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第1話:美しき怪物
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〝欠け月の魔女、トリウィア〟の領地――〝アーレス〟
領地の端にあるリンゴ畑に囲まれた丘の上に、螺旋を描く小さな塔があった。それは偉大なる魔女、トリウィア・アーレスが、たった一人の息子の為に建てた塔だ。
その一番上にある部屋が、窓から差す夕日によってオレンジ色に染まる。
部屋の中に扉を叩く音が響き、入室を許可する言葉を待たずに扉が開かれた。
「おっと失礼。着替え中だったかい」
開いたままの扉に体重を預けながら声を出したのは、砂色の肌と黒髪を持つ美女だった。
彫りの深い顔を持つ彼女は、研究者かあるいは錬金術師のような白い作業服をマントのように肩に羽織っており、その下にはやけに露出の多い下着のような服を纏っていた。
「白々しいよ、エイシャ。分かってて入ってきたくせに」
今年で十六となる少年とは思えないほど高く、少女にしては少しだけ低い声が響く。それは部屋の中央に佇む、この部屋の主である少年が発したものだ。
エイシャと呼ばれた女がそれに対し無言で肩をすくめた。
「バレたか。実はレヴの生着替えを鑑賞するのがあたしの趣味でね」
「悪趣味だから、やめてほしいんだけども」
少年がそう言うと、手を止めていた着替えを再開する。頭から被ったワンピース型の制服の袖に腕を通し、右手を使って襟の中から長い金色の髪を抜いた。
腰まで届くその髪は、まるで秋風に揺れる小麦畑を思わせる金色の波となって広がり、重力に沿って落ちていく。その仕草と髪の動き、そして一瞬見えた白いうなじに、女性でありながらエイシャは思わずため息を漏らしてしまう。
ただ着替えているだけで、しかも相手は年下の男なのに――なぜこうも色気があって美しいのだろうか。
どこか中性的でありながら、まるで美を司る神に作られたかのような完璧な顔立ち。スラリとした体躯は豹を思わせ、男性でありながらも、どこか女性的な美を孕んでいる。
エイシャが荒々しさを残しながらも人を惹きつけてやまない自然美だとすると、彼は人工的に造られた完璧な美だと表現できるだろう。
「レヴ。とても月並みなことを言っていいかい?」
こちらへと向いた少年――この塔の主であり、領地を治める……否、治めていた魔女の息子であるレヴが、エイシャへと微笑む。
「どうぞ」
レヴは腕に巻いていたくすんだ紫色のリボンを解き、それを使って髪をうなじ辺りで一つにまとめ、くくりはじめた。
「その制服、とてもよく似合っているよ。今すぐ君を掠ってしまいたいぐらいに」
「それ、褒め言葉?」
リボンで髪をくくりおえたレヴが苦笑する。
黒と赤を基調とし、右胸に月と竜をモチーフにした紋章が刺繍されているワンピース型の制服は、エイシャの言うように彼によく似合っていた。
遠目で見ても、そして近くで見ても、彼が男性であるとは誰も気付かないだろう。それほどまでに彼は完成されていて、何より美しかった。
「もちろん褒め言葉さ。軽い嫉妬だよ、嫉妬。きっと男共はあたしよりもレヴを見て、欲情するだろうさ」
「そうかな? エイシャも綺麗だと思うけど」
レヴのその言葉に嘘はないが、心が籠もっていないことをエイシャはよく知っていた。
「へー。あたしを抱きたいぐらい?」
エイシャがそう問いながら、マントのように羽織っている服のポケットから小さな箱を取り出す。
その蓋を開け、右の人差し指で中の紅を掬い、レヴの桜色の唇へと塗っていく。
至近距離で見ても、そのきめ細やかな白い肌にため息しか出てこない。
「そうだね。抱きたいぐらいに綺麗だと思う」
レヴが答える。
「嘘つきめ。さ、これで完璧だ。君はもうどこに出しても恥ずかしくない、完璧なノクタリアの生徒だよ」
ノクタリア――その正式名称〝魔女教育機関、未来の闇ノクタリア〟――はただ単に〝学園〟と呼ばれることが多く、次世代のリーダーとなる魔女の育成を行う教育機関だ。
