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第8章 奈落の底で大騒ぎ
2 気まぐれ(※視点がぶれます)
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「ちょっと、粗雑な扱いをしないでよ。僕天使だよ? 天使」
「うるせーぞ、エセ天使」
陽香に首根っこを掴まれたルシフェリアは、宙に浮いてぶらんぶらんと揺れた。ふくふくの頬を膨らませて、「エセじゃなくて、天使だし」と呟いている。
「そんな事は良いから、シア。アーニャの風邪を治してやってくれよ。熱が下がらなくて死にそうなんだ、アーニャはお前のオキニだろ?」
「オキニって何?」
「お気に入りだろって言ってんだよ」
「あー」
「あーじゃなくてさ」
危機感の欠片もないルシフェリアを、陽香はどこか苛立った様子で「ほら」と言って、綾那の横へ降ろした。ルシフェリアは小さな紅葉のような手でぺちっと綾那の頬を押さえたかと思えば、じっと顔を覗き込んだ。
しばらくそうして見ていたかと思うと、何度か頬を撫でてから「ふーむ」と思案顔になった。
「苦しそう。これは、あと七日もしないうちに死んじゃうねえ」
なんでもない事のように告げるルシフェリアに陽香は絶句して、執務机に座っていた颯月がガタリと立ち上がった。
颯月はルシフェリアの横まで移動して片膝をつくと、ぐったりとしている綾那の頭を撫でつける。
「創造神、頼むから治してくれ。綾に先立たれたら、俺は一人で生きて行ける自信がない」
「うーん、ごめんね。いくら僕でも、怪我と違って病気は無理なんだよ……この子の体だけじゃあなくて、この子を苦しめている細菌まで元気にしちゃうから――下手をするともっと酷い事になる。ほら、僕ってば慈愛の天使だから、生きとし生けるもの全てを元気にしちゃうんだよね」
「何? それじゃあ、綾は……もう、どうしたって助からないって言うのか?」
「は――? 待て待て、シアお前、何言って……あ、アーニャが死ぬとか、マジ……よ、『予知』って訳じゃあねえんだろ? あたしらの行く末は、もう見えねえんだもんな!?」
陽香は大変取り乱した様子で、ルシフェリアの両肩を掴んでガクガクと揺らした。彼女の声は酷く震えており、顔からは血の気が引いている。
しかしルシフェリアは、綾那そっくりの顔で困ったように笑って「ごめんね」と謝るだけだ。
陽香は、ただでさえ大きな瞳をこれでもかと見開いて唇を戦慄かせる。やがてルシフェリアの肩から手を離すと、いつの間にか瞼を閉じている綾那の顔を見やった。
「アリス――アリス、呼んで来ても良いか? 颯様……」
呆然とした様子でフラフラと立ち上がる陽香に、颯月は黙って頷いた。
アリスは繊維祭が終わり次第『広報』として正式に採用されるはずだったのだが、責任者の綾那がこの調子で先延ばしになっている。ゆえに、彼女はいまだに一人では騎士団本部を出入りできないのだ。
執務室から出て行く陽香を見送った颯月は、眠る綾那をおもむろに抱き上げた。そうして彼女を横抱きにしたままソファに深く腰掛けると、自身の膝の上で大事そうに抱え直す。
動かされても綾那が目を覚ます事はなく、ただくたりと力なく颯月に体を預けるだけだ。
「――何か、手はないのか?」
颯月が問いかければ、ルシフェリアは短い手足でソファによじ登った。そして颯月の隣に座ると、まるで励ますように彼の二の腕をぽんぽんと叩く。
「ねえ、この子僕が貰っちゃダメかなあ」
「……どういう意味だ?」
「すごく従順だし、僕の下で働いて欲しいんだよね――それに何かと素質がありそうだし、向いてると思うんだ」
「それは……綾を本物の天使にするって話なのか?」
