25 / 161
web版【第一部】おまけ&後日談
回想 市場にて 1
しおりを挟む
「市場に行ってみないか?」
夕食の折りにサイードがそう言うと、カイが肉と野菜の串焼きにかぶりつきながら目を輝かせた。
「それってここの窓から見える、神殿の下の街のことですよね」
「ああ、そうだ」
サイードは食後の茶を飲みながら答える。
「その後、頭の怪我も問題ないようだし、三国の合議も今日終わった。一度気分転換に行ってみるか?」
「い、行きたいです……!」
「なら明日、行こう」
そう言うとカイが嬉しそうに笑ったのを見て、サイードも口元をわずかに緩めた。
今日、午後の訓練の時にカイの近従であるウルドがサイードの元へやって来た。
ウルドは本来ならサイードに直訴することなど許されない身分だが、彼の主人である神子に関することについてだけはその越権を許されている。
そして確かにウルドが言う通り、夕飯の時に見たカイの顔はあまり晴れやかなものではなかった。
最近はようやく食欲も戻ってきたようで食事の量も増えてサイードも安心していただけに、ウルドが言う通り何か心を重くすることがあったのなら少しでも憂いを軽くしてやりたい。
「今日、三国の合議が一応の決着を見た。明日はそれを祝して宴が持たれるが、その後カハル陛下は一足先に本国へ戻られるだろう。ダルガートも一緒だ」
「……そうですか」
カイが少し眉を曇らせて頷く。
「彼ぐらいしか陛下に遅れをとることなく馬を駆り、護衛仕ることができる者はそういないからな」
「え、ってそれってどっちかっていうとダルガートがスゴイって話じゃなくて、陛下がめちゃくちゃスゴイって話ですよね」
「そうだな」
するとカイはおかしそうに笑った。
「その後本隊が帰路、我らは後から少人数でゆっくり帝都イスマーンを目指すことになる」
「ゆっくり……、それって僕が馬に乗れないからですよね」
「そうだ。それまでにいくらか練習をして、俺が貴方を乗せて行こう」
サイードは空いた茶器を置いてカイを見る。
「今回の旅はカイに我らがアル・ハダールの地をゆっくりと見て来て欲しい、という陛下のお心遣いだ。途中、街や村に寄りながらゆっくりと進もう。だからあまり気負わずにいて欲しい」
「はい、ありがとうございます」
そう言って笑いながらまた食事に戻ったカイを見て安堵する。そして一体神殿長は何を彼に見せたのだろうか、とサイードは思った。
◇ ◇ ◇
「これは神子殿、それにサイード殿ではないか。そなたらも街を見に行くのか」
神殿の入口で二人を見るなりそう言ってパッと大輪の花が咲いたような笑みを見せたのは、豪奢な金色の髪がひと目を惹くイスタリアの次期女王、レティシアだった。その後ろには彼女の主騎クリスティアンがいつものように控えている。
「先日の非礼をお詫び申し上げる」
さりげなく騎士クリスティアンと神子との間に立ち、宴の席で一方的に席を立ち不敬を働いたことをサイードは詫びる。だがレティシア王女はコロコロと笑って答えた。
「なに、そのようなこと。神子殿の一大事だったのじゃ。気にすることはない。じゃが、そなたとはもっと話がしたい。どうじゃ、酒を好まぬのなら茶を進ぜるゆえ、そなたの武勇伝を妾に聞かせてはくれまいか?」
「語るほどのことは何も」
そう言ってサイードは王女の誘いを言外に断る。
宴の席でレティシア王女はまるでサイードを婿に望んでいるような言葉を発していた。さすがに額面通りをそれを受け取ることはしないが、サイードの方にはこれ以上レティシアと交友を深める気はさらさらなかった。
おまけに今も王女の後ろから突き刺さるような視線を向けてくる男の手前、あまり甘いことを言うわけにはいかない。
するとサイードの隣でカイも頭を下げて彼女に言った。
「あの、僕も突然席を立ってしまって申し訳ありませんでした」
「なんの。あのような酒の席など、神子殿のような童には気疲れするだけじゃのう」
「……童?」
隣でカイが首を傾げる。恐らくレティシア王女の目にカイは十四、五の子どもに映っているのだろう。サイードはあえて訂正することなく、カイの代わりにレティシアに尋ねた。
「今宵は三国合議終結の宴があるとか」
「そうじゃ。妾も招待を受けておる」
「では王女殿下のご帰国は」
「そうさの、明後日か明々後日か……あの太鼓腹の狸殿の後じゃな」
「狸?」
またカイが首をひねっている。するとレティシア王女がまた笑って言った。
「妾はその前にぜひ土産が欲しいと思ってのう」
「土産?」
サイードは不審に思って聞き返す。
三国で最も栄えているイスタリアは貿易が盛んで、その国の王位継承者ならば自国はもちろん他国の珍しい宝石でもドレスでもなんでも手に入るだろう。
