上 下
97 / 190
第三章『王都』

97話 婚約破棄

しおりを挟む

 自分の呼吸音がうるさい。視界の色も変わっていて、完全に酸欠だろう。胃の中も暴れていて、気を抜くと吐きそうだ。

「ひ、卑怯な!」

 リシャスを『縮地』もどきで突き飛ばした後、追撃して首元に短剣を突きつけると、今度は大声でわめきだした。

 手応えから言って、服の下に防具を仕込んでいるのは明白で、卑怯と言われるのは違和感があったが、それはまぁ良い。むしろ怪我しなかったのはありがたいぐらいだ。今だって、モゾモゾ動くリシャスの首を切ってしまわないよう、細心の注意を払っている。
 手元が誤れば、ごめんでは済まされない。

「卑怯? あんた何言ってるのです?」

 我慢できなくなったのか、ユニィが進み出てきた。いや、いくらなんでも年上の許嫁を「あんた」呼びはまずいだろう。

「オレは神術を使ってない! なのにコイツは使ったぞ!」

 こら。暴れるな。この短剣、いつもちゃんと手入れしてるからよく切れる。刃に当たったら大変だ。

 手が震えないよう、仙術の呼吸法で息を整える。視界が元に戻ってきて、気分も落ち着いてきた。

「自分だけ準備万端に武装しておいてよく言うのです! しかもイー君、あんたが弱く見えないようにしてくれてたのに、それもわからないなんて!」

 いや待て。確かに体調的には絶不調だが、一撃をもらったのは間違いはない。だいたい、そんな芸当ができるなら、服を切られたりしていないだろう。こちらの世界では、服はとても大事なものなのだ。
 これ以上誤解をふりまかないでほしい。

「そんなことはない! 現にコイツはこんなに息が切れてるじゃないか! もう一度、神術ありで勝負だ!」

 あ、思わず息を整えてしまっていた。もう一度息を荒くしておこう。

「見苦しいのです! あんたなんか、そこのリナちゃんにだって負けるのです!」

 何を勘違いしたのか、野次馬から小さな笑いが起きる。いや、ストリナは僕より強いからね。村でも対抗できるのは両親とパッケぐらいだと思う。騙されてはいけない。

「そこまで、そこまでオレを侮辱するのか! そんな幼女に負ける? ふざけるなっ!」

 ああ、リシャスも見た目で判断しちゃったか。僕は巻き添えをくわないよう、短剣を外してソッと遠ざかる。

「え? あたしもやっていいの? じゃ、リシャスさま たってたって」

 案の定、ストリナがやる気満々で進み出てくる。可愛らしいドレス姿のまま、あまりにも無邪気に短剣を取り出すので、呆気にとられながらもリシャスは立ち上がった。

 あの短剣はミスリルメッキ済みで、さらに柄にミスリルのアマルガムが入っている。

「リナ! 絶対に怪我させちゃダメだぞ!」

 あれでリナが本気を出したら、多分武器や防具ごと胴体を輪切りにできてしまう。怪我どころでは済まない。

「きさまっ」

 僕が心配して声をかけると、リシャスも誤解してしまったらしい。ゆでダコ並みに真っ赤になっている。

「えー? でもおにいちゃんケガしたよ? ほうふく」

 ダメだ。ストリナまでクソ親父みたいなことを言い出した。幼女が脳筋になるのはいけない。

「何が報復かっ!? 来るならさっさと来い!」

 ああ、これで――

 パシッ キン
 
 思考が終わる間もなく、ストリナが乾いた音と共に消え、リシャスのしなる細剣と分厚い短剣が両方切断された。ついでに服も下に着ていた革鎧ごと切られ、地肌が見えている。

「え? あ?」

 前に襲ってきた誘拐犯は反応していたけど、リシャスには無理だった。根本から切断された剣を左右交互に見て、地面に散らばった鎧のパーツと刀身に気づいて、ようやく事態を把握したらしい。

 ガタガタと震えながら、背後を振り返る。

「な……、こんなバカな」

 野次馬が鎮まり返る中、ふくれっ面をしたストリナが、短剣の切っ先を再びリシャスに向けた。

「ケガをさせちゃダメなの、けっこうむずかしいの」

 あらわになった皮膚から、うっすらと血が滲み出してくる。鎧だけを切れず、ストリナ的には不満だったようだが、あれでも充分だ。

「ヒッ!」

 ストリナにその気があれば、自分が簡単に殺されていたことを悟り、リシャスは腰を抜かした。地面でジタバタともがいて、ストリナから離れようとしている。
 情けない姿だが、なぜか誰も笑わない。