「うーん、まあ……人間ではなくなる、かな。そうすれば「解毒」なんて関係なくなるし、そもそも病気しない元気いっぱいの身体になるよ。ただ――そうなると、君達とは生きる時間が変わってくる。君だけお爺ちゃんになって、この子は若いまま永遠に取り残されちゃう。君が死んじゃった後は一人きりで寂しいだろうし、代わりに僕が貰う事になるのかなあ」
うっそりと笑う幼女を見て、颯月は静かに首を横に振った。
「綾は、死んだ後も俺だけのものだ。誰にも渡さん。……そもそも、俺だけ老けるのもキツイだろ。死後どころか、生きてるうちから綾の気持ちが離れたらどうしてくれるんだ? とてもじゃないが承諾できんな」
「ホントDVなんだから」
「なんとでも言え。綾だけは絶対に、何があろうと手放さん」
「ええー? こんなに苦しんでいるのに、助けようとは思わないの? 死んじゃっても良いんだ?」
「……創造神に横から奪われるぐらいなら、このまま死なせる」
「それで、「俺も死ぬ」――って? 全く、最近の子は嫌な事があるとすーぐ生を諦めるんだから……ガッツが足りないよね、ガッツが」
無言のまま綾那を抱く力を込めた颯月に、ルシフェリアは小さく肩を竦めた。そしれからため息を吐き出すと、目を三日月のように細めて笑う。
「ふふ、ちょっと君を試しただけさ。他に手がない訳じゃあないから、安心してよ」
「何? それを早く言ってくれ。俺にできる事ならなんでもする、どんな手を使ってでも綾を助けたい」
「その言葉を待っていたよ。なーに、君にとっては難しい事じゃあないさ……ただ、僕ともしもの時の契約を結んでくれるだけで良い」
「……契約」
「そう、契約」
ルシフェリアは綾那そっくりの顔で、薄ら寒くなるような笑みに僅かばかりの凶悪さを滲ませた。そして「君にとっても悪い話じゃあないと思うよ。何せ君も、僕の『オキニ』なんだからね」と囁いた。
◆
しばらくしてからアリスを連れて戻って来た陽香は、相変わらず顔色が悪かった。それはアリスも同様で、颯月の膝の上に抱かれて眠る綾那を見るなり、瞳を潤ませる。
「ちょ、ちょっと――綾那がダメかも知れないなんて、嘘でしょう? 天使ならなんとかしなさいよ! そもそも、アンタが綾那に無理させたからこんな事になってるんでしょ!?」
「えぇー……もう、人の顔を見るなりなんなのさ」
「だって、アンタが綾那を使って色々やらせたせいじゃない! 本当は最初から全部自分で解決できたくせに、わざわざ綾那を働かせて……ゼルくんが雪を降らせる事だって、予知できてたんでしょ!?」
「……まあ、そうだね」
あっさりと認めたルシフェリアに、アリスはますます眦を吊り上げた。しかし彼女が次の言葉を紡ぐよりも先に、颯月が口を開く。
「――セレスティンに行くぞ。綾を助けるためには、セレスティンまで行くしかない」
「えっ」
「せ、セレスティン? 南のか? なんで急に――」
突然の提案に、陽香とアリスは面食らったような顔をする。
セレスティンとは、アイドクレースの南方に位置する領だ。他領との境界を広大な海に隔てられている南国の島で、行き来するには航路を使うしかない。
颯月は何故、いきなりそんな遠い地へ行くなんて言い出したのか。到着まで数週間かかるのだから、今の綾那ではもたないだろう。まさか、綾那を喪う恐れから気でも触れたか。
思い切り訝しむ陽香を尻目に、颯月は淡々と――しかし、強い意志でもって告げた。
「綾の家族なら治せるらしい。治すための材料もセレスティンにある。ただ、俺が会いに行ったところでまともに対話できると思えん。交渉はアンタらに任せて良いか?」
「ナギに? い、いや、そりゃ構わねえけどさ……でも、セレスティンまでは海を渡るしかねえから、船で二、三週間はかかるって聞いたぞ? それじゃあ、アーニャがもたんだろ」
