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第四章『領主代行』

106話 神の見えざる手

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「これぞ神の思し召し。買えば買うほど価値が上がるなんて、こんなに簡単なことはないですな」

 パーティの参加者は、ログラム公国の貴族たちだ。王位を簒奪され、それでもログラム王国の中で自治を認められた正しき国。

「いやまったく。今や塩の価値は金と同等。我々は大富豪ですな」

 救民規制法は先代の王が制定した法律だ。民を救うための法律である。

 にもかかわらず、当代の愚王は、塩を自由化した。

「このようなことが起こるから、規制は続けるべきだったのですよ」

 新たに富豪になった者同士が、そこかしこで嬉しそうに酒杯を掲げている。

「この秋を超えれば、我々は救世主。再び陛下に返り咲いていただかねば」

 穏やかな音楽の流れる会場は、神術の明かりに照らされていた。

「すべては神と、認められし王のために」

「「「認められし王のために」」」

 パーティの主催者が少し大きめの声でそう言うと、参加者たちが波紋のように唱和していき、近くの者と次々と酒杯を合わせていく。

 パーティは穏やかに、滞りなく進行していく。


◆◇◆◇◆


「お父さん、どうしたの? そんな深刻な顔して」

「いや、こないだ収穫した野菜な。腐った」

 壺の中からは異臭が漂ってくる。

「え? 塩漬けにしたんじゃないの?」

 娘は壺を覗き込んで、顔をしかめた。

「塩、配給の分だけじゃ足りなかったみたいなんだ」

「でも、もう塩なんか買えないよ?」

 塩は、王家から配給されている。おかげで村で倒れる人は大幅に減った。

 だが、冬を超えるための食料備蓄はまったく進んでいない。冬を超えるための塩漬けがまったく進んでいないからだ。

 問題は、先送りされただけ。

「そうだなぁ。陛下が何とかしてくれると、良いなぁ……」

 父親の声は、自信がなさそうだった。


◇◆◇◆◇◆


 谷を抜けると、そこは見渡す限りの都市だった。

 ログラム王国の王都は盆地にある。そのため、峠の関所からは、王都の街並みが遠くまで良く見えた。

「俺初めて来たんですけど、思ったよりでかい都市っすね」

「ああ、内陸にもかかわらず、ここまでの力を持つ国ということだ。これは金の匂いがするな」

 アンタム都市連邦に所属する商業都市ビットは、海上貿易で財を成した商人たちが治める街だ。今回の隊商は、塩の自由化後派遣される最初の隊商で、商業ギルドが全力でサポートしている。
 参加している馬車も200台以上と空前の規模で、その積み荷の大半は塩である。

 商業都市ビット周辺で起きた複数の製塩所の火事のせいで、塩の値段は一時的に高騰した。
 しかし、隣国のログラム王国では塩の売値の上限価格が設定されており、塩の仕入値と売値の逆転現象が起き、塩を運んでもまったく儲からなくなった。
 その結果として、隣国では深刻な塩不足が発生していたらしい。

