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第四章『領主代行』
114話 婚約破棄のその後
しおりを挟む「イー君、口元にマヨネーズがついているのです」
シーゲン子爵邸の門で僕を待っていたユニィが、出迎えと同時にハンカチで口元を拭ってくれる。
「ありがとう」
お礼を言ってユニィの顔を見ると、なぜか不満そうな顔をしていた。
「機嫌悪そうだね、なんかあったの?」
「これから一緒にご飯を食べるのに、先に何か食べちゃったのです」
迂闊。原因は僕か。
「お祭りみたいで、わくわくしちゃって、つい」
シーゲンの街は、たった三ヶ月で変わっていた。ナログ共和国側の門が完全に開け放たれて、大通りはナログ共和国から来た商人たちの馬車で大渋滞。大通りの端には、渋滞で動けない商人たちを狙う屋台が立ち並んでいた。
「むぅ。屋台に行くなら、声ぐらいかけてくれても良かったのです」
むくれているが、ユニィは子爵家の令嬢で、しかもここでは領主の娘だ。気軽に出歩いたら、多分大騒ぎになる。
それに、マイナ先生は一度実家に帰ってしまうと、しばらくこちらに戻ってはこれない。賢人ギルドにいろいろ報告をしないといけないからだ。ちょっとぐらい一緒に買い食いを楽しんでも罰は当たらないと思う。
「ご、ごめん」
でも、とりあえず謝っておく。
「そ、それにしても、街がすごいことになってたね」
「そうなのです。入門料が毎日新記録を更新しているらしいのです」
街のあまりの混雑に、僕らは馬車の置き場も確保できず、宿も取れなかった。仕方がないので、僕らはユニィに手紙を送ってシーゲン子爵邸に泊めてもらえるようお願いし、隊商のみんなには、そのまま村に向かってもらった。
ついてきたのは護衛のパッケとストリナだけだ。
「でもこれ、さすがに宿が足りなくない?」
「うちの街は国境防衛の要なのです。城塞都市をやめるわけにはいかないので、どっちにしろ交易には向いていないのです」
ユニィに案内されて、館へ向かう。見上げると、館というより軍事的な城と呼んだほうがしっくりする建物がそびえ立っている。
館だけではない。この街の入り組んだ細い路地は、地上を行く敵を惑わし、立ち並ぶ背が高い石造りの建物は、空中から襲ってくる魔物に対する障害物になっていた。
馬車が使えるのは大通りと街の中央にある広場、あとは市場ぐらいだろう。
「確かに、この街の造りは交易向きじゃないなぁ。昔はどうしていたんだろう?」
考えてみると、国境に交易拠点がないのは不便なはずだ。
「昔は、西に大きな街があったらしいのです。戦争で焼けた上に、十年間交易が止まったせいで、住民が戻ってこなかったとか」
なるほど。そりゃそうか。うちの村に行商人があまり来なかった原因は、うちの村が引き返すしかない国の端だったからだ。売ったり買ったりしながら街をめぐる行商人にとって、在庫を入れ替えずに同じ場所を通るのは損にしかならない。
ここも同じで、ナログ側に通り抜けられるなら重要拠点と見なされるが、行き止まりになるなら商人たちは見向きもしないだろう。
商人に見向きもされない交易都市は、滅びるしかない。
「なるほど。じゃあやっぱり新たな街が必要なんだね」
「うん。だから人造石計画には期待しているのです」
すでに、『黄泉の穴』周辺の石灰石の採掘については、その用途も含めてシーゲンおじさんの許可を取ってある。人造石計画というのは、石灰石の用途の一つとして提示したもので、前世で言うコンクリートを作る計画だ。
「人造石はまだ手探りなんだ。だから時間がかかると思う。でも、さらし粉とか溶錬水晶、液体石鹸の材料にはなるから」
コンクリートの詳しい製法は教科書には載っていなかった。国語辞典になら材料が載っていたが、作り方はやっぱり良くわからない。
