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第9章 奈落の底に永住したい
5 主従契約
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光が収まると、つい先ほどまで大きな虎が横たわっていた地面に痩身の男性が座り込んでいた。
その姿を目にした途端、後ろで控えていた颯月が血相を変えて綾那の傍まで駆けて来て、その体を抱きすくめる。突然の事に綾那は目を白黒させたが、しかし低く据わった声で「野郎が綾の身体に触れやがった……」と呟いたのが聞こえると、ハッとして颯月の胸元に顔を埋めた。
(――なんて事! そうだよ、竜禅さんだって元は竜だけど人に擬態して生活しているんだから! 白虎さんだって人間の姿になれるに決まっているじゃない! 見た目がただの虎だからって無防備すぎた……颯月さん以外の男性に体を許すなんて、不覚!!)
別に白虎が嫌いな訳ではない。ただ、敬愛する颯月以外の男性に体を触れさせてしまったのは痛い。それも、触れられて平然としているだなんて、あんなもの浮気である。
綾那は、よりによって颯月の目の前で不貞を働いてしまった――という後悔の念に駆られた。
パッと弾かれるように顔を上げた綾那は、颯月の片手を掴み「颯月さんが触って、上書きしてください……!」と懇願した。彼が光の速さで「魔法鎧」を発動させたのは言うまでもない。
綾那は硬く冷たい鎧に抱き着き直すと、「うぐぐ」と呻きながら己の無防備さと迂闊さを深く反省した。現在進行形で無防備極まりない事をやっているような気もするが――まあ、相手が颯月ならば問題ないだろう。
「だから白虎を王都へ連れて行くのは反対なんですよ、創造神。ヤツの女癖の悪さは筋金入りです。しかも王都には、痩身の女性が多い……ヤツの好みと言えば綾那殿ぐらいだ。問題が起きる予感しかしない」
眉根を寄せた竜禅が苦言を呈せば、ルシフェリアは肩を竦めて「でも、僕の『予知』的には連れて行った方が良いんだもの」と嘯いた。
綾那が改めて白虎の姿を見やれば、彼は横腹の辺りを押さえながら立ち上がる所だった。背は恐らく180センチ超で、颯月よりは低い。背は高いが体つきはかなり細身で、もしかすると静真といい勝負なのではないだろうか。
まあ、静真と違って病的な感じはしないが――それにしたって、筋肉がひとつも鍛えられていない、もやしのような体つきだ。普通体形の男性ならばもう少し厚みがあるだろうに、強く押しただけで色々なところの骨が折れそうである。
白い髪は襟足だけが尻尾のように長く伸びていて、縞模様の名残なのか、所々黒いメッシュが入っている。顔はどうかと言えば、人間ではなく聖獣なのだから当然なのかも知れないが――正に、神がかり的な美貌の持ち主である。
どこか妖しい色香のようなものが駄々洩れで、これは本人が女好きと言うよりも、まず周りの女性が放っておかないだろう。
この見た目で、しかもセレスティン領の守り神として君臨していたら――それは、崇め奉られて当然だ。
ただその場に存在しているだけで「尊い」なんて拝まれそうな容貌。その上領を守る働き者なのだから、慕われるに決まっている。
「いやいや、てか、ナギにメロメロって話じゃなかったか? それなのにアーニャにまで手ぇ出すか、普通……?」
思いきり首を傾げた陽香が問えば、白虎は小さく息を吐き出した。
「何をバカな……恋と性欲は別物だろう。俺が慕っているのはご主人であって、食指が動くのはそちらの女性――ただそれだけなのに、何かおかしいか?」
「おっ。コイツはやべえ! 真正のクズっぽいぞ! しかも、ご主人なんて呼ばれてんのかよナギ……」
「この俺を捕まえてクズとはなんだ? そもそも自ら胸を放り出しておいて、触るなと言う方が間違ってる。しかも露出度まで高いと来れば、俺は男として正しい行いをしたまでだ。責められる意味が分からんな」
「……ああそう、また蹴られたいんですね。次は頭を狙います」
「ヒッ、すみませんでした!?」
首を竦めて怯える妖艶な男性に、渚も陽香も半目になった。
オリーブグリーンの瞳を潤ませてガクガク震える様は、これでもかと女性の母性本能と庇護欲をそそるが――残念ながら、言っている事はクズ男のソレである。
(この人の前では、絶対に気を抜かないようにしないと――)