「そ、そうよね……だって綾那、もう七日ももたないって言われているんでしょう?」
苦み走った表情を浮かべる陽香と、目に涙を浮かべながら祈るように両手を組むアリス。そんな二人を正面に見据えて、幼女ルシフェリアが得意げにドンと胸を叩いた。
「ちょっとちょっと、僕の事を忘れてない? この僕、美と慈愛を司る大天――」
「うるせーぞ魔王」
「そうよ! 次は綾那を使って何をするつもり!? もう騙されないんだからね!!」
「――――――アッ、なんかもう、気分が削がれちゃったな。助けてあげようかと思ったけど、やっぱり辞めた……この子はそのまま死なせよう。そして僕の部下として生まれ変わらせるよ、もう決めた」
「オイ……! 話が違うだろう、天使なら約束を守れ!」
颯月が声を荒らげれば、ルシフェリアはツーンと顔を逸らして「だってこの子達、僕に対する敬意が足りない」と不貞腐れる――かと思えば、荒い呼吸を繰り返す綾那の顔を覗き込み、打って変わって慈しむような表情を浮かべた。
しかしその小さな口から語られたのは、全く表情にそぐわない不穏なものだ。
「苦しんでいて、可哀相だね――早く死なないかなあ」
その姿はまるで、サンタクロースの到着を心待ちにする無邪気な子供のようだった。言葉と態度と表情、全てがチグハグで、今のルシフェリアにはなんとも言えない不気味さが漂っている。
颯月は大きな舌打ちをすると、ルシフェリアの視界から遠ざけるため、綾那を横抱きにしたままソファから立ち上がった。幼女は「あーあ」とつまらなさそうな息を漏らして、小さな頬を膨らませている。
その異様な光景にアリスは数歩後ずさって、陽香に「ちょっと」と声を掛けた。
「なんだかよく分からないけど、とりあえず今は形だけでも謝っておいた方が良いんじゃない? 綾那を助ける方法があるらしいし――」
「つっても、魔王は魔王だろ? 今ので確信したっつーの!」
「魔王は魔王だけど! 綾那を助けるには、魔王に魂売るしかないでしょ!? このままじゃあ死ぬって言ってんのよ、綾那が!」
「そもそも死ぬって『予知』だってシアの嘘で、策略かも知れんだろ! ここ最近のコイツ、性格ドブ以下だぞ!?」
「ね、ねえ、あんまり酷いこと言わないでよ。どんどん気分が悪くなるんだけど、僕……」
言い争いを始めた陽香とアリスに、ルシフェリアは怒るでも嘆くでもなく、ただ呆れたような表情を浮かべて肩を竦めた。
彼女らのやりとりを見かねた颯月が、痺れを切らして口を開く。
「創造神は、俺達をセレスティンまで一瞬で「転移」するつもりだ。船は使わん、あとは綾の家族を見つけ出すだけだ」
「へっ……――そ、そうか!? 繊維祭の時こいつ、アーニャがぶっ飛ばした眷属を散々「転移」してやがったよな!」
「まあ、僕「表」でいうところのカミサマだから。天使の力さえ取り戻せば、カミサマにできる事は一通りこなせるんだよね。五、六人「転移」させるぐらいなら、今の僕でもできるかな~って……」
「それを早く言いなさいよ!?」
「言う前に君らが僕の言葉を遮ったんじゃあないか」
「グッ……!」
「うぐぐっ――!」
ルシフェリアの正論過ぎる指摘に、陽香とアリスが低く呻いた。二人はそのまま顔を見合わせると、前面に「不服である」といった感情を押し出して、床に両膝をつく。
そして不承不承ながらルシフェリアに向かって頭を下げると、ほとんど心の籠っていない謝罪を口にした。
「――――悪かったよ」
「酷い事を言ってごめんなさい、お願いだから綾那を助けて」
「うーん、嫌々謝ってる感が物凄いけど……でもまあ、僕は慈悲深い天使だから許すよ。君達をセレスティンまで「転移」してあげよう」
その言葉に、陽香とアリスはパッと表情を明るくする。
