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第9章 奈落の底に永住したい
4 白虎
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「じゃあ、白虎を呼ぶけど……はしゃぎ過ぎないようにね、陽香」
「はしゃぐってなんだ? しかも名指しかよ」
イマイチ気乗りしない様子の渚から忠告を受けた陽香は、「解せぬ」と呟いた。まあ、今から白虎――ことでかい猫を呼び寄せようと言うのだ。動物好きのくせに重度の動物アレルギーもちの陽香が、はしゃがないはずがない。
そんな二人のやりとりを眺めながら、アリスがこてんと首を傾げた。
「でも、セレスティンの街までおつかいを頼んだんじゃなかった? これから森が騒がしくなっても、それは魔物退治をしているだけだから気にするなって伝えに……もう戻って来てるのかしら?」
「もうって言ったって、あれから結構経ってるしね。ここから街までトラの足なら片道三十分かからないし……街の人間は、アイツの言う事に絶対服従みたいな面があるし。眷属狩りを始めてからかれこれ四、五時間は経ってるでしょ? とっくに帰って来て、待機してると思う」
「本当に渚の傍から離れたがらないのね。だって、今まではずっと街の中で暮らしていたんでしょう? それがぞんざいに扱われた事でアンタに執着して、森の中で暮らすようになるんだから……アンタが家の一室解放してあげた訳でもないのに」
「一緒になんて住める訳ないじゃん、他人だよ?」
長年守り神として崇め奉られていた者が、たかが人間から無視された上にぞんざいに扱われるなど――それは、新鮮で仕方がなかっただろう。
話を聞くに、白虎の場合それが行き過ぎてぞんざいに扱われる事に喜びを見出しているような気がする。まあ、それは個人の趣味嗜好と言う事でそっとしておけば良いだろう。
騎士が野営地として利用していた庭に出た渚は、「トラ」とただ一言呼びかけた。その声は特に大きく響くようなものではなく、近くで話していてようやく明瞭に聞き取れるようなものだった。
しかし、その呼びかけに応えるようにすぐさま近くの茂みががさりと揺れ動く。
「出てきて良いよ。話があるから――て言うか、どうせ聞こえてたんじゃない?」
渚が問いかければ、茂みから体長三メートルは超えているであろう大きな虎が現れた。白虎という名の通り、まるで「表」のホワイトタイガーのような真っ白な毛並みに、黒い縞模様が入った風貌だ。
瞳がペリドットのようなオリーブグリーン色をしているのは、やはり『風』属性に特化した聖獣だからだろうか?
白虎は犬猫のようにお行儀よくお座りして、じっと渚を見つめて喉をぐるぐる鳴らしている。
そんなでかい猫を見た陽香は、渚の忠告も虚しく「ウワーーーーーーーー!!」とその場で飛び跳ねてから、白虎に向かって駆け出した。
そうして大人しくしている白虎の太い首に両腕を回して抱き着けば、ふかふかの毛並みにもふんと顔を埋める。白虎は突然の事にびくりと体を揺らして瞳を丸めたが、しかし陽香に噛み付いたり、引っ掻いたりする事なくお座りしたままだ。
考えてみれば竜禅と同類なのだから、例え見た目が虎でも中身まで獣とは限らない。普通に知性ある生き物なのだろう。
「おいナギ、お前! 狡いぞ、こんなニャンコと三か月半も!」
「二ヵ月と三週間ぐらいね」
「二ヵ月と三週間もニャンコの居る生活を謳歌してたのかよ!! 狡いぞ!!! 飼おう!!!!」
埋めた顔をぐりぐりぐりーっと左右に振りながらめり込ませていく陽香を見て、渚は小さくため息を吐き出した。「だから紹介したくなかったんだよね……」なんて言うぼやきも聞こえてくる。
盛り上がっている陽香と硬直したままの白虎は一旦置いておいて、綾那は純粋に疑問に思った事を口にした。
「渚、どうして白虎さんはあんな小さな声が聞こえたの? それに話が「どうせ聞こえてた」って言うのは……?」
「うーん……トラってなんか、この世界の風を司る四聖獣の一人なんでしょう? そのせいで耳が良いって言うか……聞こうと思えば、どんな音でも風に乗せて盗み聞きできるみたいなんだよ」
