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第9章 奈落の底に永住したい
16 共に昼食を
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「その心配はない。いや、百パーセントないとは言い切れないが……しかし、そこまで気にする事もない」
竜禅の煮え切れない回答に、綾那は首を傾げた。すると彼は、そのまま続けて説明してくれる。
「入団希望者の全てが、陽香殿目的ではないという事だ」
「それは――つまりここ最近の活動で、陽香以外にも何かしらの魅力があったと……?」
綾那の聞き方は、ともすれば「騎士団には陽香を除いてメリットがひとつもない」と、失礼極まりない事を言っているようなものだった。しかし、事実デメリットに対してメリットが薄すぎるせいで、長年人手不足に悩まされていたのだから――あながち間違いでもないだろう。
「繊維祭の直後から配信し始めた、大食い大会の動画が街で好評らしい。騎士団は意外と気さくな集まりだとか……役職もちの騎士がここまで面倒を見てくれるなら、安心だ――とかな。特に若い世代を中心にウケたらしく、これと言って夢や目標のなかった若者が、ここぞとばかりに騎士という職業に魅力を見出したようだ」
「……本当ですか!? わあ、それは……素晴らしいですね。女性で釣った訳でもないし、一番理想的な人の集まり方のような気がします」
綾那は、てっきり殺到した入団希望者とやらは、全員が陽香目当てだと思っていた。けれども実際はそればかりではなく、ちゃんと騎士団の楽しさが伝わった結果なのだ。何やらここへ来て初めて、『広報』らしい事ができたのではないだろうか。
(騎士の皆さんの明るい人柄が、動画を通して伝わったのかな……今回メインだった和巳さんの麗しさがキモだったのかも知れないし、他領の騎士の明臣さんが垣根を越えて参戦していたのが良かったのかも知れないし……なんにせよ、本当に良かった)
思わず笑みを零す綾那を見て、竜禅は小さく咳ばらいをした。そうして綾那から颯月へ顔を向けると、どこか言いづらそうにもごりと口を動かす。
「颯月様の婚約者だから――という前提が大きいのでしょうが、『雪の精』に対する興味を抱いたらしい冷やかしも増えているようです」
「……何?」
「あの日の『演武』を目にした者も多いでしょうからね。駐在騎士からの報告では、陽香殿ほどではないにしろ街中でもそれなりの噂になっていると」
颯月は食事の手を止めると、ちらと竜禅を見上げた。そして何事か逡巡したかと思えば、室内に響くほど大きな舌打ちをする。
「禅、「水鏡」のマスクはもう作れないのか? 綾の分は創造神が借りパクしたままだったよな」
「創造神に向かって借りパクなんて言葉を口にしないで頂きたい。どこで聞いておられるか分かったものではありませんよ……正直言ってアレは、作り上げるのに時間がかかります。元々綾那殿に渡したものは、もしもの時の予備として所持していたものですから」
「俺の意思で『美の象徴』へ向かって一石を投じさせたとは言え、この街のヤツらが綾の魅力に気付くのは面白くない。俺はこの街から骨が減る事によって、ただ自分が過ごしやすくなる事しか考えていなかったんだな――」
「確かに……領民の洗脳が解ければどうなるか、という事を深く考えておられなかった節はあるでしょうね。しかしまあ、悪魔憑きで良かったではありませんか? お陰であなたから綾那殿を奪える者など、この世におりませんよ」
竜禅のなんとも言えない複雑なフォローに、颯月は苦々しい顔をして「物理的にはそうだろうな」とぼやいた。
恐らく、今後綾那に言い寄る男が増えた場合の事を不安がっているのだろう。天地がひっくり返ってもあり得ぬ話だが、もし綾那の気持ちが颯月から離れたら――なんて心配でもしているのかも知れない。
何せ彼は、正妃から受けたスパルタ教育のせいで、やたらと自己評価の低い一面があるのだから。
