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第五章『開戦』
154話 損害保険のはじまり
しおりを挟む「あ~。眠いわ~」
朝から帳簿で使途不明金を見つけて、僕が状況把握に忙殺されているところに、眠そうな義母さんが数日ぶりに帰ってきた。
「おかえり! ちょうど良かった。僕らだけじゃもうもたないから、仕事手伝ってよ」
義母さんが救世主に見えたことなど、人生でそうなかっただろう。
今朝から、またうちの屋敷周辺は渋滞している。
周辺の商家が自邸の停車場を有料で解放してくれたようだが、焼け石に水である。一応、家の者を手土産付きで謝罪に回らせているが、ご近所の皆さまは本当に心が広い。
使途不明金もショックだが、渋滞問題も日々深刻化していく。
「ごめんねー。ちょっと寝るわ。起きて時間があったら手伝うから」
そう言って、義母さんは寝室に消えてようとする。僕の机の上に隙間なく手紙の束が積まれているのを見たはずなのに、ちょっとイラッとする。
「その前に! 出兵前、僕らが領地に戻ってる間に、父上が金貨五千枚を持ち出してたみたいなんだけど、何か聞いてない?」
基本、親父は屋敷にあるコンストラクタ家の資金を自由に使うことができる。当主だから当然だが、ほとんどの支出には用途の記録が残っているのに、この支出には記録がない。
クソ親父はお金に執着がなさそうと思っていたけど、使途を隠すようなら、考えを変えないとないとならないだろう。
「聞いてないわね。あ、でも、ヴォイド、冒険者時代に孤児院を見かけると寄附してたわ。最近は貧乏だったからまったくできてないし、それかも。あとは何か武器でも買ったかな? いや、でもそれだったら見せに来そうな気も……。何? それって家が傾くほどの額なの?」
振り返った義母さんの顔には、化粧で隠しきれないクマが浮かんでいた。不機嫌な視線に、ちょっと怯む。
「いや、傾くほどではないかな?」
確かに我が家にとって、金貨五千枚はすぐに用意できない金額ではない。
あの金貨五千枚は、親父が破壊した闘技場の修繕費用の支払いのために残していたものだ。修繕が終わった時点での請求になるので、少し前なら手付金ぐらいは用意しておかないと、分割払いでも滞る可能性があった。
だが今や、各方面に投資している資金の再投資を、少し延期するだけで捻出できる額になっている。
「なら、今は何とかしておいて。ヴォイドが帰ってきたら締めてあげるから。私を置いて逃げたのも、絶対、許さない」
怨念のこもった声で、もう義母さんの顔が見れない。帰ってきたら、親父は地獄を見ることになるだろう。
義母さんは廊下を歩いていたメイドに声をかけ、お湯を持ってくるよう指示して寝室に消えた。
「坊ちゃん、ハーディさんたちが来られてますぜ?」
それまで隠れていたシーピュが、顔をだして声をかけてくる。こちらの顔色は、赤みが戻ってきて随分とマシになった。
まだ痛みが残っていて、護衛には復帰できないらしいが。
「ありがとう。第三応接室に通して」
ちょっとホッとした僕は、踵を返して応接室へ向かう。
「そう思ったんで、もう案内しておきました」
シーピュ、元狩人なのに、貴族の屋敷に馴染んでいる。いや、僕も他人のことは言えないけど。
第三応接室の扉を開けると、ハーディさんとモモさんが立ち上がって迎えてくれる。
「急な訪問にもかかわらず、ありがとうございます」
冒険者ギルドのモモさんまでいるのは意外だ。
「ちょっと立て込んでるんだ。話は手短にしてくれるとありがたいな」
「お屋敷の周りが凄かったので、承知しておりますよ。ではまず、こちらがマイナ様からのお手紙になります。確かにお渡ししましたよ。そして、こちらが我が商会の収支報告書。あとは行商人ギルドより、ギルド経由の融資の是非について、回答をせっつかれておりまして」
マイナ先生からの手紙はあとでゆっくり読むとして、とりあえず商会の報告書をめくる。気になるのはうちへの納税額だ。
「納税額は年額で金貨三千枚ね。順調に増やしてくれているみたいで、ありがとう」
メイドに出されたお茶を一口。順調すぎてニヤけてくる。
「いえ、それは月額です」
「ごふっ」
お茶を吹きそうになって、ギリギリで耐えた。唇の端から垂れたお茶をハンカチで拭う。
「その額には、銀行からうちに任された融資の利益も入っています。融資によってうちの傘下にくだる商会も増えてきていますので、年末にはもう少し増えるのではないかと」
年額で三万六千枚以上。出会って半年ほどで、一万倍の利益を上げている計算になる。うちからの馬車やかなりの資金の提供はあったけど、どうやったらそうなるかちょっと想像がつかない。
「そ、そうなんだ。そりゃ渋滞も起きるわけだ」
この商会の後ろ盾はうちだ。しかも、うちには収入源が他にもたくさんある。他の貴族家がどの程度の規模の収入かは分からないが、コンストラクタ家に近づけば儲かるぐらいのことは思われていそうだ。
昨日今日と届いた手紙も相変わらずで、庇護を失った男爵や騎士爵が寄子にして欲しいというお願いだったり、融資や後ろ盾を希望するものだったりと、うちみたいな下級貴族に対するものとは思えない。げに恐ろしきは金の力といったところか。
その他にも、僕らが茶会や夜会に出席したことで、社交の場への招待状がさらに増え、時計の共同開発に一枚噛みたいという申し出も増えている。こちらは高位の貴族からで、派閥もバラバラだ。
「まだまだ、これからですよ。銀行によって金蔵で眠っていた金貨が目醒めたせいで、多分もうすぐとんでもない好景気が来ますよ。坊ちゃんの言葉を借りれば、需要と供給っていうんですか? 金貨の価値がどんどん下がって、商人はとんでもない儲けをだしていますので」
