「声劇台本置き場」

きとまるまる

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四人台本↓

「人鬼」(比率:男1・女1・不問2)約80分。

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・登場人物

 百鳥 明楽ひゃくとり あきら:♂ 25歳。人鬼プロジェクトの研究員。被験者の精神面をサポート、管理している。

 77:♀ 17歳。人鬼プロジェクトの被験者。

 151:♂ 11歳。人鬼プロジェクトの被験者。


・役表
百鳥:♂
77:♀
151、研究者1、研究者2、研究者4:♂♀
所長、研究者3、??:♂♀



○所要時間:約80分




ーーーーー



 とある研究室の一室。白を基調とした壁に覆われた部屋の中央には、ベッドが一つ置かれている。
 ベッドの上には、少女が一人寝ている。隣では丸椅子に座り、黄色の白衣を身に纏った男性がカルテを見ている。
 男性はカルテを机の上に置くと、少女の肩を優しく揺さぶる。


百鳥「……い……おい……起きろ。おい」

77「……うぅ……あれ……? 先生……?」

百鳥「おはよう。お疲れのところ悪いな、時間だよ」

77「はい……あっ、ごめんなさい! 私、寝ちゃって……!」

百鳥「謝らなくていいよ。今日の検査は終わりだ。次の子を呼んできてくれ」

77「はい、わかりました」


 77は、ベッドからゆっくりと降りる。


百鳥「身体になにか異常を感じたら、すぐに報告してくれよ」

77「はい、ありがとうございました」


 77は、深々と百鳥にお辞儀をする。百鳥に背を向け部屋を出て行こうとすると、扉が開き、少年が元気よく入室してくる。


151「おっす、先生! 次は俺の番だぜ!」

百鳥「お前は来るのが早いな。はい、横になって」

151「はーい! 」


 151はベッドに飛び乗る。


151「先生、今日も痛くしないでくれよ!」

百鳥「はいはい。でも、もし痛かったとしても、お前は男の子だから我慢できるよな?」

151「え? お、おう! あったりまえじゃねぇか! 痛くしてもかまわないぜ!」

百鳥「よーし、じゃあ痛くするぜ」


 百鳥は注射器を手にすると、151にちらちらと見せる。


151「お、おう……」

百鳥「(笑う)冗談だよ」


 77は、笑う百鳥の顔をジッと見つめている。


77「……」

百鳥「ん? どうした?」

77「え? あ、いえ! なんでもありません! し、失礼しました!」

百鳥「ゆっくり休めよ」

77「はい、ありがとうございました」

151「じゃあな、ねーちゃん! またあとでな!」

77「うん、待ってるね」


 77は151に軽く手を振ると、部屋を出ていく。


77「……」


 77は長い長い廊下をゆっくり進んでいく。青白い壁には等間隔に小さなライトが付いており、廊下を明るく照らし出している。壁には窓が一つもなく、進んでも進んでもあまり景色が変わらない。
 77は歩みを止めると、外を眺めるかのように、窓のない壁へ視線を向ける。


77「……今は、どうなってるんだろう? 外の世界は」


 77はしばらく壁を見つめ、またゆっくりと歩み出す。





所長(M)世界中に突然現れた、鬼と呼ばれる存在。
白い鬼、白鬼はくき
緑の鬼、緑鬼りょくき
青い鬼、青鬼しょうき
赤い鬼、赤鬼せっき
そして、鬼の中でもっとも強いとされている、黒の鬼、黒鬼こくき。やつらはその強大な力を駆使し、我々人間を蹂躙じゅうりんした。徐々に数を増やしていく鬼たち……このまま人類は滅んでいくんだと、誰もが思っていた。




 所長室。所長が椅子に座り長い背もたれに身を預け、資料に目を通しながらコーヒーを飲んでいる。
 扉がノックされる。


所長「はいれ」

百鳥「失礼します」

所長「急に呼び出してすまないな、百鳥」

百鳥「いえ。どうかされましたか?」

所長「お前に聞きたいことがあってな。どうだ、被験者かれらは?」

百鳥「先ほど検査が終わりましたが、どの被験者にも異常は見られません」

所長「そうか。では、明日から新規以外には血の量を少し増やすことにする」

百鳥「……かしこまりました」

所長「それと、もう一つ。今一番数値が安定しているのは何番だ?」

百鳥「21番です。肉体、精神面ともに非常に安定しています」

所長「わかった。聞きたいことはそれだけだ。帰っていいぞ」

百鳥「……21番に、なにかなさるのですか?」

所長「あぁ。赤鬼せっきの血を手に入れることができたのでな。それを21に試す」

百鳥「なっ……⁈ そ、それはまだ早いかと! 確かにあの子は、青鬼しょうきの血に何度も耐えることができています! ですが、今はまだ青鬼の血の量を増やし、もっと身体に馴染ませて──」

所長「我々には時間がない!」

百鳥「……っ!」

所長「百鳥、お前もわかっているだろう? こうしている間にも、鬼は増え続けている」

百鳥「……」

所長「それに比べて、我々はどうだ? 鬼に対抗できる人間は増えてきているが、それでもまだ少ない。鬼共やつらは、いつ襲ってくるかわからん。我々には足踏みをしている時間はない」

百鳥「で、ですが──」

所長「百鳥、貴様は貴様に与えられた仕事だけやっていればいい。それが嫌なら今すぐ研究所ここから出て行け。貴様の代わりなど、被験者と同じで溢れるほどいるからな」

百鳥「……異常があれば、すぐお伝えします」

所長「頼んだぞ」


 百鳥は一礼し、ゆっくりと部屋を出て行く。





所長(M)ある日、一人の人間が鬼を倒した。非力な人間が、強大な力を持つ鬼をどう倒したのか? 

