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第9章 奈落の底に永住したい
36 家族会議を終えて
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家族会議の結果、女性の戦闘行為禁止の法律については現状維持するしかないという結論に落ち着いた。
国王が法律を改定できるのは一生に一度だけで、既に権利を失っている颯瑛にはどうする事もできない。どうにかするには、代替わりするしかないのだ。
しかし、現国王の颯瑛から――まだ十三歳で、婚約者の一人も居ない――維月を即位させるのは反対だと言われてしまっては、それも難しい。
無事即位できたところで、次は法律改定について国民をどう納得させるかという問題に直面する。どう転んでも険しい道のりなのだ。
「綾、いきなり招集されて疲れただろう? 今日はゆっくり休んでくれ」
「いえ、私は凄く楽しかったですよ」
近い内に渚と維月を引き合わせるという約束を締結し、綾那と颯月は王宮を後にした。
ただでさえ遅い時間に召集されたため、現在の時刻は既に二十四時を回っている。空に浮かぶ魔法の光源はかなり明度を落としていて、足元も暗い。光源の向こうには星一つない真っ暗な夜空――ではなく、「表」の真っ暗な深海が広がっている。
真夜中でも常夏のアイドクレースは気温が高く、空気も生温かい。
騎士団宿舎へ戻る道すがら、颯月と肩を並べて歩いていると――綾那は、何やら不思議な気持ちになった。
(――本当に、この人と結婚するの? 私)
金メッシュ混じりの、艶のある黒髪。紫色の妖艶な垂れ目。まるで白磁のような、毛穴ひとつ見えない白肌。すっと通った鼻梁。背は高いし体は逞しいし、口を開けば低く落ち着いた声が耳朶を震わせて――騎士団長という肩書を持ち、恐らく震えるほど高額な資産の持ち主だ。
しかも――颯月本人やリベリアスの住人は嫌悪しているようだが――眼帯を外せば、右目は赤色のオッドアイ。右半身には、頭から足先までくまなく刺青が走っていると言う。
何から何まで完璧だ。悪魔憑きの『異形』さえ、綾那の好みドストライクである。
そうして熱っぽい眼差しを送る綾那に気付いたのか、颯月がふと笑みを漏らした。
「どうした、初めて会った日みたいに口説いてくれるのか?」
「口説いても良いんですか? 止まりませんよ」
大真面目に答える綾那に、颯月は声を上げて笑った。
「いや、今はやめておこう――なあ、綾。明日にでも、役所へ婚姻届を取りに行こうかと思っているんだが」
「喜んで記入します」
「……俺は一生悪魔憑きだが、それでも良いか?」
「何を今更」
「一生、俺だけ見てくれるか」
「そんなの――」
綾那は「言うまでもありません」と即答しかけた。しかし、綾那が言い終えるよりも先に颯月が動いた。彼は唐突に足を止めると、綾那の両肩を強い力で掴んだのだ。
指先が肌に食い込む程の力強さにも驚いたが、綾那を見下ろす颯月の左目は、仄暗い激情のようなものを宿していて。底の見えない何かを感じて、綾那はごくりと喉を鳴らした。
「一生悪魔憑きという事は、精神に作用する闇魔法も多く扱えるという事だ」
「え? あ、は、はあ……」
「もし綾に裏切られたら――俺は迷いなく、いの一番にお前の精神を壊すだろう。精神だけ壊して、間男は殺す。そうして綾が死ぬまで、俺の元で人形として可愛がる。それでも俺を受け入れて……他を全部諦めて、俺の傍を選んでくれるか?」
綾那は、ゆっくりと目を瞬かせた。そしてややあってから頷いて、「浮気しても可愛がってくださるなんて、颯月さんは優しいですね」と微笑む。
もし逆の立場だったら――綾那はどうするだろうか?
