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第五章『開戦』
153話 【閑話】たねあかし
しおりを挟む「言われたとおりにしたけど、あれで良かった?」
夜会が終わって、控室に戻ってきた王太子が、同行した宰相に聞いた。
「ええ。ありがとうございます。襲撃がなかったのは残念ですが、これで、王家とコンストラクタ家の関係が貴族たちの間に知れ渡ることになるでしょう」
服の下賜は関係が親密であることを意味するし、王族が近衛騎士以外に帯剣を許すのは、命を預けるほどの信頼を意味する。
夜会に来た貴族たちは、暗黙の了解でイントに丁寧な対応をしていた。
「いよいよ昇爵かぁ。しかし、なんでコンストラクタ家は男爵家のままなの? どう考えても功績と爵位が見合ってないよね?」
侍女に上着を脱がしてもらい、王太子はドカッとソファに座る。目の前のテーブルには、豪華な食事が置かれていた。王太子たっての希望で、一品ずつ運ばれてくる方式ではなく、すべてのメニューを机の上にすべて並べる方式になっている。
テーブルの向かいにも同じものが用意されていて、そこに宰相が座った。
「ええ。その通りです。かの家を興したヴォイド卿は、国土奪還戦争の英雄でしたが、和平成立後に出撃し、国境沿いにいたナログ共和国の部隊を壊滅に追いやりました。それが独断での出撃と言われ、命令無視と反逆罪の疑いがかけられたのです。嫌疑不十分で罪にはなりませんでしたが、これまでは彼の昇爵に反対する貴族も多かったのです」
王太子はシャツの首元を緩めると、天井を睨んだまま溶錬水晶の杯に満たされた果実水をグビリと一気飲みする。
「ヴォイド卿は騙されたんだよね?」
宰相も、用意された赤ワインをチビリと舐めるように飲む。
「ええ。ヴォイド卿を騙した本人は、その後拷問にかけられ、騙したことを自白いたしました。しかし、黒幕は判然とせず、かの家を重用することでナログ共和国の不興を買ってしまう可能性もあったのです」
あの戦争で、まったく領土を獲得できなかったナログ共和国の被害は大きかった。当時は卑怯な奇襲として、恨みはすべてヴォイドに向けられ、引き渡し運動が起きたほどだ。
「なるほど~。今は公国派貴族は派閥ごと失脚、古典派はコンストラクタ家に抱き込まれて、昇爵に反対していた勢力は一掃されていってるもんね。しかも今や、ナログ共和国もコンストラクタ家の技術が欲しいと……。今回の件も考え合わせると、すごい策だよね」
王太子は常に誰かと会話をしていたので、食事などできていない。だが話題になった時対応できるよう、夜会で供された料理をそのまま出してもらっている。
最初に口をつけたのは商業都市ビットから手土産として持ち込まれた海の魚の塩漬けのスープだ。
「恐れ入ります。しかし、今回の策はまだまだ終わりではありません。公国が陥落すれば、より完全な形で場を整えて見せますよ」
「へぇ。他にもまだ何かあるんだ。それは楽しみだな。でも、なぜ一介の男爵家に、そこまでするのさ?」
パンは、焼くまでに二日かけた料理長自慢の逸品で、とても柔らかい。
「理由は二つあります。一つ目は、ヴォイド卿やジェクティ夫人を他国にやらないためです。彼らは、下手をするとこの王宮を独力で破壊可能な特級戦力なので、他国に渡って我が国に矛先を向けられるわけにはいきません。
二つ目は、イント卿とストリナ嬢の存在です。今日あの二人に会ってみてどうでした?」
ぞんざいに、しかし完璧な所作で、二人は順番を無視した食事を進めていく。
「いや、本当にあいつら何なの? あれで九歳と六歳とかとか、おかしいよね」
宰相は骨喰牛のステーキが気に入ったらしい。ワインと柔らかな肉を交互に味わう。
「なかなか面白かったでしょう?」
侍女に冷えた果実水を注いでもらいながら、王太子は温野菜のサラダを口に運ぶ。
「面白いのは間違いないけど、なんか知識偏ってなかった? 『振り子の原理』とか、誰も知らないことを知っているのに、多分服の下賜の意味とか、俺の前で剣を持てる意味とか、誰でも知ってることを知らない感じだった」
宰相はぐびりとワインを飲み干し、侍従におかわりを催促する。
