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第五章『開戦』

143話 宰相と天船

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「空気は1molあたりの重さは28.8gになります。対して、水素だと2g。この重さの差が飛行船を浮かばせる要因となります」

 空気の組成が地球と同じだったなら、という前提は伏せて、話を続ける。話を聞きに集まっていた偉い人たちは誰も理解していなさそうだったが、ゴート爺さんはだけは目を爛々と輝かせて聞いていた。この人は何度か説明を聞いているので、すでに全部理解してそうだが。

「空気に重さがある、というところから、もう信じ難い話だな。しかも、モルだとかグラムだとか、言っている意味がほとんどわからん」

 代表して宰相閣下がコメントする。これは最初に説明した錬金術師たちも同じことを言っていた。それがこの世界の常識なのだろう。

 この世界、重さの単位は地域ごと、下手したら市場の店舗ごとでも違うほどだ。無理もない。

「まぁ見ていただいた方が早いですね。これが水素のバルーンです」

 僕が鞄から水素を詰めたスライム袋を取り出すと、大きなどよめきがあがる。袋にキャラの絵でも書いていたら子どもも喜んで、もっと良かったかも。

「情報としては知っていたが、実際に見ると面白いな。魔物からの防衛塔の代わりに使える『フロート』だったか」

 最近は街や村、陣地の防衛用にいくつか販売したと報告を受けているので、もう知られているのだろう。アドバルーンの要領で村の上空に浮かばせ、そこを中心に放射状に紐を張り巡らせると、魔物が上空を飛びにくくなる。それだけで、住民が建物へ避難できる確率は高くなるのだ。

「はい。仕組み的には水上で使われる浮きと同じものです。これをご覧ください」

 透明のガラスの鉢を机の上に置き、砂を底に注ぐ。

「砂が一番重いのですが、これが地面だとお考えください。次に水」

 砂を意図的に偏らせて、青い色水を注ぐ。

「砂よりは軽いですが、これは海だと思ってください」

 最後に透明の油を注ぐ。鉢の中に、景色が出来上がった。

「これが空気だとしましょう。そしてこれが模型です」

 鉢に重りを紐に結び付けた小さな浮きを放り込むと、油の中で浮きが浮かぶ。

「この原理がそのまま『天船』が天に浮かぶ原理になります」

 再び、どよめきが起こる。

「なるほど。これが神の摂理というやつか。これは量産できるものなのか?」

「はい。フロート部分だけならスライムの皮さえあればなんとか。ただ、飛行船として利用するためには、魔石を利用した特殊な装置が必要になります」

 電池替わりの雷竜の魔石と、モーターのことだ。

「雷竜? 風の神術ではだめなのか?」

「神術には詳しくないのでわかりませんが、義母さんに試してもらった範囲ではダメでした。多分術の発動時に逆方向へベクトルが働いているんじゃないかと思うんですが……」

「うおっほー! 出たなベクトル。ベクトルについて教えてくれ!」

「後で説明しますから、ゴート先生はちょっと黙っていてください」

 話の途中で、早口のゴート爺さんが掴みかかってきたので、身をかわす。その光景が珍しかったのか、再び謁見の間がざわめく。

「私も良く分からなかった。風の神術はなぜダメなのだ?」

 疑問が数珠つなぎにでてくる。が、まぁ中学三年生が理科で習うような範囲だから問題なかろう。

「神術を放つとき、術者自身が風に押されないのは、おそらく術に反作用を相殺する何かが組み込まれてるのだと思います。風の神術を推進力にしようとするのは、馬車に乗って馬車を押すようなものです。それをどうにかしないと、移動には使えません。

 馬車に乗って馬車を押すというのは、こちらの世界では愚者を指す慣用句らしい。笑いが漏れるが、多分ここにいる人の大半は、なぜそうなるのか厳密には理解していないはずだ。多分、「それが普通」と言うだろう。

「なるほど。そう言えば、風の摂理神術で空を飛ぼうとした実験の資料が、禁書庫にあるな」

 禁書庫、閲覧が禁じられた書物の倉庫、らしい。

「なぜ禁書庫に?」

「研究していた者が、実験で事故を起こしてな。いろいろ巻き添えに肉片になって研究が中止されたからだよ」

 うん。そんな資料はもう禁書になっていただいて……

「それは興味深い。ぜひ読ませていただきたいわ」

 話に、義母さんが割り込んでくる。うちの義母さん、こないだの戦闘で敵軍最強の『使徒』と引き分け、霊力枯渇でしばらく昏睡していた。王都への帰還の途中で目を覚まして、この場に出席したのだ。