「なるほど、そういう特性があるんだ……! じゃあ、さっきシアさんと話していた事も……」
「うん、全部聞いてたと思う。私がどんな話をしてるのか気になるらしくて、盗聴の常習犯なんだよね……ホッントキモイ」
「言い方よ」
蔑むような瞳をする渚に、思わずと言った様子でアリスが突っ込んだ。
とにもかくにも、聞いていたならば話は早い。あとは白虎の意思確認をして、必要とあらば街の領主に「白虎は王都へ旅に出る」と話せば終わりだ。
渚は改めて「――で、どうすんの?」と投げかけた。すると、白虎が何かしらの意思表示をする前に、陽香が「へぶしっ!」と盛大なくしゃみをする。
運動した後に雪を降らされた訳でもあるまいし、まさかこの気温で風邪はひかないだろう。恐らくアレルギー症状の一つだ。
「ちょっと! ……まんまと動物アレルギー出てるじゃん、綾「解毒」してやって」
「わ、分かった!」
アレルギーを発症して尚、白虎から離れようとしない陽香。その首筋に綾那が触れれば、すぐさま「解毒」が発動する。
(聖獣とは言っても、やっぱり右京さんとは違うんだ……思えば陽香、ヴェゼルさんが擬態した猫でも一度死にかけてるものね)
やはり、悪魔と聖獣は同じようなつくりなのだろうか。それともただ単に、半獣の右京が特別なだけか。
そんな事を思いながら陽香の「解毒」をしていると、ふと白虎と目が合った。毛並みはふかふか、瞳はくりくり。しかも大人しいとくれば、陽香でなくとも「可愛い!」と言って抱き着きたくなる。
このような蒸し暑い気候下ではなくて、肌寒い真冬であれば抱き着きたいところだ――目元を緩めて白虎を見ていると、オリーブグリーンの瞳が綾那の顔よりも下についと下げられた。
何を見ているのだろうかと不思議に思っていると、お行儀よくお座りしていた白虎の前足がもたげられる。突然動き出した事には驚いたが、しかし竜禅の仲間なのだから、無体な真似はしないだろう。
そもそも危険があれば、渚から事前の説明があるだろうし――ルシフェリアだって警告するはずだ。
綾那は特に身構えずに、前足の動きを見守った。大きな前足の裏には、これまた大きな肉球がついている。
薄桃色の肉球を「ぷにぷにだ」なんて思いながら見ていると、それは綾那の胸部を下から持ち上げるように、もに――と押し当てられた。
白虎の行動に一体なんの意味があるのか分からないまま小首を傾げれば、綾那の背後からザッザッと大股で渚が近付いてくる。
「――ねえ綾、あれ見て、あれ! あっち! 凄くない!?」
「エッ、何!?」
渚に「あっち」と指差された後方を見れば、そこには騎士が立っているだけだった。特に何をしている訳でもないが、一体何が凄いのか。
――そうして綾那が視線を外した僅かな間に、「ボッ!!」という強烈な打撃音と「ギャウッ!!」という悲痛な悲鳴が聞こえて来て、慌てて白虎に視線を戻した。
いつの間にか地面に蹲る白虎の横で、陽香が「動物虐待だ!」と嘆いている。
「な、何、どうしたの!?」
「ごめん綾、見間違いだった」
「見間違い? い、いや、そうじゃなくて、白虎さんに何があったの!?」
「分かんない、変なものでも拾い食いしたんじゃない」
「……それは大変!」
「おい! ナギが思いっきり横っ腹蹴り上げたんだろ!!」
「ちょっと何言ってるか分かんない。うつると良くないから、綾は近付かないで」
痛みに震える白虎を宥めようと陽香は手を伸ばしかけたが、しかし渚がすかさずその手首を掴んで「アレルギーが出るんだから、もう触らないで」と止めた。
そして陽香と綾那を白虎から引き離すと、ルシフェリアに胡乱な眼差しを向ける。
「――本当にコレを王都へ連れて行けって言うんですか? 今でこそ鳴りを潜めてますけど、コイツ元々セレスティンで女癖がクソだったんでしょう」
「うん、まあ……そうとも言うね。しかも元は、綾那みたいに胸の大きい子が大好物だ」
「やっぱり置き去りにしましょうよ」
「きゅぅん……」
「いつまで犬猫のフリしてんですか? 話せる姿に戻りなさい、クソ野郎」
