転生受験生の教科書チート生活 ~その知識、学校で習いましたよ?~

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第一章『死の谷』

18話 塩化ナトリウム水溶液が飽和するまで

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「霊力の枯渇と湯当たり、でしょうね」

 テントの中で意識を取り戻した僕に、厳しい顔をした義母さんはそう告げた。

「やはり、灯りの神術ぐらいで枯渇するようなら、元々の霊力量はさほどではない可能性が高いな。イントは訓練が終わるまで、神術を使うのは禁止だ」

 義母さんの横では、父上が腕を組んで、寝そべる僕を見下ろして宣告した。
 灯りは確かに僕がお願いしたものだけど、あれは神術なんだろうか? マイナ先生いわく、自称天使は聖霊の一種らしい。なら聖霊神術と言えなくもないけど、神術のイメージとはちょっと違う気がする。

 まぁ、倒れた原因は、のぼせていたところにおっぱいが当たって興奮したせいだと思うので、特に問題ないだろう。そんな事は口が裂けても言えないが。

「わかりました父上。でも、戦うのはもう嫌なので、訓練はしません。僕は勉強で身を立てて行きたいと思います!」

 立ち上がって発言した次の瞬間、父上が一歩踏み込んでくるのが見えて、僕の手が反射的に跳ね上がる。

 バチン!

 父上のビンタを、僕は腕で受け止めていた。おお、我ながらすごい。これを止められるとは。

 父上はニヤリと笑う。間髪入れずに逆側から飛んできたビンタを、今度は受け止められずに吹っ飛ばされた。
 こんなの、下手をしたら首の骨が折れるんではなかろうか。頬だけでなく、首にも負荷がかかっているのを感じながら、宙を舞って途中でテントの布地に突っ込む。何かが破れる音がした。

 前世でいえば体罰だが、こちらの世界ではまだ教育である。

「1回目を防御できたことは誉めてやろう。だが、そこで油断してるようではいつか死んでしまうぞ? 勉強も結構だが、うちは武門。その程度の実力で訓練をやめることを認めるつもりはない。勉強したいなら、魔物狩りでもやって稼いで、先生を雇うなりなんなりすればいい」

 頬をおさえてうめく僕を見下ろして、義母さんと似たような事を言う父上。家庭教師代を稼がせるために、8歳に命の危険がある魔物狩りをすすめるなんて、武門と言っても限度がある。
 それに勉強なんぞ、字が読めさえすれば参考書でもできるだろうに、家庭教師が前提とは貴族とはなんて贅沢な生き物なのだろう。

「わかりました。魔物狩りは嫌ですが、お金は自分で稼ぎます。ちなみに、マイナ先生をお呼びするにはいくらかかるんでしょうか?」

 近くで話を聞いていたマイナ先生は、急に話を振られて驚いた様子で顔をあげた。ターナ先生は一緒ではないようだ。

「えっと、わたしは賢人ギルドのシーゲン支部所属で、そこを通してもらわないといけないんだけど、一日銀貨10枚プラス必要経費だね。わたしの本拠地はシーゲンの街だから、移動にかかる必要経費と滞在費が加算されるかなぁ……」

 お小遣いを貰っていないので、こちらの金銭感覚はサッパリだけど、銀というからには高額なんだろう。

「銀貨10枚。10日で金貨1枚ね。先生は優秀なのねぇ……」

 義母さんの呟きで悟る。数時間で村の識字率を一気に押し上げたぐらいなので、きっと教師として優秀なんだろう。
 ちなみに、村で金貨はほとんど流通していない。大銀貨までは何回か見たことがあるが、金貨は父上の金庫に数枚あるのを見たことがあるぐらいだ。かなり高額な貨幣であることは間違いない。

「ははは。前途は多難だな。今日は『死の谷』の奥地にアタックするために、ルート上の骨竜狩りをするが、イントは体調が戻るまで参加を免除する。マイナさんと一緒にいなさい」

 父上はマイナ先生に笑いかけた。さっきの怖い雰囲気から一転、爽やかな笑顔だ。

「ああ、イント。お前は塩に詳しそうだから、体調が良ければ、そこの温泉から塩を作っておけ。製法を確立して本当に売れるものができたら、その利益からいくらかお小遣いをあげよう」

