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第10章 奈落の底が大混乱

25 追いかけっこ

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 足元に積もっているのは、随分と水分の多い雪だ。ぼたん雪というヤツだろうか。
 踏みしめる度に靴底からギュムッ、ギュシッと音が鳴って、足が深く沈み込む。足を速く大きく動かせば動かすほど、重たい雪が跳ね上がる。
 そうして靴の中に次から次へと入ってくる雪に、背筋が震えた。
 綾那は白銀の世界を駆けながら、「こんな事なら、ちゃんと雪国に合ったブーツを用意すべきだった」と後悔する。

 綾那の為に死ぬほど金を使い、いくらでも服を贈ってくれる颯月だが、靴だけは贈られた事がない。ゆえに綾那は、いまだにショート丈のエンジニアブーツを――「表」から着用したまま「転移」したものだ――履いている。
 子供騙しのジンクスや、都市伝説まで本気にする颯月の事だ。理由は、深く考えずとも分かる。

 靴とは、踏みつけるもの、足蹴にするもの。「表」の海外では、「この靴を履いて私の元から去ってください」なんて別れの意味をもつ贈り物でもある。それは恐らく、リベリアスでも同じなのではないだろうか。
 万が一にも、綾那に置き去りにされては――逃げられては堪らないからと、靴だけは贈らなかったのだろう。

(いや、もしかしたらこれからも贈られないかな……いや、うん。まあ、それは良い。無事にアイドクレースに帰ったら、お給料をもらって自分で買うから……!)

 ――問題は、果たして帰れるのか? という事である。

「アーニャ! ヤバヤバのヤバなんだって、眷属だけじゃねえんだよ、なんかこう――見るからに物理が効かねえタイプの魔物が多いのよなー! この辺りなー!!」

 わざわざ綾那の足の速さに合わせて並走する陽香の顔色は、それはもう酷いものだった。いつも健康的な小麦色の肌が、なんだか青くなっているような気がする。唇まで血色を失くしているため、低体温症が心配だ。いや、寒さが原因ではなく恐怖心から来る青さだろうか。

 一体いつ頃からこの雪原を走り回っているのかは知らないが、彼女が息ひとつ切らせていないのは「軽業師アクロバット」のお陰だ。
 ぶ厚いニットに、グルグル巻きのマフラー。ニット帽の上から耳当て。モッコモコのダウンジャケットと、手袋と――何枚か重ね履きしていそうな程太くなった長ズボン。
 これらのニット類は、ほとんどが動物の毛由来のものではない。「表」でいうところの化学繊維ならぬ、魔法繊維製らしい。

 綾那と比べればかなり雪国に服装をしているが、しかし全身着膨れていて走り辛そうである。細身過ぎるせいか、陽香は寒さに弱いのだ。目の形や身のこなしだけでなく、体質まで猫のようである。

(なんか、色々聞きたい事はあるけど……息が続かなくて、まともに喋れない……!)

 綾那は現在の状況について、陽香に問いただしたい事が多々あった。あったのだが、体力を増強するギフトをもたない綾那は、ただ走っているだけで息も絶え絶えなのだ。
 先ほどから陽香が必死に「足がない! 影がない! 浮いている! 透けている! 無理無理のムリだ!!」などと主張してくるが、あいにくと言葉を発しているような余裕はない。相槌すら打っていられない。

 ただ見て分かるのは、ルシフェリアの情報通り、陽香はたった一人で眷属の大群を引き連れて雪原を駆けていた事。大群の総数は目測で、軽く五十を超えているであろう事ぐらいだ。

 元々ルベライトに生息していた動植物が眷属に変えられたせいか、どうも雪原に馴染むような色合いのものが多いようだ。
 アルミラージとは対照的に真っ白な兎型のもの。白い狼や虎、まるで雪男みたく毛むくじゃらの大男。以前、綾那がこめかみにケガを負わされたゴブリンの、色違いの個体も居る。白ゴブリン――いや、雪ゴブリンだろうか?

 そして、それらと一線をかくしているのが陽香の言葉通り「物理が効かなそう」な、スピリチュアル極まりない眷属だ。
 一見すると人型だが、腰から下をバッサリと失い浮いているテケテケもどき。目もないのに、不思議と正確な精度で陽香を追いかける首無しの鎧騎士。体が半透明で、向こう側の景色まで見通せるゴーストらしきもの。
 ガンギマリの眼孔で陽香だけを見つめる、宙に浮いた顔――これに関しては、本当に顔しかなくて体が見当たらない。あの鎧騎士と対なのだろうか。

 その他にも、果たして物理でどうにかできるのかと首を傾げたくなるようなラインナップが続いている。

「――いや、あれ、どこまで、眷属、なの? それ、とも、魔物……?」

 綾那が息を切らせながら問いかければ、陽香は物凄い勢いで繰り返し首を振った。

「知るか!! なんにせよ、この世の終わりだ! あたしらはもう呪い殺される! それしかない、これは祟りだ!! 今まで本当にありがとうなッ!!」

 グッと下唇を噛み締めた陽香の表情は、今にも辞世の句を読み上げそうなほど(覚悟が)キマッてしまっている。
 綾那としては「一体なんの祟りなのだろうか」と疑問に思うところだが――まあ、幽霊を始めとするホラーものが関わった際の陽香と言えば、著しく正気を失う事でよく知られている。

 彼女が画面の前でピョーンと飛び跳ねたり、絶叫したりしながらホラーゲームの実況動画を撮影する様は、身内ながら愉快で堪らなかった。
 一度だけアリスが「廃墟や樹海の探検動画ってどうなの? ウケるかしら」と冗談交じりに提案した時なんて、強めのグーで「この罰当たりがァッ!!」と頬を殴ったものだから――しばらくの間、アリスの出演する動画が撮れずに困った事もある。

(うん、いや、現実逃避してる場合じゃないよね……どうしようかな――)

 いっそ、魔法封じの檻があれば良かったのだが。後ろから追いかけて来るもの全てを魔法の使えない空間にムギュッと閉じ込めて、綾那が全力の「怪力ストレングス」でもって粉砕する。全身鎧の防御力は相当なものだし、物理的な攻撃だけなら――五分間に限られるが――いくらでも防げそうな気がするのだ。

 ただ、魔法はダメだ。まだ「怪力」の鎧で魔法をまともに受けた事はないが、あまりにも危険だ。
 そもそも、しっかりと閉じ込めてから対峙しないと――綾那を通り越して陽香を狙われては目も当てられない。普段の陽香なら問題ないのだが、今のビビリ散らかしている陽香はまずい。
 恐らくスピリチュアルな眷属に追われるがまま、綾那を置き去りにしてどこまでも走って行ってしまうだろう。

 では、魔法を使える騎士が居る首都アクアオーラを目指せば――とも思うが、この一面雪景色の、一体どこにそんなものがあるのだろうか。
 気が動転しまくっている陽香に方角を聞いたところで、「そんなもん、あたしに分かると思うか!? なんで今そんな事が聞けるんだ、状況分かってるか!?」なんて逆切れされそうだ。

(まず、どうして私だけ――それも、ピンポイントで陽香のところへ「転移」されたの? 他の皆は……颯月さん達は、一体どこへ?)

 考えたって状況は好転しないと思いつつも、綾那はまたしても現実逃避するように、雪の上を駆けながら思考を巡らせた。
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