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第12章 奈落の底に棲む悪魔

31 回想2(※綾那視点ではありません)

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 店舗兼自宅だから可能なのか、人気店ゆえに働く従業員が多いからこそ可能なのか。桃華の両親が経営する『メゾン・ド・クレース』は、朝五時から夜中の三時まで営業している。
 メゾン・ド・クレースは、言わずと知れただ。コンビニでもスーパーでもドラッグストアでもなく服屋なのに、利用する客側が心配してしまう程に営業時間が長い。
 その理由は、やはり消費者の需要が高いからだろう。軒先にある『王族御用達』の看板と、取り扱う衣類のジャンルが豊富な事も人気の秘訣に違いない。

「ナギ、こっちこっち! 急がねえと、もかぴが家に引っ込んじまう!」

 何かと目立ちすぎる素性を隠すためか、陽香はパーカーのフードを目深に被ったまま夜の王都を小走りで先導する。
 現在の時刻は二十一時半だ。桃華はリベリアスの法律上成人済みだが、二十二時を過ぎれば店の奥へ引っ込んでしまう。曲がりなりにも一度は誘拐された身で、その上幸成王子の恋人とくれば周囲も過保護になるだろう。

「ねえ、ちょっと待ってよ……二人は知り合いなんだろうけど、私に対して色んな事が説明不足だとは思わない?」
「今は時間が惜しいんだって! 一刻も早く王太子と話したいんだろ? 正攻法じゃ無理なんだから、手回しは迅速にってな!」
「そうよ、あの二人ほんの数日で戻って来ちゃうんでしょう? それまでに王太子と婚約を結ぶところまでいかなきゃ、颯月さんに嫌がらせできないまま終わるわよ――なんなら、綾那に灸を据えるチャンスでもある訳だし」
「それは分かるけど……」

 陽香のすぐ後ろをアリスが追いかけて、渚はその更に後ろを渋々ついて行く。ちなみにルシフェリアは、『僕はここで皆の帰りを待っているよ』と言って本部の裏庭に残ったままだ。

「あたしとした事が、もかぴとナギを引き合わせるのすっかり忘れてたんだよな。でも思い返せばお前、なんだかんだ言って法律違反者だし? そもそも悠長に街歩きしているような余裕すらなかったって訳だ」
「まあ正直、私の婚約者問題が片付くまではホテルと騎士団本部を往復するのが限界だと思ってたからね。それで――その『もかぴ』ってのは、どういう人?」
「簡単に表すならユッキーの恋人で、かつ未来の奥さんって感じだな」
「つまり、将来的に王族の仲間入りを果たす女性って事か」
「そう。あたしらが直接ユッキーに王太子のアポ取り頼んだって無駄だろうけど、もかぴ経由で頼めばなんとかなりそうな気がしてさ。あいつ普段うーたん並みに融通が利かねえクソ真面目だけど、もかぴにだけは弱いんだよ」
「へえ……あれ? でも、あの人の恋人ってそんな気の抜ける名前だったっけ」

 小首を傾げて呟く渚に、すかさずアリスが「正しくは『もかぴ』じゃなくて、モカちゃん――いや、桃華ちゃんって言うんだけどね」と名前を訂正する。すると渚は、途端にしたり顔になって頷いた。

「なるほど、確か同性の友人が極端に少ないって噂の……下手をすれば、綾よりもチョロい子だよね?」
「……間違っちゃあいねえけど、言い方よな」
「数少ない友人の陽香やアリスから頼み事をされたら、彼女は絶対に断れないんだ。例え、愛する恋人が頭を抱えるような内容だとしても」
「ああ、ダメ押しでナギもダチになっちまえば万が一が起きる事もねえはずだ。ちょっと前なら『第三の刺客』として敵視されてたかも知んないけど……アーニャも今はもう颯様と結婚したから、安心しきってるはず。かなりスムーズに話が進むと思うんだよ」

 絨毯屋とひと悶着あった際の恩人である事を差し引いても、桃華にとって人生で初めてできたと言っても過言ではない同性の友人代表が綾那だ。だからこそ彼女は綾那に傾倒して執着して、いつか綾那が家族を探すために王都を出て行くかも知れないと思う度、酷く取り乱していた。
 そうして、陽香にしろアリスにしろ、綾那が家族と再会したと知るなり「お姉さまを奪い去ろうとする刺客!」と情緒不安定に激昂していたのだ。

