月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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web版【第一部】おまけ&後日談

回想 市場にて 3

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(なんだろう、これ)

 店先にしゃがんで手に取ってみると、それはどう見てもただの長方形の木のブロックだった。

(積み木……? なわけないよね。一個しかないし。しかも結構軽いな……)

 もしかして中は空洞なのだろうか。だがどこを見ても継ぎ目一つ見当たらない。カイが不思議に思ってその木の立方体をひっくり返していると、不意に手が伸びてきて驚いた。

「これには仕掛けがあるのだ」

 カイのすぐ隣にしゃがんだクリスティアンがそう言って木のブロックの片方の辺を指先で撫でる。そしてどこかの角をトントンと叩き、それから面を撫でまた別の辺を辿ると突然一つの面を引き出しのように引き開けた。

「えっ!?」
「触ってご覧になるか」

 クリスティアンが手渡してくれた箱をよくよく見るが、引き出し状になっている部分は蓋になっている面以外は驚くほど薄く、しかも肉眼では継ぎ目がちっとも見えない。

「すごいですね……」
「これは我がイスタリアの北方で有名な仕掛け箱だ。コツさえ掴めば簡単に開けられるが、そうでなければ叩いても殴っても壊れぬし、中身は取り出せぬ」
「何か隠しておくための箱なんですか?」
「手紙とか指輪とか、そういった小物を入れて想う相手に送る風習がある。もし開けることができたら中身も自分も貴方の物になる、という意味だ」
「な、なるほど……」

 自分だったら永遠に開けられなさそうな小箱を凝視しながら、カイは尋ねる。

「あの、それって開けられなかったらダメってことですよね……」
「だから男も女も必死に仕掛け箱の仕組みをいくつも覚えて練習するのだ」

 そう言ってクリスティアンが笑った。カイは金髪碧眼のまさに正統派美形の笑みを至近距離でまともに浴びてしまい、あまりの眩しさに思わず唸り声を上げそうになる。

(まさに攻撃力SSクラス……ッツ!!)
「いかがした、神子殿」
「……いえ、ちょっと目が……これがラピュタの雷か……」
「は?」

 訝し気なクリスティアンの隣でカイは手のひらで目を押さえ意味不明な言葉を漏らす。だが気を取り直すと他にも何か珍しい物はないかと店の中を見渡した。

「あ、これ何かの写本かな」

 印刷技術がまだなく、本といえば全て手書きのこの世界では、当然のことながら本は非常に貴重で珍しい物だ。ところが奇妙な形の像や何に使うのかわからぬ物がいくつも並ぶ隅に本らしき物がひとつひっそりと置かれていた。

「あの、これ見せてもらってもいいですか?」

 カイが店主に尋ねると、目鼻が深い皴の中に半分隠れているような老人がゆっくりと頷いた。
 貴重な本を汚さぬよう気を付けてページを繰りながら中身に目を通す。
 カイがこちらの言葉を読むのにはちょっとしたコツがいるのだが、連日神殿の書庫で本を読みふけっていたせいでかなりすらすらと読めるようになった。
 その本はどうやらアルダ教の経典のダイジェスト版のようなものらしく、似たような本をたくさん神殿の書庫で見たカイにはそう目新しい物ではなかった。

「タリーカの書だな」
「ご存知ですか?」
「アルダ教の入門書のようなものだ。我が国ではマクターブで最初に習う」
「あ、それ、マクターブってなんですか?」

 カイがその言葉を聞いたのは、宰補のアドリーに自分が学生であることを話した時だ。するとクリスティアンが宝石のような青い目でカイを見て答えた。

「マクターブとはいわゆる初等学校のことだ。細かな制度は違えども、各国に同様の施設がある」
「ああ、なるほど……。じゃあええと、マド……マド……なんて言ってたかな……」
「マドラーサ?」
「ああ、多分そうです。それは高等学校?」
「そうだ」

 そして少し意外そうな顔で言う。

「……神子殿は本当にこちらの世界のことは何も知らぬのだな」
「ええ、まったく違う世界から来たので……。文化も食べ物も何もかもが珍しいですよ。こうして言葉がわかるだけで奇跡のようです」
「……そうか」

 その時、カイはふと思い出してクリスティアンに尋ねた。

「あの、どうしてクリスティアンさんは頭に布を巻いてないんですか?」

 巻き方によってシュマグやクドゥラと呼ばれている被り布は、太陽神ラハルへの敬意を表すためのものだと聞いている。だが最初の神子の選定の儀式の時、クリスティアンとサイードは何も頭に巻いていなかった。

「それは我らイスタリアの者が最も信奉している神が海洋神シャリールだからだ」

 クリスティアンがそう答えた。

「海洋神? ああ、そういえばイスタリアでは海外貿易が盛んだとか……」
「いかにも」
「なるほど……」

(確かにアルダ教の経典にも、太陽神以外にも何人かの神様の名前があったな)

 カイはここ数日の間に読んだ神殿の書庫の本を思い出す。

(ってことは、もしかしてサイードさんが普段シュマグを巻いてないのも、元の出身がイスタリアの方だからなんだろうか?)

 神子のお披露目の宴の席でレティシア王女がサイードに言っていた『失われた己の土地』というのも、もしかしたらイスタリアのどこかなのかもしれない。
 思わずカイが考え込んでいると、クリスティアンが先程の仕掛け箱を手の中で転がしながら呟いた。

「……今代の神子殿も、なかなか苦労が多いのだな」
「え?」
「我が国には先代と三代前の神子殿がおられた。先代の神子殿も亡くなられてすでに二十年が経っているが、どちらの神子もこちらに慣れるまでいろいろと大変だったのだそうだ」
「……そうなんですか」

 カイの前の神子が二十年前に亡くなっている、という新事実に少し驚いた。

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