アリスの「偶像」騒動の時もそうだったが、神のように慕う颯月が相手ならば、多少の目移りくらい許してしまうかも知れない。しかし、まず間違いなく相手の女は無事では済まないだろう。
綾那の笑みを見て、颯月は安堵するように細い息を吐き出した。そうして肩を掴む力と目元を緩めると、僅かに腰を折って綾那の顔を覗き込んだ。
「――どうか俺と結婚して欲しい」
「はい、喜んで」
改めてすると約束していたプロポーズ。颯月の影が顔にかかって、綾那はこれ以上ないほど満たされた気持ちで目を閉じた。
いつもすぐに離れてしまう唇が、今日ばかりは長く重なって――それが離れていく時の名残惜しさと言ったらない。時が止まってしまえば良いという言葉は、こういう時に使うのだろう。
やがて綾那がそろりと瞳を開けば、コツンと額がくっついた。目の前には愛しい颯月の顔があって、ついうっとりと見惚れてしまう。
「……この後、綾と別れて巡回に行くつもりだったんだが」
「ふふ、日課のお散歩ですもんね」
以前と比べて短時間になったとは言え、それでも颯月は眷属探しを辞められない。思わず笑い声を漏らせば、彼は真剣な眼差しで綾那を見下ろした。
「ただ、いよいよ解禁されるのかと思うと――堪らない気持ちになってくる」
「解禁」
さすがの綾那でも、颯月の言わんとしている事が理解できぬほど鈍くはない。そもそも、解禁されるのを待ち望んでいたのは綾那だって一緒なのだから。
颯月の真っ白い目元へ、ほんの僅かだが朱が差した。紫色の垂れ目には、先ほどとは種類の違う『情』が宿っていて――綾那はふるりと体を震わせた。
「………………このまま部屋、来るか?」
――その瞬間、綾那の思考はとんでもない勢いで加速した。
脳内は一瞬で「ふぁい! 喜んでェ!!」という威勢の良い返事とピンク色の何かで埋め尽くされたが、それと同時に「神相手にこんな装備で、本当に大丈夫か? 朝、冷静になった時に後悔しないと言い切れるのか?」という疑問が湧き出てくる。
そもそも、風邪で痩せて以来まだベスト体重まで戻せていないのに、平気なのか? 肌はどこもざらついていないのか? 乾燥していないのか? 髪の毛一本一本のキューティクルは今、どうなっているのだ? 爪はちゃんと磨かれていたか? 夕食はなんだった? 香りの強いものは食べなかったか?
――本っ当に、大丈夫か? 今晩颯月に綾那の全てを曝け出しても、本当に、何ひとつ問題はないと言い切れるのか?
およそ三秒でこれだけの事を考えた綾那は、サッと顔を青褪めさせた。
――ダメだ、今の綾那は戦闘力が低すぎる! まるで、ひのきのぼう一本でラスボスの前に躍り出る勇者だ!
綾那は悔しげに唇を噛み締めた。
(どうして事前に用意しておかなかったの! しばらく異性交遊から離れていたとは言え、さすがに無防備すぎる……!! いついかなる時でも応じられるようにしなきゃダメでしょ、一体何を考えてるの綾那!)
