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第二章『王都招聘と婚約』
56話 聖霊と叡智の書
しおりを挟む一つ目の願いは、僕を助ける事。
二つ目の願いは、暗がりの中でストリナを照らすための灯り。
三つ目の願いは、マイナ先生を助けるための知識、教科書の召喚。
『叡智の天使』を名乗る聖霊は、それらをすべて叶えてくれた。
僕ら3人は、『叡智の天使』に助けられたと言っても過言ではない。
そして、一つ目の願いは、僕に前世の記憶の断片を。二つ目の願いは、僕に夜の暗闇からの自由を。三つ目の願いは僕に前世の知識をそれぞれ与えた。
そして、前世の知識は、熱中症や感染症を克服する一助になりつつある。
聖霊さんがただ黒いからといって、害になるわけではない。将来バレた時の事も考えて、その有効性を最大限訴えた。
「なるほど。聖霊契約で神術ではなく知識を求めるとは、なかなか考えつかないことをしたようですね。おかげでこの国は救われます」
アスキーさんは、経過を聞いて納得したようだ。
「ちなみに、その教科書というのは、今出すことはできますか?」
「出すことはできますが、見えないと思います」
「なるほど。その本は契約していない者には見えない、聖霊のようなものかもしれませんね。どれ………」
アスキーさんは僕の話を聞きながら、懐から折り畳んだ黒い布を取り出した。畳まれているのを広げると、ハンカチ程度のサイズになる。
「え? 聖紋布?」
その布に、義母さんが食いつく。義母さんが聖紋布と呼んだ布には、銀色の糸で聖紋が刺繍されていた。
「初めて見る聖紋ね。ちなみに、これにはどんな効果が?」
ローテーブルの上に広げられた聖紋布を、義母さんがのぞき込む。
「聖霊を見えるようにするものです。『混じって光れ』」
『混じって光れ』は起動させるための聖言だったのだろう。聖紋が輝く。
聖紋の描き方にはこういうのもあるのか。
「え? せいれいさんみんなにみえるようになる?」
今度はストリナが反応する。
「ストリナ様、聖霊にこの布の上に上がるように言ってくれませんか?」
「うん! 『せいれいさん、ここにきて』」
ストリナが聖紋布に手をかざして聖言を唱えると、うっすらと輝く聖霊が現れた。二頭身にデフォルメされた人間の骸骨である。
「なるほど。これがリナの聖霊なのね。見るのは初めてかも」
「おかーさん!みえる?」
「見えるわ。かわいいスケルトンさんね」
ガイコツはストリナを見上げて首を傾げると、手を振りながらそのまま消えてしまった。
「えへへ」
かわいいと言われて、ストリナは嬉しそうだ。
「じゃあ、次はイント様ですね。『混じって光れ』」
再び聖紋が光る。これは断れない。
「『教科書持ってきて』」
僕が前世の言葉を呟くと、布の上に教科書が現れる。表紙には「化学」と書かれていて、抽象画のような芸術的なデザインがされていた。
僕が最後に読んでいたものだ。
「ほう。本ですか。しかし、この文字は一度も見たことがない」
教科書のデザインと、前世の言語を見ながらアスキーさんが教科書をしげしげと観察する。
「前世の文字です。前世の言葉も、精霊には通じました」
マイナ先生も、現れた教科書を覗き込んでいる。僕はパラパラとめくってみせた。
「これが教科書かぁ。すごくキレイに製本されてるのね」
どうやら僕以外の人にも、無事に見えているらしい。
「なるほど。この紙、確かにすごく滑らかで白いね。文字は読めないけど……」
マイナ先生は聖紋布の上で、教科書をパラパラとめくっている。この布の上でなら僕以外の人にも触れる事ができるようだ。
「これね。科目も変えれるんだよ。『小学校1年生の算数の教科書に変えて』」
マイナ先生の手の中で、教科書が薄い算数の教科書に変わる。教科書の中には、至る所にかわいらしいキャラクターが描かれていた。
「たのしそう! おにいちゃんあとでよんでね!」
