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第9章 奈落の底に永住したい

7 王都へ帰還

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 セレスティンの街とジャングルを――ルシフェリアによって、強制的に――往復させられた白虎は、ものの数分で帰って来た。
 曰く、領主には「創造神の啓示を受けて、緑の聖女様とリベリアス世界を救う旅に出る。どうか止めないでくれ」なんて、適当な事を言ってきたらしい。

 適当な話を真に受けて「さすがは聖獣白虎様、そして聖女様です……!!」と感涙したらしい領主には、同情すると言うかなんと言うか――。
 自然災害さえも魔法で退けられる白虎がこの地を離れるなど、領民からすれば死活問題だろう。それでも呆気なく了承する辺り、やはり伊達に守り神として崇め奉られていないと言ったところか。

 聖女として担がれていた渚が以前「王都へ行きたいから船を出して欲しい」と申請しても、領主から「聖女様、行かないでください」「今後も私たちを守り導いてください」なんて泣きつかれて不可能だったと言うのだから――白虎の発言力はよっぽどだろう。

 よく考えれば、最初から白虎を上手く使えば船だって出してもらえたのでは? とすら思えてくる。まあ、渚本人が彼の同行を望んでいなかったのだから、これは言っても詮無き事だ。
 今回の事だって、ルシフェリアが指示を出さなければ白虎に何も言わずに「転移」していたに違いないのだから。

 ――とにもかくにも、これで王都行きのメンバーは揃った。
 行きは五、六人程度しか「転移」できないと言っていたルシフェリアだが、この森で数十体の眷属を討伐した成果なのか、帰りは八人居ても問題ないらしい。

 聞けば、ヴェゼルは今もまだリベリアスのどこかで眷属の処理に勤しんでいるようだ。尚更力の回復が早いのかも知れない。
 そもそも何を思ってヴェゼルにそんな――悪魔本来の役割とは真逆の――事をやらせているのか分からないが、ルシフェリアにも何か考えと目的あっての事だろう。
 聞いたところで煙に巻くだけだと諦めているからか、誰もその真意を訊ねようとはしなかった。

(分からないと言えば、ヴィレオールさんの行方も――)

 疫病、眷属の大量発生。そして、毒物の精製――悪行の痕跡は多々あれど、結局その姿さえ目にする事は叶わなかった。
 東部アデュレリアでは名前しか聞かず、それはここセレスティンでも同様だ。直情的で快楽主義の弟ヴェゼルと違い、兄ヴィレオールは人の中に紛れて悪さをするタイプの慎重派で、しかも逃げ足が速い。
 ただその影を踏むだけの事が、相当に難しいのかも知れない。

 まあなんにせよ、増えすぎた眷属に困っているルシフェリアの傍に居れば、いつか彼とも遭遇する日が来るだろう。現状ここで悩んでいても、ヴィレオール本人が居ないのだから考えるだけ無駄だ。

 かくして、それぞれに荷物を抱えた一行は、ルシフェリアの力によって王都へ舞い戻ったのである。


 ◆


 ――行きと同じだ。
 眩い光に思わす目を閉じて、次に目を開いた時にはもう、鬱蒼と生い茂ったジャングルから颯月の執務室へ瞬間移動していた。

 本来、まずは人目のない街の外へ「転移」して、それから素知らぬ顔で街入口の門をくぐって入るのが良かったのだろう。しかし、白虎はともかくとして、そもそも渚は通行証を所持していないのだ。

 アリスの時と同じように、彼女だけ街の外で野宿させるのはなかなかに面倒で――しかも急ぎで通行証を発行するとなると、また和巳に無理を強いる必要がある。
 ただでさえ颯月と竜禅の抜けた穴埋めで書類仕事に忙殺されている彼に、これ以上の無理はさせられない。

 それに何より、今回は「不正ダメ絶対」の右京が傍に居ないのだ。とりあえず渚を街中に入れてしまって、通行証は追々発行すれば良いだろう。
 ――いや、密入国の犯罪行為には違いないので、一つも事などないのだが。

 幸いと言うかなんと言うか、執務室には誰も居なかった。まあ、仮に居たとしてもこの部屋には颯月の許可した者しか出入りできない。身内に「転移」の瞬間を目撃されたところで、大きな問題にはならなかっただろう。

 来客があっても困らぬよう広い間取りの執務室だが、さすがに大人が八人も居れば窮屈に感じる。
 しかも、颯月の机の上に――恐らく、颯月本人でなければ決裁できない類のものだろう――うず高く積まれた書類タワーの圧迫感と、「いつ崩れるのか」という緊張感と言ったらない。

 彼の執務机の後ろには窓があるはずなのだが、それがこちらから一切見えないのだから本当に恐ろしい。ほんの一週間でここまでの様相になるとは、さすがはブラック企業の元締めである。

