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第12章 奈落の底に棲む悪魔
26 ついに再会
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綾那と颯月は道中幾度となく足を止めながら、お祝いムードに染まる街をようよう進んだ。城と見紛う王宮や、その膝元にある騎士団本部。そこへ繋がる坂道に至る頃には、街の喧騒も少し遠くなっていた。
代わりにやたらと目に入るのは、上空高くへ打ち上がる合成魔法――もとい、無音の打ち上げ花火の光だ。どうも魔法の打ち上げ場所は、王宮に近しい場所らしい。
花火も今や、教会の子供達の専売特許ではなくなっている。恐らくは王宮勤めの使用人か騎士が打ち上げているのだろう。もしくは、元祖花火師として静真と子供達が依頼を受けたのか。
(なんにしても、本当に華やかで――より一層の疎外感が)
綾那は、モヤモヤとした気持ちのまま美しい花火を見上げた。今はあの美しさを讃える余裕も、楽しむ余裕すらないのだ。
果たして、王族の婚姻がどのような慣習のもと執り行われるものかは知らないが、あの渚が――これでもかと我の強い四重奏が、晴れの舞台で周囲の言いなりになって流されるはずがない。
王家の、リベリアスの常識なんてそっちのけで、程よくぶち壊した事だろう。あの花火の図案だって彼女らが練ったものかも知れない。
綾那とて、その企みに参加したかったのに――。
突拍子もない状況に混乱しながらも不幸中の幸いだと思うのは、結婚したのが渚だけだった事だろうか。これがもし、陽香もアリスも合同で婚姻したなんて事になっていたら地獄だった。あと二人居るなら、まだ家族の結婚式に招待されるチャンスが残されている。その頃には、彼女らの怒りも収まっていますようにと願うばかりだ。
もちろん、唯一とも呼べる維月の式を見逃してしまった颯月に、綾那の理論は通用しないが。
「辺りに王族の住居がある手前、下手に騒げんだけだろうが――ここらはわりと落ち着いているな」
「まさかとは思いますけど、二人の婚姻があまり歓迎されていない、とか?」
「ああ、維月の親戚連中にか。それはまあ、手放しに受け入れるのは無理だろう。王の伴侶には、由緒正しい血筋の娘を――それが王家のしきたりだ。だって言うのに、見るからに異大陸出身のド派手な女が王太子妃じゃあ……頭の固い連中は上手く飲み下せずに、胃もたれを起こしちまう」
「あ……やっぱり、王家ならではのしきたりがあるんですね」
坂を登りながら訊ねれば、颯月は「まず、この街の様相自体おかしいからな」と頷いた。
どうも本来王家で執り行われる婚姻というのは、良くも悪くももっと閉鎖的なものらしい。まず一般人が目にできるものではなくて、王族の式に出席できるのは同じ王族のみ。あとは僅かな使用人と、普段から彼らの護衛の任務につく近衛騎士くらいだ。
この世界に身分は存在しないと言ったって、王族だけはそうもいかない。もしも彼らの身に危険が及べば冗談では済まないので、参加者は必要最低限に留めなければならないのだろう。
ただし、王族の婚姻は領民総出で祝うべき事柄だし、式の後日、街に並ぶ店では祝賀セールだのなんだのと言ってお祭り騒ぎになる。しかしそれは、あくまでも後日であって、式が執り行われた当日に領民が大騒ぎなのはもちろん、婚姻したばかりの王太子夫妻が無防備にも街中でお披露目パレードなど――そのような前例は歴史書にも記されていないそうだ。
(うん。やっぱり皆、伝統を無茶苦茶にしたみたい)
彼女らはよく、郷に入っては郷に従え的な話をしていなかっただろうか。こういう時には話が別なのだろうか。
綾那としては彼女らが楽しめたならそれで良いのだが、しかしその無茶が原因で周囲の者と要らぬ軋轢が生じたのではないかと思うと、呑気に構えてもいられない。
それも相手が、現状法の管理者とも呼べる王族では尚更だ。
「でも、あの渚がそんな下手を打つでしょうか……いくら私達を懲らしめたいからって、敵を増やしてまで強引に事を進めるとは――」
「……達じゃない、明らかに俺狙いの犯行だ」
