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web版【第一部】おまけ&後日談

回想 皇帝の朝

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※エイレケの騎士アダンを倒し、三人で初めて一緒に夜を過ごした後のお話です。

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 猛き東の国アル・ハダールの皇帝カハルの朝は早い。

 昨夜は神子のお披露目という盛大な宴の真っ最中にエイレケが神子を誘拐し、さらには原因不明の超局地的な砂嵐が突然発生してエイレケが本国から連れてきた兵たちがほぼ壊滅状態に陥る騒ぎがあったにも関わらず、カハルは今日も夜明け前から元気に起きだした。そして明けの鐘と同時に朝の祈りを捧げてからまずは一度目の朝食をとる。

 齢四十をとっくに越えているカハルだが、昔から義弟たちとともに並外れた健啖家で知られていた。
 近従に運ばせた大皿に山と乗せられた肉のパイ包みファティールに手を伸ばしたところで筆頭近衛騎士のダルガートが入ってきた。

「うむ! 戻ったか、ダルガート!」

 夜間の護衛と交代したダルガートは無言で拱手する。
 別の近衛騎士の話では、昨夜ダルガートは彼ら近衛部隊が寝起きしている部屋には戻ってこなかったらしい。
 カハルは膝の上に大皿を乗せてムシャムシャとファティールを食べながら、不意打ちのようにいきなり尋ねた。

「して、神子殿の様子はどうだ?」
「お命に別条はなく」

 表情一つ変えずにダルガートが答える。本当のところは怪我の具合を尋ねたわけではないのだが、見事にダルガートに機先を制された。

「ふむ。では本日からの合議と帰路については?」
「サイード殿から神子殿へお伝えいただくように、と」

 つまり昨夜ダルガートは神子とサイードの両方に会ったということだ。果たしてそれが別々になのか同時になのか、ダルガートの顔から読み取ろうとしたが難しかった。

(相変わらずの鉄面皮だのう)

 カハルは油の付いた指を舐めながらギロリ、とダルガートをねめつける。
 サイードも感情が顔に出ない性質だが、ダルガートと違ってサイードの方は元から情動自体が乏しいところがある。
 まだ若い頃に一族郎党すべてを目の前で無くしてしまったことが関係しているのだろう。
 ちょっと他に見ないほどの美貌と男振りゆえにもったいなくはあるのだが、その常に涼しげな表情を変えないところが禁欲的でかえって魅惑的だと女たちの間では評判だというのだから得な男だ。

 とは言え最近では、あの異世界からきた神子とともにいる時は驚くほど顔つきが柔らかい、と騎士たちの間ではもっぱらの噂らしい。

(それに引き換えこの男は……)

 ダルガートの場合は明らかに己の意志で感情を読ませないようにしている。例えそれが皇帝ハリファ相手であっても、だ。
 非常に頼りにはなるが可愛げの欠片もない己の主騎を見てカハルは口を曲げた。だがすぐにニヤリと笑みを浮かべる。

 この、明らかに一癖も二癖もありそうな男が自らアジャール山への同行を志願するほど、あの異世界から来た神子に対して何かしら思うところがあるらしい。

(まさか、あのような大人しげな子どもにのう)

 カハルにとってはこの冷ややかな黒い目をした男が鉄面皮の下で何を考えているのかあれこれ想像するのは大層楽しいことだった。

「まあ、よい。今朝は明けの鐘三つの頃から三国の合議が始まる。それまでにひとっ走りしてこよう」
「御意」

 カハルはミートパイファティールを三つ立て続けに口に押し込むと、近従が差し出す茶を勢いよく飲んで立ち上がる。

「出掛けてくる! 表にラクダを回せ!」

 馬ではなくラクダ、というところでお付きの従士が驚いたように瞬いた。だがダルガートに鋭い目線で促され、すぐに拱手し部屋を飛び出していく。
 当然のごとく騎乗用の軽鎧と砂漠で必要な日よけのマントをすでに身に着けているダルガートは、恐らくカハルがどこへ行って何をしようとしているのかとっくにわかっているのだろう。

『その頭が飾りでないのなら、一を聞いてせめて五を悟れ』とはあの忌々しくも頼もしい宰相の口癖だが、ダルガートは間違いなく彼のお眼鏡に叶う男だろう。好き嫌いはともかくとして。

 三国間の協議が終わり馬を飛ばして帝都に戻ればまた、以前からそりの合わぬことで有名な二人の、周囲100ファルサを凍り付かせるほどの無言の戦いを目の当たりにすることになるだろう。カハルとしてはそのとばっちりを食って宰相の不機嫌が自分に飛んでこないことを祈るしかない。

(ダルガートに大層懐いておるあの神子殿が見たら、どんな顔をするかのう)

 想像するとなかなか楽しそうではある。

 カハルは慌てて追いかけてくる近衛騎士たちを置いてけぼりにする勢いで神殿を出ると、用意されていたラクダの背に乗って街の外へと向かう。
 普段は頑強で疲れを知らぬバーディヤ種の馬に乗っているが、小型のヒトコブラクダも意外なほど速く走れるのだと最近知った。とは言え落ち着きがない上に背が高すぎて些か小回りが利かないのが難点だった。

