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第10章 奈落の底が大混乱

24 想定外の邪魔

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 やがて執務室へ戻って来た颯月は、開口一番「陛下の事は問題ない」とだけ告げた。
 北部ルベライト領は、彼の実母――今は亡き輝夜の出生地だ。首都アクアオーラには彼女の生家があるので、颯月にとって祖父母にあたる血族も存命のはず。
 国王の颯瑛が恐れていたのは、その祖父母の執着心である。

 彼らは輝夜を溺愛していて、その過保護ぶりと言ったら竜禅曰く「旭のシスコンよりも深刻」らしい。
 ゆえに颯瑛は、颯月がルベライトを訪れたら最後「輝夜が遺した子を祖父母に奪われるのでは?」と危惧していたのだ。そうして颯月を勘当したのちに、「今後二度とルベライトには足を踏み入れるな」と命じたのである。

 颯月の顔は、そう言わざるを得ないほど母親に似ているようだ。

「――あの陛下が、本当に許可なさったのですか?」

 竜禅が疑うような声色で問いかければ、颯月は「ああ、すんなりと」と嘯いた。その言葉を聞いても尚まだ疑わしいようで、竜禅はしばらくの間、短い顎髭を撫でながら何事か熟考していた。

「禅も陛下も俺の事ばかり言及するが、そもそも綾は問題ないのか? あれだけ、笑い顔が似ているだのどうのと騒いでおいて――」
「ですから、綾那殿は笑いさえしなければ平気です。普段の顔立ちは似ても似つかないのですから――彼女は、輝夜様ほどこ憎たらしい顔はしていません」
「……それは、暗に俺の顔がこ憎たらしいと言っているのと同義だよな?」
「はて、なんの事やら――」

 颯月は僅かに目を眇めたが、しかし軽く頭を振ると「別にいい。綾が「好きだ」と言ってくれるから、俺はこの顔に生まれて良かった」と呟いた。
 綾那は目尻を下げて頷いたのち、ハッとして腕の中のルシフェリアを見下ろした。

「――そうだ、シアさん。「水鏡ミラージュ」の仮面……もう使わないなら、返していただけませんか?」
「うん? ああー……まだ使うかも知れないから、もう少しだけ貸してて」
「ええと……いずれ返してくださる気は、あるんですよね?」
「もっちろん! 僕は天使だよ? 借りパクなんてしないさ、失礼しちゃうなあ」

 今の今まで無断借りパクの状態で、イマイチ信用ならないのだが――本人が言うのだから、信じるしかない。綾那は「疑ってごめんなさい、お願いしますね」と言って、自分そっくりの幼女をあやすように揺らした。

 そうこうしていると、おもむろに執務室の扉が開かれる。中へ入って来たのは、和巳と彼が呼びに行っていた渚、そして最早と言っても過言ではない白虎だ。
 これで、ルシフェリアが「できれば一緒に行った方が良いかもね?」と告げた者が全員揃った事になる。

「なんか、陽香が危ないかも知れないって?」

 いつも通り眠たそうなジト目をした渚が、落ち着いた声色で淡々と訊ねる。綾那が頷けば、「困ったトラブルメーカーだね」と肩を竦めた。もし仮に危険な目に遭っているのが陽香ではなく綾那だったとしたら、彼女はもう少し冷静さを欠いていたかも知れない。
 ――とは言え、いくら冷たく見えても彼女の性質はツンデレだ。内心では、陽香とアリスの安否を気にしているに違いない。

 渚の隣で白虎が「俺、寒いの苦手なんですけど」とぼやいているが、横からグッと強く尻尾――もとい髪の毛――を引かれると、即座に「生意気言って、すみませんでした!」と叫ぶ。
 果たして彼は、渚の傍に居て本当に幸せなのだろうか。

「よし、皆揃ったね。それじゃあ早速ルベライトへ行こうか? 今回は日帰り旅行のつもりだから、なかなか大変かも知れないけれど……まあ、頑張ればサッと帰ってこられるし? 早く帰れば、王都の仕事が滞る事もないもんねえ」
「簡単に言うよなあ」

 笑顔のルシフェリアに、幸成が脱力した様子で嘆くような声を上げた。
 以前セレスティンへ「転移」した時とは、目的から状況まで全く違う。前回は綾那の療養が目的だったので、一週間近くセレスティンに滞在するしかなかった。しかし今回の目的は、眷属の大群を引き寄せる囮役の陽香を救い出す事だ。
 そのついでに、眷属が入り込んだという首都アクアオーラの掃討戦。恐らくだが、街の援護と陽香救出の二手に分かれる事になるだろう。

