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【第二部】東の国アル・ハダール
59 襲撃
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次に寄ったハーランという街はとても大きなところで、広い通りには二階建ての白い大きな建物が立ち並び、大勢の人たちで賑わっていた。
その街は今までの村や集落とは比べ物にならないくらい大きくて賑やかで、アル・ハダールの兵たちが駐屯している基地のような場所もあった。
サイードさんはそこに立ち寄って、先に行ったカハル皇帝からの書簡や帝都から送られてきた書類のような物を受け取っていた。
そのやり取りを後ろで見ているとサイードさんは本国では責任ある高い地位に着いてるんだってことがなんとなくわかったし、帝都にも段々近づいてきてるんだなっていうのがすごく実感できた。
そこで僕たちは水や食料を調達して、この辺りの道の安全はどうだとか水源の様子や天候やなんかを聞いてまた出発した。
一日中馬に乗って、川があれば水を浴びて馬を洗ってあげて、日が暮れれば火を焚いて食べて満天の星の下で寝る。
時々サイードさんが『今日は少し早めに野営をしよう』って言う時があって、そういう日はいつもサイードさんは一人で弓を携え馬に乗ってどこかに行ったかと思うと、立派な子鹿や兎を担いで戻って来た。
ヤハルやアキークがそれを捌いて焚火で焼いてくれたのを僕たちも食べる。久し振りに食べる獲ったばかりの肉はやっぱり美味しくて気持ちも上がるらしく、夜が更けてもみんな自分が知ってる珍しい話や面白い話を僕に聞かせてくれたりした。
一度だけ、サイードさんが歌を教えてくれたこともあった。
草原の移り変わる四季を謳った素朴な歌詞とメロディーは、昔サイードさんの住んでいたところでよく知られていた歌だったらしい。
日本ではありえない遠い異国の景色の中で聞くサイードさんの低くて張りのある歌声は、なぜだか僕の胸をぐっと掴んで離さなかった。
そして前に夜の砂漠でサイードさんが僕に知っている限りの歌や昔話を教えてくれると言った約束をちゃんと覚えていてくれたことがとても嬉しかった。
そんな穏やかな日が十日ばかり続いた。
でも、僕たちが呑気に旅ができたのはここまでだった。
この後僕たちは思いがけないトラブルに巻き込まれて、ヤハルが怪我をし、そして馬を一頭失った。
◇ ◇ ◇
イスマーンまであと数日あれば着く、と言われて、正直僕はちょっと気が緩んでいた。
馬に乗るのもかなり慣れて、一日中ずっと一人で乗れるようになっていた。それもサイードさんがダルガートに似てると言ったあの大きな黒い馬が本当に優秀だったからだ。
僕みたいなあやふやな手綱さばきしかできない初心者が乗り手でもちゃんと同じペースで走ってくれるし、勝手に進路を変えたりもしない。
川や足元が悪いような場所でも全然臆さずにどんどん進んでくれるのは本当にありがたかった。
その日、アル・ハダールには珍しく狭い谷のようなところを通っていた時だった。突然岩が崩れるような音や馬の蹄の音、それから何かを叫ぶような声が聞こえてきて心臓が止まりそうになった。
その時も僕は一人で馬に乗ってて、突然のことに馬の背の上でビクン、と身体を跳ねさせてしまった。
「賊だ!」
一番後ろを走っていたアキークの声が響く。
アル・ハダールの人たちの馬の乗り方は鐙が長くてほぼ立ち乗りに近い。その分、鐙の足を入れるところも分厚く平たくて、ぐっとふんばりがきくような作りだ。だからこの時も足を踏み外さず落馬しなくて済んだ。
僕は、万が一の時は馬に全部任せて重心を馬に合わせることだけ考えろ、って言われてたことを思い出す。
「カイ、行け!」
サイードさんに尻を叩かれて突然馬が走り出した。僕は言われてた通り、ひたすら姿勢を低くして手綱を握りしめ、走り出す馬に全てを預ける。
この馬なら僕が手綱を操ろうとしなくても自分で安全なところへ逃げられるとサイードさんが考えて見繕ってくれた馬だ。だから大丈夫、って自分に言い聞かせる。
しばらく無我夢中で走っていると、ふと後ろから口笛みたいなのが聞こえてきて、馬がスピードを落とした。ガチガチに緊張して強張る手足からなんとか力を抜いて振り向くと、ナスィーフがこちらに向かって来ていた。
「神子殿、ご無事で」
この時来たのがサイードさんじゃなかったことに、僕は言いようのない不安に襲われる。
「あの、サイードさんたちは?」
「ご心配召されますな。ヤハルが軽い矢傷を負ったのみにございます」
僕はナスィーフと一緒に急いで元来た道を戻った。するとそこには斬り捨てられて血に染まった見慣れぬ服の男たちと何頭かの馬が倒れていた。
「ヤハル!」
ヤハルが腿のあたりをきつく布で縛ろうとしている。どうやら矢がかすったらしく、そこまで深刻な怪我ではなさそうでホッとした。
(あれ、サイードさんは?)
