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10話:女神
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「やりました!?」
「だから、そういうの止めろってば。倒したよ。完膚なきにね。しかし、コアがないな……やはりマモノではない?」
駆け寄ってくるユーリにそう声を掛けながら、僕は【石灯籠切り虎徹】を解除した。
「そのようですね……ですが討伐できたのは上出来です!」
「僕もようやくこいつの事を掴めてきたよ」
この【回帰に至る剣】の性質が理解できた気がする。
因果が逆転しようが、こじつけだろうが――それが成立させしてしまえば、再現できる。
蟷螂を灯籠と見立てて、再現したように。
「アヤト凄いね! こんな短期間で2本も再現出来ちゃった!」
「ああ、そして僕はすべき事を理解してきたよ。僕に必要な物は知識だ」
「知識?」
「聖剣やら名剣やらの知識だよ。グリンやユーリの知識があったから、ムカデもエンプーサも倒せた。でも僕が知っていれば……もっと早く対処出来ていたかもしれない」
「……やはりその固有武装は危険です」
ユーリが警戒するように僕を見つめた。
「まあ、そう言わないでよ。使っている僕は善良な人間だよ」
「……自分で自分を善良と言うやつほど怪しいです」
「それにはあたしも同意するなー」
「おい、グリン、てめえ裏切るな」
グリンの声を聞いて、思い出した。
そういえばエンプーサは前回と違ってグレムリンのディータを従えていなかった。
なぜ、今回はいなかったのか。たまたま付いてこなかっただけかもしれない。
だけど、もしそうじゃないなら。
ディータはあの時、僕を可及的速やかに始末しろとエンプーサに忠告していたのを僕は思い出した。
あの時点で僕はエンプーサにとって脅威たり得ない存在だったはずだ。
では、なぜディータは警戒していたのか。
答えは一つだ。
エンプーサが、蜈蚣切かもしくは他の虫殺しの逸話がある聖剣を、再現させてしまうきっかけになってしまうかもしれないと分かっていたからだ。
ならば、なぜ今回は付いてこなかったのか。
「見捨てた……? エンプーサが撃破されると読んで?」
「どうしたのアヤト?」
「……仮にそう仮定すると、つまり――ディータには別に従えるべき存在がいる……という事になるのか?」
「そういえば、あのグレムリン、いないね」
僕は嫌な予感がした。もしディータがこの展開を予想していたのならば――当然その別の存在へとそれは報告しているだろう。
つまり――
「まだ終わってない!!」
僕は、【回帰に至る剣】を構えた。
もし僕の予想が当たっていれば――これほど当たってほしくない予想はないが――ディータがエンプーサよりも優先すべき存在、つまりエンプーサの上位存在がいるという事に他ならない。
「はいそこの君、正解! 二重丸をあげましょう!」
その凜とした声に僕は、いや僕だけじゃない、全員が震えた。
高速が交わる十字路の真ん中に、一人の女性が立っていた。
まるで夜の帳のように黒い、胸元が大胆に開き豊かな胸が見えるドレス。スリットからは艶めかしい生足が覗いている。
手には槍のような物を携えていた。三叉になった穂先を地面へと向けて、その反対側の石突は歪な王冠のような形になっており、その中で青色の炎が揺れていた。
僕にはそれが、冥府へと誘う死の灯りのように見えた。
紫に近い長い黒髪に、いっそ病的と言っても良いほどに白い肌。顔はこれまで見た誰よりも綺麗で、その金色の瞳から僕は目を離せなかった。
いや、目、どころの騒ぎではない。身体が1ミリたりとも動かせない。まるで全身に見えない圧が掛かっているかのようだ。
それは、どうやらグリンもユーリも同じのようだ。