 ルシフェリアの立てた作戦では、ひとまず全員を首都アクアオーラの街中へ「転移」させるところからスタートするらしい。次に、街の状況を見ながら住人の避難、救助を請け負い――現地で戦っているであろう明臣、右京、旭と合流を目指す。
 それと並行して何人か街の外へ出て、陽香を助けに向かうのだ。

 それなら始めから街へ転移するチームと陽香の元へ転移するチームで分ければ良いのでは? とも思うのだが――どうも陽香の移動速度が速すぎて、転移先の座標が上手く定められないようだ。
 ルシフェリアの『予知』からしても、一気に陽香の真横へ飛ぶよりも街から人の足で追う方が確実なのだと言う。

「――綾、服それで平気? もう一枚くらい着て行ったら?」
「え? うーん……でも私、そもそも寒いのは得意だからなあ。繊維祭で風邪をひいた時は、お風呂上りに冷凍庫の中へ閉じ込められたような状態だったから――」

 ルベライトは雪の深い地方だ。ゆえに綾那と渚は、常夏のアイドクレースに不適合な暑苦しい恰好をしている。
 長袖ニットに長ズボン――綾那は「行き先は雪国だ」と言われても尚、短パンを履いているが――そしてアルミラージ(兎の魔物)の毛皮でできた、黒いファーコート。

 騎士らはいつも通りの制服。白虎は先ほど「寒いのは苦手」と言ったが、しかし本来、聖獣はそういった感覚に鈍い生き物らしい。つまり、寒さや暑さをそこまで感じないのだ。

 ちなみに颯月らが身に纏う騎士服には、やはり体温調節の魔法が掛けられているそうだ。暑い場所だろうが寒い場所だろうが関係なく、服が勝手に最適の温度を保ってくれる。
 どうも服の繊維を編み込む際に、とある陣を仕込んでいる――との事だが、詳細は服飾業界のトップシークレット。完全に部外秘らしい。

 いくら悪魔憑きの颯月でも、仕組みの分からぬ陣を自分の手で私服に仕込む事は不可能だ。もし陣の仕込み方を知っていたら、彼はオフの日に――体の刺青を隠せるような――長袖の暑苦しい私服姿をこれでもかと披露してくれた事だろう。

「まあ、創造神の言う通りサッと終わらせてサッと帰れば、それで良いか。どうせ、颯月サンが秒で片付けてくれるんでしょう?」
「そのつもりだ」

 渚に水を向けられた颯月は、迷いなく頷いた。執務室に集まった面々の顔を満足げに見渡したルシフェリアは、「じゃあ、行くよ!」と言って転移陣を展開する。

 部屋の中があっと言う間に光で満たされて、その眩しさに誰もが目を閉じる。そうして次に目を開ければ、雪国アクアオーラに景色が変わるはず。

「――あッ……!? なんだ、これ……凄く嫌な感じだ! 待って、ダメだ、邪魔が入った――!!」

 綾那の腕の中で、突然ルシフェリアが不可解な言葉を口にする。しかしその声は一瞬で遠くなり、腕の中の重みもかき消えた。それと同時に震え上がるような寒気に晒されて、綾那は無事ルベライト領に転移したのだと理解する。

 ふるりと身震いした後、恐る恐る瞼を開けば――。

「……えっ」

 辺り一面の雪景色。木も地面も、吹雪いているのか空さえも白んで見える。
 綾那は、確かに全員と同じ転移陣をくぐったはずだ。そのはずなのに、何故かこの場には綾那一人しか居ない。
 腕に抱いていたルシフェリアすら居ないのだ、恐らくこれは緊急事態と言っても過言ではない。

 そもそも首都のアクアオーラに「転移」するという話だったのに、周囲に建物は見当たらない。それどころか、人の気配さえも――。

「…………アーニャ!? アーニャか!? なんで……いや! この際なんでここに居るかなんてのは、どうでも良い! とにかく助けてくれぇええ!!!」
「――よ、陽香!? えっ、ちょっ……そ、それは無理無理のムリかな……!?」
「オイ待て、逃げんな! て言うか、「軽業師アクロバット」もってるあたしからお前が逃げられると思ってんのか!?」

 綾那の真正面から、物凄い勢いで駆けてくる赤毛の女――それは間違いなく、今回の救出対象である陽香だった。彼女は背に、土煙ならぬ雪煙をまき散らしながらズドドドドと走る何かの大群を引き連れている。

 綾那は何が起きたのかひとつも分からぬまま、ただ情けない悲鳴を上げながら、陽香に背を向けて走り出したのであった。
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