 さっきまであれだけぶつくさ言っていたショーンでさえ、一言も発さなくなってしまった。アノーテさんも、鋭い目つきでストリナを見ている。

「あー、リナちゃん、勝負あったようじゃから、その辺にしておかんかね。こう見えても、リシャスはユニの婚約者なんじゃ」

 さすがにまずいと思ったのか、シーゲンおじさんが間に入ってきた。これで終わるとホッとしたところで、ユニィも前に出てくる。

「ちょうど良いのです。お父様、リシャス様との婚約を解消させていただきたいのです」

 リシャスの肩がビクリと震える。ああ、こんな公衆に面前で別れ話を切り出されるとか、リシャスも災難だな。

「理由はなんじゃろか」

「私、大人になったら家を出て、冒険者になりたいのです」

 静まり返っていた野次馬が、ザワリ、と騒いだ。ユニィはかなり前から婚約破棄を狙っていて、僕はそれを知っていたから驚かないが、野次馬たちにとってはおいしいスキャンダルだろう。

「いや、ユニは武器を持ったこともないじゃろ。冒険者なんて危ない職業につく必要は――」

「貴族だって充分危ないのです。だからお父様、わたしにも仙術士としての訓練をして欲しいのです! イー君やリナちゃんのように」

 なんとか宥めようとするシーゲンおじさんの言葉を遮り、ユニィがさらなる要求を告げる。そういえば、シーゲンおじさんの屋敷に泊めてもらった日、ユニィは朝の訓練をいつも上から見ていたっけ。あれは、羨ましかったからなのかもしれない。

「ま、待ってくれ! ユニィが正しかったことはわかった! 俺ももっと訓練するから、強くなるから、婚約の解消だけは待ってくれ!」

 リシャスは地面にへたりこんだまま、すがりつくような声を上げた。ユニィはそれを冷たい目で見下ろす。

「コンストラクタ家に対する侮辱の数々、もう耐えられないのです」

「それは俺だけじゃない! みんなそう言ってたんだ!」

 残念ながら、親父の古典派貴族からの評判はすこぶる悪い。貴族社会では、奇襲や闇討ち、暗殺といった行為は卑怯というレッテルを貼られるからだ。
 古い貴族たちは、正々堂々戦って死ぬ方が尊いという価値観らしい。
 そんなことをしているから、前の戦争でも役に立たずに追いつめられたのだろう。

「そのみんなの中に、この大会に勝ち残っている人はいるのです? リシャス様が私と婚約したのは、派閥同士の融和と、仙術を得るためだったはずなのです」

 そういう理由があったのか。それにしても、ユニィが辛辣すぎる。
 確かに、親父とシーゲン子爵、あとはアノーテさんに神術を教えられたというペーパさんが今大会に出場したことで、古典派貴族の出場者はほとんど敗退してしまった。
 この大会で親父が優勝すると塩が自由化される。それを阻止しようとしていた古典派が手を抜いていたはずはない。

「そ、それは……」

「なのに、教えを請おうともせず自慢ばかり。融和しようともせず侮辱ばかり。そんな考えだから、派閥が弱くなっていくのです」

 うわぁ。直球すぎる。ユニィも溜め込んでいたんだろうけど、派閥そのものを敵に回すのはどうなんだろう? 刺客を送り込まれたりしないか心配だ。

「ちょ、ちょっと落ち着こうか。ユニィ。多分、貴族ならもうちょっと遠回しに言うべきじゃないかな?」

 シーゲン子爵もちょっと考え込んでしまって、誰も止めようとしないので、ユニィをなだめようとすると、今度は僕が睨まれた。

「イーくんは黙ってて。遠回しに言った結果がこれなのです。兄さまと試合して負けたら年齢のせいにして、イー君に負けて卑怯と言って、リナちゃんに負けてようやくだよ? 私はこんな人と結婚したくない」

 僕も言葉が見つからずに黙るしかなくなる。僕だったら立ち直れないなぁ。

「リシャス! 何だこのていたらくは!?」

 そこで、着飾った男が複数の女性や護衛、執事を引き連れて、その場に乱入してきた。太ってはいないが、引き締まってもいない。おそらく運動はしていないだろう。

「ち、父上……」

 乱入してきた男は、リシャスの胸倉を掴んで立ち上がらせると、思いきり顔面を殴り飛ばした。

「シーゲン卿。我が家の嫡男に対するこの扱い、事と次第によっては抗議させていただく。失礼する! おい、連れていけ!」

 ポカンとする僕らを置いて、リシャスを回収した男は嵐のようにその場から去っていく。男は、最初から最後まで親父と目も合わせようとしなかった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界で海賊始めました

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:401

7月21日の雨2 ~性具バベルと彼岸の彼方へ~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

チート魔王はつまらない。

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:73

魔剣士「お姫様の家出に付き合うことになった」【現在完結】

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:184

続 必ずイカせる!異世界性活~二度目の異世界は主役でした

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:501

溺愛オメガバース

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:1,108

元FPSプロゲーマーのデスゲーム攻略(ただし肉体は幼女とする)

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:46

処理中です...