「君らの準備が終わり次第、すぐに行こうか。ちょっと訳があって、緑の聖女様の目の前には「転移」できないから……向こうで自分の足を使って探してもらう事になるんだよね。人手はあった方が良いと思うよ、「転移」しても平気そうな人を連れて来ると良い」
「――は!? いやいや、お前ナギの居場所知ってんだろ、普通に案内してくれよ!」
「あ~平気、平気。神は人に乗り越えられる試練しか与えないから~。「転移」で疲れるし、君らと会話するのも億劫なんだよね」
げんなりとした表情のルシフェリアに、陽香はうぐぐと呻いた。しかし、すかさずアリスが「今は黙って言う事を聞きましょう、報復なら渚と合流してからでも間に合うわ!」なんて、不穏なフォローを飛ばしている。
彼女らの不穏な会話を意識的に聞き流しているらしいルシフェリアが、ちらりと颯月を見やった。
「――君も、部下にお仕事を振り分けてから行かないとまずいんじゃない? たぶん、少なくとも一週間以上アイドクレースを離れる事になると思うよ」
「分かってる」
「……あ。でも、青龍は連れて行っておいた方が良いかもね? きっと君の助けになってくれるから」
「禅を? 禅まで連れて行くとなると、残される成と和がスゲー顔しそうだな――まあ、綾の命には代えられん。無理を通すしかないか……」
「後は、そうだなあ――あのキラキラの悪魔憑きにも手伝ってもらうと良いかも。セレスティンって、氷に弱い魔物が多いからさ」
「えっ、明臣? でも、辻馬車が捕まり次第ルベライトに帰るって言ってるのに……私達の問題に巻き込んで良いのかしら?」
首を傾げるアリスに、ルシフェリアは「そんなの、今更なんじゃない?」と言って肩を竦めた。
「颯様、会議すっか、会議? アレだったらあたし、訓練場に顔出していつもの面子揃えて来るけど」
陽香がサッと立ち上がれば、颯月は鷹揚に頷いて「頼む」と告げる。かくして一行は、セレスティン領まで渚探しの旅へ出ると決めたのであった。
「うるせーぞ、エセ天使」
陽香に首根っこを掴まれたルシフェリアは、宙に浮いてぶらんぶらんと揺れた。ふくふくの頬を膨らませて、「エセじゃなくて、天使だし」と呟いている。
「そんな事は良いから、シア。アーニャの風邪を治してやってくれよ。熱が下がらなくて死にそうなんだ、アーニャはお前のオキニだろ?」
「オキニって何?」
「お気に入りだろって言ってんだよ」
「あー」
「あーじゃなくてさ」
危機感の欠片もないルシフェリアを、陽香はどこか苛立った様子で「ほら」と言って、綾那の横へ降ろした。ルシフェリアは小さな紅葉のような手でぺちっと綾那の頬を押さえたかと思えば、じっと顔を覗き込んだ。
しばらくそうして見ていたかと思うと、何度か頬を撫でてから「ふーむ」と思案顔になった。
「苦しそう。これは、あと七日もしないうちに死んじゃうねえ」
なんでもない事のように告げるルシフェリアに陽香は絶句して、執務机に座っていた颯月がガタリと立ち上がった。
颯月はルシフェリアの横まで移動して片膝をつくと、ぐったりとしている綾那の頭を撫でつける。
「創造神、頼むから治してくれ。綾に先立たれたら、俺は一人で生きて行ける自信がない」
「うーん、ごめんね。いくら僕でも、怪我と違って病気は無理なんだよ……この子の体だけじゃあなくて、この子を苦しめている細菌まで元気にしちゃうから――下手をするともっと酷い事になる。ほら、僕ってば慈愛の天使だから、生きとし生けるもの全てを元気にしちゃうんだよね」
「何? それじゃあ、綾は……もう、どうしたって助からないって言うのか?」
「は――? 待て待て、シアお前、何言って……あ、アーニャが死ぬとか、マジ……よ、『予知』って訳じゃあねえんだろ? あたしらの行く末は、もう見えねえんだもんな!?」
