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第8章 奈落の底で大騒ぎ

8 看病開始

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 緑に覆われた家の中身もまた、緑溢れる空間になっていた。

 どうも、この家は確かに「表」で四重奏カルテットが暮らしていた家のようだ。元は6LLDKの、四人で暮らすには広い庭付きの戸建て。
 しかし、やはり無理やりに「転移」されたせいなのか、壁や床がところどころ崩れている。床から屋根まで突き抜けるようにして大木が生えているし、フローリングだって自然味溢れる、緑コケのカーペットが浸食している。

 室内にも関わらずハイビスカスのような大ぶりの花が生えていたり、元あった柱にはツタが絡みついていたり――最早「家」とは言い難い。
 そもそも、これだけ穴が開いていては雨風もまともに凌げないだろう。だからこそフローリングまで真緑に染まっているのだ。

 そんなほとんど屋外と変わらぬ家の中を、渚は迷いのない足取りで進んでいく。彼女は後ろを歩く陽香とアリスを一瞥する事なく、ただ正面を見据えたまま問いかけた。

「聞きたい事しかないんだけどさあ――とりあえずあの男、?」

 その声色は随分と低く冷たいもので、様変わりした我が家を呆けた顔で見回していた陽香は、ぴくりと肩を揺らした。そしてやや逡巡してから、気まずげに口を開く。

「いや…………アーニャの、新しい男?」
「それは、あの顔を見れば分かる。私が聞きたいのは、どうして二人がついていながらこんな事になっているのかっていう話。見た感じ、昨日、今日会ったって仲じゃあないよね? それに、なんか他にもたくさん男が居たみたいだけど……アリスの「偶像アイドル」はどうしたの?」
「ええと、話せば長いんだけど――とりあえず、「偶像」はもうないのよ。天使にあげちゃったから」
「――? ……なんであげたの? アレがなきゃ綾を守れないの、分かるでしょ」

 渚は言いながら、半壊して今にも崩れ落ちそうな階段を上がり、家の二階を目指しているようだ。
 責めるような口調で問われたアリスは、グッと言葉に詰まった。しかし、黙っていたって仕方ないと思ったのか、やがて意を決したように顔を上げる。

「だって、「偶像」があったらまともに生活できないもの。「表」でも生き辛かったのに、ギフトが存在しないリベリアスじゃ、もっと辛いじゃない」
「――――それで、職務放棄したって事? 綾からあの男を引きはがさずに?」
「し、仕事はした! アンタに怒られるの嫌だったから、ちゃんと……本気で引きはがすつもりで「偶像」を使ったわ! でも跳ねのけられちゃったの。だから、颯月さんはそれだけ綾那に本気って事よ。今までの男とは違うし――綾那自身の意識だって、全く違う」

 語気が段々と尻すぼみになっていくアリスに、渚は「綾の意識が違うって、どういう事」と、更に問いを重ねた。その問いに答えたのは、アリスではなく陽香だった。

「ガチで結婚したいんだってよ」
「――――――冗談でしょう? 男と結婚? バカも休み休み言おうか」
「いや、ナギの言いたい事は分かるよ。絢葵あやき似の顔を見ると、クズ男って決めつけちまうのは分かる。今までアーニャの連れて来る男が……ってか、アーニャの行いが悪すぎたからな」
「は? 綾は悪くないでしょ、男を見る目がないだけであって悪い事は何もしてない。綾の行いが悪いんじゃあなくて、綾の好意を利用するクズが一方的に悪いよね――違う?」

 足を止めて陽香を振り返った渚は、視線だけで人を射殺せそうなほど鋭い眼差しをしている。陽香は降参だとでも言うように両手を軽く挙げると、全く心の籠っていない棒読みで「ふぁーい、渚様の仰る通りでーす」と嘯いた。

 渚は綾那に傾倒している――いや、傾倒し過ぎている。伊達に彼女の事を、自身を女手一つで育ててくれたシングルマザーのように思っていない。
 綾那に近付く男は渚にとって皆『敵』であり、いつだって綾那は『被害者』なのだ。

 綾那の事を悪いとは欠片も思っていないが、しかし彼女に男を見る目がないという事は正しく理解できている。だからこそ、綾那が捕まえてくる男は総じてクズである――それが、過去の統計データに裏打ちされた結果なのだ。

 その気持ちは、陽香やアリスにもよく分かる。分かるのだが――そもそも今話すべき事は、颯月の素性でも処遇でもない。陽香は両手を挙げたまま続けた。

「まあ詳しい事は、アーニャが元気になったら直接話し合ってくれよ。とにかく助けてやんなきゃ……このままじゃ、死んじまう」
「……それもそうだね。風邪をひいたって話だっけ? さっき「鑑定ジャッジメント」で見た結果も、ただの風邪を拗らせてるっぽかった。幸い、他の臓器に問題がある訳ではなさそうだから――とりあえず今は、なんとかして熱を下げるしかないかな」

 言いながら再び歩き出した渚に、陽香は「いつの間に「鑑定」してたんだよ――」と呟いた。しっかり呟きを拾ったらしい渚は、「そんなの、再会して即に決まってるでしょ」と当然のように答える。

「鑑定」とは、その名の通り物質や人の性質などを鑑定できるギフトだ。食材が可食かどうか、有毒か無毒かなどの他にも、人の身体データや怪我の有無、病状などについても、まるでゲームに出てくるステータス画面のように文章化――または数値化して、視認できてしまう。

 しかし、本人の意思関係なく出会い頭に無断で「鑑定」するなど、綾那を日常的に「分析アナライズ」する事を生き甲斐としている颯月といい勝負だ。
 当人はあくまでも健康管理のつもりなのかも知れないが――やはりこの二人、根本的な性質が似ているのだろう。

 陽香とアリスが無言で顔を見合わせていると、不意に渚が足を止めた。彼女の前には、小綺麗な――ひとつも緑に浸食されていない普通の扉が佇んでいる。

「ここって確か……アーニャの部屋だっけか?」
「そう。まあ見ての通り、「転移」のせいで家はメチャクチャになったんだけど……一階はともかくとして、二階は意外と無事なんだよね――あ、でも陽香とアリスの部屋は天井まで木に貫かれてる」
「……なんで私と陽香の部屋だけ!? 酷くない!?」
「別に、私が貫いた訳じゃないから……日頃の行いなんじゃないかな」
「日頃の行いなら、ナギが一番ヤバヤバのヤバな感じするけどな!?」

 陽香は動揺しながらも、両手が塞がっている渚に代わって扉を開いた。錆一つない扉は音も無く軽やかに開き、その先には「表」で過ごしていた時そのままの、綾那の私室が広がっている。

「っはー……ここだけ、まるで「表」みたいだな。なんか、周りがジャングルに囲まれてる事だとか、家の一階がメチャクチャになってる事だとか……ここが「奈落の底」だって事すら、全部嘘みたいだ」

 渚はさして興味なさげに「そうだね」と呟いて、元々綾那が使用していたベッドに彼女を横たわらせた。くるまれていた毛布を引きはがせば、全身が汗でびしょ濡れになっている。

「アリス、タンスの中から綾の着替え出して。寝心地良さそうだったら、なんでも良いから」
「う、うん、分かった」
「結構、汗かいてっけど……意外とすぐに熱下がったりすんのか?」
「汗をかけば熱が下がるって言うのは、ただ気化熱で体温を奪われてるだけだから、アテにならないよ。本人が寒がっているなら話は別だけど……無理やり汗をかかせようとするのは、基本的に逆効果だし」
「えっ! じゃあこのクソ暑いジャングルの中、毛布にくるんで運んでたのってよ――」
「最悪、熱中症を起こして体力が奪われるだけだね。まあ、そこまで行ってなくて良かったけど……意識がないんじゃあ、水分補給が難しいかな。ひとまず熱を下げるのに、氷が欲しい――トラに街までおつかい頼もうか」
「トラ? そう言えばさっきも、庭の魔法消すのに「トラ」って呼んでたな――けど氷なら、良いのがすぐソコにあるぞ」

「ソコ?」と首を傾げる渚に、陽香はにんまりと笑って「氷ってか、『人間製氷機』だけどな」と告げる。彼女の脳内に浮かんでいるのはもちろん、氷魔法が得意な魔力制御のエキスパート――明臣であった。
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