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第9章 奈落の底に永住したい
27 颯月の側近
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和巳母の手作りだというシフォンケーキは、練り込まれた紅茶の葉が香り高く、生地もふかふかだ。店の商品として売られていてもおかしくない完成度の見た目、そして上品な味はさることながら、食感まで上質で――気付けば、綾那の涙は引っ込んで乾いていた。
やや大きめにカットされたケーキをぺろりと平らげたあと、こくりと紅茶を飲みくだして一息つく。そうして落ち着いたところでふと気になったのが、つい先ほど和巳について「コイツは相当な腹黒だ」と指摘していた、颯月の言葉である。
綾那から見た和巳は、物腰柔らかくいつも穏やかで紳士的、そして優しい。ただ優しいだけでなく、お茶目でフットワークの軽いところもあり、華奢なのに騎士団一の大食漢。花が好きだが、それを「女のようだ」と揶揄されるとかなり不機嫌になる。
(あとは……アイドクレース騎士団の作戦参謀で、頭が良い――? 改めて考えると、私って和巳さんの事もあんまり知らないんだな)
紅茶が半分以下になったティーカップをテーブルに置いて、じっと和巳を見やった。彼は颯月の隣に腰掛けて、優雅にカップを傾けている。
――まあ、敬愛する颯月の事でさえ、最近ようやく知識を深められたところなのだ。それは、他の人物に関しても知見が浅いに決まっている。
比較的他愛ない話を繰り返していた桃華の事だって、「深く知っているか」と問われれば、そうでもないと言わざるを得ないのだから。
よく思い返してみれば綾那も、好き放題やっているようでその胸中はずっと不安だったのかも知れない。恐らく、四重奏のメンバー全員と合流できたことで、ようやく心に余裕が生まれたのだろう。
だからこそこうして、周りの事を気にかけられるようになったに違いない。
綾那の視線に気付いたのか、同じくぺろりとケーキを平らげた颯月が目を細めた。
「どうした、和にも何か質問したくなったのか?」
「あ、いえ……質問と言いますか、私って皆さんの表面的な部分しか知らないんだなと思って――」
「ああ、腹黒エピソードを知りたいのか」
「へ? いやいや、そんな……!」
「――颯月様、綾那さんは一言もそのような事は仰っていませんよ」
「目は時に、口よりも雄弁に語るものだろう」
くつくつと笑う颯月に、綾那は口を噤んで両手で目を覆い隠した。それは暗に「仰る通りです」と認めているようなものである。指の隙間からチラッと覗く桃色の瞳は好奇心に満ち溢れていて、和巳は苦く笑って息を漏らした。
「残念ながら、職務の合間にケーキを届けに来たものですから……私はそろそろ戻ります。腹黒エピソードなら、お好きなように話してくださって構いませんよ。恐らく綾那さんは、引くどころか面白がるだけでしょうし」
そう言って立ち上がると、和巳は空いた皿をトレーに載せて退室しようと扉を開いた。綾那が慌てて「ケーキ凄く美味しかったです、ご馳走様でした!」と声を掛ければ、笑顔で会釈してくれる。
彼の背を見送っていると、ちょうど入れ替わるように竜禅が入って来た。
「――ああ。和巳の母君のお陰で、今日は素直に休憩していますね」
「ここ最近は綾のお陰で、ずっと素直なんだが」
「そうでしたね」
竜禅が口元を緩めれば、颯月はソファの背もたれに体重を預けて足を組んだ。そうして竜禅の報告を聞く――のかと思いきや、彼はそのまま和巳について話し始める。
「なあ、禅。和はあれで腹黒い男だよな」
「……なんです、藪から棒に。腹黒いと言うか――和巳は精神的に武闘派な感じがします。負けん気が強いと言うか、恐れ知らずと言うか」
「ああ、そうか。男らしくしようと心掛けているせいか」
「負けん気が強い――確かに「女性のようだ」と揶揄されると、怒りっぽくなるイメージがありますけれど……でも、そんなに言う程なんですか?」
綾那が問いかければ、主従は揃って頷いた。
「そもそも綾那殿は、どうして彼が颯月様の下についていると思う?」
「え? ……ご本人が優秀だから、『参謀』の役職がついているだけでは?」
「それは大前提の話だ。だが、よく考えて欲しい。颯月様の周りを固めているのは、和巳を除くと身内ばかりだと言う事を」
「身内――」
綾那は、まず『軍師』である幸成の姿を思い浮かべた。幸成は颯月の従弟で、血の繋がりがある。それと同時にそう年の離れていない幼馴染でもあって、互いに気心が知れている感じがする。
目の前に立つ『副長』の竜禅についても同様だ。彼は颯月の従者であり、育ての父親でもある。一番の身内は誰だと言われれば、それは間違いなく竜禅だろう。
――では、『参謀』の和巳は? と考えると、確かに血の繋がりがなければ幼馴染でもない。しかし颯月との間に遠慮や壁などがあるかと言えば、そうでもない。
友人でもないし、純粋に部下のイメージだが、彼だって颯月とは気心の知れた身内だと思う。
うーんと深く考え込む綾那に、颯月が小さく笑った。
「禅、綾は最初から一度たりとも俺を厭わん女だった。そんな言い方で理解できる訳がない」
「ああ、そうでしたね」
「ええと……」
何やら察しが悪かったようだ。綾那は申し訳なくなって眉尻を下げた。すると、竜禅はゆるゆると首を横に振る。
「今でこそ居心地の良い場所になったと言えるが――このアイドクレース騎士団だって、初めから手放しで颯月様を受け入れた訳ではない」
「……えっ」