ただ、それ以外にも、石灰石の用途はたくさんある。普通に石材として利用することもできるし、焼いて水をかけると消石灰になるので、石を積む際の埋め材の材料として使うこともできる。
「わかってるのです。採掘拠点が確保できれば、それだけで十分なのです」
そんな、有用な資源が眠っているエリアが、今まで手付かずだった原因は、その過酷な環境にある。冒険者ギルドの調査結果によれば、あの魔境に踏み入った人間は、けっこうな割合で地下の鍾乳洞へ落下して死んでしまうらしい。
地下の鍾乳洞の天井が崩れて地上の穴になり、そこを枯草などが覆うと、天然の落とし穴になる。その落とし穴に落ちて怪我をした人間は、鍾乳洞に棲む魔物が襲いかかられて、食われてしまう。
『黄泉の穴』とはよく言ったものだ。
「さ、あそこで手足を洗って、サンダルに履き替えて欲しいのです」
ユニィが差した先には、手足を洗うための水を張った桶と、容器に入った液体石鹸が置かれていて、その横に侍女もいる。
シーゲン子爵邸に入るためのシステムは、この3ヶ月で大きく変わったらしい。
「わかった」
ストリナとパッケにも指示を出して、手足を洗ってもらう。用意された室内用のサンダルは、草で編まれたものらしい。以前立ち寄った際に、伝染病を防ぐ方法をレクチャーしたので、それを実践しているのだろう。
「そういえば、『黄泉の穴』では最近、翼竜や赤熊、それに雷竜まで目撃されているのです」
隣で一緒に手足を洗われているユニィが言ってくる。翼竜と赤熊は以前『死の谷』で見たことがある魔物で、ざっくり言うとロケット推進のプテラノドンと、血液を操る赤い熊である。
翼竜は普通の矢は通じない上に、剣や槍の届かない上空から炎のブレスを吹きかけてくるらしいし、赤熊は負傷させると流れ出た血液を武器にして、石の壁や大木でも切り裂くらしい。
あんまりそんな感覚はないが、本来は一匹でも人里に降りてきたら、里ごと滅ぶレベルの魔物だ。
「雷竜って聞いたことないけど、どんな魔物なの?」
翼竜や赤熊と並んで語られる魔物ということは、相当強力なのだろう。
「空飛ぶ竜の一種で、雷の魔術を使うって聞いたのです」
「雷っていうと、魔狼みたいな?」
「魔狼? それはよくわからないけど、雷竜に近づくと雷が落ちて、中から燃えるそうなのです。ブレスも、目には見えない雷って聞いたのです」
侍女さんは、指の間はもちろん、腕のあたりまで丁寧に洗ってくれる。手足を他人に洗わせる発想はなかったけど、気持ち良いなあ。
「へぇ。強敵そうだね~。冒険者さんたち、大変そうだ」
こないだの婚約破棄のせいで、ユニィもいろいろ思うことがあったのだろう。最近は冒険者を目指して、準備を進めているらしい。
今回の開発も、書類上はシーゲン子爵家やコンストラクタ家ではなく、ユニィ個人の名義になっていた。
なので僕らも、ユニィ個人に対して、初期調査の結果と計画書を提供し、開発資金となる金貨五千枚も融資している。
まぁ、まだ8歳なので、シーゲン家のサポートはあるだろうけど。
「ふっふっふ。竜を退治できたら英雄なのです! 私もちょっと強くなったし、英雄になるのです」
洗われている手のひらに、マメがあるのが見える。きっと訓練をがんばっているのだろう。英雄願望は若干不安な気がしないでもないが。
「がんばってね~」
「むぅ。また他人事なのです」
機嫌が直りかけたユニィが、またむくれる。
「ごはん食べたら、手合わせしてほしいのです」
そういえば、ユニィは武術をやっていなかったので、手合わせに誘われるのは初めてだ。気晴らしになるなら、それでも良いかな。
「わかった。ごはん食べたらね」
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