聖紋布に包んだまま、全員が回し読みしていく。小学1年生向けの内容なので、6歳のストリナには刺さったようだ。散りばめられた絵を見ながら、興味津々になっている。
「なるほど。知識の源泉としては確かなようだ。ちなみに、娘を救ってくれた知識の元になっているものを見せてもらえるかい?」
「できますよ。『保健の心肺蘇生法のページをひらいて』」
教科書は保健の教科書に姿を変え、ひとりでにページがめくられる。この布、いくらぐらいするのだろう? 他の人に教科書を見せることができるのはかなり便利だ。僕も欲しい。
「こ、これは、わかりやすいですが、凄まじい絵師に描かせていますね」
開かれたページに、写真や図解が載っているからだろう。全員物珍しそうに覗き込んでいる。
「これは写真といって、実物をそのまま写しとるもので、それを印刷しているだけですよ」
説明するが、伝わっている気配がまるでない。
「良く分からないが、その”シャシン”や”インサツ”というのは、どういうものなんだい?」
もしかしたら、この世界には写真や印刷技術はまだないのかもしれない。日本史の教科書でも、人物写真が登場するのは幕末頃からだし。
「写真は、光を屈折させるレンズを通して像を結ばせて、って、見たほうが早いですね。えーと『物理の教科書のレンズのページを開いて』」
見せられるのは本当に楽だ。教科書のイラストを見せながら、レンズと像について説明していく。
質問攻めにあったが、結局、結んだ像をどう絵にするのか説明しきれなかった。デジカメにレンズがついているのは知っているが、中身まではわからないからだ。
レンズぐらいなら、そのうち作ってみても良いかもしれない。
印刷についても、コピー機を使ったことはあるが、仕組みまでは分からなかった。仕方がないので、世界史の資料集にあったグーデンベルグの活版印刷機の復元写真を見せておいた。
マイナ先生やアスキーさんは、活版印刷に興味を持ったらしく、一文字ずつに分かれた活字や組版を観察し、印刷機の形を紙に写している。目が爛々としていてちょっと怖い。
一方、ターナ先生は少しつまらなさそうだ。
「美容に関する教科書はないんですの?」
どうやら、自分の専門分野の話が出てこなかったことが不満だったらしい。
「学校では、女性のお化粧は禁止されていたので、多分ない気がします」
男女で別れる授業などもあったので、もしかしたらそんな授業もあったのかもしれないが、あまり女子とは話をしなかったので、少なくとも僕は知らない。
「「「「ガッコウ!?」」」」
すでに話したことのあるマイナ先生をのぞき、全員が学校という単語に反応する。本題から外れてしまっている気もするが、仕方がない。
前世の義務教育や高校、大学について、一ヶ月前にマイナ先生にした説明をもう一度繰り返す。
アスキーさんは、笑いながら学校についてのメモを取っている。
「美容について、何も教えていないのはショックですわね」
ターナ先生はちょっと落ち込んでしまった。石鹸の事があったので、期待していたのだろう。
ちょっと申し訳なくなってきたので、必死に何かないか考えてみる。そう言えば、家庭科で栄養バランスについて習った。
「あっ、美容とは直接関係ないかもしれませんけど、前世では食べ物に含まれる栄養素について研究されていて、バランスの良い食事をしたら健康になると言われていました。それは美容にも良いんじゃないですかね?」
炭水化物、タンパク質、脂質や、ビタミンなどはこちらの世界では知られていない気がする。
「それも教えて欲しいのですけども、他に何かないのかしら? ほら、石鹸みたいな」
う~ん。やっぱり石鹸か。
「水酸化ナトリウムを作れるようになったから、固形の石鹸も作れるようになりました。まだ試してないけど」
水酸化ナトリウムの原料は塩で、今は不足している。塩不足から熱中症が蔓延している現状、どうしても人間優先にしないといけないだろうから、固形石鹸作りは厳しいと言わざるを得ない。
液体石鹸は暖炉や竈の灰が原料である。塩が原料でないので安心だ。
