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第五章『開戦』

148話 ガラスペンと叡智の天使

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「だあああああああああっ!」

 屋敷の中に僕専用の執務室がある。勉強部屋ではない。『執務室』だ。

 ストリナと少しだけ訓練して、夕食を食べたら、窓の外はもう真っ暗になっている。
 普段なら勉強するか、寝てしまうところだが、今日だけはそうはいかない。執務室の机の上には招待状や嘆願書、見積依頼書などが山のように積まれていた。
 一応、字が読める者が急ぎの順番でなんとなく仕分けてくれてはいるが、明日同等の騒ぎになれば、一方的に増えていくことになるだろう。

 今日中にやらないと明日死ぬ。

「助手が、助手が欲しい……」

 フロートの街にいた時は、マイナ先生やオーニィさんがいたので、かなりの仕事をお願いすることができていた。しかし、今回の目的地は戦場だったので、文官的立ち位置の人がいない。いや、この屋敷はいろんな事業の中核なので、いないわけではないが、元々他の仕事が寝る時間がないレベルである。

 一枚目は、『王族用御用天船』の建造見積依頼だ。だが、差出人が伯爵名を名乗っている。王宮からの依頼であれば官名を名乗るはずで、おそらく献上用の依頼だろう。

「お断りを。王家への献上はこちらですると理由を添えて、っと」

 小さなメモにガラスのペンで指示を書いて、クリップでとめる。自分で書いていたら時間がいくらあっても足りないので、急ぎでないかは確認して、明日手の空いている者に代筆してもらおう。

 二枚目、三枚目も同じ内容だったので、一枚目と同じ束に入れていく。

 四枚目が夜会への招待状。宛先が親父殿と義母さんになっている。

「お断りを。多忙と理由を添えて、っと」

 五枚目は茶会への誘いで、宛先はストリナ向け。どうやら貴族の子ども同士の交流会らしい。主催者が侯爵なので断りにくい。そういえばストリナのマナー教育はどこまで進んでいただろう?

「保留。ストリナに確認の上相談、っと」

 ヤーマン親方が作ったガラスペンの試作品、まだ濃くハッキリと文字が書ける。この世界の筆記具の主流は羽ペンで、頻繁にインク壺にペン先を浸す必要があるのだが、これはけっこう長く書ける。

 装飾のせいでちょっと握りにくい気もするが、とても書きやすい。

 毛細管現象の説明だけで、こんなものが作れてしまうヤーマン親方は多分天才だろう。

 六枚目は王家からの手紙で、封蝋は切られていない。宛先は僕だ。ペーパーナイフで封蝋を切り、封筒を開ける。

「げえ」

 紙の繊維を塩素漂白してある真っ白な紙に、用件が書いてあった。商業都市ビットからの使者と交流する茶会と、その後の夜会への招待だ。開催日は明後日。

「マジか。陛下いないはずなのに」

 そうは書いてないが、これは実質命令で、断れない。さらに、僕の分とストリナの分の服は、王子と王女のお古を仕立て直して、明日送ってくれるらしい。服が間に合わないなで、これはありがたい配慮だ。中古ならもらっても問題なかろう。

 招待者が僕と妹だけなのは気になったが、今さらだ。

「至急。承諾の返事を丁寧に。ゴートさんに付き添いの依頼。義母さんに報告だけ、っと」

 義母さんは忙しいし、多分王宮のマナーにそこまで詳しくない。

 あとは贈り物の手配か。主催者の王家と、商業都市ビットからの外交使節の分だ。

「買いに行く余裕はないかなぁ」

 貴族の贈り物というのは、割と見栄がつきまとう。自領のアピールができて、豪華なものじゃないとダメだ。

「うーん」

 紙に候補を箇条書きしようとして、ふと手元のガラスペンが目につく。

 これは試作品だけど、実用性は抜群だ。装飾性もあるし、素材がガラスというのも珍しくて良い。一応こちらの世界でガラスは溶錬水晶と呼ばれる宝石だし。

「箱だけ豪華にしたらいけるか」

 書類を読みがてら試作品をいくつか試し、問題なく使えることを確認してから、部屋に置かれたタライの水で洗って、丁寧に拭く。試作品は一つ一つ意匠が違い、しかも思ったよりたくさんあったので、使節団全員分ぐらいならいけそうだ。

「我ながら天才。これ用の豪華な箱の試作品を発注してみよう」

 これ以上ないほど僕ららしい贈り物になるだろう。

「しかし、貴族ってのは欲望にまみれてるなぁ」

 遠回しに言っているが、友人になって後ろ盾になって欲しい、他の貴族が塩泉の開発で儲かっているから自分の領地でも探してほしい、金を貸して欲しい、天船が欲しい、うちの村の訓練に私兵を参加させて欲しい、安くうちの特産品を買いたい、そんな話ばかりで読み続けておかしくなってきた。

 夕方までいたシーシャ伯爵もそうだが、欲望にまみれてるくせに屁理屈が多い。まぁ、ゴート爺さんみたいな、欲望丸出しも困るのだが。

 急ぎの一束目を終わらせて、二束目に入ると、そちらは戦勝の祝辞や戦地で救った貴族たちからのお礼状だった。
 魔狼の魔石が添えられているものも多数あったので、こちらは短く、しかし丁寧に返事を書いていく。

『汝は働き者であるなぁ』

 ふっと、手元に自称天使さんが現れた。用事もないのに、自主的に現れたのは、初回の時以来だろうか。

「でしょ。明日も忙しそうだからね」

『それもそうなのであるが、汝のおかげで世界に叡智が芽吹いたのである』

 叡智、か。なんか最近その言葉を聞いたな。

「ちなみに、テレース学派の知識は叡智ではないの?」

 小さな瞳孔がキュッと締まる。

『絶対の回答として君臨した時点で、叡智とは言えないのであるな。あれはあれで見どころはあるのであるが、今が限界であろ』

 どうも自称天使さんも嫌いらしい。

「ところで、何か用事だったんですか?」

『ああ、そうであった。汝は我が願いを一部叶えたのである。よって、代償として一つ叡智を授けるのであるな』

 おや。なんとなくそれは逆かなと思うけど。

「ちなみにその願いというのは?」

『世界に叡智の種をまき、芽吹かせ、広げることなのである』

 なるほど。この自称天使の願いはそれか。叡智の天使というだけはある。

「貰える叡智というのは?」

『断罪の光と汝らが呼んでいる魔石だが、あれは光竜のものである。汝は吾輩との契約によって、光を操る能力を得ているので、あの魔石とは相性が良いはずなのであるな』

 ほう。つまりあの魔石があれば、僕に夜勉強する以上の能力が身につくわけか。

「ちなみに、何ができるようになるの?」

『答えは一つではないのである。色々試してみるがよかろう』

 どうせまた教えてくれないのだろう。

「まぁ、全部国王陛下が持って行ったから、一つも残ってないけどね」

『それは残念なのである。ではまた』

 あまり有益ではない情報を残して、自称天使さんはフッと消えた。聖霊の一種だとは聞いているけど、一体何者なんだろう?
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