言いながら渚が白虎の後頭部を平手で叩けば、涙目の大きな虎が白い光に包まれる。その光り方はまるで、悪魔ヴェゼルが擬態する時や、ルシフェリアが顕現する時の光とよく似ていた。
「はしゃぐってなんだ? しかも名指しかよ」
イマイチ気乗りしない様子の渚から忠告を受けた陽香は、「解せぬ」と呟いた。まあ、今から白虎――ことでかい猫を呼び寄せようと言うのだ。動物好きのくせに重度の動物アレルギーもちの陽香が、はしゃがないはずがない。
そんな二人のやりとりを眺めながら、アリスがこてんと首を傾げた。
「でも、セレスティンの街までおつかいを頼んだんじゃなかった? これから森が騒がしくなっても、それは魔物退治をしているだけだから気にするなって伝えに……もう戻って来てるのかしら?」
「もうって言ったって、あれから結構経ってるしね。ここから街までトラの足なら片道三十分かからないし……街の人間は、アイツの言う事に絶対服従みたいな面があるし。眷属狩りを始めてからかれこれ四、五時間は経ってるでしょ? とっくに帰って来て、待機してると思う」
「本当に渚の傍から離れたがらないのね。だって、今まではずっと街の中で暮らしていたんでしょう? それがぞんざいに扱われた事でアンタに執着して、森の中で暮らすようになるんだから……アンタが家の一室解放してあげた訳でもないのに」
「一緒になんて住める訳ないじゃん、他人だよ?」
長年守り神として崇め奉られていた者が、たかが人間から無視された上にぞんざいに扱われるなど――それは、新鮮で仕方がなかっただろう。
話を聞くに、白虎の場合それが行き過ぎてぞんざいに扱われる事に喜びを見出しているような気がする。まあ、それは個人の趣味嗜好と言う事でそっとしておけば良いだろう。
騎士が野営地として利用していた庭に出た渚は、「トラ」とただ一言呼びかけた。その声は特に大きく響くようなものではなく、近くで話していてようやく明瞭に聞き取れるようなものだった。
しかし、その呼びかけに応えるようにすぐさま近くの茂みががさりと揺れ動く。
「出てきて良いよ。話があるから――て言うか、どうせ聞こえてたんじゃない?」
渚が問いかければ、茂みから体長三メートルは超えているであろう大きな虎が現れた。白虎という名の通り、まるで「表」のホワイトタイガーのような真っ白な毛並みに、黒い縞模様が入った風貌だ。
瞳がペリドットのようなオリーブグリーン色をしているのは、やはり『風』属性に特化した聖獣だからだろうか?
白虎は犬猫のようにお行儀よくお座りして、じっと渚を見つめて喉をぐるぐる鳴らしている。
そんなでかい猫を見た陽香は、渚の忠告も虚しく「ウワーーーーーーーー!!」とその場で飛び跳ねてから、白虎に向かって駆け出した。
そうして大人しくしている白虎の太い首に両腕を回して抱き着けば、ふかふかの毛並みにもふんと顔を埋める。白虎は突然の事にびくりと体を揺らして瞳を丸めたが、しかし陽香に噛み付いたり、引っ掻いたりする事なくお座りしたままだ。
考えてみれば竜禅と同類なのだから、例え見た目が虎でも中身まで獣とは限らない。普通に知性ある生き物なのだろう。
「おいナギ、お前! 狡いぞ、こんなニャンコと三か月半も!」
「二ヵ月と三週間ぐらいね」
「二ヵ月と三週間もニャンコの居る生活を謳歌してたのかよ!! 狡いぞ!!! 飼おう!!!!」
埋めた顔をぐりぐりぐりーっと左右に振りながらめり込ませていく陽香を見て、渚は小さくため息を吐き出した。「だから紹介したくなかったんだよね……」なんて言うぼやきも聞こえてくる。
盛り上がっている陽香と硬直したままの白虎は一旦置いておいて、綾那は純粋に疑問に思った事を口にした。
「渚、どうして白虎さんはあんな小さな声が聞こえたの? それに話が「どうせ聞こえてた」って言うのは……?」
「うーん……トラってなんか、この世界の風を司る四聖獣の一人なんでしょう? そのせいで耳が良いって言うか……聞こうと思えば、どんな音でも風に乗せて盗み聞きできるみたいなんだよ」
「なるほど、そういう特性があるんだ……! じゃあ、さっきシアさんと話していた事も……」
「うん、全部聞いてたと思う。私がどんな話をしてるのか気になるらしくて、盗聴の常習犯なんだよね……ホッントキモイ」