所長(M)そいつは、火を操っていた。火を自分の思うままに、自由自在に操り、鬼を焼き殺した。

所長(M)彼をきっかけに、次々と不思議な力を持つ者たちが現れた。彼らはその力を駆使し、鬼を次々と倒していった。鬼に対抗できる人間の出現により、我々は希望を取り戻していった。




 メンタルチェックルーム。百鳥は丸椅子に座りカルテを眺めている。77はベッドの上で上半身を起こし、座りながら天井を見上げている。


百鳥「よし、数値は安定しているな」

77「先生、なんでこの部屋には監視カメラがないんですか?」

百鳥「よく気づいたな」

77「ここにくるまで、いっぱいあるんですよ。どこに行っても誰かに見られている感じがして……。でも、ここでは見られている感じはしない。私たちは実験体で、常に監視していないとダメなのでは?」

百鳥「ここは、なにをするところだ?」

77「え? て、定期検査です」

百鳥「そう、君たちに異常がないかを調べるところさ。君もさっき言ったように、敏感びんかんな子はずっと見られている気がして落ち着かないらしくて、正確な数値が出てこないんだよ。だから僕が頼んで、この部屋のカメラを取ってもらったんだよ」

77「そうだったんですね」

百鳥「ここは今、僕と君だけの空間だ。何を話そうが何をしようが、僕が黙っていれば誰にも伝わることはないよ。例えば、前みたいにぐっすり眠っていても、僕以外にはバレないよ」

77「(笑う)」

百鳥「どうした?」

77「やっぱり先生は、他の人とは違うなぁって」

百鳥「ん? どこら辺が?」

77「なんでもありません」

百鳥「なんでもないことはないだろ。はい、異常なし。健康そのもの」

77「今日もありがとうございました」


 77は、ゆっくりベッドから降りる。


百鳥「身体になにか異常を感じたら、すぐに報告してくれよ」

77「はーい」


 77は百鳥に一礼すると、部屋を出て行く。





所長(M)『サイキッカー』不思議な力を使う人間を、我々はこう呼んだ。サイキッカーの活躍により、鬼たちは徐々に数を減らしていった。このまま平和が訪れると思っていたが……そう簡単に物事は進まなかった。

所長(M)一部のサイキッカーは、この力を悪用するようになった。彼らは自らを『ジェネシス』と名乗り、悪事を続けた。サイキッカーは鬼の他に、ジェネシスという新たな敵とも立ち向かわなければならなかった。

所長(M)なんの力も持たない我々一般人は、どうにかしてサイキッカーの負担を減らすことはできないか考えた。




 人鬼研究室。大きな部屋の真ん中にベッドが一つ置かれている。その上には青年が一人、手足を拘束された状態で寝かされている。
 右腕には一本の管が刺されており、管の先には赤黒い血が入ったパック。一滴、また一滴と、ゆっくり青年の身体に血が流れて行く。
 研究室の二階からガラス越しに、所長は青年を見つめていた。


研究員1「今のところ、異常はありません」

所長「そうか。このまま何事もなく終わってくれればいいんだがな。他の部屋の被験者たちはどうだ?」

研究員1「他の被験者たちも、今のところ異常はありません」

所長「今、青鬼しょうきの血を入れている被験者は?」

研究員1「21を除くと、77と151ですね。77に関しては、戦闘訓練も好数値を出しています」

所長「わかった。21の結果次第で、77も3rdサードステップに移行する」

研究員1「かしこまりました」


所長(M)人間は体内に鬼の血を取り込むと、鬼と同等、もしくはそれ以上の力を手に入れることができる。身体能力は格段に上がり、再生能力が異常に高くなる。我々はそれを利用し、鬼とジェネシスに対抗できる存在、鬼の力を持つ人間『人鬼じんき』を作ろうとした。しかし……。


 拘束されていた青年が突然、大きく痙攣し始める。


所長「ん?」


 青年は悲鳴を上げながら、拘束されている手足を引きちぎれんばかりに動かし暴れ始める。


所長「どうした、なにがあった⁈」

研究員1「い、今確認を──」


 青年の身体、穴という穴から血が流れ噴き出し始める。


研究員1「ひぃぃ⁈ 全身から、血が!」

所長「くそっ! 今すぐ血の投与を中止しろ! 赤鬼せっきの血を安全な場所に運べ! 急げ!」

研究員1「は、はい!」


所長(M)なんの力も持たない我々一般人に、鬼の血は強すぎた。大半のものは、鬼の血に肉体が耐えることはできなかった。



 数分後──ベッドに拘束されていた青年の身体は血に塗れ、腹は裂け、手足は折れていたり千切れていたり。大きく見開かれた瞳には生気がなく、ベッドからポタポタと赤黒い血が滴り落ちている。
 青年の姿を遠くから眺めている所長は、拳を強く握り、隣に置かれていた小さな机に拳を叩きつける。



所長「くそ! また失敗か……!」

所長(人鬼プロジェクト……必ず成功させて、奴らを、殺してやる……!)






 青年が暴れ出す頃──別の人鬼研究室。77がベッドで横になり手足を拘束されている。


77(M)悲鳴がかすかに聞こえてくる。実験が失敗したのだろう。


研究員2「身体に異常はないか?」


77(M)毎日毎日、飽きもせずに同じ言葉を投げかけてくる人間ロボット


研究員2「異常があれば、すぐ教えてくれ」


77(M)心がこもっていない。きっとこいつは、私がどうなろうとなにも思わないだろう。私が死んだとしても『77は死んでしまった。次の被験者を』で、終わってしまうのだろう。


 研究員は青黒い血が入った注射器を手にすると、躊躇いなく77の右腕に針を刺しこむ。


77「うぅ……!」


77(M)鬼の血が体内に流れてくる。誰かが自分の身体の中に入ってきてる感じ。何度経験しても慣れない。気持ち悪い。


 全身に針を刺されているような痛みが走る。


77「あぁぁ……⁈」


77(M)なぜ、私はここにいるのだろう? なぜ私は、家族を殺した憎むべき鬼の血を、体内に入れられているのだろう?