僕達の前でその女性はにこやかに笑っており、僕はそこになぜか母性を感じていた。孤児である僕に母親の記憶なんて一つもないのに。
そしてふと僕の中で、とある言葉が浮かんだ。それはとてもしっくりとくる言葉だった。
あの女性は――きっと女神だ
「いやあ、驚きました。それなりに強いエンプーサちゃんがこうもあっさり倒されるとは。素晴らしいです」
僕は口を開ける事すら出来なかった。
「あのエーテル武器は危険です」
見れば、その女神の肩にはディータが座っていた。
「うんうん、凄いね。まさかまさかエーテルの性質を逆手に取った武器が出てくるとは思いませんでした」
「可及的速やかに排除すべきかと」
「あらら? 心配には及ばないですよ? 私へと届きうる刃は、これまでも、そしてこれからも存在しません」
女神が、一歩前へと出た。
ただそれだけで僕は、いや僕だけではない、ユーリも立っていられなくなり、僕と共に膝を地面へと付けた。
それだけでなく、身体にかかる重圧に耐えられず僕は両手すらも地面に付けて身体を支えた。【回帰に至る剣】を持っている余裕なんて何処にもない。
グリンですら、僕の肩にへばりついて顔を上げて居られないのが感触で分かる。
汗が止まらない。震えが止まらない。
端から見れば僕達は、まるで神に頭を垂れる敬虔な信者のように見えるだろう。
もしくは――死神に首を差し出す罪人か。
「さてさて……もう夜が明けたので、私もあんまり遊んではいられません。君達はここできっちりばっちり殺すべきなのでしょうが……それでは不公平ですね」
「……遊びが過ぎます」
「まあまあディータちゃん。そう言わずに。ちゃーんとお仕事しているでしょ? これはそう……ちょっとした賭けです。死ねば、それまで。生きれば……ふふふ」
「……理解不能」
「グレムリンは、そういう存在だからね。さてと、というわけで君達への対応を決めました! 発表します!」
会話を聞くだけで寒気がする。いつ、この命が消し飛んでもおかしくない状況だ。
なんだこいつは……なんなんだこいつは!
神の前では――僕達はあまりに無力だ。
「君達には――奈落に落ちていただきます! 無事地上に生還出来れば良し! 死んだら冥府で私とこんにちは! というわけで――逝ってらっしゃい」
女神の言葉と同時に、地面が消失した。
僕達が立っていたはずの高速なんて最初からなかったかのように消えて、僕とグリンとユーリは身動き一つ取れず、真下にいつの間にかぽっかりと空いた黒い大穴へと落ちていった。
☆☆☆
それは、走馬灯と呼ばれる物なのかもしれない。
僕は、昔日を思い出していた。
「師匠。柄だけ振って何の意味のあるんだ?」
まだ少年だった僕の言葉を聞いて、師匠は刀型の固有武装【牙鳴】の鞘で僕の頭をぽかりと叩いた。
「馬鹿野郎。もしその固有武装が光剣タイプなら、重さなんて感じねえ。つまり柄を振ってるのと一緒だ。だから意味があるんだよ。そこに刃があると想像してやれ。心の眼で見るって奴だ。まーあたしには見えねえけどな!」
女性にしては背が高く、腰まで届く髪をポニーテールにしている師匠が笑いながら煙草に火を付けた。
「ちぇ……やればいいんだろやれば」
僕は、黙々と素振りをするナナの横に再び立ち、【悔恨の柄】を振り始めた。
「師匠……素振りは暇だからまた聞かせてくれよ――ウメダダンジョンの話」
「ああん? めんどくせーよ」
「……私も聞きたい」
珍しくナナが口を開いた。汗が出るほど真剣に柄を振っているナナだが、僕は彼女も師匠の冒険譚が好きなのを知っていた。
「しゃあねえなあ。どこまで話したっけな」
「最初から……聞きたい」
「僕も同じく」
「やれやれ……まあルインダイバーになりたいお前らに言うのもなんだがな……あそこは地獄だ」
師匠はそう言って、煙を吐いた。ゆらりと揺れたその煙を視線で追う師匠の目はどこかもっと遠くを見ていた気がする。
師匠がゆっくりと語り始めた。
