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13話:答えのない五つの難題
しおりを挟む誰もいなくなった部屋は、いつにもまして静かだった。
まだ微かに残る獣の匂い。僕は空気を入れ換えようと居間の窓を開けた。
「三人……しかも一人は誰かすら不明。それを自分に惚れさせるなんて不可能だ」
薄闇にそう語りかけるも、返事はない。
僕は悩んでいた。この事を紫苑と琥乃美に打ち明けるべきか。
当然、彼女達は協力してくれるだろう。だけど……その気持ちだけで恋愛感情を持つというのは難しいだろう。だからクカも言っていた。それでは意味はないと。
「むしろ、逆効果の可能性もあるか」
耳と尻尾を何とかしたいのであれば僕に惚れろ。なんて言われて、はい分かりました、なんて言うやつがいる訳がない。更に厄介なのが……このクカとの勝負を真実だと証明出来ない点だ。
僕が嘘をでっち上げて、恋愛ごっこをしようとしている……そう思われても仕方ない。
「事実……ゲームみたいなもんか」
攻略しろだなんて。相手も、僕も、バカにしてやがる。恋愛には疎い僕にだって分かる。そんな恋愛あってたまるか。
そんな時に、インターホンが鳴った。
その音はやけに大きく響いた。僕はあの三人の誰かが忘れ物でもして戻ってきたのかと一瞬思った。急いで玄関へと向かった僕がドアの鍵を外す。
だけど、その時、僕は直感で分かった。
このドアの向こうにいたのは――
「よお……少年。また会ったな」
いつか見た、あの怪しい男だった。
☆☆☆
「綺麗に片付いているな。良い事だ」
「ありがとう……ございます」
僕が結局その男を家へと招き入れた理由は様々だったが……一番大きな点は、その男からは僕と似たような雰囲気を感じ取ったからだ。
初めて会った時とは違う空気。見た目も格好もあの時と同じチャラいオジさんだが、なぜか印象がガラリと変わってしまった。
その男は――賀茂保成と名乗った。それが本名か偽名か分からない。だけど、そんな事はどうでも良かった。
「くくく……凄えな。獣臭がこれでもかとこびりついてやがる」
「分かるんですか」
「分かるさ、分かるとも。それが商売道具なんでね」
賀茂さんはそう言って僕の部屋をひとしきり見渡すと、そのままドカリと床に座り込んだ。
「さて、じゃあ、話を聞こうか――同業者」
その言葉に、僕もやはりな、と思ってしまった。
「やっぱり貴方も……ビーストテイマーなんですね」
「ん? ああ、そういう呼び方をするのか。俺は調伏士、と名乗っているがな」
調伏士。どうやら、それがこの現代日本におけるビーストテイマーの名称らしい。賀茂さんは母さんが使っている灰皿を目敏く見付けると、煙草を吸い始めた。
それから僕は賀茂さんに、一部始終を話した。紫苑達個人の事には触れず、要点だけを。
「……異世界か……異世界ねえ」
僕は、てっきり賀茂さんもそうだと思ったのだが、反応から見るに違うらしい。
「俺はそんなとこに行ったことねえし話も聞いたことねえ。だが、辻褄が合うからな。お前の言う魔獣……俺らは霊獣と呼んでいるんだが、それがどこから来て、そして何処へ行くのか。別世界があるなら、それが一番納得の行く答えだからな。まあ行って帰ってきたって奴を見るのは流石に俺も初めてだが……」
「そうなんですか……」
「そう、がっかりするな。お前の事情は良く分からんが、少なくとも、今お前の周りで起こっている事に関しては……俺の仕事の範疇だ」
賀茂さんに聞くと、紫苑達のように、ある日突然獣化する例は近年少なくなりつつも、ないことはないらしい。『獣憑き』、と呼ばれるその現象を解決するのが、賀茂さんの言う調伏士の仕事らしい。
「テイム、だっけか? それのシステムと同じだよ。獣憑きを治す為には、中に潜む霊獣と交渉する必要がある。相手の望みを聞き、それを叶える。すると向こうは納得して依代となった人間の身体から離れていく」
「同じですね」
「んで、お前はそのテイムを狼とその九尾の狐に試したんだな」
「はい」
「条件はなんだ。望みはなんだ」
「狼……紫苑については分かりません。中にいる魔狼とはまだ会話できていません。ですが、紫苑本人が望んでいた事を、僕は多分満たせたと思います」
「ふむ……。で九尾の方は?」
思案しながら煙を揺らす賀茂さんに僕はさきほどクカと話した内容を説明した。
「なるほどなるほど……恋愛ゲームね……傑作だな」
「面白くないですよ」
「面白くはないが、笑える。それを本気にしているお前含めな」
賀茂さんはそう言ってため息をついた。