 鋭い歯で全身を噛みちぎられているような痛みに変わる。77は手足をピクピクと動かし、痛みに耐えている。


77「あぁぁ……⁈ あぁぁぁ……!」


77(M)死にたかった。でも、私の身体は、鬼の血に適合してしまった。


 全身の痛みは収まり、拘束が解かれていく。


77「はぁ……はぁ……」

研究員2「終了だ。さぁ、部屋に戻れ」




 77は、力なくゆっくりと、長い長い廊下を歩いている。


77(M)この力で鬼を倒せても、何も嬉しくない。憎むべき鬼の力で倒したって、私の心は真っ黒なまま。

77(M)疲れた、もう疲れたよ……。私は、なんでここにいるの? なんのためにここにいるの? 鬼を殺す道具として扱われ、心無い言葉をかけられ……友達は増えては減って、増えては減っての繰り返し。私は血を入れられ、戦闘訓練をして、検査して、寝ての繰り返し。ぐるぐるぐるぐる、同じことの繰り返し。毎日……毎日、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日……。

77(M)外に出たい。こんな狭い場所で、苦しい思いを、痛い思いをしたくない。助けて。誰か、私を……。


 77は、力なく壁にもたれかかるように座りこんでいる。


77「もう、消えてなくなりたい……。死にたいよ……」



ーーー



 メンタルチェックルーム。77はベッドに座り込んで俯いている。


百鳥「なにかあったのか?」

77「え?」

百鳥「暗い顔してるからさ。なにか溜まってるなら、ここで吐き出していけよ」

77「……よくわかりましたね」

百鳥「毎日お前たちの顔見てるからな。ちょっとした変化でも、先生はわかっちゃうのよ。さぁ、全部出してけ! ぜーんぶ吐き出さないと、今日は大部屋に帰さないからな」

77「……じゃあ、ここの研究員の悪口、言ってもいいですか?」

百鳥「え? 悪口……?」

77「悪口です」

百鳥「うーん、そうだなぁ……。じゃあ、それを言うんだったら、一つ条件がある」

77「なんですか?」

百鳥「お前が研究員の悪口を言った後に、俺も研究員とか所長に対して日ごろ溜まってるものをここで吐き出す! それを誰にも言わないって約束できるなら、いいぞ」

77「ふふふ、わかりました。約束します」

百鳥「これは、二人だけの秘密な」

77「はい」


77(M)この人は、なぜこんなに優しいのだろう? なぜ私たちを、道具として見ないのだろう?


百鳥「お前は、笑顔がとってもよく似合う可愛い子だ。でも、こんな狭っ苦しい施設でずっと笑顔でいろなんて酷いことは言わない。だけど、大部屋にいる時は……他の子たちがいるところでは、その笑顔で、みんなを暖かく見守ってあげてくれないか?」


77(M)なぜこんなにも、暖かい言葉をくれるのだろう?


百鳥「身体になにか異常を感じたら、すぐに報告してくれよ」


77(M)検査が終わった後は、お決まりのセリフ。毎日毎日、同じセリフのはずなのに……。


77「はい。わかってますよ、先生」


77(M)毎日、笑顔で答えたくなる。


 77はメンタルチェックルームを出て行く。その背中を、百鳥はジッと見つめている。


百鳥(M)笑顔でみんなのいる大部屋へ戻っていく……彼女の笑顔を見るのは、辛かった。


151「せんせー! おっす!」


百鳥(M)彼の元気な顔を見るのも辛かった。彼らに、僕はどう映っているのだろうか? ちゃんと優しい先生として映っているのだろうか? 僕は優しい先生を演じられているのだろうか? 僕は彼らの精神面をケア、サポートしなければならない。


所長「彼らは道具だと思え」


百鳥(M)わかってます。


所長「名前では呼ぶな。番号で呼べ」


百鳥(M)わかっています……! ちゃんと線は引けています。超えてはならない線は、見えています……。


 トイレの洗面台。捻られた蛇口から勢いよく水が流れ落ちている中、百鳥は吐瀉物を吐き出す。


百鳥「うえぇぇ……! ごほっごほっ……! はぁ……はぁ……」


百鳥(M)ギリギリのところで、踏みとどまってます。


77「先生」


百鳥(M)彼女は人間じゃない。鬼を殺す道具だ。


77「先生」


百鳥(M)彼女は77番だ。


77「先生」


百鳥(M)その笑顔で、見ないでくれ……。


77「先生」


百鳥(M)僕も他の人と同じだ……君たちを道具として扱っている……!


77「先生」


百鳥(M)だから、そんな目で僕を見ないでくれ……! 僕に微笑まないでくれ、優しい言葉をかけないでくれ……! 君たちは道具なんだ! 鬼を殺すための道具なんだ!


77「先生」


百鳥(M)この線を、超えさせないでくれぇぇぇ!



  数日後、メンタルチェックルーム。百鳥は机に置かれているカルテをジッと見つめている。77は百鳥の顔を覗き込む。


77「先生、大丈夫ですか?」

百鳥「ん? あぁ、どうした?」

77「それはこっちのセリフです。何かあったんですか?」

百鳥「いや、何もないよ」


 77は目を細めて、ジッと百鳥の顔を見つめる。


77「……!」

百鳥「な、なんだよ?」

77「……なんで嘘吐くんですか?」

百鳥「嘘なんて吐いてないよ」

77「吐いてます! 私は毎日先生の顔を見てますから、ちょっとした変化でもわかっちゃうんです! さぁ、全部出してけ! ぜーんぶ吐き出さないと、今日は大部屋に帰らないからな!」

百鳥「どこかで似たようなセリフを聞いたことあるな?」

77「ふふふ! さぁ、吐き出してください! 私が全部受け止めてあげますよ」

百鳥「わかったわかった」

百鳥「……実は、最近寝不足でな。昨日ウトウトしながら資料作ってたら、なんて書いてあるのかわからない資料が完成しちまってな。所長に怒鳴られてしょんぼりしてたの。まぁ、こればっかりは自分が悪いんだがな」

77「そうなんですか。先生も大変ですね。そんな可哀想な先生に、元気になるおまじないをかけてあげますね。目を閉じてください」

百鳥「お? なんだなんだ? 楽しみだな」


百鳥(M)目を閉じて、元気になるおまじないとやらを待つ……待つ……待つ……。何も起こらない。もう何かしたのか? それとも、おまじないなんてなかったのか?


百鳥「おい、なんだ? もうなにかし──」


 77は百鳥を抱きしめ、優しく頭を撫でる。


77「よーしよし」

百鳥「……何してるんだ?」

77「抱きしめて、頭を撫でてます。私、泣いてたり不安がってる子には、いつもしてあげてるんです」

百鳥「僕は別に──」

77「いつもありがとうございます」

百鳥「え?」

77「先生がいるから、ここにいてくれるから、笑顔で私たちを受け入れてくれるから……私たちは、どんなに辛い目にあっても、苦しい目にあっても、痛い目にあっても、生きていけます」

百鳥「……」

77「先生が私たちを人として見てくれてるから、私たちは笑顔でここにいられるんです」


百鳥(M)やめてくれ。


77「先生がいるから、私たちは……私は……」


百鳥(M)お願いだから、これ以上は……!


