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二人が初めて出会った時のこと(1)
しおりを挟む「おい、あれがあのジェイデン=ブラックウェルだぜ」
この国には貴族の子女が十五になると入学し、三年間寮生活を送りながらさまざまなことを学ぶ王立の学院がある。その新入生のためのオリエンテーションが開かれる学院の大講堂で、キーガンは後ろの席でそう囁く同級生の声を聞いた。
どういう気まぐれか一年前に父親である男爵子息がたいそう遅れてキーガンが自分の庶子だと認知したため、急遽この学院に入学することになったのだ。
キーガンは生まれてから十五になる年まで母一人子一人、ずっと下町で育ってきた。
すらりと背が高く性格も明るく屈託がなくて、母親譲りの整った顔まで持っているキーガンは町中の人たちから愛されていた。例え父親がいなくたってキーガンは充分に幸せだったのだ。
そこに突然父親だといって現れた男は母親を捨てた憎い敵でしかない。
堅苦しいことは嫌いでのんびり気ままに生きていきたかったキーガンにとって、自分よりもはるかに育ちがよく鼻持ちならないお貴族様たちが集うこの学院は、正直到底楽しめる環境ではなさそうに思えた。
それでも彼らの囁くブラックウェルの名が気になって、こっそり大講堂の入口へと視線を送る。そして生徒たちの中で頭一つ飛び出た彼の姿を見つけたのだ。
彼のことをよく知らないキーガンでさえすぐにわかった。ジェイデン=ブラックウェルは間違いなく、キーガンが入学した年の王立学院騎士科の一番の注目株だった。
キーガンと同じまだ十五歳のはずだったが、大講堂にいる誰よりも背が高く逞しい。燃えるような赤毛や男らしくて彫の深い顔はたいそう男前だが、表情に乏しく、キーガンの目にはひどく大人びて見えた。
(というか、あれは相当鍛えてる身体だなぁ)
騎士として本格的に学ぶためのこの学院に入る前からずっと厳しい鍛錬を重ねてきていることがすぐにわかる。まっすぐに伸びた背筋はまさに”騎士の鑑”を彷彿とさせるものだった。
(なんか堅苦しそうで絶対気は合わないだろうけど、そういう一徹っぽいところは好感が持てるな)
なんてことを思っていると、後ろに座る新入生たちが再び彼について話しだした。
「おい、ブラックウェル家といえば初代ダレイアス王の代から続く名門中の名門で、現当主である彼の父親は近衛騎士団団長だ」
「だったら席次に関係なく、卒業後は近衛に入れるのか?」
「かもしれないな」
(なるほど、つまりは血統書付きの騎士の卵というわけか)
キーガンは頭の中でそう考える。ついでに言うと王族及び王宮を警護する近衛騎士は強さだけでなく優れた血統と秀でた容姿がなければなれないエリート中のエリートだったりする。
後ろで話す彼らはキーガンやジェイデンと同じ騎士科らしく、ニヤリと笑いながら隣の同級生に言った。
「なあ、あいつが同期なら学年対抗の模擬試合だって案外俺たち一学年生が勝てるかもしれないぜ」
「毎年新入学生は上級生たちにコテンパンにやられるのが恒例だからな」
「それで上級生の威厳をアピールしているつもりなんだぜ」
「嫌になるな、まったく」
「けどブラックウェルがいるなら我らの代は安泰だ。俺たちは運がいい」
(うーん、やっぱり貴族というやつは実に面倒なやつらばっかみたいだ)
上級生にデカい顔をさせたくなければ自分で殴れよ。
キーガンは鼻白んだ思いで後ろのやつらを見限り、もう一度ジェイデンを盗み見る。彼は自分を見て興奮したように囁き合う騎士科や官吏科の生徒、そして顔を赤くして見つめる特別科のご令嬢たちに見向きもせずに席に座った。
(あんだけジロジロ人に見られて、よくあんなに落ち着いてられるなぁ)
キーガンだったらあまりの煩わしさにとっとと講堂から抜け出してしまっただろう。
(まあ、あんな騎士の鑑みたいな御大層なやつと関わり合いになることなんてないだろうし、俺には関係ないか)
キーガンにとってこの学院は、それなりの成績で卒業してそれなりの騎士となり、父親とは名ばかりの男とその家からできるだけ離れて生きていくために我慢しなければならない一時の檻のようなものだ。三年もの間自由を奪われるのは腹立たしいことこの上ないが、せいぜいのんびり気ままにやらせてもらおう。
