89 / 190
第三章『王都』
89話 【閑話】貴賓席
しおりを挟む「ちょっとお忍びに行ってきて良いか?」
ここは闘技場で一番高いところにある豪華な個室で、国王の姿は観客から丸見えになるよう設計されている。国王杯と冠するだけあって、国王は本戦以降はずっとここで観戦させられていた。
「ダメです。何を考えているんですか。出場者は陛下に試合を見てもらえることを、誉れとしているのですよ?」
そわそわする国王をたしなめたのは、小太りな宰相である。名前はアスプ・ドン・ドネット侯爵という。
室内用の飾り帽子を被って、コミカルなちょび髭をちょいちょい引っ張っていた。
「見ないとは言っていないだろう。下にはあの見事な論文発表をしたマイナちゃんや、例の麒麟児も来てるんだ。彼らと一緒に見たいんだ。ここには影武者でも置いておけば問題ないだろう? ここは息が詰まる」
ソワソワする国王に、宰相はため息をつく。
「次は陛下が放った密偵でしょう。その報告を聞いてからでも遅くはありませんよ」
国王も試合を見るのは嫌いではない。だが、急ぎの仕事や報告はここまで追ってくる。決勝戦ぐらい、落ち着いて観戦させてくれても良いのではないだろうか。と、常々思っていた。
「だいたい、なんで余がじきじきに密偵を放たにゃならんのだ。諜報部にも仕事をさせろ」
「あそこは公国派ですからな。ご不満なら部署ごと潰してしまえばよろしい」
ちなみに宰相が冷たいのは、公国派と敵対しているせいだ。
対立の原因は先王にある。退位の際、公爵に叙して引退用の小領を与えたのだが、先王はその後教会に莫大な寄進を始めたのだ。それによって、先王の信仰は教皇に認められ、その領地に教皇庁から我が国二人目となる『大司教』が派遣されてきてしまった。
いろいろあって、二人目の大司教と先王が中核となる公国派が生まれ、元々いた王都の司教との方針の違いにより、宰相が所属する聖堂派と公国派は対立することになった。
「物事はそう簡単にいかんのだ」
イラついた国王が宰相の飾り帽子をどう自然に観客席に投げ込むか、方法を模索しようとしたところで、扉がノックされる。近衛騎士が扉を開けると、入って来たのは衛兵の服を着た平凡な男だ。
「参りました」
男は片膝をついて背後で跪く。ちょうど観客からは見えない位置だ。
「報告を聞こうか」
国王は妄想を中断して、仕事の顔に戻る。
「はい。まず、今回のヴォイド卿の優勝の願いが、塩の上限価格の撤廃になるであろうという噂は、すでに確信をともなって広まっています。いくつかの商人たちは、塩の備蓄を持つ有力貴族家と事前折衝を開始しました」
予想の範疇だったのだろう。国王は小さく頷いた。
「聖堂派も同調して売却する方針で固まりました。パイソン家の娘が情報を流しているようですな」
宰相もうなずいている。これで、塩の備蓄売却に動く派閥は二つ。ちなみに宰相が自ら動かないのは、自身が派閥の中では国王寄りと思われていることを承知しているからだ。
「商人から塩の買取の申し出は受けているようですが、大半の古典派はまだ動いていません。が、台所事情が厳しい一部は、秘密裏に売却に応じているようです。残る公国派は、まだはっきりとはしませんが、民を助けるという大義名分をたてて密かに買い占めに動いている節が見られます」
ぴくりと、国王の表情が一瞬反応する。
「だいたいは予想の範疇だったが、公国派は買い占めか。なかなか悪辣だな。あの麒麟児は、それを見越して塩の国産化を狙ったのか?」
公国派は、先の戦争でほとんど領地にダメージを受けておらず、信仰を利用して多方面で大儲けしているため、資金力はズバ抜けている。一時的に資金が豊富になったコンストラクタ家でも、公国派が買い占めに走れば、そのままでは対応しきれない。結局塩は高騰して、公国派はまた儲けるだろう。
だが、資金力に圧倒的な差があっても、塩を国産化して無尽蔵に供給できるとなると、話は別だ。
「可能性はございます。最近、王都近くの魔境のヌシが、冒険者ギルドからの依頼でヴォイド卿に討伐され、その縄張り内で塩泉が発見されたようです。空振りも多いですが、ほかに2箇所で塩が発見されており、イント卿の依頼は成果を上げつつあります」
国王は顎を撫でる。