うっすらと涙目で断言する颯月に、綾那は胸中で「私もしっかりとダメージを負っているんですけど、でもあなたの受けた傷とは比べ物にならないですよね」と遠い目をした。
「――とは言え、綾の言葉にも頷ける。この婚姻には、まだ俺達の知らない何かが隠されているのかもな。知らないも何も、現時点で状況がひとつも理解できていないんだが」
確かに、全てこちらの予想の域を出ない。この婚姻騒ぎの正確な理由も、何もかも。
ふと足を止めた颯月にならい立ち止まれば、いつの間にか見慣れた門扉まで辿り着いていた。騎士団本部の裏手に建つ、豪奢な門だ。
職務中は別として、騎士だって騒ぐのが好きなはず。しかし本部はいつも通りにしんとしていて、落ち着き払っている。ド派手な式やパレードを目にしたならば、領民のように浮足立っていてもおかしくないのに――。
やはり、すぐ近くに王族の住まう王宮があるせいか。仮に渚と維月の婚姻を快く思っていない王族が居るとすれば、下手に祝う事すら憚られるだろう。
綾那はしばし考え込んだ後、隣に立つ男を見上げた。
「颯月騎士団長、本部へ帰還するに当たって何か策はありますか? できるだけ穏便に、痛い事も――具体的に言うと、陽香の肩パンチは回避したいです」
「まずは、「共感覚」で禅を呼び出して様子を見たい――ところなんだが、あいにくヤツと契約を交わした体は失われちまったからな。完全に手詰まりだ、とりあえず執務室に忍び込んでみるしかない」
「ご、ご自分の仕事部屋なのに……なんて肩身が狭いんでしょう」
「それで、もし目についたヤツが俺達に対する怨嗟を口にしていたら、一旦退却する。その場合、きっと俺達は人間と冷却期間が必要なんだ……いつか互いに笑顔で話せる日が来るまで、戦略的撤退に徹する。騎士団の事は、こう……副団長の禅が団長に繰り上がれば良いと思う」
「まあ……可哀相な颯月さん。精神的ダメージを負い過ぎたせいで、すっかり及び腰になられて」
「ああ、これ以上のダメージは耐えられない。少なくとも半年間は綾を腕に閉じ込めて、この傷を癒してからじゃないと――いや、どちらかと言えば今は閉じ込められたい気分だ。具体的に言うと綾の母性の象徴で窒息したい」
キリリと精悍な顔で情けない事を言い張る旦那に、綾那は口元を緩めた。彼は元々精神的に打たれ弱いところがあったが、悪魔になった今は余計そういったモノに対する免疫が失われた気がする。
(でも、小さい頃からたくさん苦労して、嫌な事や孤独にも耐えてきたんだし。これくらいダメになったくらいが、人生全体を見たらちょうど良いのでは?)
さて、彼をどう甘やかしてグズグズのクズ男にしてやろうか――なんて悪魔的な事を考えていると、本部の裏口が軋む音を立てて開いた。思わず肩を跳ねさせてから扉を注視すれば、どうも裏口から出てきたのは小柄な女性のようで。
暗がりでも目立つ燃えるような赤髪に、「陽香だ」と息を呑む。しかし、別に綾那達の帰還に気付いて出てきた訳ではなさそうだ。陽香は俯いたまま長く深いため息を絞り出すと、そっと扉をくぐり閉じた。
いつもの彼女らしくない、疲れ切った顔つき。童顔のはずが、一気に五年ほど年を重ねたのではないか言いたくなるようなやつれ具合。ふと耳を澄ませば、ボソボソと低い声で「こうはならんだろ……詐欺……詐欺られた……」などと繰り返し呟いているようだった。
綾那は逡巡したのち、颯月を見やった。すると彼は小さく肩を竦めてから頷く。それを了承と受け取った綾那は、やたらとヨボヨボな陽香の名前を呼び掛けた。
まるで生気の感じられない緑の目がついと動いて、綾那を捉える。見る見るうちに大きく丸まる瞳に、「瞳孔の開いた猫みたいで可愛い」なんて、逃げの思考に陥った。猫の瞳孔が開くのは、獲物をよく見るため――逃がさないための反応だと言うのに。
先ほどまでヨボついていた事など嘘のような速さで、陽香の体は文字通り瞬く間に綾那の眼前まで移動した。まるで瞬間移動だ。恐らくはギフト「軽業師」と「隠密」の合わせ技だろう。
そうして綾那が何か反応を示す前に、ガッと強い力で両腕を掴まれて身動きが取れなくなる。問答無用で打ちのめされるよりはマシだろうか――なんて思っていると、陽香は途端にぶわりと涙を溢れさせて叫んだ。