「【キャメロット】っていうSランクチームがあってな。まあそこのリーダーとは腐れ縁で。どうしてもあたしの力が必要って言うんで、奴らの深層潜行に付いていったんだ。表層、中層はまあ問題なかった。なんせSランクのチームだ。凄腕揃いの上に準備も入念だった。だがな――深層は別だ」
「何がそんなに違うんだ?」
「アヤト、黙って聞け。そして振れ。そうだな。ウメダダンジョンってのは、元々旧文明の遺跡にあったところに出来たってのは知っていると思う。昔は多分、たくさんの人が行き交う地下街だったんだろうな。だけど今じゃすっかりマモノの巣だ。だけどベースは、過去の人類が作り上げた場所だ。表層、中層まではそういう場所が続くんだが……深層は違う。あれはもう根本的に別世界だ」
「……別……世界」
ナナがそれだけを呟いた。
「ああ。でもな、決して知らない世界というわけではないんだ。なんだろうな……“人の想像出来る事は全て実現しうる”って大昔の人間が言ったらしいが、まさにその通りって感じだな。実在しないけど、知っている世界。概念が、伝説が、伝承が、実現しうる世界。地獄を見た事をある人間はいねえが、あそこには確かに地獄があった。人によったらあれは冥府だ、いや天国だ、と表現する奴もいるかもしれねえ。だけど、あたしは間違いなくあそこは地獄だったと断言出来る」
煙草を吸いきった師匠が煙草をクシャリと手で潰した。
「見た事もないマモノに襲われ、名前だけは知っている実在しないはずの化け物に命を刈り取られ、仲間は次々と倒れていった。気付けば、残ったのはあたしと【キャメロット】のリーダーだけだ。深層から逃げて、中層、表層と戻ってきたあたし達は、二度とダンジョンには潜らないと誓い合って別れた。深層で手に入った物もあるが……失った物に比べれば……クソみたいな物だ」
「そのリーダーは今は何をしているんだ?」
「――知らん」
僕の問いをにべもなくそう切り捨てた師匠の雰囲気を見て、僕もナナも話は終わりだと察した。
「いいか、お前ら。ルインダイバーになるのは止めやしないがな。深層だけは絶対に手を出すな。特にアヤト! お前はただですら、まだ固有武装を扱えてないんだ。夢にも思うんじゃねえぞ」
「うるせえ! いつか絶対にこいつは強くなるんだ! 僕は諦めないぞ!」
「大丈夫……アヤトは強いから」
「模擬戦ではナナには一度も勝ててないがな」
師匠の言葉に僕は拗ねた声を出した。
「固有武装さえ……」
「アヤトの強さはそこじゃない。絶対に諦めない心……それがアヤトの強さ」
「まあ、お前らは良いコンビかもな。ナナは観察眼もあるし腕も良い。けど、実力があるがゆえに諦めも早い。逆にアヤトは実力もねえくせに考え無しに突っ込むが……それで活路が開く事もある」
「僕は大器晩成型なんだ!」
「へいへい。ならもっと真剣に振れ。いつか、そいつがお前の本当の武器になった時に、ちゃんとそれ相応の力を付けておく事だ。手に余る力は……代償を伴うぞ」
その懐かしい光景が消えていく。
結局師匠はダンジョンで死んだ。なぜ誓いを破ってまでダンジョンに潜ったのかは分からない。
ナナと立ち上げたダイバーチーム【アルビオン】は僕抜きで今どんどん成長している。
そして僕は――ようやく力を手に入れた。
僕はそれを持つに相応しい存在なのだろうか。
手に余る力を手に入れてしまったのではないだろうか。
代償は……何になるんだろうか。
そんな風に思考がぐるぐると回転し――やがて闇に飲まれた。
☆☆☆
「……トさん……アヤトさん!!」
意識が覚醒する。
僕はがばりと上半身を起こすと同時に、目の前にあったユーリの額に頭をぶつけてしまった。
「痛つつ……」
「ちょっと大丈夫? 生きてる?」
グリンが心配そうな声を出している。どうやら彼女も無事なようだ。
「なん……とか」