「その受け入れ第一号が和巳だった。しかも、彼が受け入れた後はもう……芋づる式に他の団員も受け入れるしかなかった。だから私も、彼には感謝している」
「そ、そうなんですか……? なんだか、意外です……」
ぱちぱちと目を瞬かせる綾那に、竜禅は「もう、十年以上前の昔話だ」と前置きしてから説明を始めた。
やや大きめにカットされたケーキをぺろりと平らげたあと、こくりと紅茶を飲みくだして一息つく。そうして落ち着いたところでふと気になったのが、つい先ほど和巳について「コイツは相当な腹黒だ」と指摘していた、颯月の言葉である。
綾那から見た和巳は、物腰柔らかくいつも穏やかで紳士的、そして優しい。ただ優しいだけでなく、お茶目でフットワークの軽いところもあり、華奢なのに騎士団一の大食漢。花が好きだが、それを「女のようだ」と揶揄されるとかなり不機嫌になる。
(あとは……アイドクレース騎士団の作戦参謀で、頭が良い――? 改めて考えると、私って和巳さんの事もあんまり知らないんだな)
紅茶が半分以下になったティーカップをテーブルに置いて、じっと和巳を見やった。彼は颯月の隣に腰掛けて、優雅にカップを傾けている。
――まあ、敬愛する颯月の事でさえ、最近ようやく知識を深められたところなのだ。それは、他の人物に関しても知見が浅いに決まっている。
比較的他愛ない話を繰り返していた桃華の事だって、「深く知っているか」と問われれば、そうでもないと言わざるを得ないのだから。
よく思い返してみれば綾那も、好き放題やっているようでその胸中はずっと不安だったのかも知れない。恐らく、四重奏のメンバー全員と合流できたことで、ようやく心に余裕が生まれたのだろう。
だからこそこうして、周りの事を気にかけられるようになったに違いない。
綾那の視線に気付いたのか、同じくぺろりとケーキを平らげた颯月が目を細めた。
「どうした、和にも何か質問したくなったのか?」
「あ、いえ……質問と言いますか、私って皆さんの表面的な部分しか知らないんだなと思って――」
「ああ、腹黒エピソードを知りたいのか」
「へ? いやいや、そんな……!」
「――颯月様、綾那さんは一言もそのような事は仰っていませんよ」
「目は時に、口よりも雄弁に語るものだろう」
くつくつと笑う颯月に、綾那は口を噤んで両手で目を覆い隠した。それは暗に「仰る通りです」と認めているようなものである。指の隙間からチラッと覗く桃色の瞳は好奇心に満ち溢れていて、和巳は苦く笑って息を漏らした。
「残念ながら、職務の合間にケーキを届けに来たものですから……私はそろそろ戻ります。腹黒エピソードなら、お好きなように話してくださって構いませんよ。恐らく綾那さんは、引くどころか面白がるだけでしょうし」
そう言って立ち上がると、和巳は空いた皿をトレーに載せて退室しようと扉を開いた。綾那が慌てて「ケーキ凄く美味しかったです、ご馳走様でした!」と声を掛ければ、笑顔で会釈してくれる。
彼の背を見送っていると、ちょうど入れ替わるように竜禅が入って来た。
「――ああ。和巳の母君のお陰で、今日は素直に休憩していますね」
「ここ最近は綾のお陰で、ずっと素直なんだが」
「そうでしたね」
竜禅が口元を緩めれば、颯月はソファの背もたれに体重を預けて足を組んだ。そうして竜禅の報告を聞く――のかと思いきや、彼はそのまま和巳について話し始める。
「なあ、禅。和はあれで腹黒い男だよな」
「……なんです、藪から棒に。腹黒いと言うか――和巳は精神的に武闘派な感じがします。負けん気が強いと言うか、恐れ知らずと言うか」
「ああ、そうか。男らしくしようと心掛けているせいか」
「負けん気が強い――確かに「女性のようだ」と揶揄されると、怒りっぽくなるイメージがありますけれど……でも、そんなに言う程なんですか?」
綾那が問いかければ、主従は揃って頷いた。
「そもそも綾那殿は、どうして彼が颯月様の下についていると思う?」
「え? ……ご本人が優秀だから、『参謀』の役職がついているだけでは?」
「それは大前提の話だ。だが、よく考えて欲しい。颯月様の周りを固めているのは、和巳を除くと身内ばかりだと言う事を」
「身内――」
綾那は、まず『軍師』である幸成の姿を思い浮かべた。幸成は颯月の従弟で、血の繋がりがある。それと同時にそう年の離れていない幼馴染でもあって、互いに気心が知れている感じがする。
目の前に立つ『副長』の竜禅についても同様だ。彼は颯月の従者であり、育ての父親でもある。一番の身内は誰だと言われれば、それは間違いなく竜禅だろう。
――では、『参謀』の和巳は? と考えると、確かに血の繋がりがなければ幼馴染でもない。しかし颯月との間に遠慮や壁などがあるかと言えば、そうでもない。
友人でもないし、純粋に部下のイメージだが、彼だって颯月とは気心の知れた身内だと思う。
うーんと深く考え込む綾那に、颯月が小さく笑った。
「禅、綾は最初から一度たりとも俺を厭わん女だった。そんな言い方で理解できる訳がない」
「ああ、そうでしたね」
「ええと……」
何やら察しが悪かったようだ。綾那は申し訳なくなって眉尻を下げた。すると、竜禅はゆるゆると首を横に振る。
「今でこそ居心地の良い場所になったと言えるが――このアイドクレース騎士団だって、初めから手放しで颯月様を受け入れた訳ではない」
「……えっ」
「その受け入れ第一号が和巳だった。しかも、彼が受け入れた後はもう……芋づる式に他の団員も受け入れるしかなかった。だから私も、彼には感謝している」
「そ、そうなんですか……? なんだか、意外です……」
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