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第8章 奈落の底で大騒ぎ

4 密林へ

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 応接室で会議を終えた一行は、再び颯月の執務室まで戻って来た。ソファに大人しく座って待っていたルシフェリアは、にんまりと無邪気に笑って問いかける。

「全部で六人だね。もう準備は良いのかい? 忘れ物はない?」

 ぐったりとして目を覚まさない綾那、彼女を抱く颯月。それを心配そうに見守る、陽香とアリス。明臣と竜禅は荷物番でも任されているのか、それぞれが大きな鞄を肩に担いでいる。

「セレスティンは南国だよ。常夏と言っても過言ではないアイドクレースよりももっと暑いし、湿度だって高い。「表」の君らは、しんどくなったら魔法で氷でも出してもらうと良いよ――まあ、やり過ぎれば綾那彼女の二の舞になるだろうけれどね」
「分かったよ、いちいち不吉な事言うなっつーの。なあシア、ナギの居場所のヒントは? ヒントぐらいくれたって良いだろ」
「えぇー? うーん、そうだなあ……とりあえず、青龍の知り合いを探すと良いんじゃない?」
「青龍……禅さんの知り合い?」
「――つまり、が綾那殿のご家族について知っているという事ですか?」
「かもねー?」

 言葉を濁して意味深に笑うルシフェリアに、竜禅は「――それは、気の重い話だ」と独りごちた。

「なんか、よく分かんねーけど……今回は禅さんが頼りだ、アーニャと颯様のためにもよろしくな」
「ああ、お二人の幸せのためだ。私もできる限りの力を尽くそう」
「明臣も――ルベライトへ戻らなきゃいけないのに、巻き込んで悪いわね」
「とんでもない、他でもない姫の頼みだからね。それに街の辻馬車は、まだしばらく繊維祭帰りの観光客でいっぱいのようだし……ちょうど空席待ちで手持無沙汰だったんだ、気にしないで」

 明臣は笑いながら「私の事は、歩く冷房魔具だとでも思ってくれれば良いよ」と告げた。
 確かに、街全体へ雪を降らせるようなやりすぎのヴェゼルとは違い、明臣ならば正確無比な魔力制御でもって、適温を保つだけの氷を出してくれるだろう。

 アリスは「ありがとう」と礼を述べると、改めてルシフェリアに向き直った。

「ねえ、一個だけ聞きたいんだけどさ――やっぱり、その……私達わよね? 綾那と颯月さんの事……」
「……えっへへ~、どうかなあ? 緑の聖女様は、案外すんなり認めてくれたりして~?」

 にまぁと意地の悪い笑みを浮かべてとぼけるルシフェリアに、アリスは「あ、もう良いわ――今ので超揉めるって確信した」と言って、肩を落とした。
 しかし、やがて気を取り直したように頭を振ると、颯月に抱かれた綾那の頬に手を添える。赤く染まった頬は焼けるように熱い。
 意識を失っていてもアリスの手の温度が心地よかったのか、綾那は僅かに頭を動かしてその手に擦り寄った。

「――早く渚を見つけないと。てか正直、颯月さんの問題以前の話で――まず綾那に風邪ひかせた時点で、死ぬほど怒られそうなのよね、私達」
「オイ、言うな。ナギ見つけなきゃいけないのに、見つけたくなくなるだろ。監督不行き届きなんて冗談じゃねえぞ、なんとか「あたしら、ついさっき再会したんだ! したらもう風邪ひいてた!」って事にできねえかな……!」
「渚にそんな嘘が通用する訳ないでしょう? 行くしかないのよ、行くしか――!」

 覚悟を決めたらしいアリスと陽香は、まるで戦地へ赴く兵隊のように精悍な顔つきになった。渚について知らぬ者からすれば、それほどまでに強い覚悟を要する相手とは、一体どのような人物なのかと思わずにはいられないだろう。

「ようし――それじゃあ、準備はできたみたいだし「転移」するよ、集まって。僕は君達をセレスティンに送った後、しばらく休憩が必要だから……すぐには手助けに行けないけれど、皆で仲良く頑張るんだよ」

 ルシフェリアの言葉を合図に、一行はひと塊に固まる。どこか緊張した様子の面々に、綾那そっくりの顔をした幼女はニッコリと笑ってから「いってらっしゃーい」と、間延びした見送りの挨拶を告げた。