普段はこれでもかと天然で無防備極まりない綾那だが、しかし自身が惚れた男以外から向けられる下心にはそれなりに敏感だ。全身の肌を粟立だせると、白虎から視線を外してぎゅうぎゅうと颯月――もとい全身鎧に抱き着いた。
いくら白虎が見目麗しかろうが、ひとつも絢葵に似ていない彼は完全に綾那の守備範囲外だ。例え熱心に口説かれたところで、靡く事はないだろう。
颯月は「魔法鎧」を発動したまま、どこか遠慮がちに綾那の背に両腕を回して抱え込んだ。背が高く体の厚みもある颯月に抱え込まれると、女性にしては長身の綾那もすっぽりと隠れてしまう。
こうしているとどんな下心も妙な視線も全く気にならない心地がして、綾那はほうと安堵するように息を吐き出した。
「――確かに、白虎は色々と問題があると思うよ。この閉鎖的なセレスティンで、数百数千年と可愛がられて生きてきたんだからね。領民からの貢ぎ物と奉仕を享受してきたものだから自己中心的だし、横柄だし、最低の女たらしで……正直こんなのを王都へ放ったら、少なからず混乱が起きると思う」
「酷い言い草ですね、創造神。俺が何をしたと……?」
白虎の元へ歩きながらウンウンと頷くルシフェリアに、白虎は複雑そうな顔をした。ルシフェリアは朗らかに笑うと「でも、君も僕の可愛い子供さ」と歌うように続ける。
「だからさ、白虎に手綱をつける意味合いで……渚、白虎と主従契約を結んでくれない?」
「……主従契約? なんですか、それ」
「主従契約というのは、聖獣と人間とで結ぶ契約の事だよ。特別な事は何も要らない、ただ互いに「契約を結ぶ」という意思さえあれば良い」
「ねえ、それってもしかして、颯月さんと竜禅さんが結んでいるものの事?」
アリスが訊ねれば、ルシフェリアは機嫌よく「そうだよ」と頷いた。
――曰く『主従契約』とは、言葉の通り聖獣が『主』と認めた者の従者として仕える契約を指すらしい。
聖獣の意思や権利を奪うなんていう非人道的な強制力はもたないにしろ、基本的には主に絶対服従。また『共感覚』を繋ぐ事で、聖獣は主の心情を丸ごと共有する事になる。
例えば主が苛立てば聖獣も苛立ち、悲しみも喜びも、全ての感情を共有できる上――主の身に危険が迫れば、いち早く気付ける。言い方は悪いが生きた警報器のようなものだ。
綾那が颯月や竜禅から聞かされた話はこの程度だったが、どうも主従契約にはこの他にも決まり事があるようだ。ルシフェリアから簡単な説明を聞いた渚は、眉根を寄せて唸った。
「その決まり事とやらは、今詳しく教えてもらえないんですか? 得体の知れない契約なんて結びたくないんですけど……でもどうせ、これも提案じゃあなくて強制なんですよね?」
「平気だよお、『主』の方にはデメリットがない。 共感覚だって主側から入り切りできるから、いざと言う時のプライバシーは守られるしね」
「……颯さマグロ見てると、あんまりプライバシー守られてる気がしないんだけどな」
「彼はホラ、律儀に共感覚を入れる子だから仕方ないよ」
陽香の指摘通り、颯月は頻繁に共感覚で竜禅を巻き込んでいる。しかしそれも、颯月が共感覚を切ってさえいれば問題のない話だ。
彼はどうも、共感覚を悪用し竜禅に嫌がらせしている節があるので、そもそもプライバシーも何もあったものではない気はする。
「とにかく、君にとって白虎の主になる事は、そう悪くないと思うんだよね。今まで以上に従者として使役できるようになるから、例えば……気に入らないヤツの動向を探るのに便利だったり、邪魔しやすかったりさ?」
「――ああ、なるほど……トラを使って、綾と颯月サンのアレコレを邪魔しろと? それは確かに、魅力的かも知れませんね……ただ、やっぱり綾の近くにこういう男がうろつくのは、看過できません」
「……おい、公認をくだしたんなら邪魔しないでくれ」
「いや、それとこれとは別と言いますか、なんと言いますか」
しれっとした様子の渚に、颯月は全身鎧の中で「やっぱり、最後の砦は難攻不落なんだな」と低く呻いた。
その姿を目にした途端、後ろで控えていた颯月が血相を変えて綾那の傍まで駆けて来て、その体を抱きすくめる。突然の事に綾那は目を白黒させたが、しかし低く据わった声で「野郎が綾の身体に触れやがった……」と呟いたのが聞こえると、ハッとして颯月の胸元に顔を埋めた。
(――なんて事! そうだよ、竜禅さんだって元は竜だけど人に擬態して生活しているんだから! 白虎さんだって人間の姿になれるに決まっているじゃない! 見た目がただの虎だからって無防備すぎた……颯月さん以外の男性に体を許すなんて、不覚!!)