それに引き換え神殿領にある街のスークで売られている物は巡礼者相手の土産物が半分、地元の住人向けの食料や雑貨が半分といったところだ。
とてもイスタリアの王女が欲しがるようなものがあるとは思えなかった。
だがサイードの疑問に気づいたのか、レティシアは扇で口元を隠して小声で言った。
「我が国ではこのように気軽にお忍びで街へ行くことなどできぬからのう。欲しいのは土産物ではなく土産話じゃ」
王女らしからぬお転婆な言葉にサイードはつい王女の後ろに控えるクリスティアンを見る。すると王女の主騎はやはり整った白皙の美貌に似合わぬ険のある目つきでサイードを睨み返してきた。
「そうじゃ、神子殿もともに街へゆこうではないか」
突然王女がパチリ、と扇を閉じて言った。
「え、僕ですか?」
カイが驚いたように目を見開く。すると三日月のように目を細めてレティシアが言った。
「その通り。神子殿は当分の間我が国へはお越し頂けぬと決まったからの。せめて少しなりとも話がしたいのじゃ」
サイードは毎晩、三国合議の内容を宰補のアドリーから聞いている。
神子の来訪の確約を要求してきたイスタリアとエイレケだったが、イスタリアについては少なくとも三年は待つように皇帝カハルは求めたと聞いている。ちなみに度々神子を害そうとしたエイレケについては言わずもがなだ。
するとカイが少し考え込んだ後に頷いた。
「じゃあぜひ一緒に」
夕食の折りにサイードがそう言うと、カイが肉と野菜の串焼きにかぶりつきながら目を輝かせた。
「それってここの窓から見える、神殿の下の街のことですよね」
「ああ、そうだ」
サイードは食後の茶を飲みながら答える。
「その後、頭の怪我も問題ないようだし、三国の合議も今日終わった。一度気分転換に行ってみるか?」
「い、行きたいです……!」
「なら明日、行こう」
そう言うとカイが嬉しそうに笑ったのを見て、サイードも口元をわずかに緩めた。
今日、午後の訓練の時にカイの近従であるウルドがサイードの元へやって来た。
ウルドは本来ならサイードに直訴することなど許されない身分だが、彼の主人である神子に関することについてだけはその越権を許されている。
そして確かにウルドが言う通り、夕飯の時に見たカイの顔はあまり晴れやかなものではなかった。
最近はようやく食欲も戻ってきたようで食事の量も増えてサイードも安心していただけに、ウルドが言う通り何か心を重くすることがあったのなら少しでも憂いを軽くしてやりたい。
「今日、三国の合議が一応の決着を見た。明日はそれを祝して宴が持たれるが、その後カハル陛下は一足先に本国へ戻られるだろう。ダルガートも一緒だ」
「……そうですか」
カイが少し眉を曇らせて頷く。
「彼ぐらいしか陛下に遅れをとることなく馬を駆り、護衛仕ることができる者はそういないからな」
「え、ってそれってどっちかっていうとダルガートがスゴイって話じゃなくて、陛下がめちゃくちゃスゴイって話ですよね」
「そうだな」
するとカイはおかしそうに笑った。
「その後本隊が帰路、我らは後から少人数でゆっくり帝都イスマーンを目指すことになる」
「ゆっくり……、それって僕が馬に乗れないからですよね」
「そうだ。それまでにいくらか練習をして、俺が貴方を乗せて行こう」
サイードは空いた茶器を置いてカイを見る。
「今回の旅はカイに我らがアル・ハダールの地をゆっくりと見て来て欲しい、という陛下のお心遣いだ。途中、街や村に寄りながらゆっくりと進もう。だからあまり気負わずにいて欲しい」
「はい、ありがとうございます」
そう言って笑いながらまた食事に戻ったカイを見て安堵する。そして一体神殿長は何を彼に見せたのだろうか、とサイードは思った。
◇ ◇ ◇
「これは神子殿、それにサイード殿ではないか。そなたらも街を見に行くのか」
神殿の入口で二人を見るなりそう言ってパッと大輪の花が咲いたような笑みを見せたのは、豪奢な金色の髪がひと目を惹くイスタリアの次期女王、レティシアだった。その後ろには彼女の主騎クリスティアンがいつものように控えている。
「先日の非礼をお詫び申し上げる」
さりげなく騎士クリスティアンと神子との間に立ち、宴の席で一方的に席を立ち不敬を働いたことをサイードは詫びる。だがレティシア王女はコロコロと笑って答えた。
「なに、そのようなこと。神子殿の一大事だったのじゃ。気にすることはない。じゃが、そなたとはもっと話がしたい。どうじゃ、酒を好まぬのなら茶を進ぜるゆえ、そなたの武勇伝を妾に聞かせてはくれまいか?」
「語るほどのことは何も」
そう言ってサイードは王女の誘いを言外に断る。
宴の席でレティシア王女はまるでサイードを婿に望んでいるような言葉を発していた。さすがに額面通りをそれを受け取ることはしないが、サイードの方にはこれ以上レティシアと交友を深める気はさらさらなかった。