そこは数少ない中立地帯であり、またこの世界における未来の縮図とも呼ばれていた。
「ありがとう、エイシャ。入学手続きから制服の用意まで」
レヴがその身体を姿見へと向け、鏡越しにエイシャへと感謝を告げる。
「構わないさ。本当なら今年、ユウィが……いやなんでもない」
エイシャは内心で舌打ちをしながら、言葉を濁した。
この少年の前で、その名は禁句だった。
「ユウィ?」
鏡の中でレヴが微笑む。しかしその紫色の瞳は笑っておらず、中で青い炎が揺らめいていた。
それは一見冷たいが、全てを灼き尽くすほどの力を秘めた炎。
「ああ、そうか。ユウィが今年入学予定だったんだね。きっと、似合っていただろうなあ」
レヴが目を閉じた。
彼の脳裏に浮かぶのは、銀色の髪の少女だ。
双子の妹にしては顔が似ておらず、だからこそ母親似の自分の顔ではなく、父親似のユウィの顔を彼は好んだ。
だがもう彼女は脳裏にしかいない。記憶にしかいない。
殺されたからだ。誰かに。
「僕は嬉しいよ、ユウィの制服が着られて。それに丁度いい」
「丁度いい?」
「ユウィを殺した奴を、ユウィが着るはずだった制服を着た僕が殺すのは、とても愉快だろ」
レヴが笑った。
その笑みを見てエイシャが凍り付く。彼女はその薄暗い仕事柄、血と闇に染まった者達を何人も見てきた。
だけども、この少年はその中でも飛び抜けて危険だった。
危うかった。
手遅れだと分かっていても、彼女はこう言う他なかった。
「レヴ。別に君がやらなくてもいいんだ。今、我ら〝月牙〟が全力でトリウィア様とユウィを襲撃した犯人を調査し、見付け次第報復を行うつもりだ。だから――」
「だから? 僕の妹と母が殺されたんだ。僕以外の誰にも、その復讐を行う権利はないよ。それにいくら魔女専門の暗殺組織である〝月牙〟でも、中立地帯かつ排他的なノクタリアで調査するのは難しいはずだよ」
「それは……」
その議論は、これまでに何度も行われた内容だった。
エイシャも分かっていた。愛する妹と、母の復讐を誓うこの少年を止められる存在は誰もいない。
表舞台で、そして数え切れないほどの闇で、この世界の頂点たる存在である魔女を殺し続けた暗殺組織――〝月牙〟。
レヴはそこに所属する暗殺者の中でも、歴代トップの魔女暗殺数を、若干十六歳で達成した美しき怪物だ。
そんな彼を止めることが、誰にできるだろうか。
「母は死に間際に僕に言ったんだ。〝復讐の刃を降ろす先は、ノクタリアにある〟って。だから、僕はノクタリアに潜入して――」
レヴが内で燃える炎が外に出ないように必死に抑えながら、言葉を続けた。
「ユウィの命を奪った奴を殺す。完膚なきに完璧に、一片の隙もなく、その魂の隅から隅まで殺す。殺し尽くす」
レヴの言葉の端々から覗く火の舌に、エイシャは一歩後ずさってしまう。
「レヴ、それは困難な道だよ。あの学院に一体何人魔女がいると思う? それに、そもそもノクタリアの関係者にトリウィア様とユウィを殺害する動機がな――」
エイシャの言葉をレヴが途中で切り捨てた。
「母がそう言ったんだ。復讐すべき相手はノクタリアにいるって」
それはもはや呪いだった。
エイシャは心の中でため息をつくしかない。
レヴの母が残した特大の呪いが、この少年を突き動かしている。
それが彼を良い方向へと導いているとは、とても思えなかった。
幼い頃からレヴの姿を見守ってきた彼女だからこそ分かる。
この子は決して、殺し殺されの世界に身を置くような人間ではない。
彼はただ、か弱く愚かな妹を守る為だけにその身を血と闇に置いていただけだ。
だというのに、もう守る相手がいないまま、更なる深遠へと落ちようとしているのだ。
でもその背中を押すことはできても、留める力が自分にはないことを、彼女が一番よく分かっていた。
ならばせめて――底の底まで一緒に落ちるしかなかった。
それがエイシャの覚悟だった。
「……あたしも手伝うよ。ノクタリアでも、武器は必要だろ?」
「ありがとうエイシャ。そうだね。きっとノクタリアでもやることは変わらないだろうし」