77「先生、私ね──」


 151が部屋に入ってくる。


151「あー! ねぇちゃんがせんせーに抱きついてる!」

77「え⁈ ゆ、ゆうくん⁈ ちょっ、これは違──」


 151が、部屋から走り去っていく。


151「みんなー! ねぇちゃんがぁー!」

77「ゆうくん⁈ 待って! だから違うって!」

百鳥「おい、まだ検査終わって──」

77「今はそれどころじゃないんです!」


百鳥(M)そう言って、彼女は出て行ってしまった。それと同時に、涙が出てきた。彼女に吐いた嘘による罪悪感からなのか、それとも……。

百鳥(M)この線を超えてしまえば、今よりもっと辛くなる。わかっていた、わかっているんだ。でも……涙で前が見えなくなった僕は、どこに線があるのか、わからなくなってしまった。



ーーー



 数日後、メンタルチェックルーム。


77「ただいま~」


百鳥(M)ある時、彼女はこの部屋に入る時こう言った。


百鳥「ただいまって、どうした急に?」

77「私にとって、ここが一番落ち着くところだから。みんながいる大部屋も落ち着くんだけど、それでもやっぱり、ここがいいの。ここに来ると『やっと一日が終わった~! 帰ってきたぞ~!』って感じがして『明日からも頑張ろう!』って気持ちになれるの」


77(M)先生は『なんだそれ?』と笑いながら言った。先生の笑顔が見れて、一日の疲れがとれた気がした。


77「だから、今度から『ただいま』って言ってもいい?」


77(M)先生は『はいはい』と言いながら、私の頭に手を置き……。


百鳥「おかえり」


77(M)この短い4文字の言葉が、どの言葉よりも心に響いた。嬉しくて嬉しくて、涙が出てきた。痛くて、辛くて、苦しい生活。何度も何度も、死のうと思っていた。誰も私のことを見てくれてない、見てくれなかった。でも、この人は私を見てくれる。私を見てくれてるんだ。

百鳥(M)『おかえり』と言ったら、彼女は泣き出した。なぜ泣いたのかはわからなかったが、これが悲しい涙ではないことはわかった。悲しい涙ではないからこその、彼女の辛さが、涙の重みが、嫌というほど伝わった。

百鳥(M)この重みから遠ざかるために、彼女から視線を外した。外した先に、一本の線があった。この線は、僕が越える前のものなのか、もう超えてしまったものなのか。





77「ただいま、先生」


77(M)先生がいるから、生きられる。


百鳥「おかえり」


百鳥(M)彼女の帰りを待つ、僕がいる。


77「ただいま」


百鳥(M)でも、これ以上は進まない。

77(M)もっともっと、近づきたい。

百鳥(M)彼女は、鬼を殺す道具なんだ。

77(M)あのね、先生……。

百鳥(M)君とここで、出会いたくなかったよ。



ーーー



 数ヶ月後、メンタルチェックルーム。


百鳥「赤いマフラーが欲しい?」

77「はい。ダメですか?」

百鳥「どうした? なんかあったのか?」

77「一週間後、優くんの誕生日なんです。どうにかしてあげられませんか?」

百鳥「赤いマフラーならすぐ手に入ると思うが……なんで赤いマフラーなんだ?」

77「優くんが鬼に殺されそうになった時、赤いマフラーをしたお兄さんが助けてくれたみたいなんです」

百鳥「なるほど。もしかして、あいつが時々変なポーズしてるのって……?」

77「そのお兄さんの真似らしいですよ。可愛いですよね」

百鳥「ようやく謎が解き明かされた。スッキリした~」

77「で、どうですか?」

百鳥「うーん、プレゼントしてやりたいんだが……難しいだろうな」

77「どうしてですか?」

百鳥「……ここにいる子たちは、みんな家族を鬼に殺されて行くところがなくなった子たちだ。中には赤鬼せっきに家族を殺された子だっているはずだ。あいつにとって、赤は正義の色かもしれないが……」

77「そうですよね……。あっ、先生の白衣だけ黄色なのは、そういうことですか?」

百鳥「あぁ。鬼を連想させそうな色は避けてるんだ」

77「なるほど。壊滅的にファッションセンスがないのか、周りにはぶかれてるのかと思ってました」

百鳥「おい、先生泣いちゃうぞ?」

77「あ~よしよし、泣かないでくださ~い」

百鳥「怒るぞ?」

77「泣いたり怒ったりと忙しい人ですね。わかりました、別のプレゼントを考えてみます」

百鳥「うーん……」

77「先生、どうしたんですか?」

百鳥「あいつは赤いマフラーが欲しいんだろ? だったらどうにかして……あ、そうだ!」

77「なにか思いつきました?」


 百鳥は、ニコッと77に笑いかける。


百鳥「あぁ、とっても良い方法さ!」


77(M)そう言って私に笑いかけた先生の顔は、今でも忘れられない。


百鳥「な? いい案だろ?」


77(M)できることなら、ずっと、このままずっと、先生と一緒に……。



ーーー



 一週間後、大部屋の入り口前。77は緊張した顔つきで立っている。


77「ふぅ……。うぅ、なんか緊張してきた……。だ、大丈夫! この一週間、何度も練習した! いける、いける!」


 77は大部屋に入って行く。棒読みで大部屋にいる子供たちに声をかける。


77「タ、タダイマ~」


77(M)大部屋に帰った私を、みんなが出迎えてくれる。なぜか『なにかあったの?』と聞かれる。


77「ウウン、ナンニモナイヨ」


77(M)私の素晴らしい演技で、みんなを……!


 子どもたちの目は細くなり、ジッと77を見つめている。


77「ナ、ナンニモナイヨ。ドウシタノミンナ」


77(M)なぜか疑いの目はどんどん強くなっていく。なぜだ?


 入り口から、赤い鬼のお面をつけた百鳥が勢いよく入ってくる。


百鳥「ぐははは! 俺は鬼だぞ! 食べちゃうぞ~!」


77(M)赤い鬼のお面をした先生が現れる。私たちの計画では、ここでみんな泣きわめく……はずだったのだが、誰一人泣くものはおらず、冷たい眼差しを先生に向ける。ここは私の素晴らしい演技で挽回ばんかいを……!


77「ウ、ウワ~。アカイオニダワ~タベラレチャウワ。イヤダ~タスケテ~」


 子どもたちと百鳥の冷たい視線が、77に向けられる。


77(M)先生にも冷たい目で見られた。なぜだ⁈ こんなに素晴らしい演技をしてるというのに!

