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第一章『死の谷』

26話 環濠砦と剣術訓練

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 夕方近くになって帰還した父上たちは、堀の底で消し炭になっている鎧竜の成れの果てを見下ろしながら、拠点に入ってきた。少々見栄えは悪いが、拠点の外側にはもう堀が出来上がっている。

 柵と見張り櫓ができれば、見た目的には歴史の教科書に出てきた古代の環濠集落のようになる予定だ。
 稜線から『死の谷』側の堀には一部温泉が、村側の堀には一部沢の水がそれぞれ流れ込んで水堀になっているが、それ以外の大部分は空堀である。

「これは鎧竜のスケルトンか? 計画では柵だったと思うが、堀があって良さそうだな。誰のアイデアだ?」

 父上が出迎えに出たアブスさんに訊ねているのを、僕は大鍋で塩を炒めながら聞いていた。

「坊ちゃんでさぁ。坊ちゃんは指揮も的確で、今日は随分楽させてもらいましたぜ?」

 なぜかアブスさんも嬉しそうだ。

「それは頼もしいな。あいつ、修羅場を抜けて一皮剥けたか?」

 それは誤解です。前世の記憶が戻っただけで、魔物に襲われて一皮剥けたりしません。いや、ちょっと擦りむいたから一皮剥けたと言えなくもないけど。

 こそばゆい親馬鹿な評価を聞きながら、塩を大きな木のヘラでひっくり返す。堀が出来たので製塩用の竈を温泉の近くに作り直し、鍋の数をさらに増やしたので、塩ができる速度は格段に早くなった。

 狩人さん達たちは父上たちが倒した魔物の回収しに谷の奥に行っていて、木こりさんは切り倒した木を各パーツに切り分けている。その他の人たちも魔物の解体や料理、見張りと大忙しだが、シーピュさん以降熱中症で倒れた者はいない。塩がちゃんと効いているのだろう。

 その塩も、大きな袋で2袋ほど脇に置かれている。今詰めている分と、半日前に村に送った1袋で、一日4袋分ぐらいは生産できそうな気配だ。

「坊ちゃーん、ちょーっと塩貰っていきますぜ」

 必死にひっくり返していると、解体班の村人が、袋に詰める前の塩をまた取りに来た。

「良いけど、何に使ってるの?」

 村人はニヤリと笑う。

「坊ちゃんのおかげで、また塩漬け肉が作れるようになったんでさ。ウチの塩漬け肉は名物ですから、楽しみにしといてくだせぇ」

 村人は皿に塩を盛ると、そのまま小走りに走り去った。

「なるほど塩漬け肉。高値で売れたら学費の足しになるかな?」

 皮算用をしようとしたが、金銭感覚がまったくない事に気がついた。買物しようにも村は物々交換だし、シーゲンの街でお店に入ってもアンやパッケが代わりに払ってしまうので、お金に触れたことすらない。
 だから塩漬け肉がいくらになるか、まったくわからない。
 そのあたりもおいおい学ばねばならないだろう。

「おい、イント」

 また鍋の中の濡れた塩粒を木のヘラでひっくり返そうとして、突然背後から声をかけられた。振り返ると、パッケと父上が並んで立っている。

「今日の訓練をやるから、ちょっとこっちへ来い」

 訓練。そう言えば僕は毎日剣術だったり弓術だったり槍術だったり、何かしら武芸を学ばされていた。

 ただ、記憶の戻った晩から訓練はしていない。忙しかったからだ。

「手が足りてないんだ。塩作るのがストップするよ?」

 さっきまで手伝ってくれていたマイナ先生も、今は自分たちのテントに戻っている。転生の件をマイナ先生の両親には話しても良いか確認されたので了承したが、その事を話しているのかもしれない。