 戦場に行く前に王都に寄った際、飛行船を王都上空に晒したせいで大騒ぎになり、それを放置して最低限の説明だけで王都を離れてしまったので、王都に戻ってくると話に尾ひれ背びれがついてしまっていた。
 なので、王都に帰ってくるなり、偉い人を集めたこの説明会に引きずり出されてしまったわけだ。

 玉座には国王陛下の姿もあるが、あれはただのそっくりさんらしい。武闘会の時も思ったが、遠目に見ると見分けがつかない。

「神術推進、実現する見込みはありそうか?」

 義母さんは頷く。

「実際に、先の戦場で風の神術だけで空を飛んでいた者たちを見ました。先ほどの話を聞く限り、聖紋の中から反作用? の部分を特定して削除すれば良いはずなので、それが禁書に書いてあればプロペラの代わりぐらいは何とかできるんじゃないかしら」

 うん。なんかできそうだということだけはわかった。高出力のモーターは数が作れないので、飛行が別の方法で出来るなら、他のことに流用できるだろう。

「なるほど。ではジェクティ・コンストラクタに禁書庫へ入る資格を与える。許可証の手配を」

 宰相閣下は、数人いる書紀に声をかけると、ついでこちらを見た。ふっくらした顔に、ちょび髭、貼りついたような笑顔だ。
 
「では本題に戻ろう。イント卿、スライムの皮の量産計画について聞こうか。街に『空港』区画を用意していたぐらいだ。もう考えているのだろう?」

 宰相閣下が最近やけに協力的だ。飛行船を取り締まる法律は今まで存在しなかったが、僕が戦場に出ている間に、法律を作って許可を出してくれたし、ドネット侯爵家からも色んな面で巨額の資金援助を申し出てくれている。
 今は賢人ギルドやシーゲン領の石灰鉱山、あとはフロートの街の建設にも資金的、人的支援の協力を受け入れているし、うちの銀行にも巨額の預金口座を持っている。

 もう宰相閣下に足を向けて眠れない。

「まだ研究段階ですが、フロートの街の下水処理、ゴミ処理に、スライムを使おうかと考えています。現在、スライムがどのような生態を持っているのか、調査しています」

 スライムは人間の村、特に下水やゴミ捨て場、墓場など、割と身近に生息していることがある。基本的には魔物であるため、誤ってスライムを踏みつけた場合、多くの場合溶解液を吹きかけられてしまう。
 それが原因で、後遺症が残ってしまう者も少なくない。

「危険ではないのか?」

「一応、安全に仕留める方法は開発済みです。あとは場外に出さない方法ですね」

 スライムは、塩を撒けば倒せる。ナメクジと同じ仕組みで、要は浸透圧で体外に水を吸い出せばそれだけでスライムは動けなくなる。
 ん、なるほど。塩が苦手なら、それを使えば封じ込めはできるな。これはいけるかもしれない。

「ふむ。では、王都の水道技術に詳しい者をつけて、必要な魔石も用意しよう」

 王都の水道技術か。王都にはいたるところに噴水付きの泉があった。噴水で吹きあがった水は飲み水、その下の水は野菜洗い、下水に繋がる水路では洗濯が行われている。

 おそらく、かなり高度な水道技術が使われているのだろう。

 中央に流れる小川を利用していただけのコンストラクタ村とは、ぜんぜん違う。

「良いんですか? フロートの街は近くに水源が少なくて、人口が増えたら水道橋を作らないとと思ってたんですよ。助かりますけど、無料ですよね?」

 イメージは教科書に載っていたローマの水道橋。ただ、それを作れる技術者がいるかどうか。技術者の参加は正直ありがたい。

「ああ。もちろん、使われた技術は、王都でも使わせてもらうがね」

 それぐらいなら問題ないだろう。手伝ってもらっておいて、嫌とは言えない。

「ではそういうことで。僕はこのまま領地に帰らせていただきます」

 こちらの世界には嫌なことがたくさんある。

 戦争で敵を殺したり、戦争で死んだ領民の家族への補償で頭を悩ませたり、魔物と戦ったり、偉い人に気を使ったり、資金のやりくりで悩んだり。

 九歳でこれなら、大人になったらもっとひどい目に合うだろう。

 クソ親父が十年近く領地に引きこもっていた理由が、なんとなくわかってきた。

「うむ。良いだろう。戦勝の暁には、論功行賞の関係で、また王都まで来てもらうことになるがな」

 うん。それはそれでメンドクサイ。
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