百鳥(M)子どもたちの視線が冷たくなっていく。『先生、なにもしなくていいの?』と気を使われ、僕はみんなに襲いかかる。


77「ウワ~コワイヨミンナァ。ミ、ミンナハヤクニゲヨウ。ホラホラ、ウゴイテ」


百鳥(M)今すぐ帰りたい。二人で『これなら絶対にいける!』と、ニヤニヤしながら作戦をたてていたころに戻りたい。別の案を考えろと伝えたい。


 赤いマフラーを巻いた151が、大部屋の入り口に現れる。


151「そこまでだ! みんなをいじめるのはやめろ!」


百鳥(M)ここで予定通り、赤いマフラーをなびかせたヒーローが登場。早く助けてくれ、僕たちを。


77「ミンナ、アカノマフラーヒーローガキタヨ。ヤッタネ!」


 151は勢いよく助走をつけ、百鳥に蹴りをいれる。


151「うりゃぁぁぁぁ!」

百鳥「うわぁぁ! やられたぁぁ!」


 百鳥はわざとらしく倒れるが、151は手を緩めず攻撃を続ける。


151「どりゃぁぁぁぁ!」

百鳥「(151にひっそりと)ちょっ! やられたから! 落ち着け!」

151「おらおらおらぁぁぁ!」

百鳥「痛っ! おいっ、ちょっ!」


77(M)その後、マフラーを巻いていないヒーローたちも戦闘に参加。


百鳥「おいぃぃ! 痛い痛い痛い! やめてくれぇぇぇ!」


77(M)悲痛な叫びもむなしく、鬼は討伐とうばつされた。凶悪な鬼を力を合わせて倒した我々は、笑顔で高らかに勝利宣言をあげた。この狭い空間が笑顔でいっぱいになったのは、初めてのことだった。



ーーー



 次の日、メンタルチェックルーム。77はベッドに腰掛けている。


77「昨日は大成功でしたね!」

百鳥「どこがだよ? ってか、お前のあの演技はなんだ? 酷すぎだろ」

77「どこがですか⁈ 素晴らしい演技だったでしょ!」

百鳥「ビデオカメラで撮って見せてやりたかったわ」

77「そんなこと言うなら先生だって、私は頑張って喋ってるのに黙ってばっかりだったじゃないですか! 自分から提案したくせに!」

百鳥「お前があまりにも酷すぎて言葉を失ってた」

77「酷くないですか⁈」


 百鳥は、昨日の77の真似を始める。


百鳥「イヤダ~、タスケテ~」

77「……なんですか、それは?」

百鳥「昨日のお前の真似」

77「……え? 嘘ですよね? 嘘だと言ってください」

百鳥「ここで嘘吐いてどうする?」

77「……もう終わったことの話をするのはやめましょう! 昨日は楽しかった! はい、終わりです!」

百鳥「ミンナ、アカノマフラーヒーローガキタヨ。ヤッタネ!」

77「あぁぁぁぁ⁈ もうやめてくださいぃぃぃ!」

百鳥「グダグダだったけど、みんな楽しんでくれてたみたいで、僕はホッとしてるよ」

77「また次回も、誕生日パーティー開催ですね!」

百鳥「あぁ。次は誰の誕生日が近かったっけ? お前は知って──」


 ふと77に視線を向けると、顔を俯かせ悲しそうにしている。


百鳥「……どうした?」

77「……私、夢だったんです。ここで誰かの誕生日祝うの。誕生日って、大切なものじゃないですか。だから私、ここに新しい子が来たら、まず名前と誕生日聞くんです」

百鳥「……」

77「誕生日が来るまでに、色々リサーチするんですよ。なにが欲しいとか聞いたり……色々聞いたりして……当日は、どんなことをして祝ってあげようかなって……。でも……みんな、誕生日来る前に──」


 百鳥は77の言葉を遮り、優しく抱きしめる。


77「……先生……」


77(M)私の言葉をさえぎって、先生は抱きしめてくれた。すごく温かかった。力がどんどん強くなる。今まで溜まってた何かが、あふれ出て来た。


77「先生……わたし……わたし……!」


百鳥(M)『これ以上はダメだ』と、自分に強く言い聞かせる。動こうとする口を必死に止める。これ以上はダメだ……ダメだ、ダメだ。

77(M)先生に解放された後、運が良いのか悪いのか。


151「あー! 先生がねぇちゃん泣かしてる!」


77(M)その後、先生は検査が終わった後に大部屋に連行され、第二回先生討伐戦が開催された。ヒーローたちは先生に攻撃。しかし、先生も負けじと攻撃をかわし逃げ回る。だが、私が隙を見せた先生をガッチリホールド!