僕は後頭部の柔らかい感触にそこで気付いた。目の前には涙目になって僕を睨みつけるユーリの顔。その奥にはゴツゴツとした岩肌の天井が見えた。
「あ……れ?」
「……意識を戻したのならさっさとどいてください……」
ぷいっと顔を逸らしたユーリの太ももから僕は顔を上げた。どうやら僕はユーリに膝枕をしてもらっていたようだ。
……。別に何も僕は思わないさ。クールだ。クールさが大事なんだ。
「二人とも顔が若干赤いけど?」
グリンがにやにやしながらそう聞いてきた。
「気のせいです!」
「気のせいだろ」
僕とユーリの声が重なる。いやいや、今はこんな事をしている場合ではない。
「ここは?」
「分かりません。高速から下に落ちた……事だけは分かりますが。私も気付けば、ここにいました。でも落ちてきたはずなのになぜかここの天井は塞がっています。意識を失っている間に運ばれた……という可能性もありますが」
そこは洞窟の中だった。歪な円の形をした空間で、反対側の壁に出口があった。なぜだろうか、灯りはないはずなのに妙に明るい。
「単純に考えれば……ウメダダンジョンの表層だろうが……ここでは判断が付かないな。こんな場所、僕は知らない」
「ええ。私の記憶にもありません。ウメダダンジョンの表層は日々広がっていますから、全てを把握しているわけではないですが……」
「とにかく、ここから出るしかないんじゃないの?」
「まあね」
僕は【回帰に至る剣】がすぐ傍に落ちていた事に安堵した。とりあえず武器はある。
「行きましょうか」
グリンを肩に乗せた僕はユーリと共に部屋の出口から続く通路を進んでいく。
今のところ、マモノの反応はない。
僕達は無言だった。あの女神は何だったのか。なぜこんなところに落とされたのか。疑問は山ほどあった。それについて話したかった。
でも、僕はあの女神について……口にする事さえも躊躇ってしまっている。
多分、グリンも、ユーリも同じ気持ちだろう。
結局――僕らがあの女神について思考する余裕が出来るのは――随分と先の話になる。
なぜなら。
通路の出口の先には広大な空間が広がっており、その場所を表現するにはこの言葉を使うしかなかったからだ。
そこはまさしく――地獄だった。
「だから、そういうの止めろってば。倒したよ。完膚なきにね。しかし、コアがないな……やはりマモノではない?」
駆け寄ってくるユーリにそう声を掛けながら、僕は【石灯籠切り虎徹】を解除した。
「そのようですね……ですが討伐できたのは上出来です!」
「僕もようやくこいつの事を掴めてきたよ」
この【回帰に至る剣】の性質が理解できた気がする。
因果が逆転しようが、こじつけだろうが――それが成立させしてしまえば、再現できる。
蟷螂を灯籠と見立てて、再現したように。
「アヤト凄いね! こんな短期間で2本も再現出来ちゃった!」
「ああ、そして僕はすべき事を理解してきたよ。僕に必要な物は知識だ」
「知識?」
「聖剣やら名剣やらの知識だよ。グリンやユーリの知識があったから、ムカデもエンプーサも倒せた。でも僕が知っていれば……もっと早く対処出来ていたかもしれない」
「……やはりその固有武装は危険です」
ユーリが警戒するように僕を見つめた。
「まあ、そう言わないでよ。使っている僕は善良な人間だよ」
「……自分で自分を善良と言うやつほど怪しいです」
「それにはあたしも同意するなー」
「おい、グリン、てめえ裏切るな」
グリンの声を聞いて、思い出した。
そういえばエンプーサは前回と違ってグレムリンのディータを従えていなかった。
なぜ、今回はいなかったのか。たまたま付いてこなかっただけかもしれない。
だけど、もしそうじゃないなら。
ディータはあの時、僕を可及的速やかに始末しろとエンプーサに忠告していたのを僕は思い出した。
あの時点で僕はエンプーサにとって脅威たり得ない存在だったはずだ。
では、なぜディータは警戒していたのか。
答えは一つだ。
