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第四章『領主代行』
121話 赤熊狩り
しおりを挟むぐしゃ。
衝撃的な光景に、僕は思わず、足を止めてしまった。
魔境の近所の村で育ったので、人が傷つくところなど、数限りなく見てきた。しかし、生きた人間がまとめて両断される光景など、見たことがない。
「引けっ引けぃっ!」
生き残った赤熊のつがいの一方が、死んだ赤熊の血を根こそぎ使って、横薙ぎの斬撃を放ったのだ。
「うぐっ」
こみ上げてくる吐き気に抗しきれず、木の上から吐瀉物を地上に撒き散らしてしまう。
斬撃は、密集陣形を組んでいた盾持ちと、その後ろの神術士たちをひとまとめに両断してしまった。
これ、近づくのマズくない?
誘拐犯たちは、陣形を崩されて、踵を返した。逃げる先頭には麻袋を担いだ男がいる。
エルス様が回りこもうとしているが、赤熊の方が速い。赤熊は最後尾の槍持ちに追いつくと、背中から踏み潰す。
「ひぃぃっ!」
槍持ちが次々に槍を投げて牽制するが、ミスリル製ではないせいだろう。赤熊を守るつがいの血と、強靭な毛皮は、槍をいとも簡単に弾き返していた。
「あ、ヤバ」
逃げる誘拐犯は、ついに麻袋を放り出し、武器を捨て、全力で逃走にはいる。
足を止めてしまったので、ここからでは間に合わない。パッケとストリナの行く手には、子熊が立ちふさがっている。エルス様は近いが、もう間に合わないだろう。
「くそっ」
咄嗟に矢を連射する。狙いよりも連射速度を優先させた、足止め目的のものだ。
矢筒を二つとも使い果たすまで連射を続け、1発は誘拐犯に当たり、その他は全部赤熊と誘拐犯の間にばらまかれていく。
「グルルルル」
赤熊は矢を受けて転倒した誘拐犯を踏み潰したところで、足を止めて振り返った。
赤熊と目が合う。殺気に満ち満ちた視線に、背筋が凍る。赤熊は多分、自分のつがいを射殺したのが僕だと気づいたのだろう。
「バレたっ!?」
赤熊の全身を鎧のように覆っていた血が、スローモーションのように口元に集まって空中に球体を作り出す。
「ぐがあああぁぁぁぁっ!」
雄叫びと共に、死んだ赤熊の血が、僕に向けてレーザーのように放たれた。
「坊ちゃん!?」
僕は鉄棒の要領で木の枝を起点に木の枝に逆さまになると、地面に向けて枝を蹴る。
一番早い回避が、重力加速度を上乗せした落下と判断して行動したが、果たして、血のレーザーの回避はギリギリで間に合った。
ただ、『縮地』の減速時の要領で、落下の衝撃を殺そうという目論見は半分ぐらい失敗した。
「いててて」
背中から激痛が広がる。木の枝で削られた手の平も痛みを訴えてくる。
「イー君! 逃げて!」
ユニィの声が聞こえた。どうやらユニィは無事らしい。
姿を見たいけど、今は赤熊がこちらに突進してくる最中だ。視線を無駄遣いできない。身体を起こしながら、落とした槍を探す。
「あった!」
痛みのせいで呼吸が乱れかけているのを自覚しつつ、槍を拾って走り出す。あの赤熊は現状の最大戦力のはずだから、とりあえずみんなから引きはがす。
しかるのち、僕も助けてもらおう。
「ぐがあああぁぁぁぁ」
赤熊は、よだれを撒き散らしながら、こちらに突進してくる。以前戦った個体より大きいだろうか。
以前のように槍を投げて一撃で倒す、というのは死角になっていないから無理だ。急所を避けられたらそれで終わる。
ならば投げナイフはどうだろうか。だが、あれは弓より射程が短いし、何より貫通力がない。
短剣、は論外だ。刺さる途中で血がどう作用するかわからないので、命がけになる。
槍で接近戦。一番現実的ではあるが、槍より赤熊のほうが間合いは広い。何より、まだ死んだ赤熊の血を温存していたり、誘拐犯から攻撃を受けて出血していた場合、至近距離からでは避けきる自信がない。
「三十六計逃げるに如かず! だな」
ここに来るまでに使った樹上移動術を全力で使えば、多分逃げ切れるだろう。
チラリと視線を送ると、ユニィは鎧下姿で、腰紐がほどけている。武装は何もない上に、なぜかエルス様もいない。
ここで僕が逃げたとして、標的がユニィになったら、僕は間に合うだろうか? そして、ユニィがもしも誘拐犯に何かされていたとして、ユニィはちゃんと逃げられるだろうか? ショックで動けなくなっていたりは?
