月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第二部】東の国アル・ハダール

72 一世一代の大ピンチ

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「ブッフォ!!!!」

 吹いた。思いっきりお茶を吹いてしまった。向かいにいたカーディム様が「うお!?」って驚いて声を上げる。

「おい、大丈夫か神子殿よ」

 カーディム様がどこからか取り出した布を僕に放り投げてくれた。それで口を拭きながら必死に考える。
 え、なに、今の質問ってどういう意味? なんて答えるのが正解なの?!?

 もちろん、多分、宰相さんの質問に他意はない。普通に『慈雨の神子』としてよその世界から召喚された僕が無事この世界に慣れたのかとか、神子が『イシュク』であるサイードさんや一緒に護衛をしてくれてたダルガートとちゃんと信頼関係を結べているかとかが知りたいだけだ。多分。
 ここで動揺しているのは、僕自身に後ろめたいことが山ほどあるせいだ。つまりあんまり狼狽えててはいらぬ詮索を受けてしま……

 と完全にパニックに陥っていた僕の目に、カハル皇帝と向かい合って座ってる二人の背中が映った。
 この宴の席でも皆、こちらの風習にのっとって石造りの床に色鮮やかな厚い敷物を敷いて、綺麗な房のついたクッションやなんかをたくさん置いて座っている。
 僕のところを含め、みんなの席には銀の大きなお皿に盛られた料理がずらりと並び、酒杯を手に口々にしゃべってるのが見えた。

 そんな中でサイードさんとダルガートはいつもの胡坐をかいて両手を膝に乗せて座ってる。その背筋はピンと伸びててどこにも緩んだところがない。
 思えばサイードさんがああやって座ってるところは食事のたびに見てるけど、ダルガートは初めて見たような気がする。いやそうだ。

 なんとなく、二人の背中を見てたら気持ちが落ち着いて来た。そしてつい猫背になってしまう背中を伸ばして宰相さんに向き直った。

「サイードさんは僕がこの世界に来て、最初の選定の儀式で会った人です。あの人だけが穏やかな目をして、僕のことを労わってくれてました。だから僕はサイードさんを選びました」

 宰相さんは静かに、でもこっちが絶対に目を逸らせないような鋭さで僕を見ている。

「正直、異世界から神子を召喚するという行為については今も思う所は多々ありますが」

 我慢できずについそこを主張してしまいながらも、コホン、と咳ばらいをして続けた。

「でも、サイードさんはいつも真摯に僕の悩みに付き合って、励ましたり支えたりしてくれました。この世界で一番の恩人です。だからサイードさんへの恩返しの意味で、僕はできるだけのことはしたいと思っています」
「……なるほど。よくわかりました」

 そう言われて思わず肩の力が抜ける。一応合格したんだろうか。ところが間髪入れずにまた宰相さんの声が飛んできた。 

「神子召喚の儀式のために神殿領へと向かう前、選定の騎士にサイード将軍を選ぶことには様々な意見がありました」
「え、そうなんですか?」
「ええ。我が国の騎士の中で最上位は皇帝ハリファカハルの義弟、サファル殿にございます」

 あ、なるほど。言われて見ればそうか。向かいでサファル様が豊かな髭を撫でながら頷く。

「ですが……………………まあ色々ありまして、サイード殿に決まったわけです」

 え? その色々のところは話してくれないの? 何か宰相さんと目を合わせないカハル皇帝の義兄弟たちと下を向いてるアドリーさんを見て思わず首をかしげる。
 すると宰相さんがにっこり笑って僕に言った。

「まあ、そこは結果良ければ全て良しと申せましょう。神子殿の信頼をサイード殿が勝ち得たこと、喜ばしく存じます」

 あ、この人結構力押しだな。そう思いながらアドリーさんが淹れてくれたお茶のおかわりを飲んで気持ちを落ち着けようとした時に容赦ない追撃がやってきた。

「で、ダルガートは一体?」
「…………え、一体、とは」

 何を聞かれているのかわからず聞き返してしまう。すると宰相さんがまた微笑んで僕に聞いてきた。

「どうやら神子殿はサイード殿同様にあの者にも信頼厚きを置かれているとか。わたくしとしてはそれが一番理解できぬ」

 なんだろう。すごく綺麗な笑顔なのに何かが怖い。
 なぜかアドリーさんも義兄弟ズも黙って僕たちを見ている。え、なに、なんなのこの微妙な空気は?