百鳥「お、おい! バカ、離せって! ちょっ、待て待て待て!」


77(M)なにを言われても離すもんか。離しません、絶対に。

77(M)このまま、第二回先生討伐戦も笑顔で幕を下ろ──


 151が突然動きを止める。


151「うぅ……」

百鳥「おい、どうした?」

151「先生……なんか、気持ちわる……うぅ……痛い……!」


 151は頭を抱え、うずくまる。


百鳥「お、おい! どうした⁈ 大丈夫か⁈」

151「あぁぁぁ……! い、痛い……! 痛いよぉぉ……! 痛い……痛い、いたいいたいたいたいいたい!」

百鳥「おい! しっかりしろ! おい!」


77(M)風を受けて、元気よくなびいていた赤いマフラーは……。


151「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ⁈」


77(M)地面に落ち、それから……動くことは、なかった。



ーーー



 次の日、大部屋。被験者たちが研究員の前に集められている。


研究員3「呼ばれたやつから順番にこい。わかったな?」

77「あ、あの……」

研究員3「なんだ?」

77「ゆ、優くんは、大丈夫ですか?」

研究員3「優くん?」

77「あ、えっと……151番、の子です。昨日、体調崩した」


 研究員は、手元のリストをめくっていく。


研究員3「151……151……」


77(M)研究員が、ペラペラと紙をめくっていく。その行為が、私の胸を強く締め付けた。


研究員3「……あぁ、こいつか」


77(M)私たちの心を壊すには、十分すぎる言葉だった。改めて私たちは気づいた。私たちは、鬼を倒すために実験される……この人たちは、私たちを……。



ーーー



 数日後、メンタルチェックルーム。いつものように丸椅子に腰掛けカルテを見つめる百鳥。77はベッドに腰掛け俯いている。


百鳥「うーん……まぁ、このくらいなら影響はないだろう。よし、今日の検査は終わりだ」

77「……」

百鳥「どうした? もう検査は終わったぞ?」

77「……まえ……」

百鳥「ん? どうした? また何か悩みか? なんだ、言ってみろ」

77「……名前……呼んでください……」

百鳥「……」

77「私の名前……呼んでください」

百鳥「……」


 百鳥は77に背を向けて、机の上に置かれている資料の整理を始める。


77「呼んでくださいよ……覚えてないんですか……?」

百鳥「……」

77「……先生だけは、他の人たちとは違うと思ってたのに……。私たちのこと、鬼を殺す道具として、見てないと思ってたのに……」

百鳥「なに言ってるんだ? 僕は君たちのことを一度だって道具とは──」

77「だったら呼んでくださいよ! 私の名前を! あの子たちの名前を! 道具としてみてないなら、呼べるはずですよね⁈」

百鳥「……」

77「赤いマフラーつけて元気よく走り回ってた子の名前はなんですか⁈ この施設で一番泣いてた子の名前は⁈ 無口だけどみんなのこと気にかけてくれてた男の子の名前は⁈」

百鳥「……すまない。今日は帰ってくれ」

77「……やっぱり……やっぱりそうなんだ……。先生も、私たちのこと、道具として……。そうだ、そうだよ……私たちは……私は……」

百鳥「だ、だから、僕は君たちのこと──」

77「名前で呼んでよ!」

百鳥「……っ!」

77「いっつもそう! 私たちのこと、君とかあいつとかお前とか、名前で呼んでくれたことなんて一度もない! 優しい言葉も、全部嘘なんだよ……! 全部、全部全部全部……! 私たちを安心させるための……!」

百鳥「ち、違う! そんなことは──」

77「なにが違うんですか⁈ どこが違うんですか⁈ 違うなら言ってくださいよ! 名前を呼んでくださいよ! 呼んでよ! 私の名前を!」

百鳥「ぼ、僕は……僕は……!」

77「……もういいです。大声出してごめんなさい。失礼しました」


 77は背を向け、出ていこうとする。


百鳥「ま、待って──」


 百鳥は咄嗟に77の腕を掴む。が、77は手を振り払う。


77「触らないで! もう、先生の言葉なんてなにも信じない。信じたって……信じたってさ……!」

百鳥「……」

77「先生だって、忘れてるんだ……覚えてないんだ……。私たちのことなんて……道具の私たちの顔なんて、名前なんて……」

百鳥「わ、忘れてなんか──」

77「嘘吐かないで! 覚えてないなら覚えてないってはっきり言ってよ! その方が私は嬉しいよ! あの子たちだって喜ぶよ! 言ってよ! 覚えてないって! お前たちのことなんて忘れたって! 言ってよ!」


 77は百鳥につかみかかる。


77「早く、言ってよぉぉ!」

百鳥「……」

77「……もう……もうさ……傷つけないでよ……! 私たちを、傷つけないでよ……! これ以上、私たちを……私を……傷だらけに、しないでよぉ……!」

百鳥「……忘れてないよ。お前たちのこと、誰一人として、僕は忘れてないよ」

百鳥「……被験者番号151、成瀬優なるせゆう

77「……え?」

百鳥「優しいと書いて、ゆうと読むんだ。普段はやんちゃで元気でうるさいけど、ほかの子が泣いてるときは泣き止むまでずっとそばにいてあげる、名前の通り優しい子だったよ」

77「せ、先生……?」

百鳥「ホントは泣きたいくせに『俺がみんなのお兄ちゃんになるんだ!』って、強がってさ……。涙見せず、明るく振る舞って……強いやつだったよ……」

77「……」

百鳥「なぁ、お前はマフラー渡した時のこと、覚えてるか? 忘れてないか?」

77「……忘れてません……」

百鳥「だよな。あんな嬉しそうに、キラキラした笑顔で『ありがとう』なんて言われたら、忘れられるわけないよな……」

77「先生……私……」

百鳥「被験者番号56、堤朱音つつみあかね。この施設で一番の泣き虫だったなぁ。どこにいても泣いてて、ここに来てもずっとわんわん泣いて、泣き止んだと思ったら注射器見てまた泣き出すし……もう、どうしていいかわかんなかったよ」

百鳥「……そんな泣き虫の朱音がな、泣かなくなったんだ。未来みくがこの施設に来た時の定期検査でな、珍しく泣いてなかったから、僕は聞いたんだ。『どうしたんだ?』って。そしたら、朱音はこう言ったんだ」

百鳥「今日来た新しい子は、鬼に家族をみんな殺されたんだって。私が大丈夫だよって言っても、ずっと泣いてて。だから、私は決めたの……。私は……私は、ここで強くなって、お外に出る……。そして、鬼をみーんなやっつけて、あの子を笑顔にしてあげるんだって……」

百鳥「その日から、朱音はここに来ても泣かなくなったよ……。あの泣き虫の朱音が、泣かないんだぞ……。大っ嫌いな注射も、グッと堪えて……大丈夫大丈夫って、自分に言い聞かせて……言い聞かせてさぁ……!」

77「先生……」

百鳥「死ぬ直前だって……痛くて、辛くて、苦しいはずなのに……それなのに、歯食いしばって、涙堪えて……私は強くなって、鬼を倒さなきゃいけないんだって! 未来みくを笑顔にするんだって! だから死にたくない! 助けてって!」