通貨が市場に溢れると、供給過多になって価値が下がる。そうなると物の値段が上がり、労働者の給料も上がる。収入の額面が上がると消費額も大きくなって、一気に好景気になるのだ。
「そろそろ物々交換はなくなりそうだね」
通貨が金蔵にしまわれていただけだった頃は、市場の通貨が不足して、地方、例えばコンストラクタ村などでは、村人は物々交換をせざるをえなかった。いらないものと物々交換するのはもったいないので、村の人は色々苦労していた。
「ええ。コンストラクタ村の村人も、今じゃ普通に銀貨銅貨を使っていますよ」
それは良かった。
「イント様。それで、あの企画書は検討していただけましたか?」
モモさんが口をはさんでくる。モモさんが提案してきたのは、様々なギルドの支部すべてに、銀行の支店の機能を与えようというものだった。
例えば、冒険者ギルド。冒険者たちはほとんどの者が自宅を持っておらず、しかも仕事を求めて全財産を持ったまま放浪しているため、気を抜いた瞬間盗みにあってしまうのだ。
もちろん、装備を失い、無一文になったら、冒険者としての生活は崩壊するのだろう。
現状の仕組みでも、それを防ぐ預け金制度があるが、支部をまたいでは共有できないので、結局移動中を狙われてしまう。
銀行の支部間送金なら、冒険者が旅の途中で襲われても、山賊には現金は渡らない。そうなれば山賊の資金源を断てて、移動の安全性が向上する。
さらに、優秀な冒険者に資金を貸し出せれば、さらに高度な依頼をこなせるようになる。もちろん、誰にでもとは行かないので、審査は必要になる。
今人材不足で滞っている銀行の機能を、すべてのギルドが分散して持てるようになるという企画だ。
「とても良いと思います。ただ、いくつか注文があります」
手短に伝えないと、時間が足りない。
「まず、ギルド間の支払いも銀行経由で行ってください。そして、都市間での決済書類輸送、都市内での決済書類輸送体制を構築してください。この書類輸送網には、一般の手紙も含めてください」
要は郵便網の構築である。学校の社会科見学で見たような郵便の体制はこの世界にはない。手紙を運んでもらおうと思えば、誰かに頼まなければならない。
だからうちの周りは渋滞しているのだ。こんなもの、前世のような郵便網があれば多分起こらない。
「わかりました。行商人ギルドと馬借ギルドに声をかけましょう」
おっと、忘れかけた。
「将来的には、主要都市に空港を作り定期飛行船で結びます。そこに書類を乗せますので、それを事前に考慮して構築を進めてくださいね」
二人は真剣にメモを取っている。まだ羽ペンを使っているようだ。
「わかりました。検討しますが、空港を整備する予定の都市のリストは事前に頂けると助かります」
よし。検討しますと言った。これでこの仕事はこの二人のものだ。
「わかったよ。できたら届ける。あとは、そうだなぁ。融資にはリスクがつきものなんだ。貸した相手が死んだりね。その場合のリスクは、各ギルドで負ってください」
各ギルドとうちの銀行は別の組織だ。適当な審査をされたら、うちの銀行が損をして潰れるかもしれない。
「すいません。どういう意味でしょうか?」
モモさんは理解が追い付いていなかったらしい。うっすらと汗をかきはじめている。
「つまり、ギルド経由でお金を貸した相手が返済できなかった場合は、ギルドがその損失を補填してください」
モモさんの目が泳ぐ。さすがに条件が一方的すぎたか。
「そのかわり、融資の利子というか配当は、ギルドと銀行で半分ずつにしましょう」
「な、なるほど。しかしそれでもギルドの負担が……」
前例がないだけに、不安なのだろう。リスクの不安を軽減するもの。前世では何かあっただろうか?
「なら、保険の仕組みを作ろうか」
「保険、ですか?」
思いつきで喋ったが、やはり伝わらなかったか。
前世では当たり前だった保険。実は高校の世界史でも習っている。大航海時代後期の貿易船にかけられた損害保険がそれだ。あの時の先生の余談も面白かったが、それはまぁどうでも良い。
「そうそう。少額ずつ多数の人にお金を出し合ってもらい、契約に従って、損失が出た場合に補填する仕組みかな。あらかじめ借主に保険金を払ってもらうんだ」
ガラスペンで、卓上の白紙に図を書いて見せる。
「なるほど。面白いですね。 んん? ちょっと待ってください。その仕組み、教会で禁止している現金での利子支払いの回避手段になるんじゃないですか?」
ハーディさんが図を見ながら考え込み始める。さすが商売人だ。
製塩所の開発でもそうだったが、現金での利子は宗教的に禁止されているので、何か物で受けとる必要がある。塩なら電気分解に回せるが、それ以外の場合は現金化という手間がかかる。
通貨が潤沢になったのなら、利子を現金で支払ってもらうのが一番手間がかからなくて良い。
「そんなことできるんですか? その辺、さっぱりわからないんですけど」
モモさんも何かに気づいたらしかった。
「素晴らしいアイデアです。早速知り合いの司祭様に、問題ないか確認してみましょう」
「忙しくなりますね」
ハーディさんとモモさんは、満足した様子で席を立った。二人は有能だから、あっという間に通じ合ったらしい。
「いろいろよろしくね。あ、これ、忙しい二人にプレゼント」
帰り際に、装飾控えめのガラスペンが入った箱を持たせる。そんなに高価ではないのに珍しく、美しい上に実用的。プレゼントにはとっても便利だ。
有意義な仕事をしてくれる人には、どんどん配っていこう。
応援ありがとうございます!
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