――いや、いつでも応じられる方がどうなのだ? 普段から何を考えて生きているのだ? とツッコんでくれる人間は、残念ながら周りに居なかった。
綾那は悔しげな表情のまま、絞り出すように声を上げる。
「だっ、ダメです! 今日の私は、戦闘力が低すぎますぅ……!!」
「戦闘力が低い」
「全身磨き上げてからじゃないと、颯月さんの相手は無理無理のムリですぅ……! 私至上最高の綾那をお届けしたいんです……っ!!」
「史上最高の綾と聞くと、魅力的だが……戦闘力が低い綾も、それはそれで興奮する」
「いけません、調整するまで待ってください、お願いします……! だって颯月さん、骨っぽいよりも、ぷわぷわの方が良いでしょう!?」
「……ああ、それは確かに良い。あと二十キロくらい太ってくれると、尚良い」
「そ、それはベスト体重を大幅に超えるので、難しいですが――とにかく、どうか私に猶予をください! 数日で構いませんから……!」
悔しさと情けなさで、綾那はピーと泣き出した。颯月は途端にふっと口元を緩めると、綾那の身体を抱き締めてその背中をぽんぽんと叩いた。
――そうして耳元で「あまり長くは待っていられない」と囁かれて、綾那はすぐさま「明日にでも、渚に体の磨き方を聞きに行く!」と心に決めたのであった。
国王が法律を改定できるのは一生に一度だけで、既に権利を失っている颯瑛にはどうする事もできない。どうにかするには、代替わりするしかないのだ。
しかし、現国王の颯瑛から――まだ十三歳で、婚約者の一人も居ない――維月を即位させるのは反対だと言われてしまっては、それも難しい。
無事即位できたところで、次は法律改定について国民をどう納得させるかという問題に直面する。どう転んでも険しい道のりなのだ。
「綾、いきなり招集されて疲れただろう? 今日はゆっくり休んでくれ」
「いえ、私は凄く楽しかったですよ」
近い内に渚と維月を引き合わせるという約束を締結し、綾那と颯月は王宮を後にした。
ただでさえ遅い時間に召集されたため、現在の時刻は既に二十四時を回っている。空に浮かぶ魔法の光源はかなり明度を落としていて、足元も暗い。光源の向こうには星一つない真っ暗な夜空――ではなく、「表」の真っ暗な深海が広がっている。
真夜中でも常夏のアイドクレースは気温が高く、空気も生温かい。
騎士団宿舎へ戻る道すがら、颯月と肩を並べて歩いていると――綾那は、何やら不思議な気持ちになった。
(――本当に、この人と結婚するの? 私)
金メッシュ混じりの、艶のある黒髪。紫色の妖艶な垂れ目。まるで白磁のような、毛穴ひとつ見えない白肌。すっと通った鼻梁。背は高いし体は逞しいし、口を開けば低く落ち着いた声が耳朶を震わせて――騎士団長という肩書を持ち、恐らく震えるほど高額な資産の持ち主だ。
しかも――颯月本人やリベリアスの住人は嫌悪しているようだが――眼帯を外せば、右目は赤色のオッドアイ。右半身には、頭から足先までくまなく刺青が走っていると言う。
何から何まで完璧だ。悪魔憑きの『異形』さえ、綾那の好みドストライクである。
そうして熱っぽい眼差しを送る綾那に気付いたのか、颯月がふと笑みを漏らした。
「どうした、初めて会った日みたいに口説いてくれるのか?」
「口説いても良いんですか? 止まりませんよ」
大真面目に答える綾那に、颯月は声を上げて笑った。
「いや、今はやめておこう――なあ、綾。明日にでも、役所へ婚姻届を取りに行こうかと思っているんだが」
「喜んで記入します」
「……俺は一生悪魔憑きだが、それでも良いか?」
「何を今更」
「一生、俺だけ見てくれるか」
「そんなの――」
綾那は「言うまでもありません」と即答しかけた。しかし、綾那が言い終えるよりも先に颯月が動いた。彼は唐突に足を止めると、綾那の両肩を強い力で掴んだのだ。
指先が肌に食い込む程の力強さにも驚いたが、綾那を見下ろす颯月の左目は、仄暗い激情のようなものを宿していて。底の見えない何かを感じて、綾那はごくりと喉を鳴らした。
「一生悪魔憑きという事は、精神に作用する闇魔法も多く扱えるという事だ」
「え? あ、は、はあ……」
「もし綾に裏切られたら――俺は迷いなく、いの一番にお前の精神を壊すだろう。精神だけ壊して、間男は殺す。そうして綾が死ぬまで、俺の元で人形として可愛がる。それでも俺を受け入れて……他を全部諦めて、俺の傍を選んでくれるか?」
綾那は、ゆっくりと目を瞬かせた。そしてややあってから頷いて、「浮気しても可愛がってくださるなんて、颯月さんは優しいですね」と微笑む。
もし逆の立場だったら――綾那はどうするだろうか?