「ぜ――全部、お前らバカ夫婦のせいだからな!! イチャイチャ罪で投獄だ、バカヤロー!!!!」
突然浴びせられた謎の罪状と、珍しすぎる彼女の涙に、綾那と颯月は揃って目を白黒させたのであった。
代わりにやたらと目に入るのは、上空高くへ打ち上がる合成魔法――もとい、無音の打ち上げ花火の光だ。どうも魔法の打ち上げ場所は、王宮に近しい場所らしい。
花火も今や、教会の子供達の専売特許ではなくなっている。恐らくは王宮勤めの使用人か騎士が打ち上げているのだろう。もしくは、元祖花火師として静真と子供達が依頼を受けたのか。
(なんにしても、本当に華やかで――より一層の疎外感が)
綾那は、モヤモヤとした気持ちのまま美しい花火を見上げた。今はあの美しさを讃える余裕も、楽しむ余裕すらないのだ。
果たして、王族の婚姻がどのような慣習のもと執り行われるものかは知らないが、あの渚が――これでもかと我の強い四重奏が、晴れの舞台で周囲の言いなりになって流されるはずがない。
王家の、リベリアスの常識なんてそっちのけで、程よくぶち壊した事だろう。あの花火の図案だって彼女らが練ったものかも知れない。
綾那とて、その企みに参加したかったのに――。
突拍子もない状況に混乱しながらも不幸中の幸いだと思うのは、結婚したのが渚だけだった事だろうか。これがもし、陽香もアリスも合同で婚姻したなんて事になっていたら地獄だった。あと二人居るなら、まだ家族の結婚式に招待されるチャンスが残されている。その頃には、彼女らの怒りも収まっていますようにと願うばかりだ。
もちろん、唯一とも呼べる維月の式を見逃してしまった颯月に、綾那の理論は通用しないが。
「辺りに王族の住居がある手前、下手に騒げんだけだろうが――ここらはわりと落ち着いているな」
「まさかとは思いますけど、二人の婚姻があまり歓迎されていない、とか?」
「ああ、維月の親戚連中にか。それはまあ、手放しに受け入れるのは無理だろう。王の伴侶には、由緒正しい血筋の娘を――それが王家のしきたりだ。だって言うのに、見るからに異大陸出身のド派手な女が王太子妃じゃあ……頭の固い連中は上手く飲み下せずに、胃もたれを起こしちまう」
「あ……やっぱり、王家ならではのしきたりがあるんですね」
坂を登りながら訊ねれば、颯月は「まず、この街の様相自体おかしいからな」と頷いた。
どうも本来王家で執り行われる婚姻というのは、良くも悪くももっと閉鎖的なものらしい。まず一般人が目にできるものではなくて、王族の式に出席できるのは同じ王族のみ。あとは僅かな使用人と、普段から彼らの護衛の任務につく近衛騎士くらいだ。
この世界に身分は存在しないと言ったって、王族だけはそうもいかない。もしも彼らの身に危険が及べば冗談では済まないので、参加者は必要最低限に留めなければならないのだろう。
ただし、王族の婚姻は領民総出で祝うべき事柄だし、式の後日、街に並ぶ店では祝賀セールだのなんだのと言ってお祭り騒ぎになる。しかしそれは、あくまでも後日であって、式が執り行われた当日に領民が大騒ぎなのはもちろん、婚姻したばかりの王太子夫妻が無防備にも街中でお披露目パレードなど――そのような前例は歴史書にも記されていないそうだ。
(うん。やっぱり皆、伝統を無茶苦茶にしたみたい)
彼女らはよく、郷に入っては郷に従え的な話をしていなかっただろうか。こういう時には話が別なのだろうか。
綾那としては彼女らが楽しめたならそれで良いのだが、しかしその無茶が原因で周囲の者と要らぬ軋轢が生じたのではないかと思うと、呑気に構えてもいられない。
それも相手が、現状法の管理者とも呼べる王族では尚更だ。
「でも、あの渚がそんな下手を打つでしょうか……いくら私達を懲らしめたいからって、敵を増やしてまで強引に事を進めるとは――」
「……達じゃない、明らかに俺狙いの犯行だ」
うっすらと涙目で断言する颯月に、綾那は胸中で「私もしっかりとダメージを負っているんですけど、でもあなたの受けた傷とは比べ物にならないですよね」と遠い目をした。
「――とは言え、綾の言葉にも頷ける。この婚姻には、まだ俺達の知らない何かが隠されているのかもな。知らないも何も、現時点で状況がひとつも理解できていないんだが」
