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第一章『死の谷』
17話 温泉と泡立たない石鹸
しおりを挟む「くぅ! 貸切温泉最高!」
肩までお湯に浸かり、手で顔を洗う。汗や返り血のベタベタが嘘のようにさっぱりしている。
満点の星空の下、至福のひと時だ。
「今日は嫌なこともたくさんあったけど、ご飯に風呂で吹っ飛ぶなぁ……」
夕飯は、塩がちゃんと効いた肉を飽きるほど食べた。狩人さんたちの中に数人、熱中症の症状が出ていたので、料理に塩を使うように父上が指示したからだ。
結局、酒もないのに食えや歌えのどんちゃん騒ぎ。父上がノリノリで剣舞を踊って、どこに潜んでいたのかもわからない黒い大型の猫のような魔物を切り捨てたところで、宴の盛り上がりは最高潮に達した。何でも、あれは熟練の狩人さんでも足跡しか見つけられない魔物で、知らない間に食い殺されてしまう可能性があったらしい。
お腹いっぱいになってから、一人で父上があけた穴を見に行くと、お湯が溜まっていた。周囲には魔物避けの陣幕が張られ、掘られた湯船は段差をつけて二つあり、温度も入浴にちょうど良い。
ここのところ全身気持ち悪かったのもあって、誘惑に抵抗しきれずにひとっぷろ浴びていくことにしたのだが、大正解だった。今世で初めて湯船に入ったせいで、長風呂になりつつある。
「母さん、ホントにつかるの? まだ安全確認できてないし、石鹸だってイント君の許可もらってないよ?」
「調査はできる時にやっておくものですわ。ここは危ないエリアなんだから、いつ引き上げないといけなくなるかわからないのですわよ?」
まったりと湯に使っていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。声からすると、マイナ先生とターナ先生だろう。
『灯りを消して!』
慌てて近くに浮かべていた灯りを消す。しかしすぐに先に入ってたのは僕なのだから、むしろ消さなかったほうが良かったことに気づいた。暗闇だからわからないが、隠れる場所もない。先に気づいてもらった方が良かっただろう。
陣幕をめくる音がして、薄暗いランプを手にした先生たちが入ってくる。僕はランプの灯りに照らされない位置にいたので、二人はまだこちらに気がついていない。
「肌かき器は肌を傷つけますわ。実はさっき石鹸で手だけ洗ってみたのですけど、水で泡立ってすごくさっぱりしましたの。これは是非とも全身で試してみたいですわ」
ターナ先生は石鹸の壺を抱えたまま、ウットリと空を見上げる。マイナ先生はお湯に触れて温度を確認した後、臭いを確認していた。
「ちょうど良い温度で、臭いもないみたい。味も濃い塩味ね」
それだけ確認すると、二人は服を脱ぎだす。僕は慌てて後ろを向いてーーー
ちゃぷん
自分がたてた水音で、魂が凍りつく。やばい。間違えた。このままでは変態扱いされる!
「あ、あの! ぼぼぼ、僕こここここにいますから!」
ギリギリで、僕は間に合った。服を脱ぐ衣擦れの音が止まる。これで覗き魔と思われることはないだろう。
「え? イント君? いるの?」
「う、うん」
危機は脱したが、まだ動揺がおさまらない。マイナ先生はランプを片手に周囲をうかがっているようだ。
「ひとり?」
「うん。そ、そう」
「じゃ、ちょうど良かったかな。そのまま向こう向いててね」
服を脱ぐ気配が再開される。いや、ちょっと待て、何で脱ぐんだ。
「えと、僕がいるんですが」
ちゃぷん
マイナ先生がお湯の中に入ってくる気配がする。耳を澄ませてみると、ターナ先生はまだ服を脱いでいるようだ。
マイナ先生が近づいてくる。
「あ、じゃあ僕上がりますね」
幸い、僕の服はマイナ先生とは逆方向にある。先生が入ってくるなら僕が出るまでだ。
「ちょっと待って」
立ち上がったところで、マイナ先生に腕を掴まれて、お湯の中に引き戻される。
「子どもが何気を使ってるの。大丈夫だよ」
思わず振り返ると、薄暗いランプと月の光に照らされて、先生のシルエットがはっきりと見えた。
「え? 服を着てる?」
お湯の中のマイナ先生は、ちゃんと服を着ていた。裸ではない事にホッとしたが、ちょっと残念でもある。
「もしかして、わたしが裸だと思ってたの? おませさんだね~。外なんだから湯着ぐらい着るに決まってるじゃない」
マイナ先生は動揺しまくっている僕を見て、楽しそうに笑っていた。固まっている僕を見て、ターナ先生もクスクス笑っている。
「じゃあ石鹸を使う許可と、使い方を教えてくださる?」
ターナ先生が湯船に入りながらそんなことを言ってきた。使い方と言われても、前に説明した以上の事はわからない。
「わかりました。ちょっと壺見せてください」