 そんな恐ろしいタワーはあえて見て見ぬ振りしているのか、陽香は猫のように大きな伸びをして朗らかに笑った。

「――ああ、帰って来た! マジであっという間だな、「転移」……そりゃあ「表」でギフト配ってる神様も力を制限する訳だよ。人が当然のように瞬間移動し始めたら、世の中ムチャクチャになっちまうわ」
「神様が人を洗脳して、ギフトを抑制してるって話だっけ? 確かに「表」に居た時は、「転移」と言えば無機物を別の場所へ運ぶ力で――まさか、生きた人間を運べるかもーなんて考えもしなかったもんね。言われてみればそんな簡単な発想に至らない時点でおかしいし、神様の洗脳は本物って訳か……やっぱり私達、「表」には帰らない方が良いだろうね」

 渚の言葉に、四重奏のメンバーは揃って頷いた。

 ルシフェリア曰く「表」の魔獣とは、与えられたギフトの力の使ってはいけないボーダーラインを越えた者が、神によって変容させられた成れ果ての姿らしい。
 魔獣のとなった生物は野生動物や植物だけではなく、人間由来のものも居るだろうとの事だ。

 まず間違いなく、綾那たちは「表」に帰った途端に魔獣に変えられてしまうだろう。ギフトの仕組みや神の洗脳について知ってしまった今、「表」の神々からすれば完全に邪魔者――不穏分子でしかないからだ。
 となれば、このままリベリアスに永住するしかない。「表」に帰れば死をまぬかれないと言うのだから、当然である。

 リベリアス永住計画を確固たるものとするため、早いところ詳細を詰めたい。しかしもう少し深い話をしようにも、ルシフェリアは一行を「転移」した事によって力を失ってしまったのか、先ほどから姿が見えない。

 一応永住の許可は既に得ているようなものだから、問題ないとは思うが――万が一にも、「表」の神がリベリアスまで侵攻してくると困る。
 ルシフェリア自身そういった邪魔が入らぬよう対策はしているようだが、そんな可能性があるかどうかの確認もしたいところだ。

 うーんと悩むメンバー達の横から、明臣がおずおずと声をかけた。

「あの、姫……? 颯月殿も竜禅殿もこれから多忙なようだから、一旦席を外した方が良いかと……」

 言いながら彼が手でそっと指し示したのは、もちろん颯月の執務机である。ハッキリと指し示されてしまえば もう見て見ぬ振りはできない。アリスはハッとして「そうね! おいとまするわ!」と同意した。

 ――机を眺める颯月と竜禅の目が物悲しい色をしてるような気もしたが、そこに関しては見て見ぬ振りである。

「机、大変な事になってるものね……和巳さんやモカちゃんの彼氏にも帰ったって報告しなきゃだろうし――ええと、とりあえず邪魔になるから、移動しましょうか?」
「じゃあ、あたしかアーニャの部屋に行くか? てか、あたしらだって話す事色々あるよな? 『広報』の状況も気になるし、ナギとトラちゃんの今後と――そもそもアリスだってまだ入団してないし……王子はいい加減、北のルベライトに戻らないといけないのか?」
「そうですね。一度街へ出て、馬車の席が空いたかどうか確認してみなければ――」

 明臣が思案するように呟けば、アリスはとんでもないと瞠目した。

「ちょ、ちょっと待ってよ、明臣一人で街へ行く気!? 街中で迷うどころか、気付けばアイドクレースから出て他領へ迷い込んじゃうかも知れないじゃない! 馬車を探すだけなら、私も付き合うわよ」
「姫、それはさすがに――――――ない、とは言い切れないかな……」
「いや、迷って街から出てそのまま他の領へ行くって、どういう状況……?」

 渚が思い切り首を傾げれば、アリスは「アンタも、明臣と三か月間過ごせば分かるわよ!」と吠えた。体験による、実感の籠った言葉である。
 そのやりとりを見た陽香は、「じゃあ」と手を打った。

「一旦あたしら全員、王子と一緒に街へ出るか! もうアーニャが外を出歩けないってのは、解禁されたようなモンだろ? 思えば密室にトラちゃんとアーニャ押し込むのも、禁則事項に引っかかりそうだしな」
「ああ、言えてる。個室より開けた外の方が安心かも」

 すぐさま同意した渚に、白虎が「俺って、本当に信頼がないんですね」とぼやいた。

 結局、この場に颯月と竜禅を残して、四重奏と明臣、白虎は街へ出る事になった。明臣が自領へ戻るための馬車探し兼、四重奏の今後を話し合うためだ。

 綾那としては、自身の体調不良が原因で散々迷惑をかけた方々へ謝罪して回りたい気持ちもあったが――現在進行形で忙殺されている騎士達を賑やかすのは、もう少し後の方が良いだろう。

 颯月は綾那と離れる事をよしとしなかったが、何はともあれ執務机の上を片付けなければ始まらない。
 一週間アイドクレースを離れる事によって、無理を強いた部下とも話し合わなければならないだろう。それらが終わらねば、綾那と結婚がどうのこうのなんて言っている場合ではないのだ。

 綾那は退室間際、颯月を励ますようにぎゅうと抱き締めてから、竜禅に「お手伝いできなくて、本当にすみません。颯月さんをよろしくお願いします」と頭を下げた。
 颯月も竜禅も遠い目をしていたような気がするが、大変申し訳ない事に、今は「頑張ってください」としか言いようがなかった。
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