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第12章 奈落の底に棲む悪魔

21 後出し

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 宿の窓から見える首都ヘリオドールの道々に、光がともり始めた。上空に浮かぶ魔法の光源はまた一段と明度を落として、昼間の熱がそのまま残る街を歩く人々は、活気に満ち溢れている。

 人間であった頃の綾那は――元々暑さに弱い事もあって――ただ立っているだけで滝のような汗を流していたが、やはりこの地に長く住んでいれば暑さに慣れるのだろう。
 平然とした顔で歩く人々を見ていると、素直に感心するものだ。

「なんで一晩ぐらい放っておいてくれないんだよ、こっちは新婚なんだぞ」
「なんでって、元々そういう約束だったじゃあないか。僕はちゃんと「夜に迎えに来る」って言ったし、騎士団長サマ不在のせいで仕事は溜まる一方だし――謝罪するまでの時間が長引けば長引くほど、綾那の家族は収拾しゅうしゅうがつかなくなるよ」

 どこからともなく戻って来たルシフェリアは、本来の真っ白い姿ではなく、すっかり見慣れた幼児颯月の姿を借りていた。
 本来の姿を維持するのは、それなりに大変なのだろうか――とも思ったが、本人曰く「えっ、誰彼構わず見せる訳がないでしょう? もったいない! 君らは晴れて僕のになったから、特別に見せてあげただけだし」との事らしい。

 果たして、何がもったいないのか分かったものではないが、相変わらず傲慢な天使である。

「それで、綾那の調整はもう良いんだよね? もし何かの手違いで王都を氷漬けにしたら、僕、ちょっとだけ怒るかも知れないよ」
「私の意思をガン無視で悪魔にしておいて、すごい理不尽な事を言われているような気がしますけれど……たぶん平気です。王都には陽香達だけでなく、颯月さんのご家族や騎士団の皆さんだって居ますから。そんな場所をメチャクチャにしようなんて、さすがに思えません」
「うん、そうだね。その意識さえあれば、大丈夫かな」
「……別に、俺だって綾の望まん事をするつもりはない。その――俺の気に障るような事がなければ」

 颯月がやや自信なさげに言うと、ルシフェリアは「だから、君のそういうところが心配なんだってば」とため息を吐き出した。
 悪魔としての生に馴染むのが早すぎたせいで、彼の倫理観は既に破綻していると言っても過言ではない。人間であった頃も一部キレやすい面があったため、それが悪魔になった今では何をしでかすか――特に、綾那へちょっかいを出す者に対しては。

(具体的に言うと、伊織くん大丈夫かな……?)

 綾那は苦笑いを浮かべて、どこか他人事のように思案した。正式に颯月の妻となった綾那を口説くほど気概のある者は、今のところ彼ぐらいだ。
 何か取り返しのつかない事件が起きる前に、伊織にはどこか遠い地へ転属してもらった方が良いのではないだろうか。そうでなければ、いつか王都に途轍もない雷が落ちそうである。

「とにかく、一旦王都へ帰ろうよ。もう荷造りはできてる? 街の外で「転移」するからね」
「戻るのは構わないんですけれど……シアさん、私達ってこれからずっと「変換コンバート」で人間のフリをしながら過ごすんですか? 「暗示イミテーション」だと、闇魔法に適正がある人――例えば、教会の朔には見破られちゃいますよね」
「…………あっ」
「あ……?」

 綾那の問いに、ルシフェリアはハッとした様子で声を上げた。そうして、どこか気まずそうに頬を掻きながら告げる。

「ごめんごめん、言ってなかったね……今リベリアスには悪魔憑きどころか、眷属すら存在しないんだよ。だから「暗示」で十分かな」
「え――えぇ!? ど、どういう事ですか?」
「眷属を創り出していた大元の悪魔、ヴィレオールとヴェゼルが消えたでしょう? それに伴って、リセットされたと言うか……眷属が消滅すれば、彼らに呪われた悪魔憑きも人間に戻るじゃない。昨夜から、リベリアスの各地で歓喜の声が上がっているんじゃあないかな」
「は、はあ……」

 本当に、何もかも後出しである。もう少し事前に説明できないものなのか、この天使は。気の抜けた返事を漏らした後、しかし綾那はすぐさま複雑な気持ちにさせられた。

 教会でただ一人、悪魔憑きのままだった朔。今はまだ幼いから、悪魔憑きがどうとか普通の人間がどうとか、イマイチ理解していないようだが――例えば、彼を慕うみおと将来いい仲になるには、周りの視線が厳しすぎる。
 いまだ悪魔憑きに対する世間の態度は硬質なままで、ほんの少し明るい動画を流したくらいでは、「危険」という評価が覆らないのだ。だから、朔にとっては喜ぶべき事なのだろう。

 天邪鬼という二重人格に悩まされる明臣だって、今後は戦闘時にまともなコミュニケーションが取れるのだから、騎士としても良い事だ――けれど。

(右京さん……)

 それは右京本人にとったら、人間に戻れて万々歳だろう。しかし、彼を唯一無二のペットとして可愛がっていた陽香からすれば――その喪失感たるや、まさしくペットロス状態なのではないか。
 しかも、悪魔憑き特有の闇魔法まで失ったという事は、きっと彼はもう「時間逆行クロノス」を使えない。つまり陽香は、ペットと弟分、どちらも同時に失ったのだ。

「今までの分がリセットされたとして……今後は、私と颯月さんが新たに眷属を創り出すんですか?」
「それでも良いし、君らが直接的に人間の脅威になってくれても構わないよ。とにかく、人間同士が手を取り合って生きるように仕向けてくれれば、やり方は問わないから」

(じゃあ、また狐の眷属を右京さんに仕向ければ良いか…………え? 私――)

 綾那は、ごく自然な流れでそんな事を考えた後、己の異常な思考回路に驚いた。
 右京の意思なんてまるで考えておらず、陽香が喜ぶかどうかしか考えていない。むしろ、そんな事をして本気で陽香が喜ぶのか? という、当たり前の疑念すら抱いていなかった。

(私……思った以上に染まるのが早いのかも――これからは、よく考えてから行動しよう)

 これでは、颯月ばかりが異常だなんだと言っていられない。その内「異常」という意識すら消えてしまう可能性だってある。いつまでも考えなしのままでは、綾那こそ取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうだろう。

「だから言ったでしょう? 君は――君らはひどく自己中心的な一面があるから、悪魔が向いてるって」
「……人の心の中を読まないでください。とにかく、嫌な事は早めに済ませるに限る――ですよね? 帰って、一緒に怒られましょうか」
「まあ、それもそうだな」

 綾那は颯月と顔を見合わせて、小さく肩を竦めた。そうして荷物をまとめると宿から出て、「転移」するために街の外まで移動する事にした。
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