完全には戻っていないこの状態で両方の川に水を流すと全然水量が足りないのだろう。でも、だからって勝手に片方塞いじゃうなんて随分と勝手が過ぎる。
じゃあこの塞いでる木をどかせばいいか、っていうと……どうなんだろう。
「もしここで木をどかして北の方の川の水量が減ったら、それはそれで困る人がいるってことですよね」
「そうだな」
……どうすればいいんだろう……。簡単なのはこの湖の水量を100パーセントの状態に持っていくことだよな。それなら僕にも出来るだろうか。でもどうやって?
地面にしゃがみ込んで一人で考え込んでいると、サイードさんが僕の肩を抱いて立たせた。
「もうしばらくすると夕刻だ。今日はここで野営しよう」
「あ、はい……って、今日のこれ、日帰りじゃなかったんですね!?」
「まあ、そういうこともあるな」
遠乗りってちょっとそこまで、ってものじゃないんだ! と今更気づく。
そうか……情報網とか連絡網が行き届いている現代日本と違って、どこで何が起こるかわかんないもんね……例えば今みたいに……。
え、でもそんな用意ってしてないよね!? と思った僕が浅はかだった。さすがウルド。荷造りは完璧だった。
ダルガートが解いて降ろしてくれた僕の荷物から次から次に出てくる品物を見ながら、僕は唖然としつつもウルドに激しく感謝した。
イシュマール大陸は先代の神子が病で亡くなってから二十年の間に砂漠化が進み、かつて豊かな草原だった場所の多くは岩や石が転がる礫砂漠となってしまったそうだ。
城壁をくぐって街を出て、そこから広く続く農村・牧畜地帯を抜けると確かに荒涼とした大地が続いている。
それでも、どこまでも続く青い空の下で東の方から吹いてくる乾いた風を感じながら馬を走らせるのは、ひと月の間ずっと宮殿で過ごしていた僕にとっては歓声を上げたくなるほど気持ちが良かった。
「すごい、すごい!」
僕の黒い馬はどんどん地面を蹴って駆けていく。今まで毎朝乗馬の練習していた馬場も広かったけれど、遮るものが何もない外を走る解放感は当然のことながら桁が違った。
今までで一番のスピードで馬を駆りながら、僕はものすごく興奮してた。それに以前、ダーヒル神殿領を出発する時にサイードさんが『馬も広い砂漠の方が上手く走れる』って言ってた意味もよくわかった。
僕の少し前をサイードさんが走って、時々僕を振り返る。練習の甲斐あって、今の僕にはそれに手を振る余裕まである。するとサイードさんが楽しそうに微笑んだ。
斜め後ろにはダルガートが同じく馬を走らせている。本当に、ダルガートとは帝都に着いた夜に部屋で会ったのと歓迎の宴の席で少し一緒になっただけだから、こうやって一緒に馬で走ってるとかまだ信じられないし、ダルガートがいる光景がものすごく新鮮に映る。
そしてふと、前回の馬での旅の時に『今ここにダルガートもいてくれたら』って何度も考えていたことを思い出した。
◇ ◇ ◇
結構な距離をいった所で僕たちは川に行き当たった。元は幅も深さもかなりある大きな川のようだけど、今は水量が足りていないのか一番底のところに幅二メートルくらいの量が流れているだけだ。それでも辺りには草や木が生えていてなんとなくホッとする。
サイードさんとダルガートが川底に馬を連れていって川の水を飲ませている間、僕はシュマグを脱いで頭を風に当てながら一息ついた。朝からずっと走ってきたからちょっと暑い。
「ここもカイが来る前は完全に干上がっていた川だ。恐らく上流にある湖に水が戻ってきたのだろう」
僕も二人を追いかけて崖みたいになってる川岸を降りるとサイードさんがそう教えてくれた。
「そうなんですね、良かった」
うーん、来て二か月やそこらで湖一個分復活してしまう神子の力は本当に偉大だ。僕にはまったく実感ないけど。
「カイはかなり馬に乗るのが上手くなったな」
「今、毎日乗ってるから」
「そうか」
そう言ってサイードさんが笑った。馬に関係する話をしている時のサイードさんは本当に楽しそうな、嬉しそうな顔をする。本当に馬が好きなんだな。今も三頭の馬全部の首を撫でては顔を覗き込んで元気かどうかを見ているみたいだ。
そういえばダルガートは、と見ればいつの間にか彼一人だけ岸に上がっていてどこかを見ている。「ダルガートもおいでよ」って言おうとして、気づいた。