エンプーサが、蜈蚣切かもしくは他の虫殺しの逸話がある聖剣を、再現させてしまうきっかけになってしまうかもしれないと分かっていたからだ。
ならば、なぜ今回は付いてこなかったのか。
「見捨てた……? エンプーサが撃破されると読んで?」
「どうしたのアヤト?」
「……仮にそう仮定すると、つまり――ディータには別に従えるべき存在がいる……という事になるのか?」
「そういえば、あのグレムリン、いないね」
僕は嫌な予感がした。もしディータがこの展開を予想していたのならば――当然その別の存在へとそれは報告しているだろう。
つまり――
「まだ終わってない!!」
僕は、【回帰に至る剣】を構えた。
もし僕の予想が当たっていれば――これほど当たってほしくない予想はないが――ディータがエンプーサよりも優先すべき存在、つまりエンプーサの上位存在がいるという事に他ならない。
「はいそこの君、正解! 二重丸をあげましょう!」
その凜とした声に僕は、いや僕だけじゃない、全員が震えた。
高速が交わる十字路の真ん中に、一人の女性が立っていた。
まるで夜の帳のように黒い、胸元が大胆に開き豊かな胸が見えるドレス。スリットからは艶めかしい生足が覗いている。
手には槍のような物を携えていた。三叉になった穂先を地面へと向けて、その反対側の石突は歪な王冠のような形になっており、その中で青色の炎が揺れていた。
僕にはそれが、冥府へと誘う死の灯りのように見えた。
紫に近い長い黒髪に、いっそ病的と言っても良いほどに白い肌。顔はこれまで見た誰よりも綺麗で、その金色の瞳から僕は目を離せなかった。
いや、目、どころの騒ぎではない。身体が1ミリたりとも動かせない。まるで全身に見えない圧が掛かっているかのようだ。
それは、どうやらグリンもユーリも同じのようだ。
僕達の前でその女性はにこやかに笑っており、僕はそこになぜか母性を感じていた。孤児である僕に母親の記憶なんて一つもないのに。
そしてふと僕の中で、とある言葉が浮かんだ。それはとてもしっくりとくる言葉だった。
あの女性は――きっと女神だ
「いやあ、驚きました。それなりに強いエンプーサちゃんがこうもあっさり倒されるとは。素晴らしいです」
僕は口を開ける事すら出来なかった。
「あのエーテル武器は危険です」
見れば、その女神の肩にはディータが座っていた。
「うんうん、凄いね。まさかまさかエーテルの性質を逆手に取った武器が出てくるとは思いませんでした」
「可及的速やかに排除すべきかと」
「あらら? 心配には及ばないですよ? 私へと届きうる刃は、これまでも、そしてこれからも存在しません」
女神が、一歩前へと出た。
ただそれだけで僕は、いや僕だけではない、ユーリも立っていられなくなり、僕と共に膝を地面へと付けた。
それだけでなく、身体にかかる重圧に耐えられず僕は両手すらも地面に付けて身体を支えた。【回帰に至る剣】を持っている余裕なんて何処にもない。
グリンですら、僕の肩にへばりついて顔を上げて居られないのが感触で分かる。
汗が止まらない。震えが止まらない。
端から見れば僕達は、まるで神に頭を垂れる敬虔な信者のように見えるだろう。
もしくは――死神に首を差し出す罪人か。
「さてさて……もう夜が明けたので、私もあんまり遊んではいられません。君達はここできっちりばっちり殺すべきなのでしょうが……それでは不公平ですね」
「……遊びが過ぎます」
「まあまあディータちゃん。そう言わずに。ちゃーんとお仕事しているでしょ? これはそう……ちょっとした賭けです。死ねば、それまで。生きれば……ふふふ」
「……理解不能」
「グレムリンは、そういう存在だからね。さてと、というわけで君達への対応を決めました! 発表します!」
会話を聞くだけで寒気がする。いつ、この命が消し飛んでもおかしくない状況だ。
なんだこいつは……なんなんだこいつは!