アリスの「偶像」騒動の時もそうだったが、神のように慕う颯月が相手ならば、多少の目移りくらい許してしまうかも知れない。しかし、まず間違いなく相手の女は無事では済まないだろう。
綾那の笑みを見て、颯月は安堵するように細い息を吐き出した。そうして肩を掴む力と目元を緩めると、僅かに腰を折って綾那の顔を覗き込んだ。
「――どうか俺と結婚して欲しい」
「はい、喜んで」
改めてすると約束していたプロポーズ。颯月の影が顔にかかって、綾那はこれ以上ないほど満たされた気持ちで目を閉じた。
いつもすぐに離れてしまう唇が、今日ばかりは長く重なって――それが離れていく時の名残惜しさと言ったらない。時が止まってしまえば良いという言葉は、こういう時に使うのだろう。
やがて綾那がそろりと瞳を開けば、コツンと額がくっついた。目の前には愛しい颯月の顔があって、ついうっとりと見惚れてしまう。
「……この後、綾と別れて巡回に行くつもりだったんだが」
「ふふ、日課のお散歩ですもんね」
以前と比べて短時間になったとは言え、それでも颯月は眷属探しを辞められない。思わず笑い声を漏らせば、彼は真剣な眼差しで綾那を見下ろした。
「ただ、いよいよ解禁されるのかと思うと――堪らない気持ちになってくる」
「解禁」
さすがの綾那でも、颯月の言わんとしている事が理解できぬほど鈍くはない。そもそも、解禁されるのを待ち望んでいたのは綾那だって一緒なのだから。
颯月の真っ白い目元へ、ほんの僅かだが朱が差した。紫色の垂れ目には、先ほどとは種類の違う『情』が宿っていて――綾那はふるりと体を震わせた。
「………………このまま部屋、来るか?」
――その瞬間、綾那の思考はとんでもない勢いで加速した。
脳内は一瞬で「ふぁい! 喜んでェ!!」という威勢の良い返事とピンク色の何かで埋め尽くされたが、それと同時に「神相手にこんな装備で、本当に大丈夫か? 朝、冷静になった時に後悔しないと言い切れるのか?」という疑問が湧き出てくる。
そもそも、風邪で痩せて以来まだベスト体重まで戻せていないのに、平気なのか? 肌はどこもざらついていないのか? 乾燥していないのか? 髪の毛一本一本のキューティクルは今、どうなっているのだ? 爪はちゃんと磨かれていたか? 夕食はなんだった? 香りの強いものは食べなかったか?
――本っ当に、大丈夫か? 今晩颯月に綾那の全てを曝け出しても、本当に、何ひとつ問題はないと言い切れるのか?
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――いや、いつでも応じられる方がどうなのだ? 普段から何を考えて生きているのだ? とツッコんでくれる人間は、残念ながら周りに居なかった。
綾那は悔しげな表情のまま、絞り出すように声を上げる。
「だっ、ダメです! 今日の私は、戦闘力が低すぎますぅ……!!」
「戦闘力が低い」
「全身磨き上げてからじゃないと、颯月さんの相手は無理無理のムリですぅ……! 私至上最高の綾那をお届けしたいんです……っ!!」
「史上最高の綾と聞くと、魅力的だが……戦闘力が低い綾も、それはそれで興奮する」
「いけません、調整するまで待ってください、お願いします……! だって颯月さん、骨っぽいよりも、ぷわぷわの方が良いでしょう!?」
「……ああ、それは確かに良い。あと二十キロくらい太ってくれると、尚良い」
「そ、それはベスト体重を大幅に超えるので、難しいですが――とにかく、どうか私に猶予をください! 数日で構いませんから……!」
悔しさと情けなさで、綾那はピーと泣き出した。颯月は途端にふっと口元を緩めると、綾那の身体を抱き締めてその背中をぽんぽんと叩いた。
――そうして耳元で「あまり長くは待っていられない」と囁かれて、綾那はすぐさま「明日にでも、渚に体の磨き方を聞きに行く!」と心に決めたのであった。
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