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第三章『王都』
67話 【閑話】執務室1
しおりを挟むガンガン!
執務室の扉が、荒々しくノックされ、若い男が書類の山の中で顔をあげる。
相当鍛えているのだろう。仕立ての良い服の上からでも、筋肉の盛り上がりが読み取れた。
ガンガン!
「入れ」
若い男は、眉間をマッサージしてから入室を許可する。
「はいはい、失礼しますよっと」
入って来たのは中年の男だ。腹が少しだけ出ていて、こちらは身体を鍛えている様子はない。
若い男は、荒いノックの段階で侍従ではないと気づいていたので、立ち上がって応接用のソファへ向かっている。
「今日はヴォイド卿に会ったんだろう? どうだった?」
二人とも礼儀を気にした様子もなく、ソファにドカッと座った。
テーブルの上には、冷めたお茶が入ったポットと、焼き菓子が常備されている。この中年は勝手に入ってくることが許されていて、給仕の侍女は来ない。
「息子がおもろい奴でしたわ。商人でもないのに、値段の決まり方とか塩不足の解決法をサラサラと説明しよりましてね。あれで8歳っちゅうんは信じられませんわ」
中年の男は、勝手にカップを取ってお茶を注ぎ、向いの若い男の前に置いた。続いて、手慣れた様子で自分の分も注ぐ。
「ほう。それはまた興味深い。その塩不足解決法、実現性はありそうか?」
若い男は、机の上の焼き菓子を摘まむ。
「それが、良く分からんのです。救民規制法の対象から塩をはずすことから始まって、国内での塩の生産開始、ナログ共和国からの交易再開までやれば、規制しなくても商人同士の競争が起きて、自然に価格が下がるっちゅうんですわ」
中年の男はお茶をガブリと飲み干して、2杯目を注ぐ。
「国産の塩生産は可能なのか? 確かに『死の谷』はまだ増産できる余地はありそうだが、全体から見れば誤差だろう?」
若い男は、以前持ち込まれたピンクの塩を思い浮かべながら、お茶をすする。
「ちゃうんですわ。すでに賢人ギルドが、研究資料から『死の谷』以外に塩が取れる可能性が高い場所を探し出してましてな。これなんですが」
中年の男が懐から紙を取り出す。中にはズラッと、地名とその領主名が並んでいた。
「それはまたとびっきりの優秀さだな。と、いうことは、ナログ共和国との交易再開にも何か具体的なアイデアがあるのか?」
中年の男は肩をすくめて見せた。
「そっちは絵空事ですわ。何でも、かの国に溶錬水晶の技術を供与をしたって、見返りに交易を再開させるんやと。砂浜の砂が原料にできるとかなんとか」
若い男は考え込む。
「ちょっと待て。何で我が国で育った子どもが、なぜ砂浜の砂の加工方法を知っている? 海なんか見たこともないだろう?」
「言われて見れば。しかし、それを言えば塩の製法を知っていたのだって、おかしいんちゃいます?」
若い男は中年の男の言葉を吟味し、しばし無言でお茶を飲んでいた。
コンコン
また扉がノックされる。今度はかなり控えめだ。
「来客ですか?」
「ああ。ちょうど良かった。ちょっと聞きたいことがあって、コンストラクタ領に詳しい奴を呼び出していたんだ。入れ!」
若い男が入出を許可すると、侍女と、少女のような見た目の女性と、ワゴンに新しいお茶をのせたメイドが礼儀正しく入ってくる。
「オーニィ・パイソン。お召しにより参上しました。国王陛下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう———」
「ああ、謁見の間では手順通りでお願いしたいが、この部屋で話をする時は、時間がもったいないからそういうのは省略してかまわない」
少女のような見た目の女性、オーニィは跪いて挨拶の口上を述べようとしたが、若い男は面倒そうに止める。
オーニィは困ったように目を泳がせ、中年の男と目があった。
「かまへんかまへん。陛下はそんなん気にせえへんから」
中年の男が答えると、オーニィは不安そうに立ち上がった。彼女は小人族の血を引いている珍しい貴族の出で、見た目が実年齢と比較してかなり幼い。来ている役人の礼服も、不釣り合いでまるで仮装のようだ。
「ハッ!」
オーニィは謁見礼のかわりに騎士礼をすると、直立不動の姿勢で次の指示を待つ。
「それも不要なのだがな。まぁいい。オーニィ、君の報告書は読ませてもらったんだが、君の見たコンストラクタ家について、もう少し教えてくれないか?」
若い男―――ログラム王国の国王は、侍女たちがお茶を並べて部屋を出るのを待って、おもむろに口を開いた。
彼女は昨日コンストラクタ領の監査報告を提出したばかりだったが、それをすでに国王が読んでいることに気づいて、目を丸くする。
「どのようなご説明をすればよろしいでしょうか?」
だが、国王がどのような情報を求めているかわからない。仕方ないので、オーニィは聞いてしまうことにした。
「そうだな。例えば、あの報告書の他に、君が諜報部に報告した内容なんかだと嬉しいな。彼らは秘密主義だから」