「それはもう聞きましたわ。そのうちそれも実験はしたいですわね」
あ、もう知ってたか。反応が薄い。他に何か……、あ
「固形石鹸作る時に残った液体にはグリセリンが含まれてて、そっちは保湿に使えるらしいですよ。塩分が残ってるから、グリセリンだけ取り出さないといけないけど」
保湿という単語で、ターナ先生の動きが止まる。
「それですわ! すぐ実験いたしましょう」
どストライクだったようだが、言ってはダメなやつだった。この雰囲気だと、熱中症の治療より美容を優先するかも知れない。
「い、いや、材料が塩だから、王都へ行って陛下の裁定を貰ってからでないと。今、塩は不足してるんで」
慌てて補足する。実験用の壺は馬車にあるし、実験はできる。できるが、それで救える人が少なくなるのはまずそうだ。
「知っていますわ。要するに、塩の供給を増やせば良いのですわよね? 温泉の研究をしている研究者に、心当たりがあります。味覚や臭いは温泉の基礎資料ですから、きっと他にも見つかりますわよ」
ターナ先生は、人脈を全開にしてくれるらしい。僕も供給増の一手として、さらなる塩泉の探索は考えていたが、具体的な方法までは辿り着けていなかった。
国内にどれくらい塩の温泉があるかわからないが、あればあるだけ楽にはなるだろう。
「ありがたいです。陛下の裁定があった時点で、実験してみます」
「ならば、王都で塩の重要性を説くためにもサンプル品があった方が良いだろう。開発には費用もかかる。紙と固形石鹸の試作ぐらいはやってみても良いんじゃないか?」
アスキーさんは、必死なターナ先生の様子を見て、フォローを入れてくる。前世で勉強していた時は、塩の用途がこれほど広いとは思っていなかった。
塩の産出地が他貴族の領地であれば、メリットを強調できた方が開発も進むだろう。
「イント君? 一昨日新しい壺で試作した水酸化ナトリウムとさらし粉、持ってきてたよね? あの壺も」
すかさず、一緒に試作したマイナ先生が試作を暴露した。
「あらぁ、堅いこと言いながら、イント君も陛下の裁定前に試作したんですの? じゃあもう少しやっても同じじゃないかしら」
ターナ先生の意地悪な指摘で、言葉に詰まる。
「イント君の秘密はだいたいわかった。またいろいろと教えてもらいたいところだけど、今度はマイナの話もしなければならないね。実は、マイナは色々といわくつきなんだ」
唐突に、アスキーさんが話題を変えた。マイナ先生がいわくつき。どういう意味だろう? ソファに座り直して続きを待つ。
「マイナは賢いし、父親が言うのも何だけど、見た目も美人だ。でも、前の婚約者は異端審問にかけられたし、その後の縁談もすべて断ってる。侯爵家の嫡男に婚約を申し込まれたのに、「自分より優秀な人でなければ駄目」と言い切った時には驚かされたけどね……」
なるほど。だからマイナ先生は僕がペラペラ喋ることを好まなかったのか。この街の領主であるシーゲン子爵の娘とは友達だが、彼女は僕と同い年ですでに婚約者がいる。それより年上のマイナ先生に婚約者がいてもおかしくないかもしれない。
「そのせいで色々と噂がたって、王都にはいづらくなってしまったんだ。だけど、君はマイナに気に入られたようだし、君も喜んでくれていたようだ」
確かにガッツポーズは決めてしまった。もうバレバレだろう。今更照れ臭さが込み上げてくる。
「僕からもお願いしたい。マイナと婚約してくれないだろうか」
アスキーさんが頭を下げてきた。一緒になってターナ先生が頭を下げてきて、遅れてマイナ先生があたふたと頭を下げてくる。
「ぼ、僕でよければよりょこんで!」
噛んだ!
「ちょっと待った! イントはまだ子どもだ。俺という線は———!?」
「あ・な・た?」
名乗り出ようとした親父は、義母さんに首ねっこを掴まれて、引き戻されていた。
親父の反応に、少し不安になる。マイナ先生は本当にうちで良いのだろうか??
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