「イー君っ!?」
ハッと気づいた時には、赤熊は僕のすぐ近くまで迫っていた。もはや逃げるのは手遅れだ。
この距離で血による攻撃がないなら、相手の手札にもう血はないのか。では、ここから切れる自分の手札は何だ。
ヌルリとした手触りの槍を、滑らないよう強く握る。
「『縮地』」
あと3歩のところで、思考と行動が一致した。
軽く一歩踏み込む。地面が縮むおかしな感触を感じながら、全体重と前霊力を穂先にのせて、ミスリルメッキの槍を突き出す。
熊は前足を振り上げたところだったが、相対速度もあって、こちらの槍にまったく対応できなかった。
ズブリ、と強い抵抗を感じさせる手応えと共に、槍が熊の胸に潜り込んでいく。
僕は槍をさらに強く握ろうとしたが、熊の突進力は僕の身体を木の葉のように吹き飛ばした。
「がふっ!」
僕が吹き飛ばされて木に衝突するのと、熊が絶命するのと、どちらが早かっただろうか。
「イー君!」
僕は地面に這いつくばりながら、自分の武装を確認する。残っている武装は投げナイフと短剣だけ。
衝突した衝撃のせいで、呼吸が乱れてうまく霊力を圧縮できない。どうやら、ここらが僕の限界か。
熊を見ると、血の泡を吹いて痙攣している。
次に、パッケとストリナを見る。二人とも、ミスリルアマルガムを使ったらしい。子熊の首をアマルガムの剣でキレイに刈り取っているところだった。
良かった。これで赤熊は全滅だ。
「だ、大丈夫?」
慌てた様子で駆け寄ってくるユニィに、どこからともなく影が差す。見上げると、以前死の谷で見た翼竜よりもかなり大きく、首が長い翼竜がこちらをめがけて下降してきていた。
「ユニィ、上!」
立ち上がろうにも、足がもつれる。ユニィは僕の声に空を見上げ、固まってしまう。
くそっ。赤熊を乗り越えたと思ったら、次は雷竜か。弱った者から餌食になる。これだから魔境は嫌いなんだ。
上空で旋回する影は他にもある。僕が逃げるのは無理だが、ユニィだけなら何とかなるだろう。
「洞窟へ逃げろ!」
思いっきり空気を吐き出しながら、自分の中の霊力をかき集める。
「ふっ」
最後の力を振り絞って、ミスリルメッキの投げナイフを雷竜めがけて投げ上げた。
ピキッ!
その瞬間、聞いたことのある異音が、自分の胸から聞こえた気がした。転生前の、あの激痛が戻ってくる。
ナイフが当たったかどうか、確認する余裕はまったくない。
口から意図しないうめき声が漏れて、胸を押さえたまま地面に倒れ込む。
「イ、イー君! 胸が! 胸が痛いの!?」
ユニィが焦った様子で駆け寄ってくるが、それどころではない。僕は逃げろと言ったはずだ。
ユニィに逃げるように言おうとするが、全身に力が入らなくて喋れない。全身から急速に血の気が引いていく。
待て待て、来るな。僕のことは良いから、早く逃げろ。ああ、痛い―――
失望の中、僕の意識は暗転した———
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