「パッケ、代わってやってくれ」

 父上はどうしても訓練したいのだろう。声をかけられて進み出てきたパッケは、『死の谷』でも相変わらずの執事服で、汗一つかいていない。

「わかりました。坊ちゃん、教えていただけますか?」

 僕はパッケに手順を伝えて、大型のしゃもじのようなヘラをパッケに渡す。前世の記憶を思い出した今は、訓練よりも勉強がしたいが、多分父上に言ったらまた殴られるだろう。

「約束だ。訓練はちゃんとしろ。そのかわり、塩の利益の5分はちゃんと回してやるから」

 そこまで言われると行くしかない。父上について行くと、環濠の中央に連れていかれた。

 まだ何もない斜面で、ガランとしている。そこで父上は訓練用の木剣を放り投げてきた。それを空中でキャッチして、2、3度振る。

 砦用の端材で作った即席だろう。まだ生木で少し重く、握るとトゲがチクチクする。

 僕は腰紐にぶら下げていた指が出る皮手袋をつけて、さらに剣を持っていない方に籠手を着けてから、もう一度木剣を握り直した。

「言われた通りに訓練もやるけど、勉強もするから」

 殴られる覚悟で言ってみたが、父上は黙って、僕のと似たような剣を握ると、僕と同じように振って見せる。ヒュンヒュンと風を斬る音が、僕の音よりはるかに鋭い。

「まだ言うか。その曲がった根性を叩き直してやるから、とっととかかってこい」

 勉強で根性が曲がるのか。前世の親とは正反対の脳筋ぶりで、ちょっと面白い。

「僕は曲がってない。多分負けるけど曲がってないから!」

 口答えした瞬間、父上が踏み込んで来たので、剣を持っていない側に転がってかわす。後ろに回り込もうと思ったけど、父の横薙ぎは的確に追尾してくる。

 それを籠手で少しだけ上に弾いて、間合いに踏み込んでみたが、今度は膝が飛んできた。

「ぐえ」

 潰れるカエルのような声が喉から漏れて身体が宙を舞う。革鎧を来ていなかったら今ので胃液を吐いていただろう。

 空中で追撃してきた父上の斬撃に自分の剣をあて、それを利用して空中でくるりと回転すると、そのまま着地に成功する。

 僕には妹のように空中を蹴って体制を変えるような変則的な動きはできないが、真似事ぐらいならできる。

「またちょこまかしてばっかりか。そら、飛猿を倒したんだろ。ちょっとは反撃して見せろ」

 父上はいつものように煽りながら無造作に連撃を放ってきた。多分手加減していると思うが、それでも人間とは思えない。
 反撃する隙なんてどこにもないじゃないか。

 間合いを外してから斬りかかるが、今度は背中で吹っ飛ばされた。

「ほら、相手は剣術ばっかりじゃないぞ。油断するな」

 仕方なく距離をあけると、今度は石礫が飛んでくる。父上の場合、実戦だったらこれが投げナイフになっていたはずだ。

 これも体を捻って何とかかわす。

「おお。かわした回数が新記録だぞ。やるじゃないか」

 父上が石礫を投げた姿勢のまま、ニヤリと笑った。

 おかしい。父上は戦闘中に動きを止めたりしない。

「でも言ったはずだぞ。相手は剣術ばっかりじゃないと」

 次の瞬間、ゴツンと背中に何かが当たって激痛が走る。

「なっ!!」

 僕は吹っ飛ばされながら、背中に当たって跳ね上がる石礫を見た。何でかわしたはずの石礫が背中に当たるのだろうか。

「ほら隙ができた」

 父上が踏み込んできたのが見えたが、僕は17歳でもある。痛みを我慢して、父上の剣を見た。

 そして、再び転がってかわそうとして、父上の剣を見失う。

「なぁっ!!」

 普段鎧を着ていない時は寸止めだが、今日は鎧を着ていたせいだろう。父上は木剣を振り抜いた。

「げふぅっ!」

 鎧を着ていても耐え切れないほどの衝撃を受けて、僕はぶっ飛ぶ。

「ほら。反撃しないからそうなる」

 硬い地面に背中から落ちて悶絶していると、父上が剣を首元に突きつけてきた。

「はい。勝負あり」

 我が親父ながら大人げない。石礫が軌道を変えたのは神術か仙術だろうし、剣を見失ったのはフェイントだろう。

 僕みたいな素人をいじめて楽しいのだろうか。

「お前の負けな。あ、そうそう。お前明日パッケと一緒に村に戻れ」

 ニヤニヤと嬉しそうに笑う父上を見上げたまま、僕は声が出せない。

「あ、これ領主命令な。マイナさんたちは俺が『死の谷』の中心まで案内しておくから」

 ドキッとする。父上はイケメンだ。マイナ先生が吊り橋効果とやらで父上にコロッといってしまったらどうしよう。

 そんな想像をして、ちょっとイラっとした。

「お? まだいけそうだな。ほら、立て立て」

 頬をツンツンと突いてくる父上の木剣を籠手で払いのけて、僕は立ち上がる。各所に痛みはあるし、身体は疲れてだるくなっているが、動けないほどではない。

 荒い息を何とか落ち着けて、再び木剣を構える――――
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