 すでに石鹸で失敗した事を知っているのだろう。声に茶化すような響きが混ざっている。だが塩なら失敗のしようがない。

「では利益の5分に決めませんか?」

 5分というのは、100分の5、つまり5%の事だ。塩なんか安そうだし、学費の足しにはならないかもしれないけど、割合は決めておいた方が良い気がする。

「5分か。良いだろう。では行ってくる」

 父上はそう言い残して、テントを出て行った。義母さんもその後に続いて、テントの中はシン、と静まり返った。

「イント君、大丈夫? 少し冷やす?」

 頬がジンジンと痛む。きっと赤くなっているだろう。マイナ先生が心配して頬を覗き込んでくる。

「だ、大丈夫。それより、塩作りをやります。一刻も早く先生を雇いたいので」

 顔が近いのが照れくさくなって、先生を置いて僕もテントを出た。


◆◇◆◇


 炊事場の竈を巡って残り火に薪をくべる。竈は炊事場に全部で5つ。石鹸を作った竈を合わせると、6つ。
 そして海水の場合だと濃度は3%ちょっと。つまり海水からなら、1リットルから30グラムほど塩が取れる計算になる。温泉の濃度によるだろうが、鍋6個5リットルずつとみても、合計900グラムほど。壺一つ分にもならない。
 前世では500グラム2袋分にも足りない量だ。村の人口は300人なので、多分数日持たない。

「全然足りないな。竈を増やすか」

 小山のように詰まれた薪を確認する。森に落ちている枝を集めてきているが、よく乾いているものを選んでいるので、さほど量はない。竈を増やしたら今度は薪がなくなる。

「坊ちゃん。昨日はありがとうございます。今度は何をなさるんで?」

 水瓶を探していると、シーピュさんが近づいてきた。昨晩倒れていたが、今はしっかり歩いている。あれで回復したということは、やっぱり原因は熱中症だったのだろう。

「もう良いんですか?」
「おかげさまで。少しだるかったのもすっかり元通りでさ」

 シーピュさんはぐるぐると腕を回して、元気さをアピールしてくる。

「で、何をなさるんで?」
「いや、ちょっと温泉のお湯を煮ようかと思って。流行り病の治療に使えそうなんで」

 食い下がってくるので、仕方なく答えると、シーピュさんの目が輝いた。

「そいつぁすげぇじゃないですか。今日は仕事がねえんで、是非とも手伝わせてくだせえ」

 食い気味に協力を申し出てくれる。これは運が良い。

「あ、じゃあ、竈作るの手伝ってくれますか? 鍋は10あるので、あと4つ作ってください。体調に気をつけて、異常を感じたら涼しいところで休んでくださいね」

 他の狩人さんたちも集まってきてくれた。会話を聞いていたらしい。

「お? じゃああっしらもお手伝いしますぜ。この後見回り行きますんでついでに薪を拾ってきまさぁ」
「あっしはここの守りなんで、お湯汲み手伝いまさぁ」

 次々に仕事を請け負ってくれる。助かるけど、父上は自分で何とかしなさいと言ってた。バレたら怖いかもしれない。

 でも、たくさん作るためには手が足りないので、今は言葉に甘えよう。

「お願いします」

 頭を下げると、狩人さんたちが肩を叩いて散っていく。

「あ、最初の温泉汲みはお付き合いしやすぜ」

 シーピュさんが天秤棒に水瓶を2つぶら下げてついて来てくれる。

「ありがとう」

 実は水瓶一つでも重いので、手伝ってくれるのはありがたい。竈6つ分だけでも先に火にかければ、その分早く作業が開始できるだろう。

「それにしても、坊ちゃんはどうやってあの病気の治療法を見つけられたんで?」
「どうやってって、そりゃあ……」

 ふと、マイナ先生の言葉がよぎる。昨日迂闊に喋らない約束をしたばかりだ。

「偶然かなぁ」

 みんなが熱中症を知らないとは思っていなかったから、気づいたのは本当に偶然である。嘘はついていないし、迂闊に喋ってもいない。天才かもしれない。

「そいつは神の思し召しかもしれませんねぇ。あっしの知り合いの父親も同じ病気で倒れたんでやすが、もし薬が出来たら少し譲ってもらうわけにはいかないっすかね? あ、もちろんお金は払いやす」

