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第9章 奈落の底に永住したい

13 とんとん拍子

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 ――翌日。
 聞けば、王都アイドクレースからルベライトの領の首都アクアオーラまで、馬車と徒歩で三週間から四週間はかかるらしい。

 主な理由は二つ。まず他の地域と比べて、圧倒的に魔物の生息数が多い事。移動中、どうしたって魔物のテリトリーへ足を踏み入れる事が避けられず、何度も襲撃されて進行を止められてしまうのだ。
 そしてもう一つの理由は、雪深い土地柄による山越えの過酷さにある。
 アイドクレースとルベライトを隔てる山脈は、三つほど。つまり、山を三つ超えねば辿り着かないのだ。

 例えば、単なる山道であれば――それでも時間はかかるだろうが――まだ、馬車での移動もそう厳しくなかっただろう。しかし、雪の積もった山道を馬車で通るのは相当に難しい事らしい。

 馬は寒さと度重なる魔物の襲撃で不機嫌になり、体調を悪くする。馬車の車輪は雪に埋まって動かなくなる。いや、埋まるくらいならまだ良いだろう――氷雪で馬車ごと滑落かつらくするよりは、遥かに良い。

 だから山を進む際には人力で馬車を押し、馬を宥めながら頑張るしかない。その合間に、魔物退治も忘れずに――だ。これでもかと気力と体力をごっそり奪われる旅路など、巡回に慣れた騎士でも辛いものがあるだろう。

 そうした過酷な旅程から、ルベライトまで付き添う護衛騎士の選定に難航するかと思われていたが――意外な事に、それはすんなりと決まった。
 颯月から難色を示すのではと予想されていた右京が、諸手もろてを挙げて了承したのだ。

「えっ、僕は喜んで行くけど――って言うか、本当に行っても良いの? だってこのままアイドクレースに残っていたら、まだしばらく書類地獄から抜け出せないじゃないか。ここから逃げ出せるなら、僕はどこへだって行く。今日にでも行くよ。正直、ルベライトはアデュレリア時代に行き慣れてるし」
「ああ、なるほど。そう来るか」

 護衛の話を聞いた途端に瞳を煌めかせる右京の主張に、颯月が興味深そうに頷いた。
 朝から颯月の執務室に呼び出された右京の目の下には、濃い色の影がくっきりとできている。いつもサラサラだった灰色がかった髪はやや乱れており、ふくふくで愛らしかった頬も若干こけている。
 濁りひとつなかった白目の部分は赤く血走っていて、明らかに「数日間まともな睡眠をとれていません」といった風貌だ。

 とてもじゃないが、見た目年齢十歳の子供がして良い姿ではない。その姿を目にしてからというもの、ずっと居心地悪くソファに座っていた綾那は、勢いよく立ち上がると右京に向かって深々と頭を下げた。

「あ、あの右京さん、本当にごめんなさい! 私のせいで、大変なご迷惑をおかけしました!」
「――うん? ああ、良いよ、別に。僕がこんな目に遭っているのは、ダンチョーが席を外したせいだから。元気になって良かったね、水色のお姉さん」
「そ、それって元を正せば、私の体調不良が原因なのでは……?」
「だけど、創造神から名指しで呼ばれた訳でもないのに、職務放棄してまで強引に付き添ったのはダンチョーじゃないか」
「うーたんお前、フェミニストだな……」

 果たして彼のこれは、フェミニストという表現方法で合っているのだろうか。陽香は呆れと感心をい交ぜにしたような複雑な表情で、右京の頭をぽんぽんと撫でた。
 すると右京は彼女の手を払いのけ、黄色の目をじとりと眇める。

「全く、どこかの誰かさんのせいで酷い目に遭ったよ。『正妃の再来』だかなんだか知らないけれど――むやみやたらに男を呼び寄せるだけ呼び寄せて、当の本人は雲隠れするんだから。入団希望者の中には、採用担当の参謀に「ただ『正妃の再来』を一目見たいだけ」なんて、ふざけた事を抜かすヤツも居たらしいよ。いちいち相手にしていられなくて困ったって話をさっきも聞いた」

 軽い嫌味をぶつけられた陽香は目を瞬かせると、気分を害するどころか満足げに笑った。

「おっ、マジか? 具体的にどうよ、入団希望者は! 実際に採用された人数と冷やかしの比率は? そんだけ人が集められたって言うなら、『広報』としては成功だし幸先良いじゃん」
「前向きというか、無責任というか――詳しい数字は僕も知らない。僕が手伝っていたのは、参謀の手が回らない部分の補助だけだし」
「補助って、例えば?」
「新規入団者の家庭調査とか、犯罪歴の有無を調べるとか。そういうのに引っかかると、いくら騎士志望でも無理だから」

