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【第二部】東の国アル・ハダール
54 アル・ハダールへ【アル・ハダールへの旅編】
しおりを挟むうーん……視界が高い……。
神殿長さんに別れを告げ、サイードさんの助けを借りて馬の背に乗ると、そこから見える景色に思わず感嘆のため息を漏らした。
「どうした、カイ」
僕の後ろに座って手綱を握るサイードさんがいぶかしげに尋ねてくる。僕は頭に被り布を被った端正な顔を見上げてニッと笑った。
「いえ、気持ちいいですね。ここから見る景色って」
「そうだろう」
そう答えたサイードさんの顔は今まで見た中で五指に入るくらいのいい笑顔で、それだけでサイードさんがどんだけ馬が好きなのかってすごく伝わって来る。
僕は特別に二人乗り仕様になってる鞍の座り心地を確かめながら、内心ホッと胸をなでおろした。
一昨日の夜、サイードさんと少々濃厚すぎる夜を過ごしてしまったせいで馬に乗れなくなったりしなくて本当に良かった。
あの夜、サイードさんの大きなモノをずっと根元まで挿れられたまま物凄く深いところを延々と突かれ続けたせいで、昨日は一日中ずっと何か太くて硬いモノがアソコに入ってるような感覚が抜けなくて本当に困ってしまった。
昼前にようやく寝台を降りてご飯を食べたりなんだりしてる間も、あの奥をこね回される感覚とか耳に吹き込まれたサイードさんの低くて甘い声とかがふっと蘇ってきて、その度に背中がゾクゾクして一人で悶えてしまった。うーん、傍から見たらヘンタイそのものだな。
しかもサイードさんが、僕が不意打ちみたいに蘇る感覚に思わず息を止めるたびに「どうした。どこか辛いのか」って背中を撫でたり身体を支えたりしようとしてくるもの本当に困った。
いや、嬉しいんだけどね? でもやっぱりね?
いかんいかん。余所事を考えていては落馬しかねない。なんせ馬に乗るのは初心者もいいとこなんだから。
エイレケのアダンに殴られた怪我が大丈夫だとわかってから今日まで、僕も少しずつ馬に乗る練習をしていた。
最初の日はバランスをとるのにへんなところに力を入れてたみたいでひどい筋肉痛になり、ちょっと慣れた頃にはうっかり調子に乗って長く乗りすぎてお尻が痛くなってしまった。
夜に尻が寝台に当たらないように横を向いて寝ていたらサイードさんが心配して「うっかり自分の身体が当たってしまわぬように」と前から抱っこして寝ようとして、お陰で僕はものすごく気まずいというか気恥ずかしいというか、めちゃくちゃ緊張しながらも結局はズコーッと寝てしまった。
これまでインドア派もはなはだしかった僕には、毎日の乗馬だけでも結構な運動になってたようだ。
実は最近気づいたのだが、どうやら僕は馬に乗るのが結構好きみたいだ。というか外であれこれやるのが単純に面白い。
向こうの世界にいた時に僕が自分の部屋を死ぬほど愛していたのは単に読みたい本も好きなゲームもマンガも全部そこにあったからだ。
そういうものが何もないこっちの世界では、さすがに部屋に閉じこもってても楽しくもなんともない。
今まで見たことのない物を見たり、知らないことを教えて貰ったり、やったことのないことに挑戦するのはとても楽しかったし気も晴れた。
「神子殿、道中我らがお守りします。どうぞお心安くあられますように」
そう言ってくれたのは、カルブの儀式の時に一緒にアジャール山へ登った騎士のヤハルだ。
身分の関係で馬に乗ることができないらしいウルドは昨日、カハル皇帝が持ち帰るたくさんの荷物を積んだ荷車や他の召使い、そして護衛として雇われてる人たちと一緒に、一足先に神殿を出発した。だから僕やサイードさんと一緒に帝都イスマーンを目指す一行の中で一番若いヤハルが僕の世話をしてくれるらしい。
とはいえこれはいい機会なので、いろいろ教えて貰って自分でやれることはやって行こうと思っている。
