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第三章『王都』
74話 紋章院と俸禄
しおりを挟む「これで、イント・コンストラクタ様、ストリナ・コンストラクタ様両名の出生届は終了です。オーブ・コンストラクタ様の死亡届についても受理しました。
事前に確認した事実関係と齟齬はなく、貴族院の監査官も追認していますので、謁見に支障はありません。証書に関しては、後日滞在先にお届けします」
国王陛下からの勅命で紋章院に出頭したのは、チンピラに襲われた日の翌日、その午後のことだった。
紋章院は貴族家の紋章と戸籍を管理している役所だ。貴族の跡継ぎも、基本的に紋章院に登録されることによって決まるらしい。
つまり、僕を登録しないまま親父が死んだ場合、僕はコンストラクタ家の跡継にはなれず、家は取り潰されてしまう。危ないところだった。
「ご苦労。これで帰っても構わないかな?」
親父は記載用の机から立ち上がり、堂々とした態度で、応対してくれた役人たちを見回す。何もわからない親父に、営業スマイルを浮べた役人たちが手取り足取り手続き書類の書き方を教えてくれていたが、それ以外について積極的に教えてくれるわけではないようだ。
「父上、ちょっと待ってください。まだ確認することがあります」
僕が親父を止めると、役人たちの視線がこちらに集中した。
「何だ?」
うちの親父は極度の脳筋である。今回の手続きだって、貴族の義務の範疇だ。それを怠っていたのは大問題で、そもそもうちが貴族としては貧乏なのも、おそらくは親父の経営手腕の問題だろう。
僕が楽をするためにも、ここは介入する必要がある。
「国境に領地を持つ領主には、支援金が出ると聞きました。それについて説明してもらいましょうよ」
紋章院の役人たちは、顔を見合わせた。どうやら、思い当たる節があるらしい。
アモン監査官が親切に教えてくれた情報である。うちの村は国からの支援を一切受けず、しかし税はきっちり納めていたのだ。うちは過酷な領地ということもあり、少しぐらいの援助なら期待できるだろう。
「コンストラクタ男爵の未払いの俸禄は、記録を見る限り、男爵位の俸禄、従軍俸禄、従軍恩給、国境領支援金、嫡出子出生祝い金、配偶者弔慰金、一括納税報償金の7種類となっています。一部時効となっているものもあるので再計算が必要ですが、受け取りの手続きをされますか?」
怪訝な顔の親父に代わって回答してくれたのは、この中で一番偉いおじさんだった。紋章官というらしい。
受け取っていない給料が7種類もあるというのは驚きだが、親父、それを今までそれを全部スルーしてたのか。
「ちょっと待ってください。何でそんなに未払いがあるのに教えてくれなかったんですか?」
「俸禄支給の通知書は納税の通知書と合わせて送っているので、確認いただいているとは思いますが」
納税しているということは、通知書は届いていそうだ。思わず、クソ親父を睨みつける。
「ふ、ふん。我が家は武門だ。金勘定など恥だ!」
ちょっと刃こぼれしたり、倒した魔物の毛皮が痛んでるだけで文句を言うくせに、どの口が言うか。
「領地の発展は領民のためでしょう? そのためにはお金は必要です!」
反論しながら家族を見るが、義母さんは意地悪そうにほくそ笑んでいて、ストリナは眠そうだ。二人とも僕を援護してくれそうな気配はない。
「そ、そこまで言うなら、お前はここ残って手続きをしてみろ! どうせ大した金額ではないだろうがな! パッケ、護衛に残れ。手は貸すなよ?」
なんて親だ。だが許可は出た。
「僕でも手続きできますか?」
クソ親父を無視して、紋章院の人たちに尋ねる。紋章官のおじさんは、苦笑いしながら頷く。
「もちろん。後継の嫡子で、ご当主からの委任も現認しました。あとはコンストラクタ男爵閣下に委任状をいただければ、何でもお手続きできますよ」
クソ親父は、紋章官の手の中にある書類に忌々しそうにサインして、去っていく。