 右京の言葉に、陽香は「ますます「表」の警察っぽいよな、そういうとこ」と頷いている。

 無条件で許されてしまった綾那はと言えば、やはり気まずい心地のままそろりと顔を上げた。
 右京はどうあっても責めてくれないようだから、ここは、幸成や和巳から存分に「体調管理くらいちゃんとしなさい」と叱ってもらうしかない。
 あの二人でも無理なら、もういっそ正妃に叱ってもらうしか。

 そうして綾那が唸っているのには構わず、陽香が右京の頭を肘置きにしながら機嫌よく口を開いた。

「護衛はうーたんがしてくれるって話だし、今日――はさすがに急だから、明日にでも出発して良いか? 善は急げって言うし、うーたんだって、もう書類仕事イヤみたいだし」
「僕は今日にでも解放してもらいたいレベルだけどね」

 陽香に上から頭を抑え付けられて、右京は憮然とした表情で呟いた。二人の意見を聞いた颯月は、まだまだ書類の山が目立つ執務机で考える素振りを見せる。

「まあ、そうだな……まず右京は、今日一日休んだ方が良い。寝ろ」
「はーい、喜んでー」

 まるで、居酒屋の店員のような返事をする右京に――店員ほどの威勢はなく、棒読みだったが――颯月は僅かに眉尻を下げて「どうやらこの一週間、本当に無理を強いたらしいな」と申し訳なさそうな顔をした。

「成と和には俺から言っておく、安心して休むと良い。あとは……馬車はウチの騎士団所有のものを使うか? 馬車屋に頼めば御者もついてくるが、下手に護衛対象を増やすのも面倒だろう。それに、どうせなら気心の知れたヤツだけで寝食を共にする方が楽じゃねえか? 特に陽香、アンタ『正妃の再来』だから、下手に街の人間と関わると後々面倒くさい事になりそうだ」

 颯月が心配しているのは、恐らく馬車屋の御者――アイドクレース人と約ひと月、いや、往復でふた月旅する事によって、陽香が妙な色恋沙汰に巻き込まれないかという事なのかも知れない。

 確かに、ただでさえ『正妃の再来』として好感度が高い状態なのに、長期間親しくしていたらどうなるか。元々陽香が生まれ持つ人たらしの性質も相まって、大変面倒な事になりそうな予感がする。
 御者が恋に暴走するのも、後々彼に向かって「お前、抜け駆けしたらしいな!」なんて、食って掛かるような存在が現れるのも御免だ。

 更に言えば、共に旅する明臣と右京は悪魔憑きだ。半獣姿になってしまう右京はもちろんの事、『天邪鬼』の明臣だって見慣れぬ者からすれば色々な意味で恐ろしいだろう。
 一般人を怖がらせないように力をセーブして戦うなど、旅程を長引かせるどころか、旅の仲間を危険に晒すばかりである。

 それらを考慮すれば、颯月の提案は至極当然の事のように思える。陽香は大して悩む事なく、大きく頷いた。

「おう、そうするわ! でも、それだと帰りの御者がなあ……うーたんに任せっ放しって訳にも行かねえし。まあ、あたしらが馬の操り方を覚えりゃあ良いんだけどさ……ド素人が見様見真似で、雪道や山道を走らせられるもんかなって」
「じゃあ、ダンチョーが許可してくれるならの話だけど……旭も連れて行く? 元々アデュレリアの第四分隊として僕の下で働いていたし、彼もルベライトの雪には慣れてるから。 僕も、ずっと「時間逆行クロノス」をかけずに行動するのは嫌だし」
「ちゃっかり部下の事も書類地獄から救ってやるんだな。まあ良い、旭についても和へ伝えておこう」
部下で、今は同僚どころか先輩だけどね」

 颯月に茶化された右京は、僅かに肩を竦めた。陽香はそんな彼の頭から退くと、「偉い、偉い」と言って撫でてやっている。
 つい先ほどそうしたように、また振り払われるかと思ったが――しかし右京は、途端に眠気に襲われたようにウトウトし始めた。恐らく体力的に限界なのだろう。

「よし、じゃあうーたんは眠そうだから、寝かせるとして……あたし、アリスと王子に話してくるわ! 王子に至っては、今まで世話になった礼もしたいって言ってたしな」
「律儀なヤツだな。礼なら、アンタらを無事ルベライトまで連れて行く事だけで十分なんだが」
「颯様って、マジで欲が――いや、そもそも物欲がねえよな? 死ぬほど金持ってるから、仕方ねえか」
「ああ、俺が欲しいのは綾と幸せな未来だけだ」
「うるせえぞ」

 颯月に向かって悪態をついてから部屋を出ようとする陽香に、綾那は慌てて「待って、「水鏡ミラージュ」なしで外出は危ないよ」と声をかけた。
 しかし陽香は不敵に笑うと、「そんなんなくても「軽業師アクロバット」使って屋根の上を移動するから、平気だって!」と目深にフードを被ったのであった。
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