確かに、全てこちらの予想の域を出ない。この婚姻騒ぎの正確な理由も、何もかも。
ふと足を止めた颯月にならい立ち止まれば、いつの間にか見慣れた門扉まで辿り着いていた。騎士団本部の裏手に建つ、豪奢な門だ。
職務中は別として、騎士だって騒ぐのが好きなはず。しかし本部はいつも通りにしんとしていて、落ち着き払っている。ド派手な式やパレードを目にしたならば、領民のように浮足立っていてもおかしくないのに――。
やはり、すぐ近くに王族の住まう王宮があるせいか。仮に渚と維月の婚姻を快く思っていない王族が居るとすれば、下手に祝う事すら憚られるだろう。
綾那はしばし考え込んだ後、隣に立つ男を見上げた。
「颯月騎士団長、本部へ帰還するに当たって何か策はありますか? できるだけ穏便に、痛い事も――具体的に言うと、陽香の肩パンチは回避したいです」
「まずは、「共感覚」で禅を呼び出して様子を見たい――ところなんだが、あいにくヤツと契約を交わした体は失われちまったからな。完全に手詰まりだ、とりあえず執務室に忍び込んでみるしかない」
「ご、ご自分の仕事部屋なのに……なんて肩身が狭いんでしょう」
「それで、もし目についたヤツが俺達に対する怨嗟を口にしていたら、一旦退却する。その場合、きっと俺達は人間と冷却期間が必要なんだ……いつか互いに笑顔で話せる日が来るまで、戦略的撤退に徹する。騎士団の事は、こう……副団長の禅が団長に繰り上がれば良いと思う」
「まあ……可哀相な颯月さん。精神的ダメージを負い過ぎたせいで、すっかり及び腰になられて」
「ああ、これ以上のダメージは耐えられない。少なくとも半年間は綾を腕に閉じ込めて、この傷を癒してからじゃないと――いや、どちらかと言えば今は閉じ込められたい気分だ。具体的に言うと綾の母性の象徴で窒息したい」
キリリと精悍な顔で情けない事を言い張る旦那に、綾那は口元を緩めた。彼は元々精神的に打たれ弱いところがあったが、悪魔になった今は余計そういったモノに対する免疫が失われた気がする。
(でも、小さい頃からたくさん苦労して、嫌な事や孤独にも耐えてきたんだし。これくらいダメになったくらいが、人生全体を見たらちょうど良いのでは?)
さて、彼をどう甘やかしてグズグズのクズ男にしてやろうか――なんて悪魔的な事を考えていると、本部の裏口が軋む音を立てて開いた。思わず肩を跳ねさせてから扉を注視すれば、どうも裏口から出てきたのは小柄な女性のようで。
暗がりでも目立つ燃えるような赤髪に、「陽香だ」と息を呑む。しかし、別に綾那達の帰還に気付いて出てきた訳ではなさそうだ。陽香は俯いたまま長く深いため息を絞り出すと、そっと扉をくぐり閉じた。
いつもの彼女らしくない、疲れ切った顔つき。童顔のはずが、一気に五年ほど年を重ねたのではないか言いたくなるようなやつれ具合。ふと耳を澄ませば、ボソボソと低い声で「こうはならんだろ……詐欺……詐欺られた……」などと繰り返し呟いているようだった。
綾那は逡巡したのち、颯月を見やった。すると彼は小さく肩を竦めてから頷く。それを了承と受け取った綾那は、やたらとヨボヨボな陽香の名前を呼び掛けた。
まるで生気の感じられない緑の目がついと動いて、綾那を捉える。見る見るうちに大きく丸まる瞳に、「瞳孔の開いた猫みたいで可愛い」なんて、逃げの思考に陥った。猫の瞳孔が開くのは、獲物をよく見るため――逃がさないための反応だと言うのに。
先ほどまでヨボついていた事など嘘のような速さで、陽香の体は文字通り瞬く間に綾那の眼前まで移動した。まるで瞬間移動だ。恐らくはギフト「軽業師」と「隠密」の合わせ技だろう。
そうして綾那が何か反応を示す前に、ガッと強い力で両腕を掴まれて身動きが取れなくなる。問答無用で打ちのめされるよりはマシだろうか――なんて思っていると、陽香は途端にぶわりと涙を溢れさせて叫んだ。
「ぜ――全部、お前らバカ夫婦のせいだからな!! イチャイチャ罪で投獄だ、バカヤロー!!!!」
突然浴びせられた謎の罪状と、珍しすぎる彼女の涙に、綾那と颯月は揃って目を白黒させたのであった。
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