「言い方よ」
蔑むような瞳をする渚に、思わずと言った様子でアリスが突っ込んだ。
とにもかくにも、聞いていたならば話は早い。あとは白虎の意思確認をして、必要とあらば街の領主に「白虎は王都へ旅に出る」と話せば終わりだ。
渚は改めて「――で、どうすんの?」と投げかけた。すると、白虎が何かしらの意思表示をする前に、陽香が「へぶしっ!」と盛大なくしゃみをする。
運動した後に雪を降らされた訳でもあるまいし、まさかこの気温で風邪はひかないだろう。恐らくアレルギー症状の一つだ。
「ちょっと! ……まんまと動物アレルギー出てるじゃん、綾「解毒」してやって」
「わ、分かった!」
アレルギーを発症して尚、白虎から離れようとしない陽香。その首筋に綾那が触れれば、すぐさま「解毒」が発動する。
(聖獣とは言っても、やっぱり右京さんとは違うんだ……思えば陽香、ヴェゼルさんが擬態した猫でも一度死にかけてるものね)
やはり、悪魔と聖獣は同じようなつくりなのだろうか。それともただ単に、半獣の右京が特別なだけか。
そんな事を思いながら陽香の「解毒」をしていると、ふと白虎と目が合った。毛並みはふかふか、瞳はくりくり。しかも大人しいとくれば、陽香でなくとも「可愛い!」と言って抱き着きたくなる。
このような蒸し暑い気候下ではなくて、肌寒い真冬であれば抱き着きたいところだ――目元を緩めて白虎を見ていると、オリーブグリーンの瞳が綾那の顔よりも下についと下げられた。
何を見ているのだろうかと不思議に思っていると、お行儀よくお座りしていた白虎の前足がもたげられる。突然動き出した事には驚いたが、しかし竜禅の仲間なのだから、無体な真似はしないだろう。
そもそも危険があれば、渚から事前の説明があるだろうし――ルシフェリアだって警告するはずだ。
綾那は特に身構えずに、前足の動きを見守った。大きな前足の裏には、これまた大きな肉球がついている。
薄桃色の肉球を「ぷにぷにだ」なんて思いながら見ていると、それは綾那の胸部を下から持ち上げるように、もに――と押し当てられた。
白虎の行動に一体なんの意味があるのか分からないまま小首を傾げれば、綾那の背後からザッザッと大股で渚が近付いてくる。
「――ねえ綾、あれ見て、あれ! あっち! 凄くない!?」
「エッ、何!?」
渚に「あっち」と指差された後方を見れば、そこには騎士が立っているだけだった。特に何をしている訳でもないが、一体何が凄いのか。
――そうして綾那が視線を外した僅かな間に、「ボッ!!」という強烈な打撃音と「ギャウッ!!」という悲痛な悲鳴が聞こえて来て、慌てて白虎に視線を戻した。
いつの間にか地面に蹲る白虎の横で、陽香が「動物虐待だ!」と嘆いている。
「な、何、どうしたの!?」
「ごめん綾、見間違いだった」
「見間違い? い、いや、そうじゃなくて、白虎さんに何があったの!?」
「分かんない、変なものでも拾い食いしたんじゃない」
「……それは大変!」
「おい! ナギが思いっきり横っ腹蹴り上げたんだろ!!」
「ちょっと何言ってるか分かんない。うつると良くないから、綾は近付かないで」
痛みに震える白虎を宥めようと陽香は手を伸ばしかけたが、しかし渚がすかさずその手首を掴んで「アレルギーが出るんだから、もう触らないで」と止めた。
そして陽香と綾那を白虎から引き離すと、ルシフェリアに胡乱な眼差しを向ける。
「――本当にコレを王都へ連れて行けって言うんですか? 今でこそ鳴りを潜めてますけど、コイツ元々セレスティンで女癖がクソだったんでしょう」
「うん、まあ……そうとも言うね。しかも元は、綾那みたいに胸の大きい子が大好物だ」
「やっぱり置き去りにしましょうよ」
「きゅぅん……」
「いつまで犬猫のフリしてんですか? 話せる姿に戻りなさい、クソ野郎」
言いながら渚が白虎の後頭部を平手で叩けば、涙目の大きな虎が白い光に包まれる。その光り方はまるで、悪魔ヴェゼルが擬態する時や、ルシフェリアが顕現する時の光とよく似ていた。
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