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第9章 奈落の底に永住したい

34 家族会議

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 応接室へ戻って来た正妃を見て、颯瑛はどこか安堵したような表情を浮かべた――ように思うが、やはり以前よりはマシになったというだけで基本は無表情のため、変化が分かりづらい。
 顔が変わらないならせめて言葉を尽くしてくれれば良いのだが、口下手だからそれも難しいのだろう。

(うーん、でもお義母様って元は幼馴染で……お義父様が度を越えた無口、無表情でも、何を考えているのか察するのがお上手だったって話だっけ。輝夜様が亡くなって、お義父様がおかしくなられてからは――ちょっと、偏見が邪魔して難しいみたいだけど)

 綾那はちらと横の正妃を見やったが、しかしイマイチ何を考えているか分からなかった。
 颯瑛が心配していた事を理解しているのか、それとも理解できずに「冷たい」と受け取っているのか。そもそも、国王相手にそのような感情を抱くこと自体が正妃として間違っているのか。
 ――分からないが、まあ少なくとも悲しんでいるとか落胆しているとかでなければ良いだろう。

 正妃は「お待たせして申し訳ありません」と断ってからソファに腰掛けた。それを見た綾那もまた、ぺこりと頭を下げてから颯月の隣に戻った。

「おかえり、正妃サマに何もされなかったか?」
「……する訳がないでしょう」

 颯月は綾那が戻るや否や軽口を叩いた。そんな彼をすかさず正妃が睨みつけたが、しかし小さく息を吐くと「今日は良い報告が聞けたから大目に見るわ」と肩を竦める。

 正妃に説教されなかった事が意外だったのか、颯月はぱちぱちと目を瞬かせてから綾那を見やった。綾那は彼と目が合うと、目元を緩ませてびしりと人差し指を立てた。

「ダメですよ、お義母様に憎まれ口を叩くのは」
「おかあ――いや、一応は恩義があるから報告したが、そもそも勘当されてるからな?」
「では、勘当されているから維月殿下ともなんの関係がないと?」
「……維月は関係がある、俺の義弟だ」

 道理の通らない主張をする颯月に、綾那はますます笑みを深めた。

「じゃあ、お義母様ともお義父様とも関係がありますよね。そもそも「勘当」なんてポーズみたいなものですし、世間の目はまた別でしょうけれど……せめて当事者だけでも意識を正してください」

 綾那は言い終わると、颯月の手に自身の手を絡めた。
 本当は心ゆくまで抱き締めて愛を囁きたいところだったが、親の目と――それ以上に厳しい――義弟の目があるため、さすがに勇気が出なかった。

 颯月は肯定も否定もせずに無言だったが、ただうっすらと笑みを浮かべて綾那の手を握り返した。そうして二人で微笑み合っていると、正面から「コホン!」と正妃の咳払いが聞こえて意識を引き戻す。

「――それで、颯月の話はもう終わったのですか」
「うん? ああ……そうだな、ひとまずは。法律の――「女性の戦闘行為禁止」の改定について話し合ったんだが、なかなか難しくて」

 これは元々、正妃を守るために制定された法律だ。輝夜を彼女自身の短慮から喪い――輝夜と性質の似た正妃まで喪っては生きて行けないからと、颯瑛は法律で戦闘行為そのものを禁じてしまった。

 そのせいで戦闘職に就いていた女性は職を失い、また彼女らが抜けたことで、騎士団や傭兵は人手不足に陥った。もしこの法律を撤廃できれば、騎士や傭兵になりたいという女性は多いだろう。
 特に騎士団は今、アイドル並みに人気が高い動画メンバーのお陰で注目度が段違いだ。いくら危険な職務だろうが、休みがなかろうが――巡回ばかりで定住できないとしても、騎士の魅力は十分にあるはず。

 いや、そもそもが花形職業だったのだ。広報の宣伝動画がなかったとしても、騎士になりたいと思う女性は多いに決まっている。
 騎士団で働く女性が増えれば「死ぬほど婚期を逃す問題」も解決の方向へ進むだろうし、一見すると良いこと尽くめである。

「正直言って、私が自暴自棄に制定したせいでこれが悪法と呼ばれている事は把握している。騎士や傭兵の人員が不足すれば、必然的に魔物や眷属の被害が増えるし……騎士になりたくとも、法律のために諦めた女性が居る事も知っている。ただ、一度敷いてしまったからには――国民に強制してしまったからには、撤回するのも容易ではない」

 颯瑛の淡々とした説明の後に、維月が続いた。

「まあ、国民の大多数は法律の撤回を望んでいるでしょうけれど……当然、ではないでしょうね。少なくともこの法律があったお陰で「命拾いした」と思っている者は居るはずです。家系のせいで騎士職を強制されていた女性はもちろん、今まで街を魔物や眷属に襲撃されたとしても「女性は戦ってはいけない」という免罪符があった訳です。この法律が制定されてから二十三年、女性は積極的に攻撃魔法を学ばなくなりましたし……それが急に「明日からでも戦え」と言われれば、戸惑うかと」

