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第二章『王都招聘と婚約』
52話 演繹法と帰納法
しおりを挟むストリナの噂は猛烈な勢いで広まり、治療院で治療してもらえなかった軽傷の患者たちが街中から宿に集まってきた。
おかげで食堂は一時大混乱に陥ったが、場所が冒険者ギルドだったからだろう。途中から冒険者ギルドの職員が、ストリナへの指名依頼として仲介に入り、あっという間に混乱をおさめてしまった。
すでに冒険者として登録されていたおかげだ。
今では治療系の神術を使える冒険者も飛び入りで集まってきて、それぞれ治療を始め、食堂は臨時の治療院と化していた。ストリナはその中でも淡々と治療を続けて、ひたすら稼いでいる。
「それで、ご用件は何でしょう?」
僕らはと言えば、怪我人に混じって集まってきた熱中症患者に、食堂で氷をと飲み物を売っていた。原因が塩分不足である熱中症に、神術は効かないためだ。
氷は義母さんに神術で出してもらって、布に包んで身体を冷やすのに使っている。飲み物は沸騰したお湯にハチミツと塩を混ぜ、冷やしてから柑橘系の果汁で香りづけしたものだ。
ちなみに、塩分と水分を十分に摂取して身体を冷やしてから、治癒系の神術をかけると、嘘のように回復するのは今日の発見である。
「我々治療院に、治療ノウハウと資材の提供をお願いしたいと考えています。王都へ提出された報告書、我々も写しを手に入れましたが、あれは素晴らしいものでした」
そうこうしているうちに、患者で溢れて忙しいはずの治療院から、使者が来た。名刺を見る限り、治療院の副院長らしい。
クソ親父は昔馴染みと飲みに行ってしまったので、代理で義母さんが対応する事になったが、案の定僕も巻き込まれて一緒に座らされている。
「評価していただけるのはありがたいですが、ノウハウと資材というのはどういう事でしょうか?」
副院長は義母さんしか見ておらず、こちらは最初にチラリと見ただけだった。子どもだから仕方ないが、情報収集は不十分かもしれない。
「非常時ですので、単刀直入にお話させていただきますが、賢人ギルドに提供した石鹸と疑似聖水の製法を当方にも教えていただきたい。また、熱中症の治療に必要な塩についても、適正価格での販売をお願いする」
コンストラクタ家が国王に提出した報告書は、ここでも波乱を呼んでいたらしい。
「石鹸については、賢人ギルドのターナ・フォートラン様にお任せしています。疑似聖水というのは良く分かりませんが、消毒液の事であれば我が家の秘伝。他に問題も多く、国王陛下の判断なく公開はできません」
義母さんがきっぱりと断る。灰と油が主な原料となっている石鹸は、フォートラン家のコントロール下でそのうち広がると思うが、消毒液として公表している次亜塩素酸ナトリウムは、塩水から電気分解して作るものだ。
塩が不足している現状、作り方を公開しても作れないのであまり意味がない。もし塩が潤沢にあったとしても、強いアルカリ性になると危険な薬品だ。
「では、塩の販売はご了承いただけると?」
塩は国の法律で上限価格が決まっている。そして、コンストラクタ領で産出される塩だけでは、おそらく国全体の需要を賄うには足りないのだ。
需要と供給の関係から考えて、本来であれば塩の価格は急騰してもおかしくない。だが、高値で売ると法律違反になる。
結果として、仕入れ値が上限価格となった商人は商売ができなくなり、国内の流通が止まってしまったというのが現状だろう。
そんな状況であるにもかかわらず、副院長は適正価格で、と言った。つまり法律上の上限価格で買い叩きたいという事だ。
我々の村は金持ちではなく、塩を作っている砦は国内有数の危険地帯の中で、村人が作業しているものだ。法律上の上限価格では、まったく見合わない。
「それについては、国王陛下にご相談させていただこうと考えています」
当然と言えば当然な反応を返す義母さん。が、副署長は荒く鼻息を吐き出した。
「そうはおっしゃいますがね。現に今、民は苦しんでいるんですよ。早急な治療が必要だとは思いませんか?」
まるで、僕らが民のことを考えていないかのような物言いだ。僕らは領主なので、領民に適正な単価で利益を返す必要がある。もちろん、この街を見捨てるという意味ではない。
だから、現在進行形で治療院の手が回らなかった民を助けているのだ。
「ええ。そう思いますので、可能な範囲で村に来る商人には分け隔てなく、塩漬け肉を販売していますよ?」
塩漬け肉の他にも、ここでも塩を混ぜたスポーツドリンクを大銅貨2枚で販売している。露店のお店の倍ぐらいの値段だが、氷が入ってこの値段なら適正価格だろう。
「医療に関しては、我々の方が専門です。我々に任せるべきでは?」
治療院側の主張は、パッと聞いた範囲では正しく聞こえるが、穴だらけだ。真正面から否定はしてこないが、疑問系を重ねてこちらが根負けするのを待っているらしい。義母さんは、一旦座り直してこちらを見た。
(面倒くさいから、あんたやっちゃいなさい)
義母さんが口パクで指示を出してくる。またこの流れか。毎度毎度、8歳に何を求めているのだろうか。
「と、言っているようだけど、イントはどう思う?」
義母さんが話をふってきた。僕は頷いて立ち上がる。座っていると背が低すぎて、目線が合わないからだ。