「なるほど、これはなかなかの強情っぱりだ!」

 癇の強いラクダを操ってなんとか目的地にたどり着くと、唯一すぐ後についてきていたダルガートに向かって叫ぶ。するとダルガートは小器用に手綱を操りつつ「そうですな」とだけ言った。

 カハルはダーヒル神殿領の南、エイレケに至る巨大な砂砂漠の入口にある大きな丘の上からの景色を楽しんだ。
 はるか地平線まで続く砂漠はひたすらサラサラと柔らかな砂で覆われていて草木一本、人っ子一人見えない。

「合議に合わせて密かにエイレケから援軍が送られてくるかという心配はどうやら杞憂に終わったようだな」

 恐らく、昨夜エイレケの騎士アダンが神子を襲った時に間髪入れずに王族以下、護衛も従士から近従に至るまで一網打尽にしたのが効いたのだろう。母国に作戦の失敗を知らせることは出来なかったようだ。

「街の外にいたエイレケの本陣の者どもは、神子殿が全員足止めしてくれたしのう」

 カハルは昨夜目の当たりにした、エイレケの陣に一極集中して起こったとてつもない砂嵐を思い出し、ラクダの背で腕を組む。
 まるで神子が街と神殿だけは守ろうとしたかのように、嵐は不安定ながらも決して北へは向かわず、その分コントロールできなかった分の突風はすべて神殿領の南へ抜けていた。
 あれでは万が一伝達兵がエイレケへ向かっていたとしても無事では済まなかっただろう。

(なんとも大それた力を持った神子殿だ)

 カハルは腕を組んだまま鼻を鳴らした。
 恐らく、神子のあの力がアル・ハダール本国に知れれば、それを他国侵略に用いようと言い出す者が必ずや現れるだろう。

(だが、あのような人知を越えたあまりに圧倒的すぎる力で戦に勝とうとするのでは、全くもってつまらぬではないか)

 カハルにとって一番大事なのは『面白いか面白くないか』だ。
 その点、あのカイという名の神子はなかなか興味深い少年だった。

 カハルが初めて今代の神子を見た時は、こんなにも小さくて打たれ弱そうな小僧で大丈夫なのか、と思ったものだが、蓋を開けてみればたったひと月足らずで、人に対してやたらとえり好みが激しく気難しい帝国随一の勇将と猛将を見事に手なずけてしまった。

(それにあの神子殿もこの世界に慣れてきたのか開き直ったのか、ようやく目が開いてきたようだ)

 神子がずっと、いたずらに気持ちを波立たせて悪天候を呼ぶことを恐れている、というのは近従や騎士たちの報告を受けて知っていた。だがカハルに言わせればそんな天与の力があるのなら一度思う存分好きに使ってみればいいのだ。そうでなければ自分に何がどこまで出来て、どこまでやれば本当に危険なのかがわからない。

 だが、こちらに来た時は怯えて小さくなっていた少年も、二人の騎士に守られて少しずつ本来の自分を取り戻しつつあるように見える。

(まさかあそこで『己の負傷を、エイレケに対する交渉の材料にしろ』と言ってくるとは思わなかったがの)

 カハルは昨夜の神子の言葉を思い出して、思わず口角を上げた。

(ならばありがたく神子殿が用意した餌をばらまかせてもらうか)

 宰相から全権を担って同行している宰補のアドリーにとっては、今日からの三国交渉が初めて己が主導する本格的な戦略外交の場となる。
 あの宰相が見込んだだけあって大層優秀だが、才気ばかりが走りがちでまだまだ場数の足りない若造がどこまであのエイレケの狸とイスタリアの女狐に張り合えるか。カハルは思う存分、見分するつもりだった。

 ふと傍らのダルガートを盗み見れば、相変わらず感情の見えない目で辺りを睥睨している。

「合議が終わり、余と先に帝都へ戻れば、そなたは当分の間神子殿には会えぬな」
「左様にございますな」
「つまらぬか」

 ズバリ、真正面から奇襲をかけてみたが、やはりダルガートはあの黒い目をちら、とカハルに向けただけだった。

「お主、もう少し愛想良くせぬと『凛々しき黒鷹の騎士』に想い人を獲られてしまうぞ?」

 義弟たちがサイードを揶揄う時によく引き合いに出す、後宮の女たちの間で囁かれている通り名を持ち出せば、ダルガートは微かに口角を上げて答えた。

「それはそれで良きことかと」
「良いのか!?」

 思わず目を剥いて問い返したが、ダルガートはやはり薄く笑みを刷くのみだった。

「まったく度し難いな、お主という男は」

 カハルは憤然と呟くと、抜けるような青空を振り仰ぐ。
 このような気持ちの良い日に一日中狭苦しい部屋で狸どもと顔を突き合わせていなければならないのは気づまり極まりないが、これも一国の主としては仕方のないことだ。
 というか、せっかく待望の神子を得ておきながらここで手を抜いては宰相にどやされるどころの話ではない。

「何にしても、早く合議なぞ終えて馬に乗って国に戻りたいものだ! 神子殿の恵みのお陰でアル・ハダールの地も早、変わり始めておるやもしれん!」

 するとダルガートが「そうですな」と言ってラクダの首を北へと戻した。

 カハルはなかなかいう事を聞かないラクダに鞭をくれながら、このような柔らかな砂の海ではなく硬く荒れて乾いた東の地を、一刻も早く愛馬に跨り存分に駆けて行きたいものだと思いを馳せた。
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