レヴがスカートの下へと手を伸ばし、太ももに巻いたホルスターから一本の機械仕掛けのナイフのような武器を取り出す。その動きはあまりに手慣れていて、まるで手品のようだった。
その柄には引き金と回転弾倉が組み込まれてあり、刀身に沿って銃口がついていた。まるで銃とナイフを合わせたような不思議な構造を持つそれは、魔術を使えない男性が魔女に対抗できるようにと、稀代の武器職人であるエイシャによって生み出された魔女狩りの武器だった。
その中でも、それはレヴが好んで使っている武器の一つで、〝ムーンハウル〟という銘が付けられていた。
「邪魔する魔女は殺す。邪魔しない魔女も必要なら殺す。それしか……僕は知らないから」
ムーンハウルを鏡の中の自分へと突きつける、レヴの悲しい言葉。
「お願いだから……その眼はなるべく使わないでね」
「分かってるよ」
レヴが紫の瞳を妖しく輝かせた。
男性は魔術が使えない。それがこの世界の常識であり、ゆえにこの世界は魔女によって支配されていた。
だが、例外もまた存在する。
だからこそエイシャが心の中で嘆いたのだった。
ああ、やはりこの子は……どこまでも母親に呪われている、と。
「そろそろ迎えの馬車が来る頃だ。僕は行くよ」
レヴがエイシャの傍を離れ、荷物をまとめたある革のトランクケースを手に取った。
「ああ、いってらっしゃい。分かっていると思うけど、男とバレないようにね。それに当然、暗殺者であることも。あたしも準備が出来次第、そっちに行ってサポートするよ」
「待っているよ、エイシャ」
屈託のない笑みを浮かべるレヴを見て、エイシャが微笑む。
「それと、どうせ潜入するなら……楽しむといい。中々に刺激的な体験ができるし、何より魔女についてタダで学べる。友達だってきっとできるさ」
「将来殺すかもしれない相手だしね。仲良くなって情報を得るのは手の一つだ」
「そういう意味ではないんだけどね……」
エイシャが呆れてそう呟いている間に、レヴは扉から出ていってしまった。
「神なんて信じちゃいないけども。どうか、彼の行き先に幸あらんことを」
エイシャがそう祈りを捧げる。
この部屋にこびりついた血の匂いが、いつまでも彼女の鼻の奥に残っていた。
領地の端にあるリンゴ畑に囲まれた丘の上に、螺旋を描く小さな塔があった。それは偉大なる魔女、トリウィア・アーレスが、たった一人の息子の為に建てた塔だ。
その一番上にある部屋が、窓から差す夕日によってオレンジ色に染まる。
部屋の中に扉を叩く音が響き、入室を許可する言葉を待たずに扉が開かれた。
「おっと失礼。着替え中だったかい」
開いたままの扉に体重を預けながら声を出したのは、砂色の肌と黒髪を持つ美女だった。
彫りの深い顔を持つ彼女は、研究者かあるいは錬金術師のような白い作業服をマントのように肩に羽織っており、その下にはやけに露出の多い下着のような服を纏っていた。
「白々しいよ、エイシャ。分かってて入ってきたくせに」
今年で十六となる少年とは思えないほど高く、少女にしては少しだけ低い声が響く。それは部屋の中央に佇む、この部屋の主である少年が発したものだ。
エイシャと呼ばれた女がそれに対し無言で肩をすくめた。
「バレたか。実はレヴの生着替えを鑑賞するのがあたしの趣味でね」
「悪趣味だから、やめてほしいんだけども」
少年がそう言うと、手を止めていた着替えを再開する。頭から被ったワンピース型の制服の袖に腕を通し、右手を使って襟の中から長い金色の髪を抜いた。
腰まで届くその髪は、まるで秋風に揺れる小麦畑を思わせる金色の波となって広がり、重力に沿って落ちていく。その仕草と髪の動き、そして一瞬見えた白いうなじに、女性でありながらエイシャは思わずため息を漏らしてしまう。
ただ着替えているだけで、しかも相手は年下の男なのに――なぜこうも色気があって美しいのだろうか。
どこか中性的でありながら、まるで美を司る神に作られたかのような完璧な顔立ち。スラリとした体躯は豹を思わせ、男性でありながらも、どこか女性的な美を孕んでいる。
エイシャが荒々しさを残しながらも人を惹きつけてやまない自然美だとすると、彼は人工的に造られた完璧な美だと表現できるだろう。