それきりキーガンはジェイデンに興味を失くし、微動だにせずまっすぐに前を見ている彼の整った横顔から視線を外した。
ところが結局それから半年で彼と深い縁を持つことになったのだから人生はわからないものだ。
◇ ◇ ◇
この王立学院には三つの科がある。騎士科、官吏科、特別科だ。
騎士科は家督を継ぐ貴族の男子とそのスペア、将来騎士団や国境軍などへの入隊を希望する子弟が入る学科だ。
そして主に外交官や政務官などの中央官僚を目指す者たちが学ぶ官吏科は、貴族や地方領主の第二子以下以外にも特に裕福な豪商の子も特別に入学を許されている。
特別科は国内大小の貴族の娘たちだけが入る特殊な科で、彼女たちはそこで一般教養の他に音楽や美術、手芸などや社交技術、外国語などを身につける。それは将来良き妻、良き母となり国内の貴族同士のみならず他国との結びつきを強める手段となるためだった。
元々城下の下町で生まれ育ったキーガンがこの学院に入ったのは父親である男爵家の”たとえ身分の低い女に生ませた子であっても最低限の責任は果たした”という名目のためだ。
その中で騎士科を選んだのは単純にキーガンが官吏科の履修内容および将来の展望に興味を持てなかったせいだ。ただそれだけの理由だったはずなのに、気が付けばキーガンは夢中になって毎日何リーグもの距離を走り込み、筋力と体力をつけ、剣や槍を振るっていた。
騎士の花形はやはり白銀に輝く剣を掲げる剣士だ。けれどキーガンは剣より槍の方が好きだった。
剣も槍もまともに習ったのはこの学院に入ってからという経験の浅さだったが、学年でも唯一ジェイデンに負けないくらい背が高く、身軽で手足が長いキーガンが長いリーチから繰り出す槍は自分でも意外なほど鋭く相手を捉え、叩きのめした。それに単純に剣より長く大きな武器に憧れるのは、元下町のやんちゃ坊主なら当然のことだった。
「キーガン、君というやつは、なんというか見かけによらずタフな男だなぁ」
同じ騎士科で男爵家の長男坊である学友が呆れた顔で言う。いかにも優男風なキーガンが大槍を振り回し、髪を振り乱して鍛錬場を走りまくっている姿が意外だったらしい。
それにへらりと笑ってキーガンはひたすら走り込みや槍の鍛錬に明け暮れた。
元々キーガンはのんびり気楽に目立たずこの学院での三年を終え、この王都を守るロンダーリン騎士団か、それが無理なら市井の警備隊に配属されてそれなりの生活が送れれば充分だと考えていた。
けれど意外な事にキーガンは学院で思いがけない楽しさを見つけてしまった。
初めにそれを感じたのは、自分より身分や立場が上の同輩たちよりずっと、自分の方が肉体的にも精神的にも強いと実感した時だった。
キーガンは彼らの誰より背が高くしなやかな筋肉を持ち、すばしこく、新たに騎士科の教官として任命された元国境騎士団の団長の王道から外れた過酷な鍛錬にも食らいついていく根性があった。
とはいえ年齢以上の賢さや下町で培った世渡り上手な知恵と一緒に、生まれつきののんびりとした快楽主義的な性格も持ち合わせていたから、キーガンは同輩たちにいつだって愛想が良かったし、嫌われたりねたまれたりすることもなく皆に好かれていた。
次に見つけた楽しみは、生まれ育った王都を脅かす魔獣と戦うことだ。
まだ正式に騎士としての叙勲を受けてはいないキーガンたちだったが、それでも初年度からロンダーリンの騎士たちや王都の警備隊に付き添われ、王都を囲む壁外で魔獣と戦う訓練をした。もちろんあまり大物の出てこない、壁からごく近い場所ではあったが。
それでもたった一つの油断や不手際で命を落とす魔獣との戦いは、キーガンに思いがけない高揚と達成感を与えた。
学院での同輩相手の鍛錬では、身分が低くしかも庶子であるキーガンが高位の子息をこてんぱんにのしてしまうわけにはいかない。真剣に剣や槍を交わしながらも冷静に相手を観察し、分析し、そして自分の方が強いと確信できた時点で上手に相手に勝ちを譲る。それがキーガンが平和にこの騎士科を卒業する最適解だった。
だが魔獣相手なら遠慮も打算も必要ない。ただ全力で立ち向かい、存分に力を振るうことができた。
そしてキーガンが学院で得た、一番思いがけない楽しみ。それこそがあのジェイデン=ブラックウェルとの縁だった。
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