「おにいちゃん、がんばれ~」
去り際に、ストリナが手を振ってくれる。カワイイが、早く大きくなって手伝ってほしい。
「坊ちゃん、旦那様は戦時中、シーゲン子爵閣下からいろいろ聞いておられましてね。手間と収入が見合わないと考えられたのでしょう」
手を振り返していると、残ってくれたパッケが横で説明してくれた。クソ親父は読み書きはできるが、得意ではない。さっきの手続きも、説明を聞きながらゆっくりと文字を書き、申請1枚に何十分もかけていた。
王都に来てまで、手続きする意味を見出せなかったのかもしれない。
「何かあったんですか?」
「シーゲン子爵閣下は今のシーゲンの街の隣にある小さな町を治める男爵家出身だったんですが、ナログ共和国の侵攻で領地が全滅しましてね。戦時中、旦那様や私がいた部隊はシーゲン子爵閣下の資金頼りで戦っていたんですが、それがなくなって、王国側からの俸禄は約束よりとても少なく、結局狩りで活動資金を稼いでいたんですよ」
なるほど。クソ親父も移住してきた元親父の部下たちも、魔物狩りばかりしていた。あれは戦時中の生活パターンを、そのまま継続したいたからか。
それがそのまま村の特産品になっていたのだから、何が幸いするかわからない。
「それは戦時中の話でございますよ。俸禄の遅配は6年ほど前に解消されておりますよ。こちらはコンストラクタ男爵家の俸禄台帳です」
紋章官が机に台帳を置いた。結構な厚さがある。
「コンストラクタ男爵は戦後、一度も俸禄を受け取っておられません。我々の間では、王家への抗議の意味があると噂されていました。お受け取りいただければ、我々としても安心できます」
机と椅子の高さが、僕の身長に合わない。仕方なく靴を脱いで椅子に飛び乗り、膝をついて台帳を開いてみる。記録は、12年前から始まっていた。
「従軍俸禄 義勇兵 ”いち”、ですか。この”いち”というのは、何のことですか?」
アモン監査官は当初、親父の謀反を疑っている節があった。疑われる要因に、王家から俸禄を受け取っていないという事実も関連していたのかもしれない。
「そのいちは金貨の枚数ですね。お受け取りになられる分はこの申請書に書いて提出してください」
渡されたのは、真っ白い皮紙だった。魔物の皮も、ちゃんと加工すればこんなに薄くなるもんなんだなと一瞬雑念が入りったが、すぐに台帳に意識を戻す。
「わかりました」
義勇兵の一ヶ月の給料は金貨1枚。これが高いのか安いのかわからない。答えながら、最新のページをめくる。
「男爵位俸禄50、従軍恩給50、国境領支援金100……。月、金貨200枚。あんのクソ親父が……」
うちが貴族家であるにも関わらず、貧乏な理由がはっきりした。僕は8歳で、親父は僕が生まれた頃には男爵だったはずなので、
金貨200枚 × 12ヵ月 × 8年 = 19,200枚
となる。金属の価値は前世より高そうなので一概に比較できないが、銅貨一枚が十円玉だと考えると、銀貨一枚がその百倍なので千円、金貨はさらに100倍なので十万円ということになる。
思わず前世のお金に換算しそうになって、計算を途中で放棄した。
脱力感がひどい。
「一応、申請金額の合計も出していただく必要がありますが、今回は大仕事になりますね。お一人で計算されるのですか?」
分厚い台帳を見てため息をつく。四則演算の計算ドリルなんて、いつぶりだろうか。
「そうですね。父上の指示ですので頑張ってみます。申し訳ないですが、メモ用の紙を5枚ほど売ってもらえないでしょうか?」
僕のお願いに、紋章官はあきれた笑いを浮かべた。
「それは構いませんが、本当にお一人で?」
そんなこと言われても、家臣が二人しかいない貧乏男爵家なのだ。クソ親父がやらないなら、僕がやるしかない。
僕は黙って頷くと、質の悪い紙を受け取って、猛然と計算をはじめた。
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