「レヴ。とても月並みなことを言っていいかい?」
こちらへと向いた少年――この塔の主であり、領地を治める……否、治めていた魔女の息子であるレヴが、エイシャへと微笑む。
「どうぞ」
レヴは腕に巻いていたくすんだ紫色のリボンを解き、それを使って髪をうなじ辺りで一つにまとめ、くくりはじめた。
「その制服、とてもよく似合っているよ。今すぐ君を掠ってしまいたいぐらいに」
「それ、褒め言葉?」
リボンで髪をくくりおえたレヴが苦笑する。
黒と赤を基調とし、右胸に月と竜をモチーフにした紋章が刺繍されているワンピース型の制服は、エイシャの言うように彼によく似合っていた。
遠目で見ても、そして近くで見ても、彼が男性であるとは誰も気付かないだろう。それほどまでに彼は完成されていて、何より美しかった。
「もちろん褒め言葉さ。軽い嫉妬だよ、嫉妬。きっと男共はあたしよりもレヴを見て、欲情するだろうさ」
「そうかな? エイシャも綺麗だと思うけど」
レヴのその言葉に嘘はないが、心が籠もっていないことをエイシャはよく知っていた。
「へー。あたしを抱きたいぐらい?」
エイシャがそう問いながら、マントのように羽織っている服のポケットから小さな箱を取り出す。
その蓋を開け、右の人差し指で中の紅を掬い、レヴの桜色の唇へと塗っていく。
至近距離で見ても、そのきめ細やかな白い肌にため息しか出てこない。
「そうだね。抱きたいぐらいに綺麗だと思う」
レヴが答える。
「嘘つきめ。さ、これで完璧だ。君はもうどこに出しても恥ずかしくない、完璧なノクタリアの生徒だよ」
ノクタリア――その正式名称〝魔女教育機関、未来の闇ノクタリア〟――はただ単に〝学園〟と呼ばれることが多く、次世代のリーダーとなる魔女の育成を行う教育機関だ。
そこは数少ない中立地帯であり、またこの世界における未来の縮図とも呼ばれていた。
「ありがとう、エイシャ。入学手続きから制服の用意まで」
レヴがその身体を姿見へと向け、鏡越しにエイシャへと感謝を告げる。
「構わないさ。本当なら今年、ユウィが……いやなんでもない」
エイシャは内心で舌打ちをしながら、言葉を濁した。
この少年の前で、その名は禁句だった。
「ユウィ?」
鏡の中でレヴが微笑む。しかしその紫色の瞳は笑っておらず、中で青い炎が揺らめいていた。
それは一見冷たいが、全てを灼き尽くすほどの力を秘めた炎。
「ああ、そうか。ユウィが今年入学予定だったんだね。きっと、似合っていただろうなあ」
レヴが目を閉じた。
彼の脳裏に浮かぶのは、銀色の髪の少女だ。
双子の妹にしては顔が似ておらず、だからこそ母親似の自分の顔ではなく、父親似のユウィの顔を彼は好んだ。
だがもう彼女は脳裏にしかいない。記憶にしかいない。
殺されたからだ。誰かに。
「僕は嬉しいよ、ユウィの制服が着られて。それに丁度いい」
「丁度いい?」
「ユウィを殺した奴を、ユウィが着るはずだった制服を着た僕が殺すのは、とても愉快だろ」
レヴが笑った。
その笑みを見てエイシャが凍り付く。彼女はその薄暗い仕事柄、血と闇に染まった者達を何人も見てきた。
だけども、この少年はその中でも飛び抜けて危険だった。
危うかった。
手遅れだと分かっていても、彼女はこう言う他なかった。
「レヴ。別に君がやらなくてもいいんだ。今、我ら〝月牙〟が全力でトリウィア様とユウィを襲撃した犯人を調査し、見付け次第報復を行うつもりだ。だから――」
「だから? 僕の妹と母が殺されたんだ。僕以外の誰にも、その復讐を行う権利はないよ。それにいくら魔女専門の暗殺組織である〝月牙〟でも、中立地帯かつ排他的なノクタリアで調査するのは難しいはずだよ」
「それは……」
その議論は、これまでに何度も行われた内容だった。
エイシャも分かっていた。愛する妹と、母の復讐を誓うこの少年を止められる存在は誰もいない。
表舞台で、そして数え切れないほどの闇で、この世界の頂点たる存在である魔女を殺し続けた暗殺組織――〝月牙〟。
レヴはそこに所属する暗殺者の中でも、歴代トップの魔女暗殺数を、若干十六歳で達成した美しき怪物だ。
