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第8章 奈落の底で大騒ぎ

13 夢

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 互いの事情、そしてそれぞれが歩んできた道程を話し終える頃には、随分と窓の外が薄暗くなっていた。きっと、ジャングルの木や葉に空を塞がれているから、余計に暗く感じるのだろう。

 ひとしきりキレ散らかした渚は息を吐くと、陽香とアリスに部屋を移動するよう伝えた。さすがに、このまま四人で固まって過ごすのは寝苦しいし、食事や入浴だって必要だ。

 家の外に仲間を待たせている以上、報告や相談も必要だろう。ひとまず綾那の看病は渚が受け持って、手の足りない部分を陽香とアリスが手伝う――という事に落ち着いた。

 彼女らの私室は天井まで巨木に貫かれているため、スコールが多いこの地で寝起きはできない。しかし、無事な部屋も私物も十分に残っている。
 それに、綾那が快復したのち再び王都へ戻るつもりならば、今の内に荷物整理をしておいた方が良いだろう。ルシフェリアの力で、この荒廃した家ごと「転移」する訳にはいかないはずだから。

 アリスは化粧品を求め、陽香は残り少ない銃弾の補填を求め――服だって無事なものは持って行きたいし、撮影機器だって使い物になるものが残っているかも知れない。
 渚から「家の中で好きに寛いでいいし、必要なものがあれば持ち出して良いから」と言われた二人は、喜び勇んで旅立って行った。

 そうして綾那と二人部屋に残った渚は、ベッドの脇に一脚の椅子を置いて腰掛けた。よく絞った濡らしタオルで、額に浮いた汗を拭えば――やはり首筋の痕が目について仕方がない。

「何が束縛だ、何が溺愛だ――? 綾の体面も考えずにこんな真似するような男が、まともなはずない」

 渚は忌々しげに低く呟いた。
 盛りのついた――そういった事を覚えたてで、周囲に誇示したがるようなイキリ中高生でもあるまいし。わざわざ人目につくような場所へ所有印を散らすなど、クズのやる事だ。
 綾那が周りからどのような目で見られるかなどひとつも考えていない証拠で、極めて自己中心的な行動である。

 ――少なくとも、今までの男はそうだった。

 陽香の言った通り、『四重奏のお色気担当大臣』の呼び名は伊達ではない。
 ただ普通にしているだけでも妖艶な垂れ目に、出る所は出てくびれた所はくびれたメリハリのある肉体は、四重奏の男性ファンをことごとく虜にした。正直言ってアリスの「偶像アイドル」さえなければ、男性の人気票は八割方綾那に集中したに違いない。

 何せ彼女、男性ファンの間で『セクシー女優も裸足で逃げ出す奇跡のスタチューバー』なんていう、あまりに露骨なキャッチコピーが暗黙の了解として横行していた。
 だからこそ、芸能人でもアイドルでもない一般人上がりのただのスタチューバーが出した写真集が、初版二十万部達成なんていう気持ちの悪い偉業を成し遂げたのだ。
 つまり四重奏の綾那は、そっち方面の――でもっていたという事である。

 そんな彼女が、まるで奴隷のように男に尽くせばどうなるか。
 綾那は、絢葵あやき似の男が相手だと正常な思考を失ってしまう。これでもかと尽くし、好きだと囁いて、どんな願い事でも難なく受け入れてしまう。

 そうなれば、もちろん相手の男は増長する。これでもかと増長しまくる。増長するしかないではないか。

 付き合い初めは男の方も「あの『セクシー女優も裸足で逃げ出す奇跡のスタチューバー』が俺の女に!」と、綾那を大切にしようと心掛けるのだが、それも長くは続かない。
 何を言っても、何をやっても――浮気だけは決して許さないが――綾那が離れて行かないのだから、仕方がない。

 愛情を失うとか、そういう次元の話ではない。わざわざ餌をやらずとも、己の顔一つで綾那は働き続けるのだから――心を砕く必要がない。むしろ砕けば砕くほど、かえって虚しいのだ。

 そう考えると、男の方もある意味被害者なのかも知れない。何せ、『顔』以外どうでもいいのだ。綾那はただ彼らの顔を通して絢葵を見て、愛でていただけなのだから。

 そうしてクズ男から離れようとしない綾那を救うためには、アリスの「偶像」に頼るしかなかった。浮気まで許すようでは難しかったが、幸いにして綾那は独占欲が強く、かなり嫉妬深い。クズ男を「偶像」で釣り上げれば、綾那は即座に男に対する興味を失ったのだ。

「――だって言うのに、もう「偶像」はなくなったって言うし……ううん。そもそもあの男、「偶像」を自力で跳ねのけたって言ってた。本当に気に入らない――綾が快復したら、「鑑定ジャッジメント」で本心を丸裸にしてやる……絶対に体目当てのクズに決まってるんだから」

 渚はまた、自身の親指の爪を噛んだ。
 実は渚のもつ「鑑定」――ただモノの性質を調べるだけの力ではなく、かなり集中すれば人の感情さえ読み取れる代物なのだ。しかし、そこまで本気を出すとギフトの反動で一週間ほど寝込むハメになる。