「まさにそれが、イント卿を手厚く遇して、手放してはならない理由ですよ。彼はその話をした時、『振り子の原理を使えばできると聞いたことがある』と言ったでしょう? あんな知識、一体誰に聞けるんでしょうね?」
王太子の視線が、宰相の上空を泳ぐ。それから思い出したように、スープの中の塩漬け肉を拾って食べる。
「普通に考えれば、父であるヴォイド卿からでしょ? 東方の仙境育ちで、ここにない技術を知っていてもおかしくないし」
宰相は注がれたワインを一口飲んで、幸せそうに息を吐く。
「良い着眼点です。次はその予測が正しいか、確認するようにせねばなりませんな」
王太子は、首を捻りながら、ステーキとパンを交互に食べる。
「と、いうことは、違うの?」
宰相はうなずく。
「ええ。陛下は、病の予防法や治療法がコンストラクタ家からもたらされた時点で、監査という名目で密偵を放たれました。今も内情を探り続けていますが、ヴォイド卿はそのような知識や文献は持っていないようなのですよ」
王太子の手が止まる。口はポカンと開いたままだ。
「あいつは短期間で『天船』を建造したんだよね。試行錯誤もほとんどなしだったらしいし、あらかじめ作り方を知っていたとしか考えられないんだけど。ということはまさか、あれは本当に天使か悪魔の加護を受けているってこと?」
宰相は満足げに微笑んだ。
「殿下は本当に成長なさいましたな。その通りです。陛下も私も、その可能性が一番高いのではないかと考えています。もう少し短絡的ですが、おそらく市井の者も同じように考えているでしょう」
手元のフォークを置いて、王太子は考え始める。
「待て。そうなると、天使か悪魔、どちらの加護を受けているかは重要な問題になるんじゃ。コンストラクタ家は加護の有無を明らかにしていないんでしょ? 確認したほうが良いんじゃないか」
宰相はワインが気にいったらしく、さらに杯を干す。今度は木の実の酢漬けを、ちびちびと食べている。
「まぁ、聖霊を見ることができる聖紋布があれば、姿を見ることは可能でしょう。命じれば、イント卿も契約聖霊を見せてくれるかもしれません。では、天使と悪魔はどう見分けるのでしょうか?」
王太子は食事どころではなくなってしまったらしい。
「それは、色だったような?」
「そう。色です。しかし、そのことに触れられているのはテレース派があがめる『聖典の手引き』のみ。登場する代表的な悪魔は黒ですが、なぜ悪魔と認定されているかはご存知ですか?」
「確か、神の意思を無視して、人類に神術を授けたから?」
王太子はさほど熱心な信徒ではないため、暗記は不十分だ。
「そう。その通り。ちなみにイント卿は、弟子となった錬金術師たちに『現象の観察、仮説の構築、実験による立証』を教えているそうです。正解を聖典や手引きに置くのではなく、神に与えられた世界を見ろと。ならば、悪魔に授けられたという神術を、今も我々が使っている事実について、考える必要があるとは思いませんか?」
王太子は宰相の話を聞いてしばらく咀嚼した後、再びフォークを手に取る。
「天使と悪魔は紙一重ってことなのか。で、無理やり確認すれば、コンストラクタ家が国外に脱出する可能性もあると……。アスプは敬虔な信者だと思ってたけど、意外に柔軟なんだね 聖典にない理論を認めるとは思っていなかったよ」
王太子が意外そうに言うと、宰相は笑った。
「もちろん、私は敬虔な神の信徒です。この世界は全知全能の神が創造したもの。だからこそ、この世界そのものも聖典同様の神のご意思に沿うものであろう、というのは『ログラムの賢者』たるゴート卿の言葉ですが、私もそう思うのですよ。それを読み解くよう教えるイント卿は、我らの盲を開こうとしているのではないかと」
「なるほど。だからイント卿とリナ嬢と仲良くなれと言ったんだね」
食事は進む。
「さようでございます。ですから、殿下にもイント卿が計画している”学校”へ入学していただこうかと思っています」
王太子の顔が輝く。
「それって、王都を離れられるってこと? それは面白そうだな。あの二人も仲良くなれそうな気がするし、本当に面白そうだ」
イントの知らないところで、世界は動く。
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