 神ときたか。先生の話の後だと、なんとなく神という言葉に警戒感を持ってしまう。

「もちろん。とりあえず汲んじゃいましょう」

 ベースキャンプから温泉はものすごく近い。僕らはすぐに父上が作った湯舟に辿り着いて、水瓶をいっぱいにすることができた。

 それを炊事場まで運んで、火にかけた6つの土鍋に均等に温泉を注ぐ。それを4回ほど繰り返すと、鍋がいっぱいになった。

 続けて、竈を追加で作っていく。合計4つ。鍋が10個しかないので、これが限界値である。

 その後、また温泉水を運んで鍋を満たす。それをガンガン煮詰めていくと、薄いピンク色になってきた。

「水分はちゃんと取ってくださいね~」

 手伝ってくれているシーピュさんに注意を促していると、ターナ先生とマイナ先生がどこかから戻ってきた。手には失敗した石鹸の壺を抱えている。

「ありゃ。先生方、どちらへ行かれてたんです?」

 声をかけると、二人がこちらを向いた。ターナ先生は化粧をしておらず、いわゆるスッピンである。化粧をとっても肌がキレイなのは、専門家だからだろうか。

「ああ、沢にちょっと」

 沢というのは、稜線のこちら側を流れている小川の通称だ。不思議な事に、稜線の向こう側の湧き水は温泉で塩水だが、稜線のこちら側は普通の冷たい真水である。このキャンプの飲み水も、すぐ近くにある軽くまたげる程度の細い川から汲んでいるらしい。

「それはそうとイント君。この石鹸なのだけど、研究のためにこのまま頂いてもよろしいかしら」

「良いですけど、泡立たない失敗作ですよ?」

 ターナさんはウキウキしている感じで、今にも踊りだしそうだ。

「失敗作かどうかは、これから確認いたしますわ」

 研究者というのは、失敗作も研究するらしい。こんなに食いつくなら、水酸化ナトリウムを使った石鹸も作ってみても良いかもしれない。

 確か、塩化ナトリウム(食塩)の水溶液を電気分解するんだったか。

「お任せします。何かわかったら教えてくださいね」

 僕がそう答えると、ターナ先生は嬉しそうに壺を抱えて自分のテントに入っていった。

「ところで、イント君のほうは順調なの?」

 残ったマイナ先生が心配そうに聞いてくる。塩は煮詰めるだけで出来るので、失敗のしようがない。

「順調です。見ます?」

 すでに鍋の中の水位はかなり下がっていて、鍋肌には白く塩がこびりついている。

「へぇ。この白いのがそう?本当に煮詰めるだけなんだね。教えてもらったものだと、海の砂浜の砂を海水で煮て作るって聞いてたんだけど、砂がなくてもできるんだ」

 マイナ先生が変な事を言う。砂浜の砂を海水で煮るっておかしい気がする。いや、入浜式塩田は潮の満ち引きで砂浜に海水を引き入れて蒸発させ、砂についた塩を海水で洗って濃度の高い塩水にしてから鍋で煮るんだったか。
 歴史の教科書の資料集にそんな風に載っていたが、だとするとマイナ先生が言うのはそれに近いやり方かもしれない。

「それだと砂が混じりません?」
「そう言えばそうね。何でかしら」

 マイナ先生は首を捻りつつ、鍋を覗き込んでくる。鍋の湯量は半分ぐらいになっているが、考えて見れば元々4%の濃度だったとしても、蒸発して8%程度になっただけなので、飽和して塩が析出する33%までまだしばらくかかるだろう。

「でもこれ、ちょっとしか取れてないね」

 マイナ先生は鍋肌が白くなっている部分だけを見ているが、塩は飽和してから一気に出てくる。マイナ先生は水溶液の飽和がわかってないらしい。

「えっと、このお湯の中には塩が溶けていてねーーー」

 僕はマイナ先生に先生気分で解説を開始した。
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