 しかし、それらはいつも本当に一瞬の事だった。陽香が友達になろう、アリスも友達になりたい――なんて話になれば、すぐさまくるりと手の平を返して歓喜に打ち震えたのだから。
 今となっては綾那もリベリアスに永住すると公言しているし、颯月と籍まで入れたのだから安心しているだろう。例え渚が『第三の刺客』たる綾那の家族だとしても、一切敵視される事なく打ち解けられるはずだ。

「……友達って、強制されてなるものじゃないと思うけど」

 明らかに気乗りしていない様子の渚を見て、アリスが小さく噴き出した。

「渚に限ってはこういうキッカケでもなくちゃあ、友達づくりなんて一生しないじゃない。良い機会だわ、アンタだって将来的に王族の仲間入りを果たすかも知れないんでしょう? 王子様に嫁入りするって境遇の者同士、今の内から味方にしておきなさいよ」
「いや……私は、相手が王太子だから婚約解消できないかもってだけで、できる限り解消の方向へ働きかけるつもりだし――こっちへ来たばかりの綾を世話してくれた事には感謝するけど、見苦しいくらい綾に執着するのは颯月あの男一人で十分じゃない?」
「つまるところ、嫉妬とプライドが邪魔してんだろ? ここに居る誰よりも早くアーニャににされた古株は、間違いなくあたしだぞ? このド新規共が――って」
「………………それが何か?」

 憮然とした表情で目を眇める渚。陽香とアリスは顔を見合わせると、声を上げて笑った。


 ◆


「――まあッ……そんな! そ、それでは、あなたが渚さんですか!? ずっと前から居場所は判明していたのに疫病のせいで身動きが取れず、会いたくても会えないのだと……あなたの事はお姉さまに何度も聞かされていたので、なんだか初対面に思えません!」

 大きな目を爛々と輝かせながら早口で捲し立てる桃華に、対する渚は抑揚のない声で「はあ」と釣れない相槌を打つ。それも愛想を振りまく気が一つもないのか、眠たそうなジト目のままだ。
 桃華は一行が来店するなり両手を上げて高く飛び上がり、「私、ちょうど上がりなんです!」と店の裏――桃華の自宅スペースまで招いてくれた。
 ゆったりとした長ソファに陽香達を座らせて、突然の来訪にも構わずテンション高く茶まで振る舞って。それからようやく腰を落ち着けたかと思えば、渚の名前を知るなりまた一段と声のトーンを上げて。

 桃華から手放しに歓迎されても、渚はまともに相手するのも煩わしいのか終始反応が薄い。
 は渚が綾那と共に過ごしたくても出来なかった、どうしたって埋められない空白に無断で入り込んだ簒奪者さんだつしゃのような女だ。それも、渚にとって天敵である颯月の
 せめて他の家族を慕っているのであればまだ許せたのに、よりによって渚が特別視する綾那を一番に慕うものだから手に負えない。

「へー! アーニャのヤツ、そんなにナギの話ばっかしてたのかよ?」

 渚の塩対応が目に余ったらしく、その隣に座る陽香が笑顔のままグッと肘を押し付ける。
 綾那の事がなくたって渚は人一倍警戒心が強い。陽香としても、彼女が初対面の人間とそう簡単に打ち解けられるはずがないと分かっていた。しかし、今はそれだと困るのだ。
 桃華を味方につけて、幸成に口添えをしてもらわなければならない。そうして維月と面会する機会を得られなければ、陽香達の目論見はついえてしまうのだから。

 幸か不幸か、桃華の方から良いパスが回って来た。綾那が話題に出していたのは陽香でもアリスでもなく、渚――その言質が取れれば、このジト目の態度もいくらか軟化するはずだ。

「ええ、それはもう! とても賢くて、素晴らしい家族だと……なんでも一人で出来てしまう方だから心配ないだろうけれど、その反面寂しがりなところがあるから、一刻も早く会いたいと」
「……そうですか、綾がそんな事を」

 途端に目元を緩める渚に、アリスが「チョロいのはどっちよ」と至極小さな声色で呟いた。

「ふふ、そうですよ。そういうところまで颯月様と酷く似ていて、本当に可愛らしいのだと――」
「………………が? どっちがどっちに似ていて、それで綾はどっちの事が可愛いって?」
「あー! ちょっと、もかぴ!? そこらで止めて欲しいな! てか、出来れば颯様の『そ』の字すら出して欲しくなかったな!!」
「あともう一押しだったのに! モカちゃん、どうやら選択肢を誤ったようね!!」
「――ええ!? な、なんだかすみません……!?」

 店に来た時よりも遥かに険しい表情を浮かべる渚は、「何がなんでもやり遂げてやる……使えるものは全て利用する……!」と低く唸った。
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