「今や塩が金の重さに匹敵するって言いますからね。信じられないっすよ。王に自由化を申し出たヴォイド・コンストラクタって何者なんすかね?」

「何でも、自分の領内で塩を見つけた下級貴族らしいぞ。今頃大儲けだろうな」

 彼のおかげで、例え帰りが空荷でも、莫大な利益が出る見込みだ。

「うへぇ。それはまた、すごい商才ですね」

「まったくだ。だが我々には大海がついている。山猿に負けるわけにはいかないぞ」

「へい! 荒稼ぎしてやりましょう」

 振り返ると、前にも後ろにも長い馬車の列が続いている。競争相手は、おそらく同じ隊商のメンバーになるだろう。

「もちろんだ。俺は到着したらすぐに商業ギルドの支部に商談に行く。お前は宿を決めて商業ギルドに伝言を回しておいてくれ」

「へい! 任せてください!」


◆◇◆◇◆◇◆


「ペーパ兄さん、思ってたんだけど、何で砂なんか運ぶんです?」

 隣に座るショーンが、御者台で足をバタつかせながら、隣で手綱を握る私に声をかけてくる。一瞬だけショーンを一瞥して、すぐに前を向く。

「さぁ? 姉さんの指示だからわからないな。姉さんは国王陛下からイント坊ちゃんが欲しがってるって聞いたらしいけど」

 私が答えても、ショーンは納得しなかった。

「それは聞いてたけど、何で砂? 砂なんてどこにでもあるでしょ? 塩だけで良くない?」

 私もそう思うが、そんな風に聞かれても困る。

「まぁ、ヴォイド先生は東方出身だから」

 ヴォイド先生は東方生まれのログラム王国人だ。東方にはこちらとは違う技術を持つ国々があるらしいので、煙に巻くにはちょうどいい。

「またそれだ。推測になってないよ。これは多分、砂と塩を混ぜて売るつもりなんだよ。この砂白いし」

 だが、ショーンはただコンストラクタ家を批判したいだけだったらしい。

 その気持ちは、わからなくもない。

 ショーンの母親であるアノーテ姉さんは、私と同じ孤児院で育った。兄妹のように育ったので、最近まで気づかなかったが、多分私にとっては初恋の相手だった。

 それが、ある日急に転がり込んできたヴォイド先生に、全部持っていかれたのである。
 ヴォイド先生は孤児院を1年ほど手伝った後、アノーテ姉さんと共に隣国のログラム王国に旅立ってしまった。
 その後、ログラム王国との戦争が勃発してアノーテ姉さんは帰国できなくなり、何年かしてようやく帰国したアノーテ姉さんは、すでに妊娠していた。

 ヴォイド先生には、多大な恩義がある。最近は仙術と呼ばれるようになった身体強化の術を、私を含めた孤児院の子どもたちに教えてくれたのも、アノーテ姉さんに元ログラム王国の王女という絶大な力を持つ人脈を与えたのもヴォイド先生だ。

 極めつけは新しい商会への出資である。名目上はショーンの養育費と言っていたが、ヴォイド先生はあの親書のことを知っていて、国が親善のための新商会設立に動く可能性を考慮していたかもしれない。
 親善のための貿易を目的としたこの商会は、戦災孤児たちの就職先にもなるし、冒険者たちの引退後の再就職先としても最適である。現役の冒険者にとっても、護衛の仕事が生まれるので雇用創出になるだろう。

 ヴォイド先生は、東方から戻ってくる際、いろんな隊商の護衛として活躍していたらしい。孤児院を核にしたコミュニティにとって、何が最良か知っていたのかもしれない。

 だが、例えそうだとしても、アノーテ姉さんのことだけは許せない。

「それだとスープにいれたらジャリジャリするでしょう。陰謀があるなら、他の何かですよ。例えば、この砂を溶かして大きな水晶にして売るとか」

 適当なことを言ってみたが、ショーンは目をキラキラさせて聞いている。

 武闘大会ではヴォイド先生を一発殴った。あとはボロボロに負けたが、確かにヴォイド先生に一発は打撃を通した。

 いずれ姉さんやショーンを捨てたことをもっと後悔させてやるとして、今はとりあえず、仕事と修行に集中しよう。

 少しでも先生との差を詰めておかないと、きっと姉さんは目覚めない。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「これは坊ちゃんの狙い通り、ということになるんですかね?」

 親父の指示で僕の護衛についたパッケは、不思議そうに聞いてきた。

「一応、イント君の計画書通りにはなったわよね? 計画的には、ここから暴落が始まるんだっけ?」

 夏の終わりかけた今日、ナログ共和国とアンタム都市連邦からの塩が、ほぼ同時に王都に到着した。融資により国内で産出された塩も、すでに販売が開始されている。

 マイナ先生の言う通り、計画通りではある。だが、僕の予想では、貴族が備蓄していた塩を売って供給を増やした時点で、もっと値上りは抑えられると思っていた。

 何事も教科書通りにはいかないものだ。

「そうそう。ナログ産とアンタム産と国産の塩が市場に出れば、さすがに供給が需要を超えて競争が起きそうな気はするけど、あと一押し、何かいりそうだね。どうしよっか」

 今回は予想以上の規模の隊商が隣国から押しかけてきた。これなら、さすがに需要を押し切れるだろう。

 確か、独占状態や寡占状態になると、競争が起きにくくなるから駄目だと教わった。談合なんかも同様で、申し合わせて値段を吊り上げると競争が起きなくなるのも駄目だとも。だとすれば―――

「あと一押し、ですか? では、昨日届いたうちの塩を、市場で安売りしてみるってのはどうです? で、我々がもう少ししたら暴落するかもしれないから、早めに売りたいと客に吹聴するのです」

 報告を持ってきていたハーディさんが提案してくる。一応、市場原理を使った今回の計画については、陛下の命令で計画書を作って提出していた。
 その計画書を作る際に、マイナ先生とハーディさんには手伝ってもらっていたので、ハーディさんもすぐにアイデアを出してくれる。

「それでいこう。値引きは相場の2割引きからはじめて、売れなければ5割引きまで下げて良いよ。今ある在庫は全部売り切ってきて」

「わかりました。坊ちゃん。すぐに露店を確保してきます」

 僕が承諾すると、ハーディさんはすぐに部屋をでていった。もし、魔物に襲われた時に見捨てていたら、今頃どうなっていただろう。

 さて、これでキッカケは作れる。今度こそ、マイナ先生との婚約をもぎ取ることはできるだろうか。
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