「伊織の相手をするだけでもしんどいっていうのに――やっぱり、さっさと結婚しねえとまずい。綾とのこれからを誰にも邪魔されたくない」
颯月は、まだ食事の途中だと言うのにソファから立ち上がった。正妃から「出されたものは残さず食べろ」と教育されている彼が、こんな無作法をするのは初めて見る。
竜禅が「まだ残っていますよ、体を壊さぬためにもちゃんと食べてください」と苦言を呈するが、颯月は一刻も早く書類の山を崩したいのか、執務机に向かおうと一歩踏み出した。
――しかし、すかさず綾那が彼の前に立ち塞がる。
「だ、ダメですよ、颯月さん。お体を大事にしてくださいと、お願いしたばかりじゃないですか……」
「だが――」
実は、竜禅からそれとなく聞かされていたのだ。綾那が体調を崩しセレスティンで過ごしていた約一週間、精神的ストレスのせいか、颯月はまともな食事をしていないと。
とにかく綾那の体調ばかり気にして、己の事は二の次、三の次。じっとしている事もできず、渚から出された数々のお題をこなして――まるで気を紛らわせるかのように――暇を潰していたらしい。
つまり、ただでさえ彼の体は本調子ではないはずなのだ。そこへ更なる無理を重ねようとしているのだから、綾那としては見過ごせる訳がない。
「ちゃんと、全部食べてからお仕事に戻りましょう? 私、「あーん」しますよ」
「――「あーん」……?」
颯月は綾那の言葉に目を瞬かせると、すとんと素直にソファに腰掛けた。すぐ近くで竜禅のため息が聞こえたような気がするが、とにかく今は彼の食事を済ませる事が最優先である。
綾那もまた颯月の横に腰掛けると、彼が先ほどまで使っていた食器を手にして、ハンバーグをひと口大に切り分けた。そうして肉をフォークに刺してから颯月の口元へ運び、「あーん」と微笑めば――彼にしては珍しく、まるで子供のように破顔して口を開いた。
「本当に、単純というのか純粋というのか……まあ、食事さえとってくださるなら、それで構いませんが」
呆れた様子の竜禅には悪いが、最早綾那の脳内は「可愛い」で埋め尽くされていて、それどころではなかった。
竜禅の煮え切れない回答に、綾那は首を傾げた。すると彼は、そのまま続けて説明してくれる。
「入団希望者の全てが、陽香殿目的ではないという事だ」
「それは――つまりここ最近の活動で、陽香以外にも何かしらの魅力があったと……?」
綾那の聞き方は、ともすれば「騎士団には陽香を除いてメリットがひとつもない」と、失礼極まりない事を言っているようなものだった。しかし、事実デメリットに対してメリットが薄すぎるせいで、長年人手不足に悩まされていたのだから――あながち間違いでもないだろう。
「繊維祭の直後から配信し始めた、大食い大会の動画が街で好評らしい。騎士団は意外と気さくな集まりだとか……役職もちの騎士がここまで面倒を見てくれるなら、安心だ――とかな。特に若い世代を中心にウケたらしく、これと言って夢や目標のなかった若者が、ここぞとばかりに騎士という職業に魅力を見出したようだ」
「……本当ですか!? わあ、それは……素晴らしいですね。女性で釣った訳でもないし、一番理想的な人の集まり方のような気がします」
綾那は、てっきり殺到した入団希望者とやらは、全員が陽香目当てだと思っていた。けれども実際はそればかりではなく、ちゃんと騎士団の楽しさが伝わった結果なのだ。何やらここへ来て初めて、『広報』らしい事ができたのではないだろうか。
(騎士の皆さんの明るい人柄が、動画を通して伝わったのかな……今回メインだった和巳さんの麗しさがキモだったのかも知れないし、他領の騎士の明臣さんが垣根を越えて参戦していたのが良かったのかも知れないし……なんにせよ、本当に良かった)
思わず笑みを零す綾那を見て、竜禅は小さく咳ばらいをした。そうして綾那から颯月へ顔を向けると、どこか言いづらそうにもごりと口を動かす。