初めの内は着替えでもなんでもウルドの手を借りなければならないことが面倒に思えて仕方なかったけれど、でもウルドの場合は『僕の世話をすることが仕事』だから、うかつに僕が何でも自分でやろうとすると彼の仕事を否定して取り上げてしまうことになるんだとわかってきた。
だけどヤハルはサイードさん率いる第三騎兵団の騎士で、今回僕の世話をするというのはオマケだから、自分で出来ることなら彼の手助けを断ってもいいらしい。そこはあらかじめサイードさんに確認したから間違いない。
今回の旅で僕がやりたいと思ってることは山ほどある。
まず一番は一人で馬に乗れるようになること。さすがに数日間の練習では難しかったので、とりあえずはサイードさんの馬に一緒に乗せてもらうことになった。
「馬も、狭い場所より砂漠に出てからの方が上手く走れる。だからカイもすぐに一人で乗れるようになる」
とはサイードさんの言だ。広い砂漠の方が『馬自身が上手に走れる』っていう言い方がなんだかサイードさんらしいな、ってちょっと思った。
それから二つ目は体力をつけること。
三つ目は例のサイードさんに貰ったナイフをちゃんと日常生活で使いこなせるようになること。
四つ目は少しでも多くこの世界のことを知ることだ。例えば同行してくれてる騎士たちの話を聞いたり、途中で寄る街や村をできるだけよく観察したり。まあそんなことだ。
そのほかにもいくらでもやりたいことはあって当分の間退屈はしなさそうだ。
今回一緒に旅をするのは自分を含めて五人。サイードさんと僕、あとはヤハルを初めとしたアジャール山で一緒だった人たちがほとんどだ。見覚えのある皆の顔を見て、本当に全員無事で良かったと心から思う。
一人だけ、アキークという初めて会う人がいた。ヤハルの先輩で、やっぱりサイードさんの部隊の人だそうだ。よくヤハルと話をしてるのを見かける。
その他に荷物を載せたラクダが一頭、これはアル・ハダールへお土産も兼ねてるんだそうだ。ラクダが土産ってすごいな。あとはいずれ僕が一人で乗れるようにもう一頭馬を連れていく。
「今日は様子見だ。急ぐ必要はない。先頭はヤハル、後詰はアキークだ」
「はっ」
真っ青に晴れ渡った空にサイードさんの声が響く。
今は気持ちいいけど、日が高くなるにつれて気温はかなり上がるらしい。この日のために頭の被り布の巻き方を練習してたんだけどまだあんまり上手くできないので、今朝はサイードさんにやってもらった。そうだ、帝都に着くまでの目標に『自分でシュマグをきちんと巻けること』も追加しよう。
被り布は出身地やその人のセンスでいろんな巻き方があるらしい。僕もぜひサイードさんみたいにカッコよく巻けるようになりたいものだ。まあ、あのカッコよさの大半は布の巻き方云々のせいじゃないんだけどな。
「では行こう」
僕は教えられた通り、鞍の前の大きく張り出した部分を掴む。そしてサイードさんが軽く手綱を打つと、鹿毛の大きな馬が軽快な足取りで走り出した。
左手には黒々と聳えるアジャール山と、その向こうには不思議な虹色の雲がかかったエルミラン山脈が続いている。この山脈はずっと東のアル・ハダールの方まで続いていてこのイシュマール大陸を南北に二分しているのだと、神殿長さんの地図を見た僕は知っている。
目の前には見渡す限りの地平線。この向こうにアル・ハダールがある。
これから僕はそこでどんな人生を送ることになるんだろう。深く考えようとすると少し怖くなる。
その時、背中に当たるサイードさんの身体のあたたかさに気づいた。手綱を握る逞しい両腕が僕の左右を囲っていて、なんだかすごく守られているような気分になる。
大丈夫。何があってもきっと大丈夫だ。
僕にはサイードさんがいてくれるし、帝都に着けばダルガートにも会える。
僕だってもっと勉強して強くなって、何でもいいから二人の力になりたい。
そう思ったらこの先に待ち構える物事がすべて、とっても楽しみになった。
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