ターナ先生は壺を湯舟の中に持ってきてくれた。中を覗いてみるが、暗くて何も見えない。
「見えないので灯りをつけますね。『灯りあれ』」
フワッと柔らかい蛍のような光が灯る。ほんのりと視界が色彩を取り戻して、壺の中身が浮かび上がる。
「あっれー?固まってないですね」
照らし出された壺の中身はドロッとしたゼリー状だった。化学の授業で作った石鹸はもう少し硬かったように思う。神術であれだけ撹拌されていたし、鹸化が不十分とは考えにくいのだけど。
浮べていた桶の中から手拭いを取り出し、壺から少し石鹸をすくい取って手拭いにのせる。そこに温泉のお湯をかけて揉むが、思ったように泡が出てこない。
「おかしい。あんまり泡立たない……」
ヌルヌルはしているものの、知っている石鹸とは随分と違う気がする。やっぱり食塩を電気分解した水酸化ナトリウムで作らないといけないのかも知れない。
「本来はそれで泡立つの?」
「そうなんだ。泡立ててから身体をこするんだけど……ヴェッ?」
喋っている途中で顔をあげて、変な声が出た。さっきまで暗くてわからなかったけど、マイナ先生の湯着が濡れて肌に張り付いている。髪はアップになっていて、うなじが色っぽい。
マイナ先生をまじまじと見そうになって、慌てて目をそらす。相手は中学生で、高校生の自分がしたらロリコンだ。
石鹸に集中したことで出来始めていた余裕が、あっという間にどこかに吹っ飛んでしまった。
「ちょっと貸してね」
固まる僕をよそに、マイナ先生先生は桶ごと持ってターナ先生のところへ歩いて行く。後ろ姿の腰がくびれているのが気になって、また心臓が跳ねる。
「お母さん、泡立ってないよ?」
マイナ先生とターナ先生は、桶の中を覗き込んで泡立てようといろいろいじっているが、いっこうに泡立つ気配がない。
どうやら僕は失敗したらしい。石鹸で学費を稼いでやろうという皮算用は、これで完全に吹き飛んだ。この温泉から塩はとれそうだけど、塩は煮詰める必要がある上に、多分安い。塩不足が終われば、こんな危険な場所で塩づくりをしてくれる人はいないだろう。
つまり学費の足しにはならない。
「おかしいですわね」
ターナ先生は手拭いでゴシゴシしているが、全く泡立っていない。泡立たないということは、石鹸になっていない。
つまり二つとも失敗。思い付きでチートできないというのは良く分かった。後で泣こう。
「ごめんなさい。多分失敗したんじゃないかと。原料は灰の炭酸カリウムじゃなくて、水酸化ナトリウムの方が良いんです。あと、塩析って塩を使って固形化する工程もしてないし……」
頭をかきながら言い訳する。先生たちに期待するだけさせて、申し訳ないことをした。
「学問に失敗はつきもの。実際に油と水が溶け合っていて、これだけでも成果になりますから、気にする必要はありませんわ」
ターナ先生が慰めてくれる。ありがたい話だ。
「せっかく手伝ってもらったのに、申し訳なくって……。あ、そう言えば、水と油が混ざると言えば、もう一つあるんだ。『乳化』っていって……」
確か化学の授業で、『乳化』の事例として紹介されていたものがあった。授業で実験はやらなかったけど、女子のグループが家庭科の授業中に自作していた記憶がある。
『ふむ。乳化と言えばあれであるかなぁ……』
自称天使の声が聞こえて、また空中に教科書が現れた。今度は2冊で、家庭科と化学だ。頼まなくても察して出てくるは便利かもしれない。比率がちゃんと書いてあるので、これなら再現できるだろう。
「卵と酢と油を思いっきり混ぜると、混ざって白いソースができるんだ。お詫びに今度ごちそうさせて」
言わずと知れたマヨネーズである。昔読んでいた転生モノの小説でチートの材料にされていたので、乳化の授業中こっそり検索した。マヨネーズはイギリス領の島に攻撃をかけたフランス軍の指揮官が、戦火の中マオンという港街のレストランへ行った際食べたのがきっかけで広がったらしい。だからマヨネーズの語源は『マオンのソース』らしい。18世紀頃のことだ。
「ああもう、健気でホント可愛いわねっ」
どこが健気で可愛いのかはさっぱりわからないが、脈絡なくマイナ先生にハグされた。薄いながらも柔らかいおっぱいが、湯着越しに頭の横に当たる。
自慢ではないが、前世では女子と積極的に話したことがない。ましてやおっぱいに触れたことなんかあるわけもない。いや、マイナ先生のなら心配蘇生の時にも触れたが、あれは医療行為だし、仰向けだった。
ベストコンディションでの接触は、多分これが初めてである。
僕は相好を崩しながらマイナ先生の腕の中でジタバタもがき、幸せな感触に興奮して、そのまま意識を失った。
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