「颯月様の婚約者だから――という前提が大きいのでしょうが、『雪の精』に対する興味を抱いたらしい冷やかしも増えているようです」
「……何?」
「あの日の『演武』を目にした者も多いでしょうからね。駐在騎士からの報告では、陽香殿ほどではないにしろ街中でもそれなりの噂になっていると」
颯月は食事の手を止めると、ちらと竜禅を見上げた。そして何事か逡巡したかと思えば、室内に響くほど大きな舌打ちをする。
「禅、「水鏡」のマスクはもう作れないのか? 綾の分は創造神が借りパクしたままだったよな」
「創造神に向かって借りパクなんて言葉を口にしないで頂きたい。どこで聞いておられるか分かったものではありませんよ……正直言ってアレは、作り上げるのに時間がかかります。元々綾那殿に渡したものは、もしもの時の予備として所持していたものですから」
「俺の意思で『美の象徴』へ向かって一石を投じさせたとは言え、この街のヤツらが綾の魅力に気付くのは面白くない。俺はこの街から骨が減る事によって、ただ自分が過ごしやすくなる事しか考えていなかったんだな――」
「確かに……領民の洗脳が解ければどうなるか、という事を深く考えておられなかった節はあるでしょうね。しかしまあ、悪魔憑きで良かったではありませんか? お陰であなたから綾那殿を奪える者など、この世におりませんよ」
竜禅のなんとも言えない複雑なフォローに、颯月は苦々しい顔をして「物理的にはそうだろうな」とぼやいた。
恐らく、今後綾那に言い寄る男が増えた場合の事を不安がっているのだろう。天地がひっくり返ってもあり得ぬ話だが、もし綾那の気持ちが颯月から離れたら――なんて心配でもしているのかも知れない。
何せ彼は、正妃から受けたスパルタ教育のせいで、やたらと自己評価の低い一面があるのだから。
「伊織の相手をするだけでもしんどいっていうのに――やっぱり、さっさと結婚しねえとまずい。綾とのこれからを誰にも邪魔されたくない」
颯月は、まだ食事の途中だと言うのにソファから立ち上がった。正妃から「出されたものは残さず食べろ」と教育されている彼が、こんな無作法をするのは初めて見る。
竜禅が「まだ残っていますよ、体を壊さぬためにもちゃんと食べてください」と苦言を呈するが、颯月は一刻も早く書類の山を崩したいのか、執務机に向かおうと一歩踏み出した。
――しかし、すかさず綾那が彼の前に立ち塞がる。
「だ、ダメですよ、颯月さん。お体を大事にしてくださいと、お願いしたばかりじゃないですか……」
「だが――」
実は、竜禅からそれとなく聞かされていたのだ。綾那が体調を崩しセレスティンで過ごしていた約一週間、精神的ストレスのせいか、颯月はまともな食事をしていないと。
とにかく綾那の体調ばかり気にして、己の事は二の次、三の次。じっとしている事もできず、渚から出された数々のお題をこなして――まるで気を紛らわせるかのように――暇を潰していたらしい。
つまり、ただでさえ彼の体は本調子ではないはずなのだ。そこへ更なる無理を重ねようとしているのだから、綾那としては見過ごせる訳がない。
「ちゃんと、全部食べてからお仕事に戻りましょう? 私、「あーん」しますよ」
「――「あーん」……?」
颯月は綾那の言葉に目を瞬かせると、すとんと素直にソファに腰掛けた。すぐ近くで竜禅のため息が聞こえたような気がするが、とにかく今は彼の食事を済ませる事が最優先である。
綾那もまた颯月の横に腰掛けると、彼が先ほどまで使っていた食器を手にして、ハンバーグをひと口大に切り分けた。そうして肉をフォークに刺してから颯月の口元へ運び、「あーん」と微笑めば――彼にしては珍しく、まるで子供のように破顔して口を開いた。
「本当に、単純というのか純粋というのか……まあ、食事さえとってくださるなら、それで構いませんが」
呆れた様子の竜禅には悪いが、最早綾那の脳内は「可愛い」で埋め尽くされていて、それどころではなかった。
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