 普通は決して知る事のできない「他人の思考を読み取る」なんて能力は、チートに他ならない。だから、チート嫌いの渚は滅多にここまでの事をやらない。
 ――やらないのだが、今回ばかりは綾那の安全のためにやるしかない。

 あの顔に弱い綾那だけならばまだしも、陽香とアリスまで懐柔されているなんて、あの男――颯月はタダモノではない。よほど立ち回りが上手いに決まっている。かくなる上はチートに手を染めるしかないのだ。

 そうして強く決意していると、横で眠る綾那が小さく呻いた。渚はハッと意識を戻すと彼女の顔を見やり、名を呼びかける。

「綾? 綾、分かる? 私だよ、渚――起きられる?」
「――う……?」

 綾那の眉根が寄せられたかと思えば、睫毛が小さく震えた。やがて桃色の瞳が開かれると、ぼんやりとした顔で天井を見つめる。

 意識を取り戻した綾那を見て、渚は歓喜に打ち震えた。彼女の周りにクズ男の影がチラつく事は到底許せないが、それでも三か月以上、この時を待ち続けたのだ。

 ある日突然、なんの説明もなく家ごとジャングルに放り出された。辺りを探しても、四重奏は――家族は誰一人として見付からなかった。
 事あるごとに魔物とかいう魔獣もどきに襲われて、原住民には「魔女だ」と絡まれて、家族の生死すら分からず自暴自棄になっていた。

 突如として姿を現した、自称天使に綾那の――ついでに陽香の――無事を知らされた時には、どれほど救われた事か。一日も早く、一刻も早く会いたいと焦がれ続けて迎えたのが、今日この瞬間である。

「綾――」
「……渚? ここは――私の部屋?」
「そうだよ、綾。分かる? 風邪をひいて高熱を出したの。ほらこれ、経口補水液だよ、飲める……?」

 まだ意識が覚醒しきっていないのか、綾那はぼんやりとした焦点の合わない瞳で渚を見た。
 渚に背中を支えられながら上半身を起こせば、すかさずストローを挿したグラスを口元に運ばれる。それをちゅーと吸いながら、綾那は緩慢な動きで部屋の中を見回した。

「私の……部屋――」

 ストローから唇を離した綾那は、呆けた顔から段々と、信じられないものを見たとでも言うような――ショックを受けた表情に変わった。
 渚はてっきり、「会いたかった」「無事で良かった」という言葉を掛けてもらえると思っていたのに、およそ綾那らしくない反応を見て、怪訝な顔つきになる。

 もしや熱で、意識障害ないし記憶障害でも起こしているのかと不安になったのだ。
 これは早急に、状態を確認すべきだ――そう思った渚は口を開きかけたが、しかしいつの間にやら綾那が両目いっぱいに涙を溜めているのを見て、口を噤んだ。

「もしかして、全部……夢だった――?」
「え……」
「私、ただ、熱を出して寝込んでただけ……? ここは「表」? ずっと、「表」だった――? リベリアスは……奈落の底なんて、ない……?」

 綾那の要領を得ない問いかけに、しかし渚は「ああ」と納得した。この部屋が――綾那の私室が「表」にあった時と何一つ変わらないせいで、きっと彼女は混乱しているのだろう。

 ただでさえ高熱で気力と体力を失い、意識の混濁が起きているのだ。そんな状態で目覚めた場所が見慣れた「表」の風景であれば、それは戸惑うに違いない。
 ――下手をすれば、リベリアスで過ごした三か月半の全てが「夢だ」と思い込んでも、不思議はないだろう。

 渚はひとまず綾那を落ち着かせようと、再びベッドに横たわらせた。彼女の瞳からはついに涙が零れていたが、「平気だよ」と言って宥めるように笑いかける。

、夢だと困るんだね――」

 渚は何度思っただろうか、「全て夢であれば良いのに」と。目を覚ませば、綾那が――家族が居て、いつものようにバカ騒ぎできれば、どれほど良いかと。

 綾那は、それほど楽しい思いをしたのだろうか。幸せだったのだろうか。
 ――あの男に利用されているだけなのに、果たして本当に幸せと言えるのだろうか?

 熱にうなされて混乱している者の脳に、負担がかかるような真似はしたくなかった。しかし渚の胸に刺さった棘の痛みが、彼女を突き動かした。

 悲しんでいる綾那には悪いが、このまま彼女の口からあの男の「所業」について、聞き出そうと思ったのだ。

「どうして夢だと困るの? 会えなくなると、困るヤツでも居る?」

 渚に問われた綾那は、ポロポロと大粒の涙を流しながら緩慢に頷いた。渚は「そっか」と相槌を打って、視線で先を促す。

 すると綾那は、震える声でうなされるように「颯月さんに会いたい」と漏らした。そして渚が問い詰める間でもなく、自ら颯月への想いを吐露し始めたのであった。
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