そうか、僕たちがこうしている間、見張りをしてくれているんだ。こんな見渡す限り人っ子一人いない場所でそんなに警戒しなくても、って一瞬思ったけど、こっちの常識は僕では計り知れないし、思いつきで口を出すのは良くないと思って言うのを止めた。
「どうした? カイ」
「……ううん、なんでもないです」
その時、崖の上からダルガートがサイードさんを呼んだ。
「サイード殿、羊の群れだ」
サイードさんは顔を上げると馬の手綱を取って川岸を登る。僕も自分の馬を連れて後を追うと、確かに僕たちが来たのとは反対の方向からから動物をたくさん連れた人がこっちへ向かって来るのが見えた。
しばらく待っていると、少し汚れて灰色になってる羊たちを連れた男の人がいぶかしげにこっちを見て近づいて来た。
「誰だね、あんたらは」
「皇帝カハルの騎兵だ。私用で帝都より来た」
サイードさんがそう答えると、男の人は目を見開いて「兵隊さんか。なら良かった」と言った。その傍らで羊たちは川の水を飲んだり草を食んだりし始める。
「ようやくここにも水が戻ってきたが、儂らの住む方の川にはなぜか水がまったく来ておらんのです。それでわざわざここまで羊たちを連れて通っておるのですよ」
男の人はそう言ってため息をついた。
「そっちの川もこの川と同じ水源から来ているのか」
「多分、そうだと思います」
「そうか」
サイードさんがそう答えてダルガートと目を合わせた。
「おかしいですな。いくら水源の水量がまだ足りないとはいえ、片方にはこれだけ来ていてもう片方にはまったくとは」
「湖から川に流れる場所に何かあるのだろうか」
サイードさんが男の人の方に向いて「様子を見ておこう」と言うとその人は深々と頭を下げた。
それから僕たちは帝都を出る前に隊商宿で買った種なしパンを食べてお茶を飲んでからまた出発した。
「この川の上流へ行ってみよう。オアシスがあるはずだ」
そうしてまた三人でずっと走って行く。
日がだいぶ傾いてきた頃に、そのオアシスは本当に突然現れた。乾いた砂漠の真ん中にいきなり大きな湖があって、その周りには緑が生い茂っている。
「すごいな、こんな何にもないところにぽつんといきなり湖があるなんて」
まるでマンガみたいな光景だ、と思う。近くに山がないってことは地下から湧き出ているんだろうか。
「確かに水量はまだ半分も戻っていないようだな」
サイードさんが水面と岸の高低差を見て言う。
さっきの男の人は南の方から来たから湖の縁を南下していくと、確かに川の入口にあたる場所を見つけた。
「これは……明らかに人の手で塞がれておりますな」
ダルガートが呟く。見ると貴重な木が切り倒されてまるで蓋をするように川への入口を塞いでいる。
「一体誰がこんなことを……?」
僕が呟くと、サイードさんが「北の川の水の量を増やすために南を塞いだ者がいるということだ」と言った。
確かに、湖の水が完全には戻っていないこの状態で両方の川に水を流すと全然水量が足りないのだろう。でも、だからって勝手に片方塞いじゃうなんて随分と勝手が過ぎる。
じゃあこの塞いでる木をどかせばいいか、っていうと……どうなんだろう。
「もしここで木をどかして北の方の川の水量が減ったら、それはそれで困る人がいるってことですよね」
「そうだな」
……どうすればいいんだろう……。簡単なのはこの湖の水量を100パーセントの状態に持っていくことだよな。それなら僕にも出来るだろうか。でもどうやって?
地面にしゃがみ込んで一人で考え込んでいると、サイードさんが僕の肩を抱いて立たせた。
「もうしばらくすると夕刻だ。今日はここで野営しよう」
「あ、はい……って、今日のこれ、日帰りじゃなかったんですね!?」
「まあ、そういうこともあるな」
遠乗りってちょっとそこまで、ってものじゃないんだ! と今更気づく。
そうか……情報網とか連絡網が行き届いている現代日本と違って、どこで何が起こるかわかんないもんね……例えば今みたいに……。
え、でもそんな用意ってしてないよね!? と思った僕が浅はかだった。さすがウルド。荷造りは完璧だった。
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