おまけに今も王女の後ろから突き刺さるような視線を向けてくる男の手前、あまり甘いことを言うわけにはいかない。
するとサイードの隣でカイも頭を下げて彼女に言った。
「あの、僕も突然席を立ってしまって申し訳ありませんでした」
「なんの。あのような酒の席など、神子殿のような童には気疲れするだけじゃのう」
「……童?」
隣でカイが首を傾げる。恐らくレティシア王女の目にカイは十四、五の子どもに映っているのだろう。サイードはあえて訂正することなく、カイの代わりにレティシアに尋ねた。
「今宵は三国合議終結の宴があるとか」
「そうじゃ。妾も招待を受けておる」
「では王女殿下のご帰国は」
「そうさの、明後日か明々後日か……あの太鼓腹の狸殿の後じゃな」
「狸?」
またカイが首をひねっている。するとレティシア王女がまた笑って言った。
「妾はその前にぜひ土産が欲しいと思ってのう」
「土産?」
サイードは不審に思って聞き返す。
三国で最も栄えているイスタリアは貿易が盛んで、その国の王位継承者ならば自国はもちろん他国の珍しい宝石でもドレスでもなんでも手に入るだろう。
それに引き換え神殿領にある街のスークで売られている物は巡礼者相手の土産物が半分、地元の住人向けの食料や雑貨が半分といったところだ。
とてもイスタリアの王女が欲しがるようなものがあるとは思えなかった。
だがサイードの疑問に気づいたのか、レティシアは扇で口元を隠して小声で言った。
「我が国ではこのように気軽にお忍びで街へ行くことなどできぬからのう。欲しいのは土産物ではなく土産話じゃ」
王女らしからぬお転婆な言葉にサイードはつい王女の後ろに控えるクリスティアンを見る。すると王女の主騎はやはり整った白皙の美貌に似合わぬ険のある目つきでサイードを睨み返してきた。
「そうじゃ、神子殿もともに街へゆこうではないか」
突然王女がパチリ、と扇を閉じて言った。
「え、僕ですか?」
カイが驚いたように目を見開く。すると三日月のように目を細めてレティシアが言った。
「その通り。神子殿は当分の間我が国へはお越し頂けぬと決まったからの。せめて少しなりとも話がしたいのじゃ」
サイードは毎晩、三国合議の内容を宰補のアドリーから聞いている。
神子の来訪の確約を要求してきたイスタリアとエイレケだったが、イスタリアについては少なくとも三年は待つように皇帝カハルは求めたと聞いている。ちなみに度々神子を害そうとしたエイレケについては言わずもがなだ。
するとカイが少し考え込んだ後に頷いた。
「じゃあぜひ一緒に」
153
お気に入りに追加
4,862
あなたにおすすめの小説

宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている
飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話
アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。
無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。
ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。
朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。
連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。
※6/20追記。
少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。
今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。
1話目はちょっと暗めですが………。
宜しかったらお付き合い下さいませ。
多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。
ストックが切れるまで、毎日更新予定です。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
*
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

ハッピーエンドのために妹に代わって惚れ薬を飲んだ悪役兄の101回目
カギカッコ「」
BL
ヤられて不幸になる妹のハッピーエンドのため、リバース転生し続けている兄は我が身を犠牲にする。妹が飲むはずだった惚れ薬を代わりに飲んで。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。