率直に聞いたら、とんでもない答えが率直に返ってきた。オーニィの顔から冷や汗が吹き出す。
「あ、フォートラン伯爵なら大丈夫だよ。副宰相だから諜報部の情報に触れる権限はある。まぁ、彼らが情報を上げてくるとは限らないが」
泳いだ視線がフォートラン伯爵とぶつかったことを悟ったのか、国王は静かに補足してくる。
「大丈夫。知っているとは思うが、余は諜報部を含めたすべてを統括する立場にある。それでも心配なら、今日喋ったことは諜報部には黙っていても良いぞ」
オーニィは一瞬迷いを見せたが、再び騎士礼を取った。
「ハッ。では申し上げます。諜報部からの指示としましては、監査中に秘密裏に捜索し、謀反、主戦派との連絡、敵国との内通等の有無を探れというものでした」
国王は何も言わずにうなずいた。
「館に滞在中、すべての部屋を捜索しましたが、指示のあった内容について、証拠は見当たりませんでした。また、同時にコンストラクタ家の知識の源泉についての書物も捜索しましたが、これも見当たりませんでした」
「だろうな。当主のヴォイド卿は元々文字が読めなかった。書物ではありえない。それで、領内の戦力についてはどうなんだ?」
いくら前大戦の殊勲者でも、国王がほとんど王都にやってこない地方の男爵について詳しいことが意外だったのだろう。オーニィは一瞬きょとんとして、再び直立姿勢に戻った。
幼い見た目にまったく似合っていない。
「領民に対して、軍事教練と読み書き計算の教育を施しています。おそらく領民300人のうち、200人弱は神術士又は仙術士の技能を保持しているとみて間違いないでしょう」
国王は黙って頷いたが、フォートラン伯爵は黙っていられなかった。
「はぁ? 200人やて? 何の冗談や? 子どもかておるんやろ!?」
オーニィはフォートラン伯爵に向き直る。
「お言葉ですが、ヴォイド様のご子息のイント様はたった2人で赤熊を倒しています。彼は8歳の子どもです?」
フォートラン伯爵は疑わしそうだ。
「そんなん眉唾やろ。100人規模の部隊でも危険な魔物やぞ?」
赤熊は、表皮硬化と身体強化により他の魔物を一蹴できる力を持っているが、その真価は血を流した時に発揮される。
それが血流操作といわれる能力だ。流れ出した血は刃となり、鉄だろうと人体だろうと大木だろうと両断できる。
その厄介さから、竜系統をのぞけば、ほぼ魔物の頂点と考えて間違いない。
「私もそう思うのですが、赤熊が砦を襲った際、ちょうど監査に入っておりましたので、この目で目撃いたしました」
その言葉に、国王がわずかに反応する。
「その時の様子はどうだったのだ?」
オーニィは促されるまま、喋り続けた。
「どうやら、よく知らない冒険者が赤熊と知らずに手を出したようで、『死の谷』の砦に逃げ込んで来たのです。
その際、応戦に出たのがイント様とコンストラクタ領の駆け出しの狩人でした。砦に用意されていたミスリルの槍2本を使っていましたが、初手で狩人の槍が折られまして」
「ミスリルの槍が折られるやて? どんなバケモンや」
フォートラン伯爵が騒がしい。
「その狩人はしばらく気を失っていたんですが、その間、イント様だけで赤熊を足止めしていまして」
「あんな坊主がか?」
「ええ。数分間、あの恐ろしい攻撃をすべてかわしていました」
「で、そのまま倒したんか?」
「いえ、その後意識を取り戻した狩人がミスリルの槍で倒していました」
「槍は折れたんちゃうんか?」
「イント様が槍を投げて、その狩人が空中でキャッチして、こう、後ろから熊の頭を串刺しに」
「待て待て。ちょっと理解が追いつかん。あの坊主は赤熊の目の前で武器離したんか。それに、その狩人は新米やったんちゃうんか? 赤熊は硬いで?」
「ええ。ですから、村人の大半が神術士又は仙術士と申し上げました。あの村は子どもでも術を使います」
その場に、しばしの沈黙がおりる。
「ふむ。師匠らしいなぁ」
国王が呟く。二人とも国王とヴォイドの間に師弟関係があったことを知らなかったのだろう。フォートラン伯爵もオーニィも驚きが隠しきれていない。
「ちなみに、ヴォイド卿や、ね……ごほん。ジェクティの実力は君の目から見てどうだった?」
国王が重ねて質問した。
「訓練の様子を見学させてもらったのですが、ヴォイド様とジェクティ様もストリナ様も、先ほど申し上げたイント様を遥かに上回る実力をお持ちのようでした。『死の谷』のヌシだった地竜も、少数で狩ってしまったようですし」
オーニィは国王の意図を測りかねながら、正直に答える。相手はこの国の最高権力者だ。下手に誤魔化せば上司ごと処分されかねない。
「そうか。とても参考になった。ありがとう。下がってもよいよ」
国王は満足したようだ。そのことにオーニィはホッとしつつ、騎士礼をして踵を返す。
「ああ、そうだ。コンストラクタ領から持ち帰った『まよねーず』だが、後で半分献上するように」
国王のまさかの追い打ちに、オーニィは驚愕の表情で振り返り、そのまま一礼すると駆け足で国王の執務室を辞した。
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