別に白虎が嫌いな訳ではない。ただ、敬愛する颯月以外の男性に体を触れさせてしまったのは痛い。それも、触れられて平然としているだなんて、あんなもの浮気である。
綾那は、よりによって颯月の目の前で不貞を働いてしまった――という後悔の念に駆られた。
パッと弾かれるように顔を上げた綾那は、颯月の片手を掴み「颯月さんが触って、上書きしてください……!」と懇願した。彼が光の速さで「魔法鎧」を発動させたのは言うまでもない。
綾那は硬く冷たい鎧に抱き着き直すと、「うぐぐ」と呻きながら己の無防備さと迂闊さを深く反省した。現在進行形で無防備極まりない事をやっているような気もするが――まあ、相手が颯月ならば問題ないだろう。
「だから白虎を王都へ連れて行くのは反対なんですよ、創造神。ヤツの女癖の悪さは筋金入りです。しかも王都には、痩身の女性が多い……ヤツの好みと言えば綾那殿ぐらいだ。問題が起きる予感しかしない」
眉根を寄せた竜禅が苦言を呈せば、ルシフェリアは肩を竦めて「でも、僕の『予知』的には連れて行った方が良いんだもの」と嘯いた。
綾那が改めて白虎の姿を見やれば、彼は横腹の辺りを押さえながら立ち上がる所だった。背は恐らく180センチ超で、颯月よりは低い。背は高いが体つきはかなり細身で、もしかすると静真といい勝負なのではないだろうか。
まあ、静真と違って病的な感じはしないが――それにしたって、筋肉がひとつも鍛えられていない、もやしのような体つきだ。普通体形の男性ならばもう少し厚みがあるだろうに、強く押しただけで色々なところの骨が折れそうである。
白い髪は襟足だけが尻尾のように長く伸びていて、縞模様の名残なのか、所々黒いメッシュが入っている。顔はどうかと言えば、人間ではなく聖獣なのだから当然なのかも知れないが――正に、神がかり的な美貌の持ち主である。
どこか妖しい色香のようなものが駄々洩れで、これは本人が女好きと言うよりも、まず周りの女性が放っておかないだろう。
この見た目で、しかもセレスティン領の守り神として君臨していたら――それは、崇め奉られて当然だ。
ただその場に存在しているだけで「尊い」なんて拝まれそうな容貌。その上領を守る働き者なのだから、慕われるに決まっている。
「いやいや、てか、ナギにメロメロって話じゃなかったか? それなのにアーニャにまで手ぇ出すか、普通……?」
思いきり首を傾げた陽香が問えば、白虎は小さく息を吐き出した。
「何をバカな……恋と性欲は別物だろう。俺が慕っているのはご主人であって、食指が動くのはそちらの女性――ただそれだけなのに、何かおかしいか?」
「おっ。コイツはやべえ! 真正のクズっぽいぞ! しかも、ご主人なんて呼ばれてんのかよナギ……」
「この俺を捕まえてクズとはなんだ? そもそも自ら胸を放り出しておいて、触るなと言う方が間違ってる。しかも露出度まで高いと来れば、俺は男として正しい行いをしたまでだ。責められる意味が分からんな」
「……ああそう、また蹴られたいんですね。次は頭を狙います」
「ヒッ、すみませんでした!?」
首を竦めて怯える妖艶な男性に、渚も陽香も半目になった。
オリーブグリーンの瞳を潤ませてガクガク震える様は、これでもかと女性の母性本能と庇護欲をそそるが――残念ながら、言っている事はクズ男のソレである。
(この人の前では、絶対に気を抜かないようにしないと――)
普段はこれでもかと天然で無防備極まりない綾那だが、しかし自身が惚れた男以外から向けられる下心にはそれなりに敏感だ。全身の肌を粟立だせると、白虎から視線を外してぎゅうぎゅうと颯月――もとい全身鎧に抱き着いた。