舞台ではちょうど、ジェクティが観客を守るための多重防御結界を展開しているところだった。ちなみに、古典派のパール家は貴族家の中でも護法神術、特に防御壁を得意とする家系だが、歴代最高の術者でも同時展開は四枚が最高である。
ジェクティはその倍を超える十枚の防御壁を、舞台を完全に覆う規模で展開していた。今頃、副宰相であるパール伯爵の顎は外れている頃合いだろう。
「ふむ。その情報は広がっているか?」
「は。冒険者ギルドもついでとばかりに調査項目に増えた魔物の討伐を増やしており、まだ塩が目的とは見られてないかもしれませんが、広がるのにそう時間はかからないかと」
大歓声があがる。会場にはヴォイドが入場してくる。出入口の部分だけ、防御結界を開くという器用な操作をやっていて、宮廷神術士たちが集まる個室席は総立ちになっていた。
「ということは、魔境の中に、どれだけ素早く拠点を構築して生産を開始するかが肝なわけか。聞いていないが、もしそこまで策を巡らしているようなら、いよいよあやつは神子の類かもしれんぞ?」
国王は、声をあげて笑った。東方から仙術という特殊な技術を持ち帰り、ナログ共和国から我が国を救ったヴォイド。その息子が、再び我が国を救う。なかなかに痛快な話だ。
「それを言うなら、悪魔憑きかもしれませんぞ。ご注意ください」
信心深い宰相は、神の存在と同様に、悪魔の存在も信じている。言われて、国王は考え込んだ。
「ならば、ホクロに針でも刺していくか?」
今度は宰相が笑った。
「ご冗談を。陛下は例え悪魔でも仕えさせるでしょう? ですが、そうですね、神子なら『聖水』を売る不信心者どもに天罰を与えることができるかもしれません。そうでなくとも、面白いアイデアでもあれば儲けもの。一度話を聞いて見なくては」
「お? では一緒にいくか?」
少し乗り気になったところで、密偵が再び顔をあげる。
「またそのようなことを。ああ、そのイント卿ですが、街道警備隊からの依頼の帰り、山賊に偽装した集団に襲撃され、重傷を負ったようです」
ピシリ、と空気が厳しくなる。
「無事なのか?」
「はい。この会場にも来ていますし、負傷自体が伏せられているようです」
イントは8歳ながら、そこらの仙術士とは格が違う実力があると聞いている。
「それは、良かった。こないだの誘拐未遂犯とは別口か?」
先日、マイナが『ヒッサン啓蒙』を発表した際、国王はお忍びで見に行っていた。内容に興味があったのはもちろん、自分が行くことで警備を手厚くさせて、マイナの身を守ろうとしたのだ。
あの論文は、内容的にゼロを扱っている。教皇庁で、テレース神学を学んだ信徒たちが、あれを許すはずがない。必ずどこかで襲うと思っていた。
「それは不明です。誘拐未遂の実行犯たちは、相当腕の立つ者たちだったのですが、ほとんどが素行不良で冒険者ギルドを追放された元冒険者たちでした。リーダー格の男はクアンタム訛りがありましたが、誘拐依頼自体はパール子爵家が出していたようです」
「パール子爵家と言えば、シーゲン卿の娘と婚約していたところか。動機は?」
「以前ヴォイド卿の息子が襲われ、その報復に非合法集団がヴォイド卿に一網打尽にされた事件があったのですが、あの集団はパール子爵家の息がかかっていたようですね。その報復かもしれません」
つまり、狙われたのはマイナではなくイントで、公国派は白ということだろうか。国王は考え込む。
国王の眼下では、眼下ではヴォイドとベイの試合が始まっている。一度話したことがあるが、ベイは古典派の貴族らしく、プライドが高そうな人物だった。
先ほど話が出たパール子爵家の本家筋に当たるパール伯爵家から頼まれてこの大会に出場したようだが、ここまで残っている古典派の中では彼だけだ。
つまり元々弱くはない。だが、仙術を取り入れられなかった時点で、勝負は決してしまった。あとはどの程度、耐えるかぐらいだ。戦場にも出ず、仙術を古い感覚で否定してばかりでは進歩がない。古典派にとっては良い教訓になるだろう。
「偽装山賊の方は、身元は割れているのか?」
「それが、大半に逃げられたようです。一応、イント卿が無力化した頭目は捕縛しましたが、舌を噛み切ったため、喋ることができなくなったようです」
「その報告は騎士団からも上がっていました。なんでもその山賊は恐ろしく手練れだったらしく、50人近く死傷者が出たようです。現状、第4騎士団と第10騎士団が周辺の捜索にあたっています」