77「……」

百鳥「忘れられるなら忘れたいよ! 思い出したくもないよ! 僕がどんなに思ったって、思い出したって……名前を呼んだって……誰一人、帰ってこないんだ……!」

77「……ごめんなさい……ごめん、なさい……! 私、先生は……先生はわかってくれてるって知ってたのに……知ってたのに……! ごめんなさい……!」

百鳥「あ、いや……ぼ、僕こそ、ごめん……。取り乱してしまった。みんなも心配するだろうし、早く大部屋に帰ってあげてくれ」

77「はい……」


 77は涙を拭うと、背を向けて扉へと歩き出す。百鳥は、その背中を見つめている。


百鳥「……」


 百鳥は、77の腕を掴む。


77「……先生?」

百鳥「……か……。……なぎ……明日夏あすか……」

77「……はい。なんですか、先生?」

百鳥「……少し、少しだけでいい……。そばに、いてくれないか……?」

77「……はい、先生」

百鳥「ごめん……ホントごめん……」

77「謝らないでください。心配もしないでください。私は……凪明日夏は、先生の隣からいなくなったりしませんから」

百鳥「……」

77「先生、色々、沢山、溜まってるでしょ? いっぱいいっぱい、私たちのこと思って、押し込めてたでしょ? 全部、全部全部、吐き出していいよ」


 77は、百鳥を優しく抱きしめる。


77「全部吐き出すまで、大部屋に帰らないからね」


百鳥(M)明日夏は、力強く僕を抱きしめてくれた。感じたことのない温かさがあった。心の奥底で凍らせていたものが、少しずつ、少しずつ……溶けていった。


百鳥「ごめん……ごめんな……みんな、ごめん……。助けてあげられなくて、ごめん……ごめん……!」

百鳥「なんにもしてやれなかった……! ただ黙って見てることしかできなかった……! 僕は……僕は無力だ……なんにもできやしない……! 目の前の小さな命を、必死に伸ばしてくれた手を、握ることすらできない……!」

百鳥「誰一人守ってやれない……誰一人救ってやれない……! これまでも、これからも、ただずっと、ずっとずっと……笑顔が壊れていくのを、見てるだけしか……!」

百鳥「僕には、なにも……なにもできない……! 僕なんて……僕、なんて……!」

77「先生は、無力なんかじゃないですよ。私たちは、みんな……みんな、先生に守られてましたよ。救われてましたよ」

77「……私、何度も、何度も何度も何度も死にたいって思ってました。こんな苦しい生活、続けたくなかった。死にたいって、ずっとずっと思ってた。私なんか死んだって、誰も何とも思わないだろうって」

77「でも、先生がいるこの部屋に来て、先生とお話しして、顔を見て……『私は生きてていいんだ』って。私は、道具じゃないって。私が死んだら、この人はきっと悲しんでくれるって」

77「私、先生を悲しませたくなかった……。だから、ここまで生きて来れた……。私が今ここにいるのは、先生が守ってくれたからだよ。救ってくれたからだよ……! 苦しい、辛い、痛い、助けてって……私が伸ばした手を、あなたが握ってくれたからなんだよ……!」

百鳥「……」

77「私だけじゃない、他の子たちだって、みんなね、先生のこと大好きなんだよ」

77「前ね、大部屋で、みんなで脱出作戦を考えてたの。みんなで色んな案を出して、話し合って、全然意見まとまんなかったけど……でも、一つだけね『ここを出るときは、百鳥先生も一緒に!」って、みんな言ってたよ……!」

百鳥「……」

77「みんな、先生に救われてるよ……! みんなみんな、先生のこと大好きだよ……! だから、そんなこと言わないで……! あなたは無力なんかじゃない……! 居なくなっていい人じゃない……!」

77「あなただけが、私たちを救ってくれる人なの」


百鳥(M)この仕事に就くとき、被験者は番号で呼べと言われた。名前で呼ぶと、情が移ってしまうから。彼らのことは、鬼を殺す道具だと思え。人間だと思うと、情が移ってしまうから。


77「先生、私……私ね……」


百鳥(M)彼女たちは、道具じゃない。彼女たちは……凪明日夏は……。


77「先生のこと、大好きです」


百鳥(M)人間だ。




ーーー



 数ヶ月後、メンタルチェックルーム。


77「欲しいものですか?」

百鳥「あぁ。なんかあるか? なんでもいいぞ」

77「本当になんでもいいんですか~? んん~どうしようかな~?」

百鳥「僕の出来る範囲でお願いするぞ」

77「わかってますよ、先生」


百鳥(M)彼女の笑顔が、僕の心を癒していく。


77「私は、先生とこうやって一緒にいれるだけでいいです」


百鳥(M)彼女の言葉が、僕の心を癒していく。


77「強いて言うなら……外に出て、一緒に星を見たいです」

百鳥「星?」

77「はい。私、家族で星を見に行ってる時に、鬼と遭遇そうぐうしちゃって……。私は、なんとか逃げ延びたんですが……」

百鳥「そうなのか……」

77「私にとって星は、あの時のこと思い出しちゃう嫌な思い出です。だから、大切な人と星を見に行って、いい思い出に変えちゃおうって!」


百鳥(M)彼女の一つ一つが、全て愛おしい。


77「まぁ、いつ外に行けるかなんてわからないんですけどね。だから──」

百鳥「いこう」

77「え?」

百鳥「星だけじゃない、他にもたくさん思い出を作ろう。嫌な思い出、全部全部忘れるくらい、いい思い出、作ろう」

77「先生……!」


百鳥(M)歯を食いしばって、手足を傷つけてまで止まっていたのに。


77「私、頑張る……頑張ります」

百鳥「頑張らなくていい。明日夏は十分頑張ってるよ」

77「うん……うん……!」


百鳥(M)僕は、もう止まらない。止まれない。


百鳥「一緒に外にいこう。星を見よう。約束な」

77「うん。約束……約束……!」

百鳥「ただ、外に出るなら僕のこと守ってくれよ? 僕は一般人だからさ」


77(M)彼のこの笑顔を、どんな形になってもいい……絶対守る。


77「うん。何があっても……約束だよ」







77(M)どんどん人がいなくなって……いつか自分もいなくなるって、ずっとおびえて生きてきた。


77「ただいま」

百鳥「おかえり」


77(M)死にたかった。


百鳥「おかえり」


77(M)なんでこんなことしてるんだろうって。早くこんなところから出たいって。


百鳥「おかえり」


77(M)ずっとずっと、嫌だったこの場所。


百鳥「おかえり」


77(M)いつからだろう?


百鳥「おかえり」


77(M)ここに来れて、よかったって思えたのは?