いくら白虎が見目麗しかろうが、ひとつも絢葵に似ていない彼は完全に綾那の守備範囲外だ。例え熱心に口説かれたところで、靡く事はないだろう。
颯月は「魔法鎧」を発動したまま、どこか遠慮がちに綾那の背に両腕を回して抱え込んだ。背が高く体の厚みもある颯月に抱え込まれると、女性にしては長身の綾那もすっぽりと隠れてしまう。
こうしているとどんな下心も妙な視線も全く気にならない心地がして、綾那はほうと安堵するように息を吐き出した。
「――確かに、白虎は色々と問題があると思うよ。この閉鎖的なセレスティンで、数百数千年と可愛がられて生きてきたんだからね。領民からの貢ぎ物と奉仕を享受してきたものだから自己中心的だし、横柄だし、最低の女たらしで……正直こんなのを王都へ放ったら、少なからず混乱が起きると思う」
「酷い言い草ですね、創造神。俺が何をしたと……?」
白虎の元へ歩きながらウンウンと頷くルシフェリアに、白虎は複雑そうな顔をした。ルシフェリアは朗らかに笑うと「でも、君も僕の可愛い子供さ」と歌うように続ける。
「だからさ、白虎に手綱をつける意味合いで……渚、白虎と主従契約を結んでくれない?」
「……主従契約? なんですか、それ」
「主従契約というのは、聖獣と人間とで結ぶ契約の事だよ。特別な事は何も要らない、ただ互いに「契約を結ぶ」という意思さえあれば良い」
「ねえ、それってもしかして、颯月さんと竜禅さんが結んでいるものの事?」
アリスが訊ねれば、ルシフェリアは機嫌よく「そうだよ」と頷いた。
――曰く『主従契約』とは、言葉の通り聖獣が『主』と認めた者の従者として仕える契約を指すらしい。
聖獣の意思や権利を奪うなんていう非人道的な強制力はもたないにしろ、基本的には主に絶対服従。また『共感覚』を繋ぐ事で、聖獣は主の心情を丸ごと共有する事になる。
例えば主が苛立てば聖獣も苛立ち、悲しみも喜びも、全ての感情を共有できる上――主の身に危険が迫れば、いち早く気付ける。言い方は悪いが生きた警報器のようなものだ。
綾那が颯月や竜禅から聞かされた話はこの程度だったが、どうも主従契約にはこの他にも決まり事があるようだ。ルシフェリアから簡単な説明を聞いた渚は、眉根を寄せて唸った。
「その決まり事とやらは、今詳しく教えてもらえないんですか? 得体の知れない契約なんて結びたくないんですけど……でもどうせ、これも提案じゃあなくて強制なんですよね?」
「平気だよお、『主』の方にはデメリットがない。 共感覚だって主側から入り切りできるから、いざと言う時のプライバシーは守られるしね」
「……颯さマグロ見てると、あんまりプライバシー守られてる気がしないんだけどな」
「彼はホラ、律儀に共感覚を入れる子だから仕方ないよ」
陽香の指摘通り、颯月は頻繁に共感覚で竜禅を巻き込んでいる。しかしそれも、颯月が共感覚を切ってさえいれば問題のない話だ。
彼はどうも、共感覚を悪用し竜禅に嫌がらせしている節があるので、そもそもプライバシーも何もあったものではない気はする。
「とにかく、君にとって白虎の主になる事は、そう悪くないと思うんだよね。今まで以上に従者として使役できるようになるから、例えば……気に入らないヤツの動向を探るのに便利だったり、邪魔しやすかったりさ?」
「――ああ、なるほど……トラを使って、綾と颯月サンのアレコレを邪魔しろと? それは確かに、魅力的かも知れませんね……ただ、やっぱり綾の近くにこういう男がうろつくのは、看過できません」
「……おい、公認をくだしたんなら邪魔しないでくれ」
「いや、それとこれとは別と言いますか、なんと言いますか」
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