上 下
46 / 64
【番外編】恋も積もれば愛となる 編

時の女神の糸紡ぎ

しおりを挟む
――――よいか、アドルティスや。神々というものは昔からひどく気まぐれじゃ。
 公明正大な時の女神さえ、時にはその糸紡ぎを狂わせる。
 糸のごとく細き弦月に生まれたお前はエルフの守り神イシリオンの加護は望めぬからの。いつかそなたの不運を幸運に変えられるような御仁に会えるとよいのう。


 昔、変わり者と言われた俺に婆さまが言ったその言葉の意味を、その時の俺は正直よく理解できていなかった。
 けれどそれから数年経ったダナンの街で、俺はその『神々の気まぐれ』を本当に体験するはめになってしまったのだった。


     ◇   ◇   ◇


 その日の朝、目覚めた俺の目に飛び込んできたのは、ぼんやりとかすむ漆喰塗りの白い天井だった。
 あれ? うちの天井は木で出来てるはずだけど……。あ、そうか、俺はもう西の森じゃなくてダナンの街に住んでるんだった。

 未だに慣れないこの天井は、エリザさんというお年寄りの家のものだ。
 昨年にここダナンの街にやってきてしばらくは他の冒険者たちと同じように宿屋暮らしをしていたけれど、国一番と噂の薬師の依頼を定期的に引き受けているうちに薬草採りの腕前を買われ、ラヴァンというその薬師の老婆にこの下宿を紹介して貰った。
 エリザさんはどうやらラヴァンと昔からの馴染みらしく、下宿させて貰うかわりに最近年のせいか腰を痛めてしまったエリザさんの手伝いをして欲しいと言われた。
 元から年を重ねた古老を重んじる風習が身に着いたエルフの俺にとっては願ってもない話だった。

 新しい世界や生活に憧れて故郷の西の森を出てきたけれど、やはり俺には宿屋暮らしよりもきちんと自分のテリトリーと言える住処が必要だったらしい。
 俺と似て細々とした手仕事が好きなエリザさんの、いつもシナモンやハーブの匂い漂うこじんまりとした家は大層居心地が良かった。

 ………………でもおかしいな。この部屋、俺が貸して貰ってる二階の部屋よりも天井が高いし広い。え? なんでだ?

 恐る恐る起き上がってみると、寝ているベッドもなぜかすごく大きい。どう見ても夫婦用の木のベッドに結構新しそうな藁を包んで作った大きなマットレスが敷かれていて、二階の小さなベッドとは大違いだった。
 ……なんだろう、部屋自体もどう見ても広いし……。

 俺は咄嗟に枕元のキャビネットに置かれていたナイフを鞘から抜き、そっと立ち上がる。そして窓のカーテンの隙間から外を覗いた。
 ん? ここ一階じゃないか。
 窓から見えたエリザさんの家の裏庭のリカルの木に驚く。そして半ば呆然としながら頭の中で確認した。

 ……ええと、俺は西の森のエルフのアドルティス。二十歳でもうすぐ二十一。一足す一は二で一族秘蔵の風邪薬のレシピはサリアの実が三に夜露草が一と幻夜蝶の鱗粉が一、今日はアルウム歴九八二年初夏ユウル月二日目で西の森を出てからあと一日で一年。よし、頭がおかしくなったわけじゃないな。

 視線を落とすとなぜかやたらと大きなシャツを一枚来ているだけでズボンも下着も穿いていない。いくらなんでもだらしなさすぎる恰好だ。
 ……それに、何か手が……違う気がする。
 いつものように草や枝で切ったような細かな傷は確かにたくさんあるがこんなに滑らかだっただろうか?
 確かに薬草の状態をみるのに手指の感触は大事だから手荒れには気を付けてはいるが、やけに白くてすべすべしていてなんとなく違和感を覚えた。

 俺は気配を殺し、抜き足差し足でドアまで行って、そっとノブを回してほんの少しだけ開けてみた。そして息を止めて隙間から覗いてみる。
 廊下だ。板張りの細くて狭い廊下の左右にドア。奥にはすごく見覚えのある階段がある。そして人の気配はない。
 またそっと音を立てないようにドアを閉めて、改めて自分のいる部屋を見回した。
 間違いない。ここ、一階のエリザさんの部屋だ。

 かつて貴族の家で長年働いていたというエリザさんが恩給代わりに元の主人から貰った家は、街の細い路地に面した細長い二階建てだ。
 一階に台所と食事を取る場所があって、真ん中に二階へ続く階段と街には珍しい湯の出る浴室がある。そして一番奥の裏庭に面した場所がエリザさんの部屋だ。俺は二階に二つある部屋の片方を借りている。
 なのになぜか今、俺はこの家で一番広くて日当たりのいいエリザさんの部屋で寝ていたようだった。

 え、なんで? それにエリザさんはどこにいるんだろう?
 俺は呆然としながらベッドに座り込んでしまった。
 何かがおかしい。なんでこの部屋で寝ていたんだろうか。確か昨日はエリザさんに頼まれて二階の物置を整理して古い道具を処分して、二人でキュウリとトマトの漬物を作って、それからラカンと――――

 頭に浮かんだその名に思わずハッとする。
 ラカン。それはこのルーマ地方一の商業都市であるダナンに三人しかいない金級の冒険者の名だ。半年くらい前、初めて護衛仕事を引き受けた俺をオークキングから守ってくれた鬼人族の剣士だ。
 ラカンの、俺よりずっと大きくて重そうな赤銅色の身体と黒光りする短い角、そしてエルフとは正反対の粗削りな容貌を思い浮かべた途端、胸の奥がきゅっ、となって思わず着ていたシャツの胸元を握り締めた。
しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

信じて送り出した養い子が、魔王の首を手柄に俺へ迫ってくるんだが……

鳥羽ミワ
BL
ミルはとある貴族の家で使用人として働いていた。そこの末息子・レオンは、不吉な赤目や強い黒魔力を持つことで忌み嫌われている。それを見かねたミルは、レオンを離れへ隔離するという名目で、彼の面倒を見ていた。 そんなある日、魔王復活の知らせが届く。レオンは勇者候補として戦地へ向かうこととなった。心配でたまらないミルだが、レオンはあっさり魔王を討ち取った。 これでレオンの将来は安泰だ! と喜んだのも束の間、レオンはミルに求婚する。 「俺はずっと、ミルのことが好きだった」 そんなこと聞いてないが!? だけどうるうるの瞳(※ミル視点)で迫るレオンを、ミルは拒み切れなくて……。 お人よしでほだされやすい鈍感使用人と、彼をずっと恋い慕い続けた令息。長年の執着の粘り勝ちを見届けろ! ※エブリスタ様、カクヨム様、pixiv様にも掲載しています

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果

ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。 そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。 2023/04/06 後日談追加

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている

飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話 アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。 無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。 ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。 朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。 連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。 ※6/20追記。 少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。 今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。 1話目はちょっと暗めですが………。 宜しかったらお付き合い下さいませ。 多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。 ストックが切れるまで、毎日更新予定です。

精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる

風見鶏ーKazamidoriー
BL
 秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。  ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。 ※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・不定期

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

処理中です...