 維月の補足説明を聞いて、正妃は「それはそうでしょうね」と大きく頷いた。

(やっぱり、法律の改定って難しいんだ……確かに困っている人は多いけど、全員じゃない――少数だったとしても、中にはこの法律の恩恵を受けている人だって居るんだ)

 やはり、「色んな人が困っているから撤回しましょう!」で済む話ではないらしい。
 騎士の家系だからと騎士職を強制される女性が居て、傭兵家業だからと傭兵にならざるをえなかった女性が居る。
 彼女らは今どこでどんな職業についているのだろうか? もしかしたら花屋になりたい、服屋になりたいなんて夢を叶えた者だって居るのではないか。

 北のルベライトは魔物の生息数が全国一位で被害も多いと聞いたが――本来、それらを迎撃するたびに徴収される女性だって居る訳だ。無傷で済ませられるような戦いではないだろうし、もちろん命のやりとりになるはず。運が悪ければ命を落とす事だってある。

 しかしこの法律さえあれば、少なくとも女性は守られるのだ。その約束された安全を捨ててまで、法律の撤回を望む女性ばかりではないはず。

 更に、維月が言及した事も気になる。この法律が制定されてから二十三年の間に、リベリアスの女性は攻撃魔法から離れてしまったと――。
 もちろん、使えない訳ではない。魔力ゼロ体質でさえなければ、学ぶだけで使えるようにはなるだろう。ただ、使える事と実際に使う事は違う。

 例えば「表」で銃の扱い方を学び、射撃場で高得点を出せたとして。いざ「実戦です」となった時に、果たして何人が縦横無尽に動く的を撃てるのだろうか。それも、生きた的を。

(戸惑う……だろうなあ。「表」でいきなり「もし戦争が始まったら、徴兵令に応じてね」って宣言されるようなものかも……戦いから離れていた人や、そもそも一度も戦った事がない人からすれば怖いに決まってる)

 何せ、二十三年である。生まれた時には既に法律が敷かれていて、女性が戦うという行為自体を知らぬ世代だって存在する訳だ。
 もし撤回するにしても、国中に法律を発布はっぷするとなれば、さすがに明日、明後日から適用するなんて事はないだろう。年単位か――もしくは、早ければ数か月の猶予をもって適用するはず。その期間内に、どれだけ多くの女性を安心させられるかがミソである。

「確かに、なかなか難しい問題ですね。今更「戦え」と言われても戸惑う者が多いでしょうし……完全に撤回よりも、上手く改変する方が無難なのではありませんか?」

 正妃はやや考え込んだのち、そう提案した。しかし颯瑛は僅かに眉根を寄せて、目を細める。

「人員不足で困っている騎士団長には申し訳ないが……そもそも私は、維月が即位するのは時期尚早だと思う。まだ十三歳だ、早すぎる」
「え? ……しかし父上――いえ、陛下。陛下が即位なさったのは、先代の不幸があって十歳頃だったと……」
「それは不幸が重なった上に、他の血族が皆王位につくのを嫌がったからだ。私はまだ健在だし、何も慌てて代替わりする必要はない」

 暗に王位を譲るつもりはないと主張する颯瑛に、維月と正妃は揃って面食らったような顔をした。颯瑛は好きで国王をやっているようには見えないし、その座にしがみついているような様子も見られない。だからこそ、意外だったのかも知れない。

 ――しかし、颯月だけは鷹揚に頷いて同調した。

「それは正直、俺も思います。何せこの悪法を敷いたのは陛下で――次期国王が実の息子維月。身内の不始末は身内がつけると言えば聞こえは良いですが、この法律を改定すれば「二代揃って民衆に混乱を招いた」と揶揄されてもおかしくありませんから」
「……そうだろう? やはりそう思うか……私は、ただでさえ若くして即位したせいで相当な苦労を強いられたんだ。それは維月だって同じだろうし、しかも私の尻ぬぐいまでするとなれば、どれほど心ない言葉をかけられるか――問題は民衆ではない、同じ立場に居る王族だ。彼らは、例えこちらが石を投げても届かない遥か上空に居座って、そのくせ文句だけは言ってくる。なんでも思い通りにしたいなら自分達が王になれば良いものを……決して矢面には立ちたがらないから、タチが悪い」

(う、うーん……これ、私が聞いてて良い話なのかな……?)

 どうも王族というのは、相当にドロドロと濁ったものの集合体らしい。悪魔憑きの颯月を揶揄するわ、王太子の維月に嫌味を言うわ――現国王の颯瑛を苦しめるわ、なかなかにやりたい放題である。
 綾那としてはリベリアスの王族イコール「表」の天皇のようなものと思っていたのだが、もっとずっとおぞましいものなのかも知れない。
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