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第8章 奈落の底で大騒ぎ

32 洞窟

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 鬱蒼とした密林を西へ進めば、段々と潮の香りが強くなってくる。やがて遠くの方から波の音が聞こえて来たかと思えば、あっという間に森を抜けて――陽光を反射して眩いばかりに輝く真っ白な砂浜と、碧く透き通った海が一面に広がった。

 リベリアスの海は、相変わらず「表」のリゾート地のような美しさだ。浅瀬では姿が見当たらないようだが、やはりここでも生息するのは深海魚ばかりなのだろう。
 このような状況でなければ、渚と一緒に沖まで行って深海魚の観察を楽しみたい所であったが――あいにくと今の綾那は水恐怖症で、しかも急務がある。

(毒か……たぶん「解毒デトックス」さえあれば平気だとは思うけれど、問題はちゃんと見つけられるかどうかだよね)

 ルシフェリアはいまだに、『とあるモノ』の正体を口にしない。こうして一行が海岸を目指し移動している間に、ヴィレオールが毒の精製を終えてしまったらしい――という情報を伝えてくれただけだ。

 既に『とあるモノ』とやらに毒を入れ込んでいる段階らしく、早々に「解毒」で無毒化せねば、冗談抜きでセレスティンの住人が危険に晒されてしまう。
 人間を愛するルシフェリアが、まさかそのような事態を許すとは考えにくい。しかし、あくまでもこれが綾那達に対する試練だと言うならば、本当にギリギリまで助言は得られないと思っていた方が良いだろう。

「颯月様。悪魔が潜伏している洞窟とやらは、恐らくコレの事ですね」

 危険があってはいけないからと先行していた竜禅が、海辺の岩場から戻ってくる。
 彼がコレと言って指差したのは、海岸線沿いにあるゴツゴツとした巨岩の集合体であった。森側から見ていると単なる岩の塊だが、どうも海側から見ると、ぽっかりと大きな穴が開いているらしい。

 洞窟は地中へ向かい伸びているようで、もしかすると単なる潜伏先ではなく、この先に街の生活用水へ繋がる道もあるのかも知れない。海水もいくらか洞窟の中へ流れ込んでいるようだが、満ち潮でない限り、出入り口が塞がれるような事はないだろう。

「深そうか?」
「そうですね……かなり奥まで続いているように思います。灯りがなければ、奥へ進むのは厳しいかと」
「分かった、俺と明臣で交互に「ライト」を――いや、いっそ二つ同時に出して進むか? いつどこから、何が飛び出してくるか分からん」
「ええ、私もそれが良いと思います。いくら悪魔を退けるだけで任務完了とは言え……何が起きてもおかしくないでしょうから。こちらは悪魔と交戦するなんて、人生初ですし」
「中に入ったら俺が先行しよう。ただ、不意打ちに備えて「魔法鎧マジックアーマー」を発動しておくから視界が悪い。周囲の警戒は明臣と禅に頼む」
「承知しました」

 テキパキと指示を出す颯月と機敏に動く騎士に、ようやく呼吸が落ち着いたらしい陽香が、感心するように息を吐いた。

「さすが超絶ブラック社畜集団、仕事ができるなあ。てか、あたしら邪魔になるんじゃねえの、一緒に行って平気か? 悪魔を追い払うまで、ここで待ってた方が良いとかある?」
「いや、毒物がある以上綾に処理を頼むしかないからな……ここまで持ち運べんような代物に毒を込められていたら、俺らには手の打ちようがない」
「なるほど、動かせんものに! その発想はなかったな、こっちは用水路に流せるようなサイズ感のものを想像してたからさ」

 うんうんと頷く陽香に、明臣が苦く笑った。

「例え小さいものだとしても、私達が触れられるものとは限りませんしね。少しでも触れただけで毒を食らうとか、何かで包もうにも溶かしてしまうとか……可能性はいくらでも」
「あー、やっぱアーニャも行かなきゃ始まらねえって事か――となると、あたしも撮影せん訳にはいかんしな」
「ホント動画中毒なんだから……」

 アリスが呆れたような声を上げたが、しかし陽香は目を眇めて「それは、お前もだろうがよ」と言い返した。
 そうして結局、騎士三人が先行して進む後ろに四重奏がついて歩く事になった。四重奏は魔法など使えないし、陽香も魔石銃を置いてきたため、悪魔と交戦する事になれば確実にお荷物である。

 ヴェゼルと何度か対峙した感覚からして、恐らく悪魔は「転移」に似た魔法を使える。ルシフェリアの言葉を信じるなら、一見逃げ場のない洞窟の中であろうが、ある程度脅せば魔法で姿を消すだろう。
 四重奏はそれまで邪魔にならぬよう、ひっそりと息を潜めているしかない。

 ルシフェリアは今も綾那の腕に抱かれたまま移動しているので、快適そうだ。ただ水に濡れるのが嫌いなのか、綾那に「絶対に水を掛けないでね、いつも以上に丁寧に運んでよ」と口うるさく指示を出していた。

「――それじゃあ、さっさと依頼をこなして王都へ行きましょうか」

 暑さに弱い綾那の体調をおもんばかる渚の声掛けを合図に、一行は洞窟の中へと足を踏み入れた。


 ◆


 ――中に入ってから、だいたい二十分ほど経っただろうか? 洞窟内の水位は、足首に届くかどうかだ。
 特に人の気配のようなものは感じない。浜辺に居た時よりも随分と遠くなった波の音と、一行の足元から聞こえる水の跳ねる音が反響しているだけだ。
 足元や壁にはフジツボのようなものが大量についていて、お世辞にも歩きやすいとは言えない環境である。こんなところで転べば水に濡れるだけでなく、結構なケガをしてしまうだろう。

 ただ、魔物が飛び出てくる事もなければ、悪魔を守護するための眷属が配置されている訳でもなさそうだ。まあ、仮に眷属が配置されていたとしても、先ほどの掃討作戦で全て炙り出されているに違いないが。

 陽香はいつの間にかスマホの動画アプリを起動していたが、あまりにも何も起きないため、「撮れ高が――」と眉尻を下げていた。せめて洞窟内が芸術的な美しさであるとか、珍しい生き物が飛び出てくるとか、そういった事があれば良かったのだが。
 今のところ、単なる洞窟探検である。

 そうして一行が――というか四重奏が――探検に飽きてきた頃、途端に先頭の颯月が足を止めて「灯」を消した。釣られるように明臣も「灯」を消せば、洞窟内は真っ暗闇に包まれる。

 綾那はいきなりなんだと目を瞬かせたが、見れば一行が進む先の岩の隙間から、明るい光が漏れ出している。単なる岩の壁に見えるが、この先にヴィレオールの潜伏する空間が広がっているであろう事は間違いない。

「岩壁を吹き飛ばす、下がってろ」
「――マ? そ、そんな事して、洞窟崩れないのかよ」
「そこまで威力のあるものを使うつもりはない」

 颯月の言葉に、一行は視界が悪いながらも数歩後ろに下がった。
 やがて颯月が「電撃弾サンダーボルト」と呟けば、洞窟内に閃光が迸って、光の漏れる岩壁が吹き飛んだ。
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