慌てて見回すと、ヤハルの馬をなだめていたナスィーフの向こうにサイードさんの背中が見えた。
その街は今までの村や集落とは比べ物にならないくらい大きくて賑やかで、アル・ハダールの兵たちが駐屯している基地のような場所もあった。
サイードさんはそこに立ち寄って、先に行ったカハル皇帝からの書簡や帝都から送られてきた書類のような物を受け取っていた。
そのやり取りを後ろで見ているとサイードさんは本国では責任ある高い地位に着いてるんだってことがなんとなくわかったし、帝都にも段々近づいてきてるんだなっていうのがすごく実感できた。
そこで僕たちは水や食料を調達して、この辺りの道の安全はどうだとか水源の様子や天候やなんかを聞いてまた出発した。
一日中馬に乗って、川があれば水を浴びて馬を洗ってあげて、日が暮れれば火を焚いて食べて満天の星の下で寝る。
時々サイードさんが『今日は少し早めに野営をしよう』って言う時があって、そういう日はいつもサイードさんは一人で弓を携え馬に乗ってどこかに行ったかと思うと、立派な子鹿や兎を担いで戻って来た。
ヤハルやアキークがそれを捌いて焚火で焼いてくれたのを僕たちも食べる。久し振りに食べる獲ったばかりの肉はやっぱり美味しくて気持ちも上がるらしく、夜が更けてもみんな自分が知ってる珍しい話や面白い話を僕に聞かせてくれたりした。
一度だけ、サイードさんが歌を教えてくれたこともあった。
草原の移り変わる四季を謳った素朴な歌詞とメロディーは、昔サイードさんの住んでいたところでよく知られていた歌だったらしい。
日本ではありえない遠い異国の景色の中で聞くサイードさんの低くて張りのある歌声は、なぜだか僕の胸をぐっと掴んで離さなかった。
そして前に夜の砂漠でサイードさんが僕に知っている限りの歌や昔話を教えてくれると言った約束をちゃんと覚えていてくれたことがとても嬉しかった。
そんな穏やかな日が十日ばかり続いた。
でも、僕たちが呑気に旅ができたのはここまでだった。
この後僕たちは思いがけないトラブルに巻き込まれて、ヤハルが怪我をし、そして馬を一頭失った。
◇ ◇ ◇
イスマーンまであと数日あれば着く、と言われて、正直僕はちょっと気が緩んでいた。
馬に乗るのもかなり慣れて、一日中ずっと一人で乗れるようになっていた。それもサイードさんがダルガートに似てると言ったあの大きな黒い馬が本当に優秀だったからだ。
僕みたいなあやふやな手綱さばきしかできない初心者が乗り手でもちゃんと同じペースで走ってくれるし、勝手に進路を変えたりもしない。
川や足元が悪いような場所でも全然臆さずにどんどん進んでくれるのは本当にありがたかった。
その日、アル・ハダールには珍しく狭い谷のようなところを通っていた時だった。突然岩が崩れるような音や馬の蹄の音、それから何かを叫ぶような声が聞こえてきて心臓が止まりそうになった。
その時も僕は一人で馬に乗ってて、突然のことに馬の背の上でビクン、と身体を跳ねさせてしまった。
「賊だ!」
一番後ろを走っていたアキークの声が響く。
アル・ハダールの人たちの馬の乗り方は鐙が長くてほぼ立ち乗りに近い。その分、鐙の足を入れるところも分厚く平たくて、ぐっとふんばりがきくような作りだ。だからこの時も足を踏み外さず落馬しなくて済んだ。
僕は、万が一の時は馬に全部任せて重心を馬に合わせることだけ考えろ、って言われてたことを思い出す。
「カイ、行け!」
サイードさんに尻を叩かれて突然馬が走り出した。僕は言われてた通り、ひたすら姿勢を低くして手綱を握りしめ、走り出す馬に全てを預ける。
この馬なら僕が手綱を操ろうとしなくても自分で安全なところへ逃げられるとサイードさんが考えて見繕ってくれた馬だ。だから大丈夫、って自分に言い聞かせる。
しばらく無我夢中で走っていると、ふと後ろから口笛みたいなのが聞こえてきて、馬がスピードを落とした。ガチガチに緊張して強張る手足からなんとか力を抜いて振り向くと、ナスィーフがこちらに向かって来ていた。
「神子殿、ご無事で」
この時来たのがサイードさんじゃなかったことに、僕は言いようのない不安に襲われる。
「あの、サイードさんたちは?」
「ご心配召されますな。ヤハルが軽い矢傷を負ったのみにございます」
僕はナスィーフと一緒に急いで元来た道を戻った。するとそこには斬り捨てられて血に染まった見慣れぬ服の男たちと何頭かの馬が倒れていた。
「ヤハル!」
ヤハルが腿のあたりをきつく布で縛ろうとしている。どうやら矢がかすったらしく、そこまで深刻な怪我ではなさそうでホッとした。
(あれ、サイードさんは?)
慌てて見回すと、ヤハルの馬をなだめていたナスィーフの向こうにサイードさんの背中が見えた。
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