ミスリルの大剣が斬り払われる澄んだ音が場内に響き、会場内に沈黙が降りる。国王が舞台に視線を戻すと、ヴォイドはベイの兜を斬っているところだった。
人は、訓練を受けていなくても、常に霊力を放っている。だから人の手にあるミスリルは、霊力の影響を受けて自然に強化される。生半可な剣術では、ミスリルを斬れるはずもない。
一瞬の交錯の末、ベイは蹴り倒されて、胸を踏まれたまま剣を突きつけられていた。
「勝者! ヴォイド・コンストラクタ!」
短い試合だったが、観客の大歓声が闘技場を満たしていく。国王は満足している顔を作って、観客に手を振る。
「とりあえず、影武者に準備をさせてくれ」
国王の不満を察した宰相は、大仰な動作でお辞儀をした。
「おおせのままに。陛下」
0
お気に入りに追加
259
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
ユニークスキルで異世界マイホーム ~俺と共に育つ家~
楠富 つかさ
ファンタジー
地震で倒壊した我が家にて絶命した俺、家入竜也は自分の死因だとしても家が好きで……。
そんな俺に転生を司る女神が提案してくれたのは、俺の成長に応じて育つ異空間を創造する力。この力で俺は生まれ育った家を再び取り戻す。
できれば引きこもりたい俺と異世界の冒険者たちが織りなすソード&ソーサリー、開幕!!
第17回ファンタジー小説大賞にエントリーしました!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
闇属性転移者の冒険録
三日月新
ファンタジー
異世界に召喚された影山武(タケル)は、素敵な冒険が始まる予感がしていた。ところが、闇属性だからと草原へ強制転移されてしまう。
頼れる者がいない異世界で、タケルは元冒険者に助けられる。生き方と戦い方を教わると、ついに彼の冒険がスタートした。
強力な魔物や敵国と死闘を繰り広げながら、タケルはSランク冒険者を目指していく。
※週に三話ほど投稿していきます。
(再確認や編集作業で一旦投稿を中断することもあります)
※一話3,000字〜4,000字となっています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
破滅する悪役五人兄弟の末っ子に転生した俺、無能と見下されるがゲームの知識で最強となり、悪役一家と幸せエンディングを目指します。
大田明
ファンタジー
『サークラルファンタズム』というゲームの、ダンカン・エルグレイヴというキャラクターに転生した主人公。
ダンカンは悪役で性格が悪く、さらに無能という人気が無いキャラクター。
主人公はそんなダンカンに転生するも、家族愛に溢れる兄弟たちのことが大好きであった。
マグヌス、アングス、ニール、イナ。破滅する運命にある兄弟たち。
しかし主人公はゲームの知識があるため、そんな彼らを救うことができると確信していた。
主人公は兄弟たちにゲーム中に辿り着けなかった最高の幸せを与えるため、奮闘することを決意する。
これは無能と呼ばれた悪役が最強となり、兄弟を幸せに導く物語だ。
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
スキル【アイテムコピー】を駆使して金貨のお風呂に入りたい
兎屋亀吉
ファンタジー
異世界転生にあたって、神様から提示されたスキルは4つ。1.【剣術】2.【火魔法】3.【アイテムボックス】4.【アイテムコピー】。これらのスキルの中から、選ぶことのできるスキルは一つだけ。さて、僕は何を選ぶべきか。タイトルで答え出てた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
暇つぶし転生~お使いしながらぶらり旅~
暇人太一
ファンタジー
仲良し3人組の高校生とともに勇者召喚に巻き込まれた、30歳の病人。
ラノベの召喚もののテンプレのごとく、おっさんで病人はお呼びでない。
結局雑魚スキルを渡され、3人組のパシリとして扱われ、最後は儀式の生贄として3人組に殺されることに……。
そんなおっさんの前に厳ついおっさんが登場。果たして病人のおっさんはどうなる!?
この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる