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第12章 奈落の底に棲む悪魔

15 責任重大

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 体内を巡る魔力を探っては休み、探っては休みを繰り返し、気付けば辺りが白み始めていた。綾那が降らせた雪は、ほとんどが溶けて液体に変わり、粒子の細かい砂をじっとりと湿らせている。

 ずっと氷漬けにされていたサボテンも、時間の経過と高い外気温によって解放されたようだ。過度に冷やされた上に大量の水まで与えられたせいか、元気と共に鮮やかな緑色まで失っているように見えるのは――恐らく、綾那の気のせいではないだろう。
 あのブリザードは決して故意に起こしたものではないのだが、可哀相な事をしてしまった。

 それにしても、瞑想しながら深呼吸を繰り返していただけなのに、随分と体力が削られたものだ。この短時間で――とは言っても、かれこれ三時間ほど続けているのだが――綾那の腹筋は、相当鍛えられた事だろう。早ければ今晩にでも筋肉痛に襲われるはずだ。

(だけど、何度も繰り返したお陰でコツが掴めた気がする。魔力が体に馴染んだと言うか……特に意識しなくても、当たり前のように流れが分かるようになったと言うか)

 さすがに、二十一年間ずっと共にあったギフトほど馴染みはしないが、それでも今後は十分『魔法使い』としてやっていけそうだ。右も左も分からぬ魔法初心者がそれなりの自信をもって言い切れるのは、もちろん颯月の助力があってこそ。
 颯月は、要領と察しの悪い綾那にも分かりやすく、ひとつひとつ噛み砕いて丁寧に指導してくれた。

 彼は渚と同じ、努力型の天才だ。そもそも能力が人よりも優れているくせに、その上で一切の努力を怠らない。だからこそ――と言ってはなんだが、不出来な者が苦労する気持ちまで理解してくれるし、つまずきやすいポイントにも目敏く気が付くのだろう。

「良い調子だな。それじゃあ、そろそろ次に進むか」
「次――と言うと、もしかして魔法の実践ですか?」

 すっかり疲労困憊こんぱいの綾那だったが、しかし「念願の」と言っても過言ではない魔法の実践と聞けば、活力も戻ってくる。
 リベリアスは「表」と同じ地球だと言われても、魔法なんてものが存在する以上、綾那にとっては異世界も同然。ファンタジー極まりない世界だ。
 魔力を蓄えるための器官が体に備わっていないから無理だの、魔石で人の魔力を借りたとしても、生活魔法ぐらいしか使えないだの――そんな事ばかりでどうにもならなかったが、これからは違う。

 綾那が期待に胸を膨らませていると、頭上から「実践は気が早い」と笑う声が降ってきた。

「今の綾は、氷の管理者だ。こと『氷』の扱いに関しては、この世の誰よりも長けている――と言うか、そうでなければならない」
「そう言われましても、まだ自覚に乏しくて……」
「それはそうだろう。まず、死んで目が覚めたら悪魔になっていること自体おかしな話だ」

 肩を竦める颯月を見て、綾那は「……ええ。目の前で旦那さんが殺された事だって、いまだに上手く呑み込めていませんからね」と目を眇めた。
 しかし、そんな嫌味などどこ吹く風の悪魔は、機嫌よく笑うだけだ。

(正直、まだ見慣れないけど……やっぱり颯月さんって、姿が変わっても颯月さんだし、宇宙一格好いい)

 ルシフェリアから指摘された通り、「怪力ストレングス」を失った綾那は怒りを覚えやすくなったと思う。それでも常人と比べれば、いくらか懐が広い方かも知れないが――。
 ただ、やはりこの男の顔さえ見れば、今後も大抵の事は許してしまえるのだろう。

「俺が悪魔憑きだった時に、何度か話した事があるだろう? 光以外なら全属性の魔法を使えるとは言っても、人によって向き不向きがある。以前の俺は雷が得意で、水が苦手――その分、水の管理者である禅を傍に置く事で短所をカバーしていた」
「竜禅さんは、水魔法を使わせれば右に出る者なしって事ですよね? 水を管理する聖獣だから」
「ああ。いくら悪魔憑きが無尽蔵の魔力を有していたとしても、絶対に敵わない相手は居るものだ。それと同じで、綾の使う氷魔法と勝負しろと言われたら難しい」
「なるほど……氷しか使えない代わりに、かなり尖った特性と強さを持っていると」
「つまるところ、いきなり魔法を実践して暴発させようものなら、フォローしきれない可能性がある。の氷を管理するくらいだ、ここら一帯が永久凍土になってもおかしくない」

 期待で膨らんでいた胸は、瞬く間に萎んだ。すっかりしんなりしているサボテンを眺めながら思うのは、「もしアレが人間だったら?」である。
 分厚い氷の中に閉じ込められれば、すぐさま低体温症になって死んでしまう。年中ブリザードが止まない事態に陥れば――人間の生命活動云々うんぬんだけでなく――作物や動物だって生育できなくなる。

 なかなかに責任重大だ。魔法だ、やったー! なんて、浮かれている場合ではないらしい。

「なんだか急に、魔法を使うのが怖くなってきました……本当に私で大丈夫でしょうか」

 人間を程よく痛めつけるのが悪魔の仕事とは言ったって、限度がある。それは、やり過ぎたヴィレオールとヴェゼルの末路を見れば一目瞭然だった。
 まず、ついカッとなっただけで魔法を制御できなくなるなんて、恐ろしすぎる。もしも愛する四重奏カルテットまで傷付けてしまったらと思うと、魔法なんて使えない方が良いのでは? と及び腰になる。

(でも、私はもう氷の悪魔だし……後戻りはできないものね。魔法が使えなきゃ、北部の氷だっておかしな事に――)

 ルベライトには颯月の祖父母が居るし、明臣だって居る。アリスは今頃どうしているだろうか。明臣を恋しく思っている頃か、それとも、まだ恋と呼ぶには淡すぎる想いなのか。
 やはり、ちゃんとしなければならない。綾那が管理しなければ始まらないどころか、終わるのだから。

「なんの問題もない、綾の好きなようにやれば良い」
「え? でも――」
「俺はお前さえ生きていれば何も困らないし、他は些事だ。例え人が死のうが、街が消えようが関係ないし、思い悩む必要もない。だから綾も、もっと気楽に考えれば良いさ――創造神も言っていただろう? ルールは「王都に手を出さない」、だ」
「………………な、なんか、本当にになられましたね……?」
「ダメにんだよ」

 あの颯月の口から、こんな言葉が出てくるとは。驚くと共に高鳴る胸は、やはり悪魔化する際に抱えていた綾那の欲望のせいか。
 複雑ながらも内心喜んでいると、ふと大きな手の平が胸元に添えられた。長い指先がなぞるのは、綾那がルシフェリアに胸を貫かれた時にできた服の穴だ。

「今の俺の執着心と言ったら――まだ俺も触れた事のない綾の臓器に創造神が触れたって事を、恨めしく思うほどに狂っている」
「……ええと、できれば今後も臓器には触れて欲しくないです」
「綾が俺だけ見ていてくれるなら我慢できる、問題ない」

 とびきりの愛情を囁くような甘い声で「嫉妬なんかで殺したくないからな」と微笑まれて、綾那はぶるりと身震いした。本当に、やたらと言動が凶暴になってしまったものだ。
 悪魔の特性からくる快楽だけでなく、妙に薄ら寒いちょっとした恐怖感まで覚えたのは――きっと気のせいではないだろう。
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