神の前では――僕達はあまりに無力だ。
「君達には――奈落に落ちていただきます! 無事地上に生還出来れば良し! 死んだら冥府で私とこんにちは! というわけで――逝ってらっしゃい」
女神の言葉と同時に、地面が消失した。
僕達が立っていたはずの高速なんて最初からなかったかのように消えて、僕とグリンとユーリは身動き一つ取れず、真下にいつの間にかぽっかりと空いた黒い大穴へと落ちていった。
☆☆☆
それは、走馬灯と呼ばれる物なのかもしれない。
僕は、昔日を思い出していた。
「師匠。柄だけ振って何の意味のあるんだ?」
まだ少年だった僕の言葉を聞いて、師匠は刀型の固有武装【牙鳴】の鞘で僕の頭をぽかりと叩いた。
「馬鹿野郎。もしその固有武装が光剣タイプなら、重さなんて感じねえ。つまり柄を振ってるのと一緒だ。だから意味があるんだよ。そこに刃があると想像してやれ。心の眼で見るって奴だ。まーあたしには見えねえけどな!」
女性にしては背が高く、腰まで届く髪をポニーテールにしている師匠が笑いながら煙草に火を付けた。
「ちぇ……やればいいんだろやれば」
僕は、黙々と素振りをするナナの横に再び立ち、【悔恨の柄】を振り始めた。
「師匠……素振りは暇だからまた聞かせてくれよ――ウメダダンジョンの話」
「ああん? めんどくせーよ」
「……私も聞きたい」
珍しくナナが口を開いた。汗が出るほど真剣に柄を振っているナナだが、僕は彼女も師匠の冒険譚が好きなのを知っていた。
「しゃあねえなあ。どこまで話したっけな」
「最初から……聞きたい」
「僕も同じく」
「やれやれ……まあルインダイバーになりたいお前らに言うのもなんだがな……あそこは地獄だ」
師匠はそう言って、煙を吐いた。ゆらりと揺れたその煙を視線で追う師匠の目はどこかもっと遠くを見ていた気がする。
師匠がゆっくりと語り始めた。
「【キャメロット】っていうSランクチームがあってな。まあそこのリーダーとは腐れ縁で。どうしてもあたしの力が必要って言うんで、奴らの深層潜行に付いていったんだ。表層、中層はまあ問題なかった。なんせSランクのチームだ。凄腕揃いの上に準備も入念だった。だがな――深層は別だ」
「何がそんなに違うんだ?」
「アヤト、黙って聞け。そして振れ。そうだな。ウメダダンジョンってのは、元々旧文明の遺跡にあったところに出来たってのは知っていると思う。昔は多分、たくさんの人が行き交う地下街だったんだろうな。だけど今じゃすっかりマモノの巣だ。だけどベースは、過去の人類が作り上げた場所だ。表層、中層まではそういう場所が続くんだが……深層は違う。あれはもう根本的に別世界だ」
「……別……世界」
ナナがそれだけを呟いた。
「ああ。でもな、決して知らない世界というわけではないんだ。なんだろうな……“人の想像出来る事は全て実現しうる”って大昔の人間が言ったらしいが、まさにその通りって感じだな。実在しないけど、知っている世界。概念が、伝説が、伝承が、実現しうる世界。地獄を見た事をある人間はいねえが、あそこには確かに地獄があった。人によったらあれは冥府だ、いや天国だ、と表現する奴もいるかもしれねえ。だけど、あたしは間違いなくあそこは地獄だったと断言出来る」
煙草を吸いきった師匠が煙草をクシャリと手で潰した。
「見た事もないマモノに襲われ、名前だけは知っている実在しないはずの化け物に命を刈り取られ、仲間は次々と倒れていった。気付けば、残ったのはあたしと【キャメロット】のリーダーだけだ。深層から逃げて、中層、表層と戻ってきたあたし達は、二度とダンジョンには潜らないと誓い合って別れた。深層で手に入った物もあるが……失った物に比べれば……クソみたいな物だ」
「そのリーダーは今は何をしているんだ?」
「――知らん」
僕の問いをにべもなくそう切り捨てた師匠の雰囲気を見て、僕もナナも話は終わりだと察した。
「いいか、お前ら。ルインダイバーになるのは止めやしないがな。深層だけは絶対に手を出すな。特にアヤト! お前はただですら、まだ固有武装を扱えてないんだ。夢にも思うんじゃねえぞ」