陽香は大変取り乱した様子で、ルシフェリアの両肩を掴んでガクガクと揺らした。彼女の声は酷く震えており、顔からは血の気が引いている。
しかしルシフェリアは、綾那そっくりの顔で困ったように笑って「ごめんね」と謝るだけだ。
陽香は、ただでさえ大きな瞳をこれでもかと見開いて唇を戦慄かせる。やがてルシフェリアの肩から手を離すと、いつの間にか瞼を閉じている綾那の顔を見やった。
「アリス――アリス、呼んで来ても良いか? 颯様……」
呆然とした様子でフラフラと立ち上がる陽香に、颯月は黙って頷いた。
アリスは繊維祭が終わり次第『広報』として正式に採用されるはずだったのだが、責任者の綾那がこの調子で先延ばしになっている。ゆえに、彼女はいまだに一人では騎士団本部を出入りできないのだ。
執務室から出て行く陽香を見送った颯月は、眠る綾那をおもむろに抱き上げた。そうして彼女を横抱きにしたままソファに深く腰掛けると、自身の膝の上で大事そうに抱え直す。
動かされても綾那が目を覚ます事はなく、ただくたりと力なく颯月に体を預けるだけだ。
「――何か、手はないのか?」
颯月が問いかければ、ルシフェリアは短い手足でソファによじ登った。そして颯月の隣に座ると、まるで励ますように彼の二の腕をぽんぽんと叩く。
「ねえ、この子僕が貰っちゃダメかなあ」
「……どういう意味だ?」
「すごく従順だし、僕の下で働いて欲しいんだよね――それに何かと素質がありそうだし、向いてると思うんだ」
「それは……綾を本物の天使にするって話なのか?」
「うーん、まあ……人間ではなくなる、かな。そうすれば「解毒」なんて関係なくなるし、そもそも病気しない元気いっぱいの身体になるよ。ただ――そうなると、君達とは生きる時間が変わってくる。君だけお爺ちゃんになって、この子は若いまま永遠に取り残されちゃう。君が死んじゃった後は一人きりで寂しいだろうし、代わりに僕が貰う事になるのかなあ」
うっそりと笑う幼女を見て、颯月は静かに首を横に振った。
「綾は、死んだ後も俺だけのものだ。誰にも渡さん。……そもそも、俺だけ老けるのもキツイだろ。死後どころか、生きてるうちから綾の気持ちが離れたらどうしてくれるんだ? とてもじゃないが承諾できんな」
「ホントDVなんだから」
「なんとでも言え。綾だけは絶対に、何があろうと手放さん」
「ええー? こんなに苦しんでいるのに、助けようとは思わないの? 死んじゃっても良いんだ?」
「……創造神に横から奪われるぐらいなら、このまま死なせる」
「それで、「俺も死ぬ」――って? 全く、最近の子は嫌な事があるとすーぐ生を諦めるんだから……ガッツが足りないよね、ガッツが」
無言のまま綾那を抱く力を込めた颯月に、ルシフェリアは小さく肩を竦めた。そしれからため息を吐き出すと、目を三日月のように細めて笑う。
「ふふ、ちょっと君を試しただけさ。他に手がない訳じゃあないから、安心してよ」
「何? それを早く言ってくれ。俺にできる事ならなんでもする、どんな手を使ってでも綾を助けたい」
「その言葉を待っていたよ。なーに、君にとっては難しい事じゃあないさ……ただ、僕ともしもの時の契約を結んでくれるだけで良い」
「……契約」
「そう、契約」
ルシフェリアは綾那そっくりの顔で、薄ら寒くなるような笑みに僅かばかりの凶悪さを滲ませた。そして「君にとっても悪い話じゃあないと思うよ。何せ君も、僕の『オキニ』なんだからね」と囁いた。
◆
しばらくしてからアリスを連れて戻って来た陽香は、相変わらず顔色が悪かった。それはアリスも同様で、颯月の膝の上に抱かれて眠る綾那を見るなり、瞳を潤ませる。