「……ッダ、ダルガートは、カルブの儀式で僕を守ってくれたので……」
「それはアル・ハダールの者として当然のことをしたまで。彼だけでなくすべての騎士は貴方のために命を投げ出す覚悟をしておりますよ」
「う、え、そ……そうですか……」
「なのになぜ彼を特別扱いされるのか」

 なぜって……ええええ……、と思わず目が泳ぐ。

「……か、彼は……」
「はい」
「…………ええと、あの人相手だと、こっちも、なんというか、気が楽というか……」

 と言いかけたところで口を挟んできたのは、意外にもアドリーさんだった。

「しかし、初めの内は神子殿はダルガート殿を苦手に思ってらしたと聞いておりますが」

 誰だよアドリーさんにまでバラしてんの!!???!

「いえ、まあ、確かに、迫力負けしたというか、顔が怖かったというか……」
「まあ、そりゃそうだろうな」

 と言ったのは虎髭のカーディム様だ。僕もひどいが彼もひどい。

「で、でも、うまく言えないんですけど」

 宰相さんの顔を見て、おっかなびっくり答えた。

「あの人の場合、僕が何をしようが、できなかろうが、全然変わんない気がして安心できます」

 それを聞いた宰相さんがなぜか目を見開いて、ぱちりと瞬きをした。え、これって驚いてる顔? かな?

 その時、カハル皇帝がこっちに向かって手招いているのにアドリーさんが気づいた。そして僕たちに教えてくれる。サイードさんとダルガートも二人してこっちを見てるな。うわ、なんかドキッとした。思えば二人揃ってるとこ見るのって四十日ぶりだもんね? あー、完全に浮ついてんな、僕。

「あ、あの、僕、呼ばれてるんですかね?」
「かと思われます」

 宰相さんが頷いた。ええと、これ幸いと抜け出していいんだろうか?
 少し迷ってたら、ダルガートが立ち上がってこっちに来るのが見えた。

「ご歓談中、失礼申し上げる」

 そう言ってダルガートが床に膝をつく。

「お越し頂けるか、神子よ」
「う、うん、大丈夫」

 いいよね、なんてったって皇帝陛下がお呼びなんだもんね。そう思って立ち上がろうとして見事に裾を踏んづけた。ううう……どうしても慣れないこの長い服……。
 神殿ではズボンとシャツ、その上に上着と腰帯で良かったけど、今はその上にさらに丈の長い羽織り物があるのだ。これがなかなかの鬼門で僕はすぐに踏んづけてしまう。
 うっかり倒れそうになったところをすかさずダルガートが支えてくれた。その腕に捕まりながら小声で謝る。

「ごめん、ありがとう」
「なんの」

 そう言ってダルガートがほんの少しだけ口角を上げる。こうしてみるとこの人、結構愛想よくなったと思わない!? だよね!? 絶対そうだよね?!?! 笑ったよ今!!!!
 そう思った途端、背中に添えられた大きな手の感触とか熱とかがいやでも昨夜のアレを思い出させて、ついカッと身体が熱くなる。
 あー、いかんいかん。また顔がめちゃくちゃ熱い。きっとものすごく真っ赤でみっともない顔してるんだろうな。こんなの宰相さんに見られたらまた不審に思われてしまう。

「失礼」

 そう言ってそのまま手を引いてくれたダルガートに便乗して、僕は宰相さんたちにへらりと笑ってその場を逃げ出した。
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