「うるせえ! いつか絶対にこいつは強くなるんだ! 僕は諦めないぞ!」
「大丈夫……アヤトは強いから」
「模擬戦ではナナには一度も勝ててないがな」
師匠の言葉に僕は拗ねた声を出した。
「固有武装さえ……」
「アヤトの強さはそこじゃない。絶対に諦めない心……それがアヤトの強さ」
「まあ、お前らは良いコンビかもな。ナナは観察眼もあるし腕も良い。けど、実力があるがゆえに諦めも早い。逆にアヤトは実力もねえくせに考え無しに突っ込むが……それで活路が開く事もある」
「僕は大器晩成型なんだ!」
「へいへい。ならもっと真剣に振れ。いつか、そいつがお前の本当の武器になった時に、ちゃんとそれ相応の力を付けておく事だ。手に余る力は……代償を伴うぞ」
その懐かしい光景が消えていく。
結局師匠はダンジョンで死んだ。なぜ誓いを破ってまでダンジョンに潜ったのかは分からない。
ナナと立ち上げたダイバーチーム【アルビオン】は僕抜きで今どんどん成長している。
そして僕は――ようやく力を手に入れた。
僕はそれを持つに相応しい存在なのだろうか。
手に余る力を手に入れてしまったのではないだろうか。
代償は……何になるんだろうか。
そんな風に思考がぐるぐると回転し――やがて闇に飲まれた。
☆☆☆
「……トさん……アヤトさん!!」
意識が覚醒する。
僕はがばりと上半身を起こすと同時に、目の前にあったユーリの額に頭をぶつけてしまった。
「痛つつ……」
「ちょっと大丈夫? 生きてる?」
グリンが心配そうな声を出している。どうやら彼女も無事なようだ。
「なん……とか」
僕は後頭部の柔らかい感触にそこで気付いた。目の前には涙目になって僕を睨みつけるユーリの顔。その奥にはゴツゴツとした岩肌の天井が見えた。
「あ……れ?」
「……意識を戻したのならさっさとどいてください……」
ぷいっと顔を逸らしたユーリの太ももから僕は顔を上げた。どうやら僕はユーリに膝枕をしてもらっていたようだ。
……。別に何も僕は思わないさ。クールだ。クールさが大事なんだ。
「二人とも顔が若干赤いけど?」
グリンがにやにやしながらそう聞いてきた。
「気のせいです!」
「気のせいだろ」
僕とユーリの声が重なる。いやいや、今はこんな事をしている場合ではない。
「ここは?」
「分かりません。高速から下に落ちた……事だけは分かりますが。私も気付けば、ここにいました。でも落ちてきたはずなのになぜかここの天井は塞がっています。意識を失っている間に運ばれた……という可能性もありますが」
そこは洞窟の中だった。歪な円の形をした空間で、反対側の壁に出口があった。なぜだろうか、灯りはないはずなのに妙に明るい。
「単純に考えれば……ウメダダンジョンの表層だろうが……ここでは判断が付かないな。こんな場所、僕は知らない」
「ええ。私の記憶にもありません。ウメダダンジョンの表層は日々広がっていますから、全てを把握しているわけではないですが……」
「とにかく、ここから出るしかないんじゃないの?」
「まあね」
僕は【回帰に至る剣】がすぐ傍に落ちていた事に安堵した。とりあえず武器はある。
「行きましょうか」
グリンを肩に乗せた僕はユーリと共に部屋の出口から続く通路を進んでいく。
今のところ、マモノの反応はない。
僕達は無言だった。あの女神は何だったのか。なぜこんなところに落とされたのか。疑問は山ほどあった。それについて話したかった。
でも、僕はあの女神について……口にする事さえも躊躇ってしまっている。
多分、グリンも、ユーリも同じ気持ちだろう。
結局――僕らがあの女神について思考する余裕が出来るのは――随分と先の話になる。
なぜなら。
通路の出口の先には広大な空間が広がっており、その場所を表現するにはこの言葉を使うしかなかったからだ。
そこはまさしく――地獄だった。
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