百鳥「おかえり、明日夏」

77「ただいま、先生」


77(M)外に出たら、星を見に行く。もし鬼が出たとしても、私が先生を守ってあげる。だから、もっともっと力が欲しい。絶対に先生の手を離さないためにも……。


 人鬼研究室。77がベッドに手足を固定されている。右腕には一本の管が刺さっており、管の先には赤黒い血が入ったパックが吊り下げられている。
 赤黒い血は、一滴、また一滴と、ゆっくり77の体内へと流れていく。


77「……」


77(M)どんなに苦しくても、辛くても、痛くても……。


百鳥「おかえり、お疲れ様」


77(M)先生を守れるなら、先生の声が聞けるなら……私は──


??「……か?」

??「力が、欲しいのか?」

??「ならば、我に身を捧げよ」

??「身を、委ねよ」


 77の手足が、小さくピクピクと痙攣し始める。


研究員4「ん?」

77「……あ、……あ、あぁぁぁぁ……」

研究員4「なんだ? さっきまで大人しかったのに。どうした? なにが──」

77「あぁぁぁぁぁぁ⁈」


 77の身体は激しく痙攣を始め、穴という穴から血が溢れ出てくる。


77「ぁぁぁぁぁ⁈ あぁぁぁぁぁ⁈」


 叫びに応じるように、皮膚が小さくひび割れ、至る箇所から血が溢れ出る。


77(M)先生……私ね、夢があるの。


研究員4「血の投与を中止しろ! 急げ!」


77(M)いつも先生が『おかえり』って言ってくれてるでしょ? 外に出て、一緒に暮らして、仕事から帰ってきた先生に……。


研究員4「赤鬼せっきの血を安全な場所に! 急げぇぇ!」

77「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 77は力づくで手足の拘束を外す。体内から溢れ出た血は、彼女の頭上に集まると、血の刃となり部屋内に弾け飛ぶ。


77(M)『おかえり』って、言ってあげるの。


 壁も床も、真っ赤な血で汚れている。研究員4は、血の海に浮かんでいる仲間を必死に揺すっている。


研究員4「お、おい、しっかりしろ! 逃げるぞ、立て!」


 研究員の背後に、77らしき女の子が立っている。口からは止めどなく血が流れ、目は真っ赤に染まり、背中には大きな赤黒い血が渦を描いている。


研究員4「あ、ぁぁぁ……⁈ く、くるなぁ……くるなぁぁぁ!」


 背中を覆っていた赤黒い血が、77の右手を包む。巨大な爪を形成すると、容赦なく研究員を切り裂く。


研究員4「ぁぁぁぁぁ⁈」


77(M)その夢が叶うなら、私ね……。


 研究室の入り口で、百鳥は呆然と見つめている。


百鳥「あ、明日夏……?」

77「……せ、セんセィ……? ワ、ワ、ワタし……わタし……? あ、アァ……あアァぁァァぁ……!」


 77の真っ赤な瞳から、赤黒い血がゆっくりと頬を伝っていく。


77(M)人間じゃなくても、いいや。











所長(M)被験者番号77。赤鬼せっきの血を取り込むことに成功。赤鬼の血を取り込むことに成功したのは、77が初めてだった。精神も安定しており、身体能力、再生能力共に高い数値を叩き出した。

所長(M)しかし、取り込みから2週間後……三度目の血の投与中に、赤鬼の血の影響で暴走を始める。数分後に自らの力で暴走を抑えつけるが、研究員5名が命を落とすことになった。

所長(M)77は、肉体面は正常だが、精神面が不安定。暴走しては自らの力で抑えつけるを繰り返している。この状態では、人鬼として使い物にならない。我々は、精神が安定する日を待った。






 所長室。


百鳥「処分……ですか……?」

所長「あぁ。精神面が安定せん。あんなもの、鬼だろうと人だろうと関係なく殺す化け物だ」

百鳥「彼女は化け物なんかじゃありません!」

所長「……どうした? もしや、あいつに惚れているのか?」

百鳥「……」

所長「やつらを人間としてみるな。鬼を殺す道具だと思えと、何度も言ったはずだが?」

百鳥「……5日」

所長「なに?」

百鳥「5日間だけ時間をください。それまでにどうにかして精神を安定させます。赤鬼の血を取り込んで、肉体が安定しているサンプルは……彼女以外いません」

所長「サンプル……か。君のことを勘違いしていたようだよ、すまないな。では、5日だ。それ以上は認めん」

百鳥「ありがとうございます」


所長(M)彼がなぜ5日と言ったのかはわからないが、彼の希望通り5日待った。彼は被験者たちの精神面をサポートしてきた人間だ。何かできるかもしれない……と、期待していたが、77の精神は一定の数値を保つことが出来なかった。化け物と化した被験者番号77は、処分する方向で話が進む。

所長(M)そして、処分当日……。



 研究所の地下。薄暗い牢獄に、77は力なく座っている。
 奥から足音が聞こえてくる。


77「……誰?」


 百鳥が姿を現す。手には拳銃を持っており、服や顔には返り血がべったりとついている。


百鳥「明日夏」

77「せ、先生……!」

百鳥「約束、覚えてるか?」

77「うん……忘れてないよ……忘れるわけない……!」

百鳥「じゃあ、行こう」


 百鳥は牢獄を開け、77の手を握る。


所長(M)百鳥明楽ひゃくとりあきらは、研究員3名を殺害し、77と逃走。逃亡を阻止しようとした警備員5名は、77により殺害される。


所長「そうか。被験者番号77、そして研究員の百鳥明楽は……見つけ次第、殺せ」


所長(M)研究所は、2名の討伐を命じた。逃走から6時間後、逃亡者2名を発見したと報告があり、命令通り二人の討伐が始まった。


百鳥「あすかぁぁぁぁぁ!」


所長(M)討伐開始から約1時間後……討伐失敗の連絡が入る。その後、討伐隊全10名の死亡を確認。77は、我々の予想よりはるかに強い力を手に入れたようだった。




 三日後、人鬼研究所前。


77「先生、待っててね。すぐに終わらせるから……!」


所長(M)討伐命令を出した三日後、77が単独で研究所に襲撃。応援を要請するが、間に合わず……。


77「あんたたちが作ってたのは、鬼を殺す道具じゃない」

77「人を殺す、鬼だ」


所長(M)研究員、警備隊、全102名のうち、重傷者は2名、死者は100名。被験者は全21名のうち、重傷者1名、死者2名、行方不明者18名。人鬼の研究データはすべてなくなっており、多くの命とデータを失った我々は、研究を中止するしかなかった。その後、77の生死は不明。彼女を逃した百鳥明楽の生死も、不明となっている。

所長(M)我々人間は、鬼とジェネシスに対抗するために研究を進めていた。しかし、我々が生み出したのは……鬼と同等の、それ以上の力を持った……『人鬼』という、化け物だった。


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