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第10章 奈落の底が大混乱

32 アクアオーラ

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 ――北部ルベライト領の首都、アクアオーラ。ここは王都アイドクレースと同様、真っ白な外壁に囲われた街だ。
 恐らく、雪景色に紛れる保護色の方が、辺りに生息する魔物や眷属の襲撃も少なくて済むのだろう。辺り一面白銀の世界に、まるで東部アデュレリア領で見たような黒い外壁を建てれば――これでもかと悪目立ちしてしまう。
 いや、結局は全て真っ白い雪に塗れて、色などあってないようなものだろうか。

 颯月の先導で入口の門へ向かえば、そこに立つ見張りの門番に通行証の提示を求められた。
 二名居る見張りは、どちらもくたびれた表情だ。門には大きなひっかき傷や、何かが強く衝突したような凹みも見られる。

 結局、どれぐらいの眷属が街へ押し寄せたのだろうか。陽香が囮になったとはいえ、街中深くまで侵入してしまったものに関しては、現地の騎士が相手を務めるしかなかったのだろう。
 騎士とて一度でも眷属と対峙すれば、みすみす取り逃すような真似はできなかったはず。確実に仕留め切るため、街から出さぬよう囲い込んだかも知れない。

 そのせいで、かえって街中の被害が増えたのか――それとも少なく済んだのかは、なんとも言えないところだ。そもそも陽香の『呪い』を引き金にして起きた、人的災害みたいなものなのだから複雑である。

「アイドクレース騎士団の助力があったお陰で、被害は最小限で済みました。事後処理も問題ありません」

 通行証の確認を終えた門番の一人が、颯月を見て目礼した。彼は軽く首を振って、「近くを通りがかっただけだ」と答える。それ以外に、救援要請すら出ていないアクアオーラの危機にタイミングよく駆けつけた理由を説明しようがない。

 颯月はルシフェリアと共に「転移」で雪原へ飛ぶ直前まで、この街中で眷属の相手をしていたらしい。いくら、現在この街に悪魔憑きの騎士が三人居るとは言っても――明臣は『天邪鬼』のせいで、複数人が入り乱れる戦場では満足に暴れられない。
 右京は精神が子供の姿に引っ張られているせいか、上級魔法を使うと制御がおざなりになってしまう。下手をすれば、街中で核爆発を起こしてしまう可能性だってある。

 その点、颯月ならば問題ない。無尽蔵の魔力を使って、正確な魔法制御を披露してくれたはずだ。刺青を人目に触れさせずに済む、「魔法鎧マジックアーマー」さえあれば――という注意書き付きだが。

 そうして無事にアクアオーラの中に入った綾那は、初めて訪れる街並みを見渡して感嘆の声を上げた。

「わあ……綺麗なところですね」

 建物の屋根も、足元の道路も、その周りに植わった街路樹も。何もかもが真っ白い雪化粧を施され、街灯の柔らかな光を反射して輝いている。
 眷属との戦闘があったばかりだから、ところどころ煤けた場所はあるが――それにしたって幻想的な街並みだ。

「この寒ささえなければ、ゆっくり楽しもうって気にもなれたんだけどなあ……」

 陽香は両腕で自身の身体を抱き締めてさすり、ブルブルと震えている。彼女はそのまま「さっさと王都へ帰るつもりだったのに、とんだ邪魔が入った……寒い……」と続けて、鼻をすすった。

 まず何よりも先に、このをどこか寒さを凌げる場所まで連れて行った方が良いかも知れない。

「一旦、ウチのヤツらと合流しよう。アクアオーラの騎士団本部で落ち合う事になってる――渚とアリス、あと『客人』もそこだ」
「う……わ、分かりました。私も腹をくくります……!」

 まるで決死の覚悟を決めたかのような、迫真の表情で呻く綾那。綾那の様子を見ると、颯月は眉根を寄せて目を伏せた。

「なあ……俺は惚気でもなんでもなく、綾はもう少し肉をつけた方が良いと思ってる。下手に痩せられると、何かの拍子に折っちまいそうなのが本当に不安だ――ただ、アンタにも辛い過去があったのに……それを無視して俺の好みを押し付けた事は謝る」
「颯月さん……そうですよね。颯月さん、「怪力ストレングス」や「身体強化ブースト」がなくたって、素の状態で力が強いですもんね」

 極端に痩せた女性というのは、痩せ方にもよるが、咳やくしゃみをしただけでアバラ骨を折る事もあるらしい。
 颯月本人にそんなつもりがなくとも、強く抱きしめただけで鯖折りしてしまう可能性がある。恐らくそういった不安も相まって、どっしりと安定感のある女性が好みなのだろう。

 何せ彼は、「怪力」をもつ綾那から見ても相当な力自慢なのだから。

「本音を言えば、少しも痩せて欲しくない――とは言え、俺もいまだに正妃サマのトラウマに苦しんでる。自分の事を棚上げして、綾にだけ「克服しろ」というのは勝手だよな」
「……今すぐには、難しいです。でも、いつか……いつかきっと克服して、颯月さんに安心感を与えられるような存在になってみせますから……!」
「綾――」

 互いの愛を確かめるように、熱く見つめ合う颯月と綾那。寒さに震える陽香はもうツッコむ余裕もないのか、「えっきし!」と大きなくしゃみをするだけだった。

「君は、今ぐらいが一番ちょうど良いと思うけどね。「いずれ太ってみせる」なんてよく分からない宣言をしていないで、今から起きる事に目を向けなよ」

 綾那の腕に抱かれっ放しのルシフェリアが、至極面倒くさそうに言った。
 ――確かに、今は惚気ている場合ではないのだ。騒動の後処理だって終わっていないだろうし、まずは本部へ向かわなければ。
 綾那は大きく頷くと、颯月の案内で街の中を進んだ。
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