「お前も元プロの調伏士なら分かるだろ? 狐の、ましてや九尾の狐の言う事をまともに、まっすぐに受け取ることの危うさが」
「それは……」
「良いか。調伏ってのは、相手の言いなりになることじゃねえ。時には強引に、もしくは陰湿な手を使ってでも、無理矢理その獣を叩き出してしまう事も重要なんだ。本来なら……奴らが出す条件、望み……これらは実現可能な物のはずなんだ。例えば世界の人口を半分にまで減らせとかは、物理的に不可能だろ? そういうアンフェアな事はしてこない。だが勿論例外もいるし、中には到底受け入れられない条件もある。例えば〇〇を殺せ……とかな」
そう言われて、僕は思い出す。そういえば向こうで、クカをテイムしようとした時も、無理難題を突きつけられたな。結局、他の魔獣達の力を使い、無理矢理違う形でテイムを成功させたのだが……。
「良いか、その九尾はかぐや姫よろしく、達成不可能な事は言っていないはずなんだ。四人の女を自分に惚れさせろなんて不可能に近いし、何より判定基準が曖昧すぎるだろ。もっかい思い出せ。九尾が出した条件はなんだ」
「……〝〝妾以外の者を全てテイムさせること〟、です」
僕の言葉を、賀茂さんは鼻で笑った。
「はん、ほれみろ。条件には、惚れさせろだの、恋愛しろだのは一切ないじゃねえか。要するにテイムさえ成功すれば良いんだよ。お前はその異世界で魔獣とやらをテイムする時に、毎度そいつをお前に惚れさせていたのか?」
「いえ、違います……」
「だろ? つまりはそういうことだ。テイムする過程で絆が生まれて、結果恋愛に繋がることはあるかもしれないが……その逆はない」
そうか……僕は、クカの言葉に騙されていたのか。確かに言われてみればその通りだった。
「くくく……お前の願望を読んだ狐に上手く騙されたな。腕、鈍ってるんじゃねえか?」
「願望って」
「そりゃあそうだろ。可愛い女の子達に惚れられたい、好きになってもらいたい。男ならまあ誰でも思い描く妄想だ」
僕はため息をついた。
「とにかく、いずれにせよ、お前はそのテイムとやらを成功させないといけない。そこに恋愛云々は関係ない……と言いたいところだが……」
賀茂さんはそう言葉を濁すと、二本目の煙草に火を付けた。
「思春期ど真ん中のお前らにとっちゃそれは同義かもしれんな。ふん、上手い事やりやがるな。流石は九尾の狐といったところか」
「僕はどうすれば良いのでしょうか?」
「すれば良いさテイムを。明日は満月だ。おそらく憑いている霊獣の影響も濃くなっていくだろう。そのテイムを使った狼だっけか? そいつにも変化があるだろうさ」
変化か。なんだか紫苑達に会うのが急に怖くなってきた。
「そういえば、肝心なことを聞くのを忘れていました。賀茂さんはどうして、ここに?」
「そりゃあそれが仕事だからな。獣憑きは放っておけば大変なことになる。だからそうなる前に調伏するのが俺の仕事だ。この街で、獣の気配があったから来たが……そこでお前を見付けた。だからこうして会いにきたってわけだ」
「じゃあもし僕がテイムに失敗したら?」
「なら、違う方法でやるだけだ。言ったろ? 時には、強引に無理矢理その獣を叩き出すこともあるって。まあ、それは荒療治だからな。依代の命は保証できない」
「はい?」
「まあそうならないように、頑張ってくれ。あと一つ言っておくと、その九尾の言う通り、獣憑きの場合、出す条件や望みについては……依代になった人間の感情や記憶に引っ張られることが多い。つまりどういうことか分かるか?」
条件が感情や記憶に引っ張られる。
「つまりだ、九尾の出した条件にも、依代になったその少女の想いや記憶、感情も関係している。お前、何か思い当たる事はないのか? これは俺の勘だが……そっちを解決させる方が早いと思うぞ。他の霊獣についてもそうだが……」
そう言って、賀茂さんが立ち上がった。
「ま、そういう事だ。とりあえず適当に観察はしておくが、基本的に俺は直接手は出さないつもりだ。余計に話がこじれそうだからな。協力はしてやるから……精々頑張れよ――少年」
「待ってください! まだ聞きたい事が!」
「心配しなくても、俺は近くにいる、じゃあな」
賀茂さんはそのまま去っていった。
色々と起こり過ぎて、頭の整理が出来ない。一体何が真実で何が嘘なのだろうか。
咲妃は……僕に何を望んでいるのだろうか。
そして、近くにいる、と言って去った賀茂さん。僕のその言葉の真意を数日後に知る事になる。
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