そんな彼を止めることが、誰にできるだろうか。
「母は死に間際に僕に言ったんだ。〝復讐の刃を降ろす先は、ノクタリアにある〟って。だから、僕はノクタリアに潜入して――」
レヴが内で燃える炎が外に出ないように必死に抑えながら、言葉を続けた。
「ユウィの命を奪った奴を殺す。完膚なきに完璧に、一片の隙もなく、その魂の隅から隅まで殺す。殺し尽くす」
レヴの言葉の端々から覗く火の舌に、エイシャは一歩後ずさってしまう。
「レヴ、それは困難な道だよ。あの学院に一体何人魔女がいると思う? それに、そもそもノクタリアの関係者にトリウィア様とユウィを殺害する動機がな――」
エイシャの言葉をレヴが途中で切り捨てた。
「母がそう言ったんだ。復讐すべき相手はノクタリアにいるって」
それはもはや呪いだった。
エイシャは心の中でため息をつくしかない。
レヴの母が残した特大の呪いが、この少年を突き動かしている。
それが彼を良い方向へと導いているとは、とても思えなかった。
幼い頃からレヴの姿を見守ってきた彼女だからこそ分かる。
この子は決して、殺し殺されの世界に身を置くような人間ではない。
彼はただ、か弱く愚かな妹を守る為だけにその身を血と闇に置いていただけだ。
だというのに、もう守る相手がいないまま、更なる深遠へと落ちようとしているのだ。
でもその背中を押すことはできても、留める力が自分にはないことを、彼女が一番よく分かっていた。
ならばせめて――底の底まで一緒に落ちるしかなかった。
それがエイシャの覚悟だった。
「……あたしも手伝うよ。ノクタリアでも、武器は必要だろ?」
「ありがとうエイシャ。そうだね。きっとノクタリアでもやることは変わらないだろうし」
レヴがスカートの下へと手を伸ばし、太ももに巻いたホルスターから一本の機械仕掛けのナイフのような武器を取り出す。その動きはあまりに手慣れていて、まるで手品のようだった。
その柄には引き金と回転弾倉が組み込まれてあり、刀身に沿って銃口がついていた。まるで銃とナイフを合わせたような不思議な構造を持つそれは、魔術を使えない男性が魔女に対抗できるようにと、稀代の武器職人であるエイシャによって生み出された魔女狩りの武器だった。
その中でも、それはレヴが好んで使っている武器の一つで、〝ムーンハウル〟という銘が付けられていた。
「邪魔する魔女は殺す。邪魔しない魔女も必要なら殺す。それしか……僕は知らないから」
ムーンハウルを鏡の中の自分へと突きつける、レヴの悲しい言葉。
「お願いだから……その眼はなるべく使わないでね」
「分かってるよ」
レヴが紫の瞳を妖しく輝かせた。
男性は魔術が使えない。それがこの世界の常識であり、ゆえにこの世界は魔女によって支配されていた。
だが、例外もまた存在する。
だからこそエイシャが心の中で嘆いたのだった。
ああ、やはりこの子は……どこまでも母親に呪われている、と。
「そろそろ迎えの馬車が来る頃だ。僕は行くよ」
レヴがエイシャの傍を離れ、荷物をまとめたある革のトランクケースを手に取った。
「ああ、いってらっしゃい。分かっていると思うけど、男とバレないようにね。それに当然、暗殺者であることも。あたしも準備が出来次第、そっちに行ってサポートするよ」
「待っているよ、エイシャ」
屈託のない笑みを浮かべるレヴを見て、エイシャが微笑む。
「それと、どうせ潜入するなら……楽しむといい。中々に刺激的な体験ができるし、何より魔女についてタダで学べる。友達だってきっとできるさ」
「将来殺すかもしれない相手だしね。仲良くなって情報を得るのは手の一つだ」
「そういう意味ではないんだけどね……」
エイシャが呆れてそう呟いている間に、レヴは扉から出ていってしまった。
「神なんて信じちゃいないけども。どうか、彼の行き先に幸あらんことを」
エイシャがそう祈りを捧げる。
この部屋にこびりついた血の匂いが、いつまでも彼女の鼻の奥に残っていた。
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