「ちょ、ちょっと――綾那がダメかも知れないなんて、嘘でしょう? 天使ならなんとかしなさいよ! そもそも、アンタが綾那に無理させたからこんな事になってるんでしょ!?」
「えぇー……もう、人の顔を見るなりなんなのさ」
「だって、アンタが綾那を使って色々やらせたせいじゃない! 本当は最初から全部自分で解決できたくせに、わざわざ綾那を働かせて……ゼルくんが雪を降らせる事だって、予知できてたんでしょ!?」
「……まあ、そうだね」
あっさりと認めたルシフェリアに、アリスはますます眦を吊り上げた。しかし彼女が次の言葉を紡ぐよりも先に、颯月が口を開く。
「――セレスティンに行くぞ。綾を助けるためには、セレスティンまで行くしかない」
「えっ」
「せ、セレスティン? 南のか? なんで急に――」
突然の提案に、陽香とアリスは面食らったような顔をする。
セレスティンとは、アイドクレースの南方に位置する領だ。他領との境界を広大な海に隔てられている南国の島で、行き来するには航路を使うしかない。
颯月は何故、いきなりそんな遠い地へ行くなんて言い出したのか。到着まで数週間かかるのだから、今の綾那ではもたないだろう。まさか、綾那を喪う恐れから気でも触れたか。
思い切り訝しむ陽香を尻目に、颯月は淡々と――しかし、強い意志でもって告げた。
「綾の家族なら治せるらしい。治すための材料もセレスティンにある。ただ、俺が会いに行ったところでまともに対話できると思えん。交渉はアンタらに任せて良いか?」
「ナギに? い、いや、そりゃ構わねえけどさ……でも、セレスティンまでは海を渡るしかねえから、船で二、三週間はかかるって聞いたぞ? それじゃあ、アーニャがもたんだろ」
「そ、そうよね……だって綾那、もう七日ももたないって言われているんでしょう?」
苦み走った表情を浮かべる陽香と、目に涙を浮かべながら祈るように両手を組むアリス。そんな二人を正面に見据えて、幼女ルシフェリアが得意げにドンと胸を叩いた。
「ちょっとちょっと、僕の事を忘れてない? この僕、美と慈愛を司る大天――」
「うるせーぞ魔王」
「そうよ! 次は綾那を使って何をするつもり!? もう騙されないんだからね!!」
「――――――アッ、なんかもう、気分が削がれちゃったな。助けてあげようかと思ったけど、やっぱり辞めた……この子はそのまま死なせよう。そして僕の部下として生まれ変わらせるよ、もう決めた」
「オイ……! 話が違うだろう、天使なら約束を守れ!」
颯月が声を荒らげれば、ルシフェリアはツーンと顔を逸らして「だってこの子達、僕に対する敬意が足りない」と不貞腐れる――かと思えば、荒い呼吸を繰り返す綾那の顔を覗き込み、打って変わって慈しむような表情を浮かべた。
しかしその小さな口から語られたのは、全く表情にそぐわない不穏なものだ。
「苦しんでいて、可哀相だね――早く死なないかなあ」
その姿はまるで、サンタクロースの到着を心待ちにする無邪気な子供のようだった。言葉と態度と表情、全てがチグハグで、今のルシフェリアにはなんとも言えない不気味さが漂っている。
颯月は大きな舌打ちをすると、ルシフェリアの視界から遠ざけるため、綾那を横抱きにしたままソファから立ち上がった。幼女は「あーあ」とつまらなさそうな息を漏らして、小さな頬を膨らませている。
その異様な光景にアリスは数歩後ずさって、陽香に「ちょっと」と声を掛けた。
「なんだかよく分からないけど、とりあえず今は形だけでも謝っておいた方が良いんじゃない? 綾那を助ける方法があるらしいし――」
「つっても、魔王は魔王だろ? 今ので確信したっつーの!」
「魔王は魔王だけど! 綾那を助けるには、魔王に魂売るしかないでしょ!? このままじゃあ死ぬって言ってんのよ、綾那が!」