「いくつか疑問がありますね。まず、我が領地にも治療院はあります。オバラ院長には専門家として王都へ説明に行ってもらいましたが、助言は十分にもらっています。その上で、この街の治療院に任せなければならない理由は何でしょうか?」
話を引き継ぐ。なんで義母さんはこうナチュラルに厄介ごとに巻き込んでくるのだろうか。
「オバラ院長は治療院連盟の中でも末端の者。大規模な調整には慣れていません。我々ならば王国中に調整してみせますよ」
なるほど。オバラ院長より自分たちが上だから、この仕事は任せろという事か。
ろくな下調べもせずにやってきて、僕らに『民のため』という以上のメリットも示せない。だからこの程度の交渉もまとめられないのだ。
「なるほどなるほど。ならばあなた方は必要ありません」
僕の言葉に、副院長がギョッとした。そしてすぐに苦笑いをして、義母さんにアイコンタクトを送る。だが、義母さんは素知らぬ顔だ。
「ええと。坊ちゃん? どうしてそう思うのかな?」
気持ちの悪い猫なで声だ。僕の名前も調べて来なかったか。残念なことに、うちの家風は「舐められるな」だ。僕もコンストラクタ家の人間なので、その家風に則ることにしよう。
「まず、オバラ院長が末端で、あなた方が大規模な調整に慣れていて適任というのであれば、あなた方より大規模な調整に慣れている王都の治療院本部の方が、より適任でしょう」
教科書に載っていた演繹法だ。副院長は一瞬間を開けたが、反論を迷っているようなのでそのまま続ける。
「それに、あなたはすでに報告書の写しを読んだと言っていた。そうですよね?」
答えやすい質問のはずだ。
「え、ええ」
「原因は何でしたか?」
質問を重ねる。これも答えやすい質問だ。
「塩分と水分の不足と書いてありましたな」
ちょっと声に力が戻ってくる。大方、読んでいる事をアピールできて安心し始めているのだろう。
「ではなぜ、シーゲンの街にこれほど熱中症患者がいるのでしょうか?」
さらに質問を重ねる。副院長は不満そうな表情になってきた。
「それは、塩が不足しているからでしょう? 私は何を聞かれているのですかな?」
うん。やっぱりこの人には任せられない。胡散臭すぎる。
「あなたが民の事を考える専門家というのであれば、シーゲンの街の住民に塩分を取るように教えなかったのは何故ですか?」
質問を重ねる。副院長の顔が紅潮を始める。
「何を言うかと思えば、塩が不足しているものはどうしようもないでしょう? だから今日お話に来ているのですよ?」
少し意地悪だったが、かまうものか。義母さんは「やっちゃいなさい」と言ったのだ。
「いえ、塩以外でも塩分を取れるものはあります。報告書には塩分が不足すると、熱中症になると書いてありました。不足すると書いたのです。不足するというのは、足りなくなる事であって、全くなくなるという意味ではありません」
「それがどうかしましたかな? 回りくどい言い方はやめていただきたい。人間の生き血でもすすれと言うのですかな」
イライラしているようだが、惜しいところまではいった。自分でここまで言ってまだ気づかないとは、鈍いにもほどがある。
「近いですね。人間とは言いませんが、動物や魔物の血なら塩分が含まれています。我々の村には血を腸詰めにした料理があるのですが、シーゲンの街にはないのですか?」
副院長は少し考え込む。顔の紅潮は一気に引いていく。
「いや、ありますな……。貧民街の食べ物ですが……」
ピンと来たようだ。副院長が激高するタイプでなくて良かった。
実際村では血入りのソーセージを美味しく食べる研究が、奥様方の間で始まっている。僕は食わず嫌いなのでまだ食べていないが、本来は捨てられていた筋の細切れやら、商品にならない部位のひき肉やら、ハーブやらが混ぜられて、かなり美味しくなったらしい。
しかも燻製にすると、保存も効くのだとか。
「もしそれを食べるように勧めていたら、熱中症は予防できたかもしれませんね」
「いや、しかし、あんな不味いものを……」
副院長の顔が、さらに蒼くなってく。
「専門家なら、報告書で原因が判明した時点で、代替案を提案できたのではないでしょうか? うちの村では臭みや歯ごたえを改善する研究がすでに始まっていますが、あなた方は何をしていましたか?」
これも教科書に載っている帰納法の応用だ。状況を調べもせず、教えを請うわけでもなく、アイデアも出さず、しかも他人を貶めて成果だけ掠め取ろうという態度は、専門家とは言えない。
「いや、しかし、そんな無茶な」
副院長の口が、パクパクと悔しそうに意味のない言葉を紡ぐ。
「レイスウィルス感染症に関しては、熱湯消毒と石鹸の活用で乗り切ってください。熱中症の塩に関しては塩漬け肉やスポドリを村から出荷しますので、それを買ってください。僕から言えるのは以上です」
僕が言い終わると、タイミングを見計らって義母さんが立ち上がる。
「それでは、私たちはこれで失礼しますね。次はアポイントメントを取って来てくださる? 行くわよ、イント」
「あ、うん」
副院長は交渉の失敗を受け入れられないのか、目を泳がせていた。それを無視して部屋を出て行く義母さんを、僕は慌てて追う。
「イントはどんどん姉さんに似てくるわね。頼りがいがあって私は嬉しいわ」
扉を抜けてから、義母さんがしんみりと呟く。
もしかしたら、亡くなった本当の母さんは、僕と同じように義母さんから厄介ごとを押し付けられていたのだろうか?
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