 ◆


 ルシフェリアの見送りと共に、一行の視界は暗く閉ざされる。しかしそれはほんの僅かな出来事で、ぱちりと瞬きをした次の瞬間には、彼らを囲む環境が大きく様変わりしていた。

 ほんの数秒前まで、颯月の執務室に居たはずの面々。それが今は、鬱蒼とした密林――ジャングルのド真ん中へ放り出されているのだ。

「――ぅおあ!? なんだここ、どこだ? ジャングル!?」

 まず声を上げたのは、陽香だ。彼女は大きな猫目を見開いて、周囲を警戒するように見回している。

 辺りに植わった樹は、どれもこれも太く大きい。鬱蒼と茂った葉やツタは互いに絡み合い、空から降る陽光を遮断していて薄暗い。
 足元はぐじゅりと音を立てて沈み込み、品種の分からない草が一面を覆い尽くしている。この辺り一帯が、まるで薄く水を張った田んぼのようだ。
 どこか遠くの方では鳥か何かが不気味に鳴いて、そこかしこに生き物が居るのか、時折ガサガサと葉が揺れる。

「ここは――恐らく、セレスティン領の中でもかなり南に位置する森だな。ここまで鬱蒼とした森は、この一帯だけだったはず……ガキの頃の記憶だから曖昧だが、確か北に進めば首都セレスティンがある」

 颯月は、まだ自身が王太子であった頃正妃に連れられて全国行脚をさせられている。しかし僅か二、三年後にはアイドクレースの騎士として王都に根付いているため、恐らくその後は一度も訪れる機会がなかったのだろう。
 とはいえ、異常とも言えるほど高い記憶力をもつ颯月の事だ。彼の説明は正しいはず。

「な、なるほど? で、北ってどっちよ。木で太陽が見えねえんじゃあ、方角が――てか、『太陽』っつっても空のアレ、一日中位置が変わんねえから意味ないのか」
「そうだな。「空中浮揚レビテーション」で木より高く飛んで、目で街の方角を確認するのが良いだろう」

 言いながら綾那を抱え直した颯月に、すかさず明臣が挙手する。誇らしげに胸を張り目を輝かせている様は、まるで飼い主からの称賛を期待する忠犬のようだ。

「颯月殿、綾那さんを抱えていては難しいでしょうから、ここは私が「空中浮揚」で方位の確認を――」
「いや、残念ながらアンタにだけは任せられん。頼むから今は大人しくしていてくれ、動くな」

 明臣の提案を、颯月が食い気味に叩き切った。何せこの男、神がかり的な方向音痴なのである。彼に道案内を任せたら最後、一行はこのジャングルから二度と抜け出す事ができなくなるだろう。
 明臣はしょんぼりと肩を落としたが、しかし自分の方向音痴がどれほどのものかよく理解しているお陰か、反論する事はなかった。そんな彼の肩を、アリスがぽんぽんと励ますように叩いている。

「つーか、全員「空中浮揚」で浮く訳にはいかねえの? 空飛べるなら街まで飛んでった方が早くねえか? アーニャもしんどいだろうしさ――」
「そうしたいのは山々だが、そんな目立つ事をしてセレスティンの騎士に目を付けられると面倒だ。言っただろう? 俺達は今、港の関所を通らずに不法侵入した密入国者なんだぞ」
「あ、ああ、そっか……方位の確認だけ済ませて、あとはジャングルに隠れながら移動するっきゃねえって事だな。そんじゃあ、あたしだけ軽く飛ばせてくんない? には自信あっからさ」

 自身のこめかみを指先でとんとんと叩く陽香に、颯月は「ああ、それは名案だな」と笑みを浮かべた。彼女の「千里眼クレヤボヤンス」にかかれば、街どころか、例え三キロ先にあるリンゴに書かれた文字だろうが鮮明に見通せるのだから。

 颯月がちらりと明臣を見やれば、彼はパッと表情を明るくして、「では、私が「空中浮揚」で陽香さんを飛ばしますね」と頷いた。
 そうして明臣が「空中浮揚」を唱えれば、陽香の身体がゆっくりと上昇していく。
 彼女は空中で器用にバランスを取りながら――恐らく、今も「軽業師アクロバット」が常時発動しているのだろう――生い茂った葉を手で掻き分けて、ジャングルから顔を出した。
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