「そもそも死ぬって『予知』だってシアの嘘で、策略かも知れんだろ! ここ最近のコイツ、性格ドブ以下だぞ!?」
「ね、ねえ、あんまり酷いこと言わないでよ。どんどん気分が悪くなるんだけど、僕……」
言い争いを始めた陽香とアリスに、ルシフェリアは怒るでも嘆くでもなく、ただ呆れたような表情を浮かべて肩を竦めた。
彼女らのやりとりを見かねた颯月が、痺れを切らして口を開く。
「創造神は、俺達をセレスティンまで一瞬で「転移」するつもりだ。船は使わん、あとは綾の家族を見つけ出すだけだ」
「へっ……――そ、そうか!? 繊維祭の時こいつ、アーニャがぶっ飛ばした眷属を散々「転移」してやがったよな!」
「まあ、僕「表」でいうところのカミサマだから。天使の力さえ取り戻せば、カミサマにできる事は一通りこなせるんだよね。五、六人「転移」させるぐらいなら、今の僕でもできるかな~って……」
「それを早く言いなさいよ!?」
「言う前に君らが僕の言葉を遮ったんじゃあないか」
「グッ……!」
「うぐぐっ――!」
ルシフェリアの正論過ぎる指摘に、陽香とアリスが低く呻いた。二人はそのまま顔を見合わせると、前面に「不服である」といった感情を押し出して、床に両膝をつく。
そして不承不承ながらルシフェリアに向かって頭を下げると、ほとんど心の籠っていない謝罪を口にした。
「――――悪かったよ」
「酷い事を言ってごめんなさい、お願いだから綾那を助けて」
「うーん、嫌々謝ってる感が物凄いけど……でもまあ、僕は慈悲深い天使だから許すよ。君達をセレスティンまで「転移」してあげよう」
その言葉に、陽香とアリスはパッと表情を明るくする。
「君らの準備が終わり次第、すぐに行こうか。ちょっと訳があって、緑の聖女様の目の前には「転移」できないから……向こうで自分の足を使って探してもらう事になるんだよね。人手はあった方が良いと思うよ、「転移」しても平気そうな人を連れて来ると良い」
「――は!? いやいや、お前ナギの居場所知ってんだろ、普通に案内してくれよ!」
「あ~平気、平気。神は人に乗り越えられる試練しか与えないから~。「転移」で疲れるし、君らと会話するのも億劫なんだよね」
げんなりとした表情のルシフェリアに、陽香はうぐぐと呻いた。しかし、すかさずアリスが「今は黙って言う事を聞きましょう、報復なら渚と合流してからでも間に合うわ!」なんて、不穏なフォローを飛ばしている。
彼女らの不穏な会話を意識的に聞き流しているらしいルシフェリアが、ちらりと颯月を見やった。
「――君も、部下にお仕事を振り分けてから行かないとまずいんじゃない? たぶん、少なくとも一週間以上アイドクレースを離れる事になると思うよ」
「分かってる」
「……あ。でも、青龍は連れて行っておいた方が良いかもね? きっと君の助けになってくれるから」
「禅を? 禅まで連れて行くとなると、残される成と和がスゲー顔しそうだな――まあ、綾の命には代えられん。無理を通すしかないか……」
「後は、そうだなあ――あのキラキラの悪魔憑きにも手伝ってもらうと良いかも。セレスティンって、氷に弱い魔物が多いからさ」
「えっ、明臣? でも、辻馬車が捕まり次第ルベライトに帰るって言ってるのに……私達の問題に巻き込んで良いのかしら?」
首を傾げるアリスに、ルシフェリアは「そんなの、今更なんじゃない?」と言って肩を竦めた。
「颯様、会議すっか、会議? アレだったらあたし、訓練場に顔出していつもの面子揃えて来るけど」
陽香がサッと立ち上がれば、颯月は鷹揚に頷いて「頼む」と告げる